飛ばされてみる
吸い込まれて…燃やし尽くされてしまいそうな赤く大きな瞳が私の顔を映している。
その瞳を、その色を、その形を…懐かしいと感じてしまうのはなぜなのだろうか。
相も変わらず何の記憶にも引っかからないというのに、妙な感覚だけがあるかどうかもよく分からないくらい小さく私の中で歩いている。
もっとこの瞳の奥を覗き込めばこの懐かしい感覚の正体が掴めるのだろうか。
もっと…もっと深くまで…────。
────あ。
映り込む私の口の端に、さっきまで食べてたクッキーの欠片が付いてる。
これはお恥ずかしい。
「てれりこてれりこ」
親指でクッキーの破片を拭って口に運ぶ。
しかしその前に赤髪ちゃんが私の親指を加えて、ぬるりとした舌に破片を舐めとられてしまった。
…お腹が空いてたのだろうか。
「ちゅっ…んふふふおねえちゃんの指おーいしっ」
「指?クッキーじゃなくて?」
「そっちはまずーい」
「ふんふん」
なるほど…チョコ味はお気に召さないと。
最近はそうでもないけれど、この辺りでは甘味的なあれは貴重なので確かにチョコ味のクッキーはやや苦めだ。
甘いと思って食べちゃったからびっくりしたのかもしれない。
「ならバニラ味はどうかなぁ?こっちなら甘いよ?」
そう言いながらバニラ味のクッキーを一枚、差し出してみたけれど、指がおいしいなんて言ってるくらいだからりょーちゃんと同じくしょっぱいもの好きな可能性もある。
むむむ…困ったなぁ…塩味はりょーちゃんに多めに融通している都合上数が少なくて切らしてしまっている。
かといって私の指をお食べなんて言えないしにゃぁ…うーむ…。
「いいよいいよ、そんなまずいのいらなーい。それに「ご飯」はおねーちゃんに必要でしょ?」
「んん?ご飯は誰にだって必要だよ?」
おかしなことを言う娘さんだ。
誰だってご飯がなければ何もできない。
今日のご飯がなければ明日も見えないし、明日のご飯がなければ過去もまた無に帰す。
母がかつてそう言っていた…気がするだけで私の言葉だった気もする。
まぁとにかく誰にだってご飯は必要なものという事を言いたかったわけですよ。
生きているのなら、お腹を満たすことこそ幸せなのだから。
「んふふふふふ!私はご飯なんていらないよぉ?」
「んなわけあるかい」
ついつい強めに突っ込んでしまった。
いや、だってこんなこと言われたら誰でもツッコんでしまうでしょう。
…ははん、さてはこのおなご…過度なダイエットをしてしまうタイプだな?
よくない…とてもよくないですよ!そーいうのは!
うん、わかるよ?同じ女子としてほっそりした体形にあこがれる気持ちは。
でもね?体形なんて二の次で一番大切なのは健康なわけですよ。
例え一般的に見て細いとは言えなくとも、お肉が多少ついていたとしても健康ならオッケーなわけですよ。
逆に細くてきれいだとしても、ガリガリで不健康ならばそれはいけないことなんだ。
当然不健康なほど太っているというのも問題であるという前提ではあるけれど…健康であれば体型なぞなんでもいいのだ。
これに関しては母が間違いなくそう言っていたし、私もそう思う。
アザレアもそれに近いことを言っていたはずだ。
以前さすがに私がご飯を食べすぎでアザレアに迷惑をかけているのではないかと相談したところ、彼女からは「ご飯なんて好きなだけ食べればいいのよ。不健康に痩せるくらいなら健康的にぷにぷににならないと。もっとほっぺと太ももさんにお肉をね?モチモチと…むにむにと…ぷにぷにと…はぁはぁ…」とかなんとか。
できればお胸様にもお肉が欲しいところだけど、それは成長しても絶望的だとすでにわかっているので期待はしていない。
…ごほん!つまりはご飯は大事なのだ。
食べなくていいわけがない。
食べることは命の恵み。
それを頂くことで今日を生きる活力を分けてもらう…そんな素晴らしい行為が不必要であっていいわけがないのだ。
なんとかしてこの赤髪ちゃんにご飯を食べさせなければ…!
「クッキーね、塩味はないけれど他の味ならいっぱいあるよ?なにか食べたいのない?」
「ない!」
「じゃあちょっと歩かない?最近はね領民の人たちがね、お菓子とか果物の露店とかもやっててね、食べ歩きも出来るんだよ」
「わー!ぜーんぜん興味ない!」
「えぇ…何か好きなものとかないの?」
「おねえちゃん!」
私は食べ物ではありません。
ぶらっくどらごんいずのっとふーど。
…だめだ、この子は多少無理してでもご飯のすばらしさを教えてあげないと将来大変なことになる。
謎の使命感に燃えた私は赤髪ちゃんの手を取り無理にでも歩き出そうとした。
…だけどピクリともしない。
そこそこの力で引っ張っているはずなのに、全く動かない。
なんだこれ。
しかも掴んでいたのは私のはずなのに、いつのまにかがっしりと手首を逆にがっしりと掴まれてしまっている。
「んふふふふふ、おねーちゃん」
「え、な、なに…?」
「もう何度も確信してたけどやっぱりおねーちゃんだね。私にご飯を食べさせようってしてる目の色がずっと一緒」
「…うん?」
以前にもこういうことがあった…そういう意味だろうか。
ただ何度も言うけれど、そんな記憶は私の中にはない。
どこか引っかかるものは感じているけれど、それだけだ。
どれだけ思い出そうとしても、どこにもその記憶は存在していないのだ。
でもだったらこの子の私を知っているような反応は何なのだろうか…なにか私はとんでもないものを見落としている気がしてならない。
「ねぇ…やっぱり私たちってお知り合いなの?ごめんね、まったく私には覚えがないんだけど…よかったら教えてくれないかなぁ…?」
もう恥を忍んでストレートに聞いてみた。
すると赤髪ちゃんは顔に浮かべている笑みをさらに深くして…。
「大丈夫だよ、おねえちゃんはそのままでいいの」
するりと…そしてぎゅっと抱きしめられた。
暖かい…とは言えなかった。
こうして全身を包み込まれると分かるのだけど…おおよそ体温と呼べるものを赤髪ちゃんから感じない。
この子は本当にいったい何なのだろうか…知らなくちゃいけない…そんな気がするのに私の中にこの子に関する何かが決定的なほどに存在していない。
「おねーちゃんは私の事なんてなーんにも気にしなくていいの。何も気にせず、ただいてくれればいいの。それが────」
耳元で囁かれたはずなのに、最後の言葉は聞き取ることができなかった。
「それでねおねーちゃん…今から少し「お掃除」しようと思うの。だから少しの間だけおねーちゃんには他の場所にいて欲しいんだ」
「う…?他の場所…?」
「そそ、もうその場所は用意してあるの」
その瞬間、身体がふわりと浮かび上がる感覚がした。
いや違う…私の足元の地面がなくなってしまったみたいな…。
これは…なにかまずい気がする!
しかしそう思ったときはもう遅く…私の身体は碌な抵抗もできないままどこかに向かって墜ちていく。
「ばいばい…おねーちゃん」
赤髪ちゃんが落ちていく私に向かって手を振っていて…だんだんと薄れていく意識の中で「伴侶様!!」という誰かの叫び声が聞こえた気がした。
────────────
「あえ…?」
ふと急に意識が鮮明になった。
どこかに向かってひゅーっと落ちて行ってると思っていたけれど、私は両足で地面を踏みしめていて普通に立っているし、落ちていたような形跡もない。
いったい何があったのだろうか…。
「うーん…?というかここどこだろう?」
私がいる場所は全く見おぼえない静かな場所だった。
どこかの町…だとは思うんだけど、人の気配が全くない。
とにかく静かすぎて、なんとなく落ち着かない。
静寂がうるさいとでも言うのだろうか…。
「とにかく戻らないとだよね?飛べばいいかなぁ?でも…」
なぜだろうか、この場所は…私にとってとても相性の悪い場所みたいでうまく力が出ない。
出そうと思えば何とかなりそうだけど…なんとなく嫌な予感がする。
これはほとんど勘のようなものだけど、私は脱出より探索をしてみることにした。
そっちのほうがいい…そんな気がしたのだ。
母も急に湧いてきた勘には従ったほうがいい…事のほうが多い気がすると言っていた。
そんなわけでいざ探索。
たぶん黒神領ではないと思うので、もしかしたらご当地グルメに出会えるかもしれない。
そんな若干の期待に胸を躍らせ、お腹を鳴らしていた私だけどすぐにその期待は裏切られてしまった。
「人の気配が本当にない…」
町ではあるのだけど、どれだけ歩いても人の気配はなくて…たったそれだけの事でこんなにも違和感を覚えるのだなと感心すら覚える。
町はそれだけでは町足りえなくて、人の営みというものがあって初めて成立するんだ。
だけどそうなってくるとおかしなこともある。
人お気配が一切ないのに…この場所はとてもきれいだ。
誰かが掃除をしていないとおかしいほどに。
人がいないのに、人が住んでいるような形跡はある。
本当に何なんだろうかこの場所は。
そんなこんなで当てもなく彷徨っていると耳に痛い静寂の中にようやく私の足音以外の音が聞こえてきた。
カツン…カツン…カツン…と地面を硬い何かで叩いているような音。
とりあえず私は音のする方に向かって歩いてみた。
音も同じくこちらに向かってきているのか音は私が近づくのと同時にさらに近づいてくる。
そしてわずか数十秒ほどでその音を出していた何かの姿を目で捕らえることができた。
「あ、人だ」
それは女の人だった。
先ほどから聞こえているカツンという音は手に持っている杖が立てている声のようで、女の人は杖で地面を叩きながらこちらに向かって歩いてきている。
さらに女の人は顔に…目を覆うようにレースのついた布を巻いていてたぶん前が見えていないと思う。
なのにまるで私の姿が見えているかのように、寸前で止まるとニッコリと口元に笑みを浮かべた。
「こんにちは」
「こんにちは~」
お互いにぺこりと頭を下げる。
「あら、思ったより下の方から声が…小さな女の子かな?初めて聞く声だね。迷子かな?」
「うん、迷子でし」
「それは大変。お母さん…保護者の人はいないのかな?近くに気配はないけど…」
「いないですん」
「あらら…どうしましょう…とにかく教会で保護したほうがいいのかな?ごめんね、少し不安かもしれないけど歩けるかな?」
「うん、大丈夫」
「そっかそっか、じゃあ私についてきてくれる?」
「あいっ」
カツン…カツン…と杖を鳴らしながら歩いていくお姉さんについていく。
歩いている間、無言と言うのもあれなので私はお姉さんとお話をしてみることにした。
「ねーねーお姉さんお姉さん」
「なにかな?」
「ここってどこなの?」
「どこ?知らないできたの?」
「うん」
「そっかぁ…ここはね「紫神領」にある紫神教会だよ。正確には教会がある町だけどね」
なんてこったい国外旅行。
いつの間にか私は紫神領…つまりは外国に来てしまっていたらしい。
メアさんは意外と食べ物を譲ってくれます。




