黒に集う
あけましておめでとうございます!
最近は更新が止まりがちになってなってしまっておりますが、出来る時に進めていきますので、どうぞ今年もよろしくお願いいたします!
コンコンと数回扉をノックしてスレンが静かな個室の扉を開いた。
飾り気のない清潔…というよりは寂しさすら感じる孤独に満ちた部屋の隅、備え付けられた白いベッドの上で上体を起こしてその男は本を読んでいた。
「…今日も来たのかね、スレン特務執行官」
「はは…これ以外にすることがないので。だいぶ良くなってきたみたいですね、ストガラグさん」
男…ストガラグは読んでいた本を閉じて一度だけ小さなため息をついた。
「微妙な立場ではあるだろうが、貴様とて教会という組織に属する社会人だ。ならば上司たる俺が動けないならば別の者に仕事をもらうなどの行動を率先して行うべきだろう。だと言うのに毎日俺の見舞いなどに時間を割くなどと…」
「自分を庇って大怪我をした上司の見舞いに行くのは社会人以前に人として当たり前の行動だと思うのですが…」
「ふん、その当たり前は社会人たる仕事をこなしてからだ、と言っているのだ」
「いえ、実はそれなんですけど…上に指示を仰いでも待機としか言われなくて…」
なに?とストガラグはベッドの上で首を捻る。
スレンがなぜ自分に預けられているのか…その詳しい事情をストガラグは実は知らされていない。
だが彼らのトップである教皇からの直々の命令であるために、話すことのできない事情があるのだろうと与えられた仕事に従事していたのだ。
つまりはスレンには少なくともそれだけの何かがあるはずなのだ。
だと言うのに何の指示もないというのはストガラグには少しばかり不自然なことに思えた。
「本当に何の指示も受けていないのか?」
「はい…赤神教会に問い合わせた時についでのように「黒神領への不可侵命令」は受けましたけど…でもそれって俺だけじゃなくて教会関係者のほとんどが受けた命令ですよね…?だから俺個人への次の指示とかは一切なくて…」
「なるほど…わかった、後ほど俺の方からも上に問い合わせてみよう」
「あ、はい、よろしくお願いします。でもまずは完全に身体を治さないとですよ…ほんとなんで生きてるのか不思議なほどだったんですから」
「…不思議、か」
普段は不吉さを感じさせる表情が浮かんでいるストガラグの顔に、嘲笑めいたものが形作られた。
「なにか変なこと言いました…?」
「いいや、そう言うわけではない。ただ…そうさな、あれで死ねるのなら俺はこんなところにはいないさ」
「そりゃそうですよ。生きてるから療養なわけですし」
「…そうだな。あぁ全くその通りだ」
微妙に話がかみ合っていない気がする。
そんなやや気持ちの悪い空気を感じたスレンが口を開こうとしたとき、ストガラグが片手をあげてそれを制した。
そして次の瞬間、一切の遠慮もなしに乱暴に個室の扉が開け放たれて一人の男がずけずけと室内に侵入してきた。
「ふん、なんだこの部屋は?あまりにも物が少なすぎる。移動はしやすいかもしれないが、時間を有効に使う事のできるものが一切ない。相も変わらず非効率な男だ」
「…ご挨拶だな。貴様も社会人ならば病室への訪問のマナーくらい身に着けておけ。それで突然なのん用だ…アリセベク」
名を呼ばれた侵入者…アリセベクは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
スレンはその男を一目見てまるでミイラのようだと思った。
影が落ちるほどに瘦せこけた頬に、何のこだわりもないかのように無造作に伸ばされてボサボサのまま放置されている髪。
身に纏っている白衣の上からでも肉がついていないと分かるほどの痩身にストガラグとはまた違った不気味な印象を与えてくる…そんな男だった。
「本来なら貴様に会いに来るなど時間の無駄なのだが、今回は赴くほうがメリットのある…いや、効率的だと思ったからな。この私の貴重な時間をわざわざ割いてやったのだ。その事実を重く受け止めて、今からの私の言葉にすべて無条件で頷け」
「いきなりだな。まずは社会人として、」
「その問答が時間の無駄で非効率だと言っている。貴様と無駄に言葉を交わす無駄な時間など私にはないのだ。時間とはありとあらゆるものに平等に与えられた制限時間。ならばそれをいかに効率的に仕えるかが人としての「質」なのだ。最も貴様ら馬鹿には私のような効率的考えは理解できないだろうがね」
時間がないなどと口にしながらスラスラと馬鹿にしたような言葉を長々と口にする。
そんなアリセベクの言動に若干不快感を感じ、スレンが動こうとしたのをまたもやストガラグが今度は目線でやめさせる。
そうやって二人が黙っていると、毒を吐ききって満足したのかようやくアリセベクの暴言が止まった。
「効率的な話とやらは終わったか?ならば社会人としていい加減に本題を話せ。わざわざ来たという事は仕事の話だろう?まさか本当に見舞いなどとは言わ、」
「ないと分かっていることをわざわざ口にするな、非効率だ。…私と共に黒神領に赴け。手が足りんのだ」
語られた仕事内容にストガラグは眉間に皴を寄せて目を細める。
「なに?黒神領には不可侵命令が下っているはずだ。当然この俺にもだ。ならば俺と同じ枢機卿である貴様にも同じ命令が下されているはず…まさか貴様、社会人という組織を構成する歯車の一部でありながら上の命令に背くつもり、」
「無駄な口をべらべらと叩くな、時間の無駄だ。非効率だからただ頷けと言った言葉が理解できなかったのか?これだから効率というものを理解できないバカは困る。ならばそんなお前にわかりやすく言ってやろう。これは上からの私に下された特命なのだよ」
「黒神領に赴く特命だと?あの場所に何があると言、」
「特命の意味すら理解できんのか?それを知る権利は貴様にはない。ただ効率を考えて私一人で作戦を遂行するよりも貴様を駒として使うほうがメリット的に意味がある…そう考えたまでだ。わかったら支度をしろ。一週間後には黒神領に向かう」
そこでついにたまらずスレンが声をあげてストガラグとアリセベクの間に割り込んだ。
「ちょっと待ってください!ストガラグさんはまだ出歩けるような状態では、」
「わめくな。貴様の言葉など耳に入れるメリットはない。つまりは無駄な時間であり、非効率だ」
「スレン特務執行官は教皇様からの預かりものだ。アリセベク…貴様が彼を粗末に扱うのはもしかすればまずい状況に身を置かれることに繋がるやもしれんぞ?」
「馬鹿どもが、そんな確定もしない確率に踊らされて非効率を受け入れる意味などどこにある。とにかく伝えたぞ」
一方的にそう言い残すと別れの挨拶すらなくアリセベクは早歩きでその場を立ち去った。
残されたストガラグは大きくため息を吐き、スレンは呆然と部屋の扉を見つめていた。
「なんだかすごい人でしたね…誰だったんです…?」
「俺と同じ「枢機卿」の一人だ。あの通り偏屈を通り越しておおよそ好感を持てる男ではない…まぁこれを俺が言うのはおかしな話か。とにかく社会人として仕事を振られれば当然別だが、普段はなるべく関わらないほうがいい。もっとも奴自身がああいうタイプだからな、非効率だと言って会いにきたりはしないだろう」
「は、はぁ…、あっ!というかストガラグさん!まさか黒神領に行ったりしませんよね!?まだ傷も塞がってないのに!」
「…ふむ」
当然スレンはすぐに「行くわけがないだろう」というものだと思っていたが、予想に反してストガラグは首を捻りながら何かを考えこむ様子を見せた。
「ちょっと!ストガラグさん!?」
「正直すべてが怪しい話だが…いくらアリセベクでも枢機卿である俺たちよりも「上」…つまりは教皇様の存在を匂わせてまでこちらを騙してくるとは考えにくい。奴の性分的に枢機卿という立場を投げ出すような真似はしないと思うからな。ならば…考えられるのは…戦力として俺たちが必要という線か」
「戦力…ですか…?」
「ああ。身体つきを見てわかると思うが、奴には直接的な武力というものはほとんどない。こういう時はだいたいリムシラという枢機卿の女が駆り出されるのだが…そちらに声を掛けられない事情があり、俺のところに来たというとこだろうな」
「いや、よくわからないですけど戦力って言ったって今のストガラグさんじゃ結局はどうにも…!」
「本当に教皇様からの命と言うのならどんな状態であれ断ることはできない。社会人だからな。しかし怪しい部分があるのも事実…こういう時に管理職である俺がとるべき行動は調査と報告。まずは教皇様と連絡を…」
───コンコン。
ストガラグの言葉を遮るように扉がノックされた。
まさかアリセベクが戻ってきたのかとスレンは身構えたが、あの男がわざわざノックをして戻ってくるとは考えにくい。
出会って数分ではあったが、そこは間違いないだろうと思った。
ならば今度は誰が?その答えはすぐに分かった。
「邪魔をするぞ」
部屋の中に入ってきたのはローブを纏った男だった。
アリセベクとは違い、ローブの下からでもはっきりとわかる鍛え上げられた身体に、異様な目力が特徴的な男。
その姿を見たストガラグは慌ててベッドから立ち上がろうとしたが、傷が痛むのか少しばかり動きに手間取ってしまう。
「いい、楽な姿勢で大人しくしていろ」
「…はい。ありがとうございます」
男は近くにあった椅子を引き出し、ベッドの横に腰を下ろす。
そしてその目線がゆっくりとスレンに向けた。
「…そう言えばお前と顔を合わせるのは初めてか。確かスレンと言ったな」
「え?あ、はい…えっと…どちら様で…?」
「スレン特務執行官!!」
突如として声を荒げたストガラグにビクッと肩を震えさせ、驚く。
彼にしては珍しい慌てた様子にさすがのスレンもまさかと唾を無意識に飲み込んだ。
「ストガラグ、知らない相手の正体をいきなり察しろと言うのは無理な注文というものだ。お前の言う社会人という枠組で話すのなら…部下への理不尽な叱責は問題だな?」
「も、申し訳ありません…スレン特務執行官も突然声を荒げてすまなかった」
「い、いえ…あの…もしかしてこの人…いえ、この方は…」
「ああ…我々教会に所属する者を束ねし方…この世界の人々を導く救済者。──教皇様だ」
────────────
「それで…教皇様がこのようなところに赴くなど、何事なのでしょうか…?」
「そう畏まるなストガラグ。ここには俺とお前、そしてスレンの三人しかいない。楽にしろ」
「…かしこまりました教皇様」
「何もかしこまっていないではないかお前」
「…申し訳ありません」
今までは上司としてのストガラグしか見たことのなかったスレンにはその光景は新鮮なものだった。
彼も上司の前ではこういうふうになるのかと面白さえ感じ始めていたが…それよりも気になったのは教皇の事だった。
直接会うのは初めてだが、ストガラグの態度からして本物であることは間違いないだろうと察することはできた。
しかし、教皇というにはあまりにも若すぎるのではないかとも思えた。
自分よりは年上だろうがストガラグよりは明らかに年下…どれだけ上に見積もっても20代後半から30代前半くらいの容姿に見えるのだ。
教皇の存在は一部を除き、教会に所属している者たちにすら秘匿されているのだ。
代替わりなどしている可能性はあるが、とにかく教皇というくらいなのだからと威厳のある老人の姿をなんとなく想像していたスレンは呆気にとられた。
ただ一つ、そこで引っかかるのは畏まっているとはいえ教皇とストガラグの間には一種の気安さ…まるで長年連れ添った友人同士のような雰囲気があるのだ。
もし見た目通りの年齢差があるのなら、少し想像しにくい雰囲気が。
「まぁいい。体に障るだろうからな…本題を話させてもらう。先ほどアリセベクがここに来たな?」
「ええ、貴方からの命令で黒神領に赴くことになったので同行しろと…」
「なるほど、やはりそう言う話になったか…何を考えている…」
「そのような反応をなさるという事はあれはやはりアリセベクの狂言だと…?」
「いや、あいつ自身、俺から命令を受けたと思っているはずだ。おそらくそこに嘘はないだろう」
「…どういう事でしょうか」
ギシッ…と教皇が座る椅子が音をたてて軋む。
見た者を射殺せそうなほどの圧を感じる目をしている教皇だが、不思議と疲れのようなものが滲んでいるようにも見えた。
「教皇様?」
「…すまん、お前に詳しい事情を話すことはできない。ただ…俺の背後に「何かがいる」それだけを覚えておいてくれ。そして事情が離せないと言った口でだが一つ相談がある」
「相談、ですか」
「ああ…アリセベクの言葉に乗ってほしい」
「なっ!?」
「…教皇様、理由と奴は何をしに黒神領に行くのか…聞いてもよろしいでしょうか」
「それを俺も知りたい…という事だ」
「ちょっ!教皇様!意味が分かりませんよ!なんですかそれ!ストガラグさんはけが人で…!」
スレンの叫びにわかっているという言葉の代わりに教皇は目を伏せ、ストガラグが「落ち着くのだスレン特務執行官」と宥める。
「教皇様。つまりは貴方の背後にいる何者かがアリセベクに下した命令の正体とその理由を奴の言葉に乗るふりをして俺に突き止めて欲しい…そういう事でいいのでしょうか」
「あぁ…相変わらず話が早くて助かる。お前の状態が良くないのは分かっている…だが、俺には頼れる相手と言うのがお前しかいないのだ。そして今回の件を素通ししてしまえば…何か取り返しのつかないことになる。「やつ」が何をするつもりなのか、知らなければならない…そう俺の直感が告げている。俺が直接出向くことはできない。だからこうして頼むことしかできない…ストガラグ、どうか頼まれてはくれないか」
ストガラグは教皇の言葉を受けて一切の吟味をしなかった。
一瞬の躊躇いも、検討もない。
彼の答えはすでに決まっているのだから。
────────────
その存在はどこからともなく現れ、ふわりと黒き神の地に降り立った。
とめどなく流れ落ちる血のように鮮烈な深紅の髪を揺らしながら、その姿を探してゆっくりと歩いていく。
それは小さな少女の形をした「死」。
それは肉の器を模した現象。
それは形のついた災厄。
それは名前の与えられた結末。
焼け付くように痛々しく、重々しく、苛烈な赤。
それは何かを探している。
ここにいるはずの何かを。
探して探して探し求めていたそれを。
そしてついに「赤」はそれを見つけた。
「あっは!みぃつけたぁ~」
赤髪積める先にいるのは全てを飲み込むような純粋な黒。
少女の姿の赤よりもさらに小さな幼子の姿をした黒。
「ほんとに黒い…真っ黒。かわいそうにねぇ~うふふふふっ」
ようやく見つけた、ようやく出逢う事が出来た。
その黒の背中に赤の少女は弾けるような笑顔で嘲り笑った。
黒くてかわいそうだと心から笑みを浮かべ…その背に向かって走り出す。
あぁもうすぐ追いつく。
あと5歩、4歩、3歩。
ほらもう手を伸ばせば届いてしまう、でもあえて伸ばさずに笑みを作っていた口を開けて声をかける。
あぁそう振り向いて振り向いて、黒くてかわいそうなあなた。
「おねーちゃん」
遂に呼びかけた。
この日をどれだけ待ったことか。
さぁ振り向いて、振り向いて。
そうしてあなたに追いついた自分を見て。
赤い死は今日この時を何万の時間待っていたのだから。




