修行
今回は少々長めとなっております。
ソードはひたすら己が名を冠する剣を振っていた。
形のない風を切り裂くかのように…何度も何度も剣を振る。
「剣閃を研ぎ澄ませるのは無の心境…でも今の僕には…くっ!」
素振りはソードの日課だった。
もはや習慣を通り越して息を吸うように気が付けば剣を振るう…そしてどんな時でも剣を握ればソードは無心になれた。
だが今はどれだけ剣を振るっても次々と心の奥底から雑念が沸いてくる。
奥歯を噛みしめて風と共に雑念を断ち斬らんとさらに激しく剣を振るうが、雑念を振り払わなくてはならないと言う雑念に捕らわれて沼に落ちていく。
軽やかに触れていたはずの剣が…なぜか重い。
剣だけではない。
それを握っている腕から肩…胸から胴、足元に最後は頭。
全てが重たくて仕方がない。
何百と振っても疲れなど感じなかったはずなのに結局ソードはその日、百も振ることはできなかった。
「はぁ…」
剣を下ろし、呆然と空を見上げるソードの耳に何者かが地面の草を踏みつける音が聞こえた。
「調子が悪そうですねぇ…ひっひ!」
「センドウ…調子が悪そうに…見えるかい?」
「ええ見えますねぇ。何か問題でも?」
「いや…大したことじゃないよ。それよりも何か用かい?」
「ええ実は「例の計画」の事で少々…」
「あぁ」
ソードの返事は気のないものだった。
おや…とセンドウは少しだけ驚いたような顔でソードの顔を見た。
やはり調子が悪そう…というよりも顔に覇気がなかった。
いつもの自信に満ち溢れ、生気に赤らんでいたはずなのに今はそれらがない。
更には「計画」の話を持ち掛けたというのにその態度だ。
ソードとセンドウが秘密裏に企てているとある悪だくみ…通称「計画」はソードが始めたことだ。
センドウを仲間に引き込み、その後は相棒であるエクリプスにすら秘密にし、とある基準をもとにした選考により選ばれた者たちだけで領主であるアザレアにも秘密裏に進められているそれに誰よりも熱意を注いでいたのはソードだったはずなのだ。
その熱に巻き込まれるようにしてセンドウと選ばれし協力者たちもその計画の完遂に向かって進んできた。
そのはずなのに当のソードからその熱を感じられない。
センドウはそれが少し悲しく思えた。
「ソードさぁん」
「…すまない。今の僕にあの計画を推し進めることができるのか…わからなくなってるんだ。いや…そう考えてしまう時点で僕はもうダメなんだろう…本当にすまない。少し時間を貰いたい」
「…わかりました。しかしあの計画はこれより先ひとつのラインを越えることになりますよぉ…ここを越えてしまえばどうなろうが引き返すことができないほどに。アザレアさんに見つかれば最悪関係者全員追放…私に至っては殺されるかもしれません。つまりはアナタの決断が必要不可欠だという事です」
もしソードがこのまま心の内の火を消してしまうようなことがあれば計画はそこで終わり…そうセンドウは告げた。
「…」
「おそらくアナタの悩みは私には解決できないことなのでしょう…だから我々の協力者の言葉も代弁としてひっくるめて一言だけ…待っていますよソードさん。ひっひ!」
ガサガサと来たときと同じく草木の音をたてながらセンドウはその場を後にした。
一人取り残され、静けさを取り戻したはずのその場所が…ソードにはとても雑音が多い場所に思えた。
「どうすれば…いいのだろうか…」
剣を振りたいのに振ることができない。
やる気はあるのに気力がわいてこない。
じぶんはこんなに冷めていただろうか…?
ソードはただ茫然と空を眺めながら数時間をその場で過ごした。
決して無心ではなかった…しかしそこに心が、意志というものが伴っていなかった。
だからだろうか。
腕を引かれて初めて自分の隣に誰かがいることに気が付いた。
「っ!」
反射的に腕を引いた誰かの手を振り払い、剣を構える。
そこにいたのは…メイド服を着た褐色白髪の少女…いや、少年だった。
「わーわー!驚かせたらごめんっす!声をかけたのに反応がなかったもんでっすから!ウチの事わかりまっすよね?」
「キミは確か…すまない、考え事をしていたもので…驚かせてしまったね」
「いえいえお気になさらずっす。でもこうして話すのは初めてなので挨拶をさせてほしいっす。えーこほん。ウチは動けばキュート、見れば可憐。かわいいという概念の化身にして蜘蛛系男子のくもたろうっす!以後お見知りおきをををを~」
「あ、あぁ…僕は白神領聖白教会所属執行官のソード。よろしく」
軽く握手を交わすとくもたろうはニッコリと笑った。
その笑顔はこの身はどうであれ、ソードをして可愛いと思えるような完璧な笑顔で来て早々に黒神領の人々に受け入れられただけの事はあるなと納得を覚えた。
「にっひっひ!いえ一度白龍様にはご挨拶をしないとって思ってたんでっすよ」
「…そうなのかい?でも白龍様はやめて欲しいかな。様をつけて呼ばれるには僕は…まだ力不足だからね」
「っすか?じゃあソード様って呼ばせてもらうっす」
「つけないで欲しい敬称のほうが残ったね」
「いやだってソード様ってお嬢様の妹君なんでしょ?ならウチとしても敬意を払わないといけねっすから」
「お嬢様…あぁ姉さんの事か。それで一度挨拶をと?」
そっす。とくもたろうは頷いた。
こうして実際に話すのは初めてだが、姉であるメアから彼とはどういう関係なのかは大体聞いていた。
メアの母親である黒龍に仕え、メアの世話係のようなことをやっていた少女…のような少年らしい。
真の姿は巨体をもつ蜘蛛の魔物らしいが、こうして向かい合っているとだんだんと信じられなくなるくらいには完璧な擬態に見えた。
「やっぱりウチとしては妹君であるソード様とも懇意にしておきたいっすからね。できれば仲良くしてくれると嬉しいっす」
「妹じゃなくて弟だよ。まぁそれも龍の生態的にはきょうだいとは言えない関係なんだけどね」
「あーお腹違いなんっすよね?聖龍様の娘様だとか。でもお嬢様も聖龍様成分が入ってるわけでっすし、家族だとは思うんすけど龍的には…ってことなんすよね。うんうん理解したっす」
「息子だよ。ただ僕としては本当の姉のように慕ってるつもりだけどね」
「うんうんお嬢様もきっとそのようにしてくれる方が嬉しいと思うっす。適当そうに見えて世話好きなところもあるんでっすよあの人」
「…そうなんだね」
そこで会話は途切れてしまった。
いつもなら各地を仕事のために飛び回っているので続けようと思えばいくらでも雑談を繰り広げられるはずなのに、今日はどうも言葉が出てこない。
こんなところにまで不調が出ているのかとソードが苦笑いを漏らした。
「むむ?どうやらなにか悩み事でもある様子っすね?ウチで良ければ聞きましょうか?ほら今みたいにそこまで関係性が構築できていない段階だからこそ吐き出せるものもあるかもっすよ?」
「キミに話しても解決には…いや、待てよ…」
くもたろうの全身を上から下にと眺めまわし、ソードはごくりと一度だけつばを飲み込んだ。
「な、なんすか…言っときますけどウチは身持ちは硬いほうっすからね。いくら可愛いの限界値とはいえ無理やりはだめっすよ。生物として最低限の理性っす」
「身持ち…?何を言ってるのかはわからないけど…僕の話を聞いてもらえないだろうか」
「エッチな事でなければ」
「なぜそんな話になるんだ」
「だってソード様ぶっちゃけ見た目痴女だし」
「これは修行の一環だ。キミもそうなんだろう?」
「…?」
「…?」
お互いに顔を突き合わせて鑑写しのように同時に首を捻る。
ある意味で似ている二人だが、しかしその本質は全くの別…相容れないものがそこには確かにあった。
「ま、まぁいいんだ。実は話と言うのは…先日の事なんだが」
ソードはくもたろうにメアと共に銀神領に出向いた時の話をした。
かいつまんでではあったが、大体の大筋を聞き終えたくもたろうは再び首を捻る。
「なんとなくはお嬢様から聞いてまっしたけど…それがソード様の悩み事にどうつながるんっす?」
「端的に言ってしまえば…僕は自信を失くしたんだ。心が折れたと言ってもいい」
「ほほう?」
「銀神領で僕は何もできなかった。母の…僕ら龍の敵である枢機卿を相手にほぼ一方的にやられ、地面を舐めた。制限は確かにあった…龍の力を使わないという…でもそれでもあまりにも僕は弱かった。その後もそうだ。呪骸が作り出した化け物を相手に立つことすらできなくて…こんなに自分は弱かったんだと…僕の足元を支えていた自尊心のようなものが音をたてて崩れ去った」
「ふむん?でもある程度は仕方ないんじゃないっすか?そもそもが「そういう」相手だったんでしょ?呪骸とはそう言うもんだって聞いたっすよ」
最強のはずの龍でさえも殺すことができる呪いのアイテム…呪骸。
それを前に何体もの龍が破れてきたことは母であるセラフィムからソードは聞かされていた。
だが心のどこかではそれでもと言う思いがあったのだ。
剣という戦うための道具である概念を司り、執行官として何度も何度も死線を潜り抜けて日々を修行に費やしていた。
それは決して驕りなどではなく、経験と実績、努力によって培われてきた自信だった。
だがそれが完全に打ち砕かれてしまった。
メアに負けたのはまだ納得と言う名の言い訳が自分にできた。
自分の姉なのだから強くて当たり前じゃないかと。
しかし敵に負けたのはどう取り繕おうとも負け以外の結果にはならない。
自分ならどんな強い相手でも負けるはずがないと漲っていた自身が消えてしまった。
それがソードが不調に陥った原因だった。
ソードと言う龍の芯にあった火が…吹き消えてしまったのだ。
「なるほど…なるほど。それで?ウチに話してくれたって事はウチになら解決法が出せるかもしれないって思ったって事っすよね?何をしてほしいんでっす?」
「…姉さんは強かった。あんなに小さな体で僕よりもはるかに…身体も…心も。くもたろう。姉さんとずっと一緒にいたというのなら教えてくれないか…どうして姉さんはあんなに強いのか。僕は…強くなりたいんだ。そして…この雑念を払しょくして自信を取り戻したいんだ」
「ふむぅ…」
くもたろうは顎に手を当てて考え込んでいた。
ソードの悩みにどう答えたものか…いや、話をしていいのか悩んでいるのだろうとソードは考えた。
自らの主人の強さの秘密を他人に気軽に教えるなどありえないだろうから。
だが聞かずにはいられなかった。
それほどまでにソードは追い詰められていたのだから。
「やっぱり…難しいだろうか」
「そっすね~難しいでしょうねぇ~」
「そうか…やはり他人には明かせないよね。いや、無理なことを聞いてしまったね。忘れくれ」
「ああいや、そういう事じゃなくてでっすね?お嬢様の強さの秘密を知ったところでそれを実践するのは難しいって事っすよ。話すくらいなら全然話しまっすよ」
「本当かい!?頼む教えてくれ!姉さんの強さの秘訣を!どれだけ難しい方法でも構わない!僕は…力が欲しいんだ…!」
「おおう…すっごい圧…」
ソードが焦りのあまりくもたろうに掴みかかり、くもたろうの眼前で巨大な二つの肉の塊が揺れる。
その圧に慄きながらも咳ばらいを一つし、くもたろうはメアの強さの秘密を打ち明ける。
「お嬢様は黒龍様の娘様っす。黒龍様はまさに理不尽、最強、究極、超絶とあらゆる意味で強いお方だったっす。その娘なのですから強いのはある意味当然っすよね」
「黒龍…僕の義理の母にも当たる龍…話には聞くけれどそこまで強かったのかい…?」
「強いなんてもんじゃなかったっすよ。さすがに寿命寸前の段階と比べればお嬢様のほうが強かったっすけど…ウチがであった頃の黒龍様は現在のお嬢様が相手でも余裕に勝てたでしょうね」
「…それほどなのか」
メアとセラフィムが口をそろえて最強だったという龍。
確かにそれほどの力を持つのならば血を引く娘が強いというのにも納得はできる…しかしそれを言うのならば義理とはいえ腹違いのソードにも恩恵はあるはずだ。
しかしメアと自分の間には誤差と言う言葉では足りない、隔絶した差がある。
それは一体何なのか…ソードが知りたいのはそこだった。
「そんな怖い顔をしないで欲しいっす。まだまだ話はここからなんっすから。実はでっすね?今の姿からは想像できねぇかもしれねっすけど、お嬢様って昔はこう…荒れてたと言いますか、血気が盛んだったんっす」
「…そうなのかい?」
「っす。常に好戦的と言いまっすか、ギラギラしてたと言うかメラメラしてと言うか…とにかく戦いて―っ!!!って正直ちょっと怖かったっす」
「…確かに想像できないな」
今のメアは言ってしまえば常にぼんやりとしていて何を考えているかよくわからない人だった。
ご飯を食べてすやすやと眠る…争いごとに巻き込まれていないときはぽやぽやと日常を享受している姿しか見ないので荒れていたと言われても想像ができなかった。
「あ。一応言っておきまっすけど弱い者いじめとかをしてたって事じゃないっすからね?血の気は多かったっすけど理不尽な暴力とかはなかったっす。怖かったというのは雰囲気の話で昔から優しいのは変わんなかったすよ」
「そう…ではいったい何をもって荒れていたと…?」
「まぁだから弱い者いじめ「は」してなかったんすよ。つまりは強い人には挑みまくってたんす。そしてお嬢様より強いと言えば…」
「まさか黒龍…?」
正解!と言葉にする代わりにくもたろうは両手の指をパチンと鳴らした。
「うちらとあの方たちが出会ったときは全盛期というかピークは過ぎてたらしいっすけど、その前は本当に凄かったらしいっすよ。お嬢様はほんとうにやんちゃで、それに対応してた黒龍様もすさまじく…結果として住んでた山が丸々一つ消し飛んじゃったらしいっす。それで新しい住処としてウチがいた山に移り住んできたんでっすが…もうね、すごかったすよ。たった一日であの二人は山を完全に制圧し、支配者の地位に座ったんすから。なんで一番ひどい時期は知らねぇっすけど、それからもしばらくお嬢様は母親である黒龍様に戦いを挑み続けてたんす。ただ時間と共にお嬢様も落ち着いていって…ウチらと出逢って50年くらいっすかね?その頃には見慣れてるのほほんとしたお嬢様になってたっす。でもわかりまっすかね?お嬢様が信じられないくらい強いのは…」
「隔絶した力を持つ相手との戦闘経験…」
「でっすでっす!なんどぶちのめされてもめげずに立ち向かい、何度も何度も挑み続ける…結局お嬢様は一度も黒龍様には勝てなかったでっすけど、そりゃあ強くなりまっすよねって話っすよ」
「なるほど…」
ソードは実際には黒龍を見たことがない。
ただ強い…いや、強すぎたという情報を持っているだけだ。
だが今よりもはるかに好戦的だったという当時のメアが何度も挑んでついぞ勝てなかった相手と聞くだけで異常な強さを持っていたことは理解できる。
そんな相手に山を一つ消し飛ばしてまでも挑み続けたのなら…確かに強くなれるのだろう。
そして自分に足りないのは…そういう気持ちではないのだろうか。
挑み続ける根性なのではないだろうか。
まだ形にならないぼんやりとしたものだが…もう少しで何かが掴めそうな感覚がソードにはあった。
「まぁでもそれが分かったところで実践は難しいでしょ?隔絶した実力差がある相手を用意するのがまず難しいっすからね」
「…」
ソードは考えた。
自分よりはるかに強い相手…何人か浮かばないことはない。
まずは誰よりも尊敬する母だ。
セラフィムは現存する龍の中ではもっとも長き時を生きている龍にして、その力も圧倒的と言ってもいい。
確かにソードでは勝てない相手だろうが…しかしソードとセラフィムでは強さの種類が違った。
セラフィムが得意とするのはどちらかと言えば魔法や、能力に依存する戦い方だ。
肉弾戦を得意とするソードがセラフィムに挑んでも戦い方の研究にはなるかもしれないが、納得ができるのかと言えば否と言えた。
そもそも正面からの拳での殴り合いとなればセラフィムよりもソードのほうが強いのだから。
能力を使われれば勝てないが、そこは変わらぬ事実だった。
次に浮かぶのはブルー。
ブルーとソードは定期的に組み手を行っており、ともに研鑽を積んでいた。
向こうの方が長生きである分、能力を使わない殴り合いでもあちらに分があるのは間違いがないが…しかし隔絶するほどの力の差はないと断言出来た。
組み手が成立する相手であり戦えば負ける確率が高いとはいえ、状況次第では勝利できることもあるだろう。
つまり圧倒的な相手ではないのだ。
どちらかと言えば対等な修行仲間…そう言い表したほうが近いだろう。
ならばならばと考えては却下していき…やがて一人の名前だけが残る。
「うん…考えるまでもなかったね。姉さんがそうやって力を得たのなら…僕だって同じことをするだけだ」
「そうっすね。でも相手がって話で…」
「姉さんは肉親である黒龍に戦いを挑んでいたんだ。なら僕が挑む相手もいるじゃないか」
「え、まさか…いや!まちましょうソード様!絶対大変な目に合うっすよ!?」
「その大変な目にあうことに意味があるんだろう?僕は…この沼から抜け出したいんだ。そうでなくては前に進めない…!」
「うぅ~…どうなってもマジで知りませんっすからね…」
「望むところさ」
そうしてソードはとある人物のもとに向かったのだった。
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その人物を見つけるのは良くも悪くも目立っているために簡単だった。
いつもなら気軽に声をかけられる相手だが、今回は事情も事情だ。
すこし緊張を覚えながら…それでもやるしかないのだと意を決してソードはその人物を呼び止める。
「姉さん」
「およ?」
呼び止めた相手…メアがくるりと振り返った。
いや正確にはメアを抱えていたノロが身体ごと振り返ったのだ。
ここ最近ソードはメアが自分の足で歩いている姿を見ていない。
なぜか常にノロがメアの小さな体を抱えて移動しているのだ。
そしてノロは近づくだけで人になぜか恐怖を覚えさせる…それゆえに最近はメア様教の教徒たちもやや遠巻きにしており、それが先日の死者蘇生の奇跡事件で高まった信仰心の暴走を抑えている面もあるのかもしれない。
またあのアザレアでさえもメアに近づきにくくなったせいでここ最近は機嫌が悪い。
だがなんどもなんどもノロに対する恐怖を克服し、メアを奪還せんと執念を燃やすその姿は…ソードも見習うべきなのかもしれない。
なによりも恐ろしいのはアザレアならそろそろ突破できそうな気がしなくもないところなのだが…。
とにかくソードは姉であるメアを呼び止めた。
それはつまり…彼女を相手に選んだという事だ。
「どうかしたのん?妹よ」
「弟だよ。実は…姉さんにお願いがあるんだ」
「ほほう?なになに?かわいい妹の頼み事だし基本は何でも聞くのよさ」
「…実は…僕と戦ってほしいんだ」
「ほえ?戦うの?いいけど…あ、前みたいに修行を付けて欲しいって事?」
メアが言う前とはソードがこの黒神領を襲撃した時の事だろう。
あの時のメアはソードの事をおもてなしする相手だと思い込み、戦い方をレクチャーしてほしいのかな?という考えのもとでソードに「指導」した。
修行をしてほしいというのは間違っていないが、それでもその時の再現をしてもらうつもりはなかった。
「そうじゃない。本気で…戦ってほしいんだ。訓練や修行じゃなくて…全力を出して、僕を捻じ伏せる…いや、殺すつもりで戦ってほしい」
「…なんで?」
メアの頭には複数もの「???」が浮かんでいた。
当然だろう。
彼女にはかわいがっている妹と本気で戦う理由などないのだから。
しかしソードには今何よりも必要な事だった。
「お願い…します。どうしても…必要な事なんだ。このモヤモヤした気持ちを振り切りたいんだ」
「うーん?えーと~つまり?」
「姉さんがかつて黒龍に戦いを挑んでいたって話を聞いた。それの再現…って話じゃないけど、本気の姉さんに挑んでみたいんだ」
「ほほ~…なるほどなるほど…うんうんわかるよ妹。そーいう時期ってあるよねー。ノロちゃん放してもらっていい?」
「…はい」
ぴょんとノロの手の中から飛び降りてメアは小さな手でソードの手を引いて歩き出し、それにノロもついてくる。
一時間近くかけて人気のない場所までたどり着き、メアはソードから距離をとる。
「えっと…戦ってくれるって事でいいのかな姉さん」
「うんー。つまりは私と遊びたいってことだよね?むふー私にもあったんだよねー母に構ってほしくて仕方なかった時期が。ああいうのを思春期っていうのかなぁ?ちょっと反抗期も入ってたかもだけど!」
まるでソードもそういう時期に差し掛かったんだねと言いたげに何度も何度もメアは頷いていた。
おそらくそう言う話ではないと反論しようかとも思ったが、姉がやる気になってくれている中で水を差す必要もないと口にはしなかった。
「それで妹。どれくらいの戦いをしたいの?訓練や指導じゃないなら――」
「本気でだよ。さっきも言ったけど殺すつもりでやってほしい。全力で…ぶつかってきて欲しいんだ」
「え~いやだよ~。妹に殺す気なんてねぇ?死んじゃう遊びなんて遊びじゃないもん。でも…母との遊びを再現してほしいって言ってた?じゃあそれくらいの感じで行くね。ちょっと手加減はするけど…怪我をするのは大丈夫?」
「だから手加減は必要な…!」
全てを口にするよりも早く、メアから漆黒の圧が放たれた。
全身から汗が吹き出し、手が震えて止まらない。
メアの表情に変化はない。
いつも通りの何を考えているのかいまいちわからないぽやっとした表情のままだ。
そして放たれている圧には殺気すら込められていない。
言葉通りメアは殺すつもりではないし、手加減もしている。
ただ少しだけ…いつもよりは本気を出しているだけ。
なのにこんなにも…大きく見える。
今の自分では絶対に勝てないと本能が理解した。
これこそが…絶対に勝てない相手。
乗り越えられない壁。
隔絶した力の差なのだと理解した。
「ほいじゃあいくよ~ん」
「っ!?」
メアの声に意識を取り直し、剣を構えた。
だが…はたしてこんな剣で何ができるのかとソードは思ってしまった。
メアが腕を天に翳すと同時に巨大な魔素が渦巻き、漆黒の巨大な玉が形成される。
そこに込められた魔素は、練り上げられた魔力は…ソードが相手にできるようなものではなかった。
小人が針を一本手にしたとしても落ちてくる巨大な岩石を相手にすることはできない。
そう…まさに相手にならないのだ。
「戦いすら成立しない…これが…僕と姉さんの差…」
見せつけられているのは魔法の類…だがおそらく肉弾戦でも同じ絶望を突きつけられるのだろう。
ピシッ…と心にひびが入る音が自分の内側から聞こえた。
そして放たれた黒い球が迫り…ソードは…。
「う、ぐ…うぁああああああああああ!!!おおおおおお!!!」
叫び声をあげながら――一歩前に踏み出した。
ここで下がれば全てを失う。
自分が培ってきた全てを他ならない自分が否定することになる…それだけは嫌だったから。
そしてソードは…死に物狂いでメアとの遊びに興じた。
殺すつもりはないと言っていたのに、一瞬でも気を抜けば死が追いついてくる。
そんな緊張感の中で一瞬一瞬に全力をかけるソードの頭からは、いつの間にか雑念が消えていた。




