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寄り道

作者: 志賀飛介

「もーいくつ寝るとー夏休みー」

「なんだよ......」

 深山は迷惑気な顔で後ろを振り返る。

「だって楽しみじゃん。来週の今頃はもう夏休みなんだぜ?」

 そう言って声の主、浅井はわざとらしく手を口に合ってくすくすと笑った。

「浅井くん」

「はい!」

 突然名前を呼ばれて浅井は背筋を伸ばす。視線の先には黒板に背を向け腕組みをする担任の姿があった。

「先生が今何を話していたか、分かるかな?」

「あー、えーと......夏休みについてです」

 浅井がそう答えると、担任は「はぁ......」とため息をついた。

「それはあなたでしょう?」

「へへ......」

「全く......、じゃあ浅井くんが聞いてなかったみたいなのでもう一度言います。この時期になると毎年、海や川での水難事故が多発します。みんなも海や川に遊びに行くときは気を付けるようにね。特に雨が降った後とか、晴れていても川の水量が多くなっていたりするから」

 教室のあちこちから「はーい」と返事が聞こえる。

「では浅井くんに質問です。猫又神社の近くに河童池という池がありますが、この池は昔から危険な場所なので近づかないようにと言われてきました。それはなぜでしょう」

「河童がいるから」

「違います」

 浅井は頭をかいた。

「あの池は手前のほうは浅いけど奥に行くと急に深くなるから危ないって今朝朝礼でも話したでしょ?先生の話はちゃんと聞くように」

「はい」

 声色だけは反省した風に浅井は答えた。

「じゃあ帰りの会はこれで終わります。みんな夏休みが近いからってはしゃいで怪我しないように」

 みんなと言いつつ浅井の方を見て担任は言った。




「やべえ!もう4時じゃねえか!早く帰らないと!」

 放課後になり、がやがやと騒がしい教室に浅井の声が響く。

「帰りの会は3時50分までじゃないのかよ!」

「長引いたのはお前のせいだろ」

 深山が冷静に言う。

「それより、お前が早く家に帰ろうなんて珍しいな。いつもは寄り道したがるのに」

「4時半から見たいテレビがあるんだよ」

「なるほど」

 深山は納得したように頷いた。

「じゃ、そういうわけで俺は帰るぜ!」

 そう言って浅井はランドセルを背負う。そこに見慣れないお守りがぶら下がっていることに深山は気づく。

「お前そのお守りどうしたんだ?」

「これか?この間ばあちゃんのお見舞いに行ったら貰ったんだよ」

「ばあちゃんって、腰を痛めて入院してるっていう......」

「そうそう。なんでもこれ付けてたらいいことあるらしくてよ。ばあちゃん、霊感だけは強いからばあちゃんが言うなら間違いないぜ!」

 それを聞いて深山は納得した。

「って、こんなこと話してる場合じゃなかった!早く帰らねえと!」

「悪い、引き留めたな。気をつけて帰れよ」

「おう!まかせろ!」

「何を任せるんだよ」と深山は駆け足で教室を出ていく浅井の姿に思わず口元をゆがめた。




「ただいまー!」

 浅井家にいつものように元気な声が響く。

「おかえりー」という母の声を聞きながら浅井はドタバタと子供部屋へと向かった。そしてランドセルを放り投げるとまた急いでリビングへと向かう。

「ってもう4時40分じゃん!」

 リビングの時計を見て浅井は驚いて声を上げた。30分から始まるアニメを見る予定だったのだが、もう10分ほど過ぎていた。慌ててテレビをつける浅井の背中に「先に手洗いうがいしなさい!」と母の声が飛ぶ。

「はーい!」


 洗面所から戻ると母が痛ましげな顔でテレビのニュースを見ていた。

「あの事故からもう十年経つのねぇ......」

 テレビにはこの街の風景が映されていたが、浅井は特に気に留めることもなくチャンネルを変えた。

「ちょっと!今見てたのに!」

「だってアニメが......」

「あんたもたまにはニュースとか見なさいよ」

「んー......」

 やれやれとため息をついて母は台所に戻った。




 朝、教室に続々とクラスメイト達が入ってくるのを深山はぼんやりと眺めていた。

「おっす、深山」

「浅井か、今日は早いな」

 浅井はやや乱暴にランドセルを机に置くと、どっかりと椅子に腰を下ろした。

「いや、昨日はマジで猿が道ふさいでて通れなかったんだって」

「ほんとかよ......」

「それより聞いてくれよ。昨日さ、見たいテレビがあるっていったろ?でも急いで帰ったのに間に合わなくてよ」

「寄り道したんだろ?」

 浅井から下校中に野良猫を追いかけたとか駄菓子屋に寄ったとかいう話をよく聞かされていた深山はたいして興味もなさそうに言った。

「いや、寄り道はしてないんだ」

「寄り道していない?」

 深山は浅井の顔を見る。冗談を言っている様子はない。

「急いで帰ったはずなのに家に着くのが10分遅かったんだよ」

「なんだ、たった10分かよ。ならなんかゆっくり歩いたりしてたんだろ」

「んー、やっぱそうなのかなぁ......」

 首をひねる浅井。たった10分と言いつつも、その様子に深山も内心違和感を覚えていた。




「今日は見たいテレビもないけど急いで帰るぜ!」

 放課後、浅井は立ち上がってそう宣言した。

「帰りの会も時間通り終わったし、今すぐ学校を出れば4時20分には家に着くはずだ!」

「寄り道すんなよ」

「しねえよ!てか昨日もしてねえし!じゃあな!」

 そう言って浅井はお守りを揺らしながら小走りで教室を出て行った。




「はぁ......はぁ......た、ただいまぁ......」

 息を切らせて浅井が戸を開ける。玄関で靴を脱ぐと、そのままリビングへと向かった。学校から家までずっと小走りで来たのでさすがに疲れていた。が、リビングの時計を見て浅井は立ち尽くす。

「な、なんで......」

 4時40分。昨日と同じ、だが昨日よりも10分ほど早く下校したため、昨日よりもさらに10分、いつもより20分も遅い帰宅だった。

「おかえり。あんたまた寄り道してきたでしょ。まっすぐ帰ってきなさいっていつも————」

「してない......」

「ちょっと、弘?」

 ふらふらと覚束ない足取りで浅井は子供部屋へと向かった。




「......おっす」

 朝の喧騒にかき消されてしまいそうなほど小さな声に深山はぎょっとして振り返った。

「お前......浅井か......。どうした?風邪でも引いたか?」

「いや、昨日さ、急いで帰ったはずなのに、いつもより家に着くのが20分遅かったんだ」

「何?」

 深山の背筋に冷たいものが走る。

「寄り道はしてないんだよな?」

「してない......はず。俺、もしかして疲れてんのかな......。疲れて夢遊病?みたいな?なんか自分でも気づかないうちに遠回りしちまってるとか......?」

 20分遅れたとなるとさすがに誤差とは言えない。浅井の様子からも嘘をついているとは思えず、深山は言いようのない不安感を覚えていたが、浅井を変に怖がらせるのもよくないと思い、務めて冷静に答えた。

「たとえそうだったとしても、家には帰り着けてるわけだし、とりあえずは大丈夫だろ」

「そっか、そうだよな......」

 なおも不安そうな浅井に、深山は思いついたことを言った。

「そうだ、今日は急いで帰らずに、いつも通りの道を通ってることを逐一確認しながら帰ったらどうだ?そしたらいつも通りの時間に帰りつけるはずだろ」

「そうだな......やってみるよ。ったくよー、ばあちゃんにもらったお守り、ずっとつけてるのにむしろ悪いことばっかじゃんかよー」

 不安をかき消すように少しイラついた風にお守りを指ではじく浅井の姿を深山は思案気に見つめていた。




「ただいま......」

 浅井は重い足取りで玄関に入った。すると奥から「おかえり、遅かったじゃない」と母が心配そうに顔を出した。が、その顔がすぐに驚きに代わる。

「ってどうしたのそれ!びしょびしょじゃない!」

「え......?」

 そう言われて自分の足元を見ると、膝から下がぐっしょりと濡れていた。

「ちょっとそこで待ってて、拭くもの持ってくるから!」

 そんな母の声を遠くに聞きながら、浅井は恐怖で体を震わせていた。

「なんで......なんで濡れてるんだ......?」

 深山に言われた通り、いつもの道を、一つ一つ指さしで確認しながら帰ってきたはずだった。それなのに浅井の足はまるで水につかったように濡れていた。当然川にも池にも入っていないし、水たまりにすら浸かっていないのに。

「なんで......なんで俺......俺はどこに行ってたんだ......?」




「おい、浅井?おい!」

 自分の名前を呼ぶ声にはっと顔を上げると、深山が心配そうに顔を覗き込んでいた。

「ああ、俺......学校か......」

「お前大丈夫か?顔色が悪いぞ」

 今まで見たことがないほど暗い友人の様子に深山は心配そうに尋ねた。

「もしかして昨日も......?」

「ああ、なんか......帰ったら母ちゃんがびっくりしてて......よく見たら俺の足濡れてて......」

「足が濡れてた?」

 浅井はこくんと頷く。

「膝から下がぐっしょり............」

「時間はどうだった?」

「いつもより30分ぐらい......遅かったかな......?」

 夢遊病なのか何なのかは分からないが、浅井の知らない間に浅井の体がどこかで何かをしているのは間違いないと深山は思った。

「なあ、今日は俺も一緒に帰るよ。もしお前が急におかしくなったら俺が止めるから」

「でもお前んち、逆方向じゃねえか。悪いよ......」

「悪いってお前なぁ......」

 不安からか、やたら遠慮がちな浅井に深山はあきれる。

「とにかく、俺は一人で帰れるから。で、帰ったら母ちゃんに相談するよ」

「まあお前がそう言うなら......」





「なあ、やっぱり俺付いていったほうがよくないか?」

「いや、大丈夫、大丈夫......」

「そうか......?」

 いつもの浅井からは想像もつかないトボトボとした足取りで家路につく浅井の背中を深山は心配そうに見送った。


「いつも通り......いつも通り......」

 浅井の家は少し町から離れた山のほうにある。

「いつも通り......いつも通り......」

 歩きなれた道をいつものように帰る。

「いつも通り......いつも通り......」

 いつものように駄菓子屋を過ぎ、いつものように角を曲がり、いつものように田畑の横を通り。


「いつも通り......いつも通り......」


 いつものように山へ入り、いつものように獣道を進み、いつものように池に入り。


 一歩、一歩と足を進めていく。


 一歩、一歩、足首が浸かり、脛から膝、そして膝が完全に浸かり、ついにズボンが濡れる。



 それでも一歩、一歩と足を進めて、やがて腰まで水に浸かり————



「おい」

 突然肩をつかまれて、浅井ははっと動きを止める。恐る恐る振り返ると、そこには息を切らせた深山の姿があった。

「深山......?どうしたんだよ、こんなところで」

「それはこっちのセリフだ。先生が言ってただろ。この池は急に水深が深くなってて危ないから近づくなって」

 深山に言われて浅井は改めて状況を把握する。深山の体が腰まで水に浸かっていた。そして自分の体を見る。

「なんだよ、これ......」

 浅井の体は腰まで水に浸かっていた。

「とりあえず池から出よう」

 そう言って深山は浅井の体を支えながら岸まで戻った。

「大丈夫か?」

 深山は声をかける。浅井の体は小さく震えていた。

「ああ......。それより、お前はどうしてここに?」

「やっぱり気になってな、こっそりつけてきたんだ。森に入ったところで一度見失ったんだけど、まさかと思って河童池のほうに来てみたら、お前が池に浸かってるのが見えて......慌てて止めに来たってわけだ」

「そうか......助かった」

 そう言ってから改めて浅井はあたりを見回す。深山の言った通り、ここは先生が危ないから近づくなと言っていたあの河童池だった。

「俺、本当に自分の足でここまで歩いてきたのか?」

「ずっと見てたけど、お前自分でここに向かって歩いてたぜ。まあなんかふらふらしてたし、様子はおかしかったが......」

「そうか......」

 いつも通りの道を、いつも通り帰っているつもりだったが、改めて思い出そうとすると記憶にもやがかかってしまったかのように何も思い出せなかった。

「とりあえず、帰ろう。家まで送るよ」

「わりぃな。てかお前こそ帰りどうすんだ?一人だと危なくないか?」

 季節的に火が長くなっているとはいえ、浅井の家から深山の家までは歩いて一時間近くかかる。だが深山は首を振った。

「バス使うから」

「そうか」


 森から出るまで、浅井はキョロキョロと落ち着きなくあたりを警戒していたが、道路に出て安心したのかほっと息を吐いた。

「なぁ、結局なんだったのかな」

 浅井は自分の濡れた靴を見つめながら尋ねる。深山はしばらく考えた後、ぽつりと呟いた。

「10年前......」

「?」

「今から10年前に、あの河童池でちょうど今の俺らと同じ年の男の子が溺死するって事故があったんだ」

「ああ、そういやそんなこと......」

「その子の遺体が見つかったのが、お前が最初におかしなことを言ってたあの日だ」

 そこで浅井ははっと顔を上げた。

「そうか、だからあの日ニュースで......」

 その日、母が見ていたテレビのニュースにこの町が映っていたことを思い出した。あの事故からもう10年という母の言葉も。

「じゃあ俺はその死んだ男の子の霊かなんかに連れていかれそうになったってことか?」

「さあな」

 しかしそこで浅井はふと疑問を覚える。

「でもよ、だったらなんでその日じゃなくて今日だったんだ?」

「それはたぶん......これだろ」

 深山は浅井のランドセルを指さす。そこには浅井が祖母からもらったお守りがぶら下がっていた。

「でもばあちゃんはこれつけてるといいことがあるからって......」

「たぶん、お前の性格的にそう言ったほうがちゃんと持ち歩くって考えたんだろ」

「そういうことか......」

 確かに厄除けと言われるよりいいことがあるといわれたほうが大事にすると浅井は自分でも納得した。

「なんにせよ、このタイミングでそれを渡してきたってことは、お前のばあちゃんは何かを感じ取ってたんじゃないか?ちょうど明日は土曜日だし、お見舞い行くついでに今日のことを話しておいたほうがいいと思うぜ」

「そうだな、そうするよ」

 それから二人はしばらく無言で歩いていたが、家まであと少しというところで浅井が口を開いた。

「ふと思ったんだけどさ、その10年前に死んだ男の子も、もしかして俺と同じように......」

 河童池に潜む何かに引き込まれたのではないか、という言葉を言いかけて口をつぐむ。

「可能性はなくはない......かもな。でもそれを言ったら誰かに殺されたのかもしれないし、俺はそっちのほうが怖いけどな」

 不審死であるため当然、当時の警察も事件と事故の両面から捜査をしていた。結局事件を裏付ける証拠はなかったため事故死ということになったが、もし事件だったなら犯人は今でもどこかで普通に暮らしているということになる。

「だな......」

 結局一番怖いのは人間か、浅井はオレンジに染まる空を見てそんなことを思っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] じわじわと呼び寄せられる感じが出ていて、登場人物の行動も自然で、まさに「帰り道」のホラーでした。 祖母は母親にも言っていた筈なのに、姑の意見とばかり無視して子供の異常に気付かなかったので…
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