ひづめひめ留学日記
「西王国に行け」
アルト・チノが生まれてはじめて聞いた父親の台詞が、それだった。
――めんどうくさいことに巻き込まれた。
と、うやうやしく頭を下げながら思う。
アルトは大渦国の姫で、つまり、玉座に座って西王国行きを命じた父親は大皇帝そのひとである。
「……なぜですか」
だから、本来ならば、娘といえど、こうして気軽に問い返せる間柄ではない。
そもそも、アルトの地位は決して高くない。
たしかに姫ではある。だが、第五妃の五番目の娘だ。王位継承権は六十番より下で、政治的利用価値など、ほとんど持ち合わせていない。
アルトは大陸東端に住まう第五王妃の五番目の娘として生まれ、教育を叩き込まれて育った。
そのアルトが、なぜ西王国に行かねばならないのか。
大陸中央の大平原から東端までを支配する大渦国の主に対して、おさげの姫が問いを投げたのは、ひとえに意地だった。
許可を出されてはいないが、顔を上げ、父親の顔を正面から見る。
老齢だ。しわだらけの顔だが、身体は大きく、服の上からでも筋骨隆々としているのがわかる。
――齢八十を超えるいまでも馬を駆り、異民族を平らげて回る、遊牧民の大皇帝。なるほど、これが……。
毎年、王妃を増やし、胤をばらまけるわけだ。
老いてはいるが、ぎらぎらとした野望が全身からあふれ出ている。
父親だが、人間とは別の生き物に見えた。
「はじめて会った娘にかける言葉が、それだけとはどういうことですか」
大皇帝のそばに控えるものたちが、腰の剣に手をかける。
首を切られてもおかしくはない発言だ。
だが、父親は面白そうに笑った。
「さすがはわしの娘だ。いい気迫をしている。街に閉じ込めず、馬に乗せるべきだったか」
「馬術ならば、一通りは修めております」
「大平原を走ったことは?」
「……二度ほど」
「西王国までの旅路は、楽しいものになるだろう。我ら遊牧民の故郷のようなものだ」
そうだろうか、とアルトは思う。
馬に乗るより、部屋で本を読むほうが性に合うほうだと自覚している。
「アルト。おぬしを西王国に送るのは、いにしえの約定ゆえだ。先々代大皇帝……わしの祖父よりも、もっと古い約定だ。おぬし、瑞獣の証を持っているだろう」
アルトは苦虫を嚙み潰したような顔を、隠しもしなかった。
「……背中に、ひづめ型のあざが」
――どちらかといえば、背中というより尻だけど。
わざわざそこまで言う必要はないだろう。
見せろと言われたら、礼服を脱ぐしかないが。
「どういうものか、知っているか?」
「我が一族のものが、ごくまれに生まれ持つひづめ型のあざ。瑞獣の証と呼び、幸運を呼び寄せる……とか」
「そうだ。瑞獣の証持つ男児は覇を唱え、女児ならばいずれ覇王を孕む」
――迷信だろ。
そう思うが、言わない。
父親はうすく笑いながら、話を続ける。
「先々代大皇帝よりもさらに古き時代、我が祖先が大陸西部に攻め込んだ際の話よ。祖先は女を取り合って豪族と一騎打ちをおこない、三日三晩の打ち合いの末に勝利した。……まあ、実際は三日三晩も争っておらぬだろうが、最終的に我が祖先が女を勝ち取ったそうだ。何番目の妃としてかは、わからぬが」
――ひどい話だ。
遊牧民の本来の住処は、大陸中央の平原地帯。
大陸西部の豪族と女を取り合ったのであれば、おそらくその女はもともと西部の女だ。
とつぜん押しかけていき、喧嘩を吹っ掛けて女を奪う。ごろつきはどちらだ、と半目になる。
「しかし、我が祖先は己と対等に打ち合った豪族に敬意を払い、口書面にて約束を残した。『瑞獣の証持つ姫が生まれたとき、奪った女の代わりとして豪族に嫁がせよう』と。とうの昔に朽ち果てたはずの書面を、西王国が埃の中から引っ張り出してきたのだ。当時の豪族が、西王国の礎になったと言ってな」
「……つまり、かびの生えた約定に従って、私を嫁がせると?」
「そうだ。祖先の約定に背くことはできんからな。相手は第三王子らしい」
――そうだじゃないが?
理屈はわかる。
大渦国は、大陸の六割を支配しているだけに飽き足らず、さらに版図を広げようともくろむ共同体。
対して西王国は、大陸西部に数多ある国家のうちのひとつ。西方同盟の中心国家だとものの本で読んだが、領土は大渦国の一割にも満たない。
「西王国は抑止力が欲しい。我が大渦国は、西側諸国に対して交流の足がかりが欲しい。そういうわけですね?」
「勉強しているな。西方同盟をいずれ手に入れる際、土地を知るものがいるのといないのでは話が変わる」
「そして、第五王妃の五番目の子である私は、もし失ったとしても痛手のない姫である、と」
「聡いな。送るのが惜しくなってきた」
「……御冗談を」
つまり、だ。
――西王国は私の首が抑止力になると考えているけれど、東渦国は私の首なんてどうでもいいから、気にせず攻め込むわけだ。
端的に言って、最悪である。
唯一、救いがあるとすれば。
「……お父様。北方異民族は、どの程度で平らげられるおつもりですか」
「五年だ。情勢にもよるが、次は南方諸島になるだろう」
何歳まで生きるつもりだろうか、この大皇帝は。
だが、運が良ければ、アルトは天寿を全うできそうではある。北方異民族と南方諸島にはぜひとも頑張ってもらいたいものだ。
半目のまま、首を垂れる。
「承りました。西王国にて、立派に妃を勤めてまいりましょう」
「いや、早まるな。まずは留学からだ」
「……はい?」
間抜けな声が出てしまった。
くつくつ、と大皇帝が笑う。
「あちらの風習だ。王子は妻となるものを貴族学園の同輩の中から選ぶ、とな。おぬしもまずは三年間、学園に通う必要があるわけだ」
●
「マグダレーナ・マドレーヌ。あなたに婚約破棄を申し入れる」
ルイス・エクレールは重たい息を呑み込んで、対面の女性に告げた。
――めんどうくさいことに巻き込まれました。
と、そう思う。
西王国の第三王子として生まれた以上、政略結婚は仕方のないことだ。
だが、生まれる前から決まっていた婚約者を、新学期初日に振らなければならないのは、いくらなんでも気が重い。
「……ええ。受け入れますわ」
相手のマグダレーナも、なんとも言い難い、渋い顔をしている。
宰相がいにしえの約定を引っ張り出したのは、つい半年前のこと。
あれよあれよと話が進んで、王位継承権を持たない己は、大渦国の姫にあてがわれることになった。
たとえ、決まっていた相手がいようとお構いなく。
「……すまないな、マグダレーナ。辛い役目を背負わせることになった」
「それはお互い様ですもの。これまでお世話になりました、ルイスさま」
苦笑する。
学園の二年生であるルイスと違って、マグダレーナは一年生。今日、まさに入学したばかりで、共に過ごした時間など皆無である。
そもそも、お世話もなにも、マグダレーナとは片手の指で数えるほどしか会ったことがない。それも茶会や舞踏会だったから、一対一で話したのは今日がはじめてだ。
そんな相手を振るのに、気が重くならないわけがない。
「……その。お相手の姫は、ケモノの証を持つとか。ルイスさまも、どうかお気を落とさずに」
振った相手に同情されるとは、どういうことか。
苦すぎる笑いをこらえながら、ルイスはマグダレーナに別れを告げて、応接室を出た。
さらに気が重いのは、これからだ。
――瑞獣の証を持つ姫。瑞獣とは、聖獣ユニコーンのようなもの……でしたっけ。
幸運の獣だと聞いた。
つまり、獣には違いない。
入学初日だが、すでに一部では『毛むくじゃらの姫』だとか『四つん這いで歩く蛮族の姫』だとか、そういう噂が立っている。
――愚かなことを。
相手は大陸の六割を支配する大国家の姫だ。
なんのための政略結婚だと思っているのか。不用意な陰口で姫が気分を損ねたら、遊牧民が弓矢を構えて攻め込んでくるかもしれないとか、思わないのだろうか。
――思わないのでしょうね。
嘆息する。
貴族社会で暮らしてきた貴族子女の子女にとって、世界とはせいぜい『西方同盟』の広さしかない。
その外側に、想像もつかないほど広大な敵地が広がっていると、想像できないのだ。
大理石の廊下を歩いて、門へ向かう。
くだんの姫を迎えねばならない。
――先んじて送られて来た贈り物は、見事なものでした。
大陸東部で採れる大粒の玉に始まり、歪みひとつない姿見や白磁の茶器など、あまりにも絢爛豪華。
さすがは大渦国の姫だと感嘆し、同時に気が重くて仕方なかった。
――あれだけのものに囲まれて育ったのであれば、わがまま放題に違いありませんし。
もとより、姫とはわがままなものだ。
貴族社会で生きて来たルイスは、そのことをよく知っている。
茶会でかんしゃくを起こす貴族の娘を、何度となく見て来た。
護衛を連れ立って正門で待つ。
すでに校長や教師が連れ立って待っていた。
「すみません、お待たせました」
「いえいえ、お気になさらず」
でっぷりと太った校長が、禿げ上がった額に何度もハンカチを当てている。
やはり気が重いのだろう。
異文化の、とてつもない力を持つ国の姫を迎えるなど、学園始まって以来なかったことだ。
――と。先触れが来ましたか。
ぱから、ぱから、と音を鳴らして、馬が正門をくぐった。
騎手は、黒髪を一本の太い三つ編みに結って背中に垂らした少女だ。
肌は健康的に日に焼けてはいるが、白い。東方の出身だとわかる、切れ長の瞳が特徴的だ。
貴人が訪れる際は、先触れとして『あと何分ほどで着く』と伝える使者が来る。
それだろうと、思った。
だから、ルイスは正門前で馬を飛び降りた少女に聞いた。
「姫は、あとどれほどで着きますか?」
少女は首をかしげて、流暢な西方語で答えた。
「どれほどで、とは?」
「……先触れではないのですか」
「先触れ? 荷物ならば、先週に届いているはずですが」
話がかみ合わない。
ルイスの肩ほどの背丈しかない少女が、ややあってから「ああ」と得心したようにうなずいた。
「姫は……アルト・チノは私です」
「……は?」
並んだ一同が、あっけにとられた顔で少女を見た。
少女は馬の顎をくすぐり、身体を撫でた。
「この子、足が速くて。護衛はあと五分ほどで着くのではないでしょうか」
そんな馬鹿な、と思っていたが。
「姫様! 護衛を置き去りにしてどうするのですか!」
五分後、正門前で護衛に説教される姫を見て、ようやくルイスは黒髪の少女がアルト・チノだと信じた。
自ら馬を駆るとは、珍しい。少なくとも、これまで見知った貴族の令嬢にはいなかった。
こういうところには、馬車で優雅に訪れるのがお決まりだ。
「だって、この子がもっと速く走りたいというのだから、仕方ないじゃないですか」
唇を尖らせて文句を言う様など、優雅さの欠片もない。
護衛の声を聞き流しながら、アルト・チノは居並ぶ教師とルイス、護衛を順繰りに見た。
それから改めてルイスに向き直り、亜麻布のズボンの太ももあたりを摘まみ上げて一礼した。
「はじめまして。私が大渦国の大皇帝が娘、アルト・チノでございます。……西王国の作法は、これで合っていますか?」
問われたルイスは、ついにこらえきれなくなって、笑った。
「……なぜ笑うのです?」
「いえ、つい……くくっ、思っていたよりも、お転婆な方が来たもので」
気の重さは、別のなにかに変わっていた。
ルイスはその『なにか』の名前を知っている。
期待感だ。
「僕がルイス・エクレールです。あなたの婚約者になるものですが……いろいろとすべき話の前に、ひとつだけ」
「なんです?」
「その一礼は、ズボンではなくドレスでするものですよ」
手を差し出して、微笑みかける。
差し出した手に首をかしげる少女を見て、ルイスは思った。
――これから、面白くなりそうですね。
異世界恋愛ものを書こうと思ったけど、なんか雄子宮(そんな内臓はない)にキュンキュン来ないので冒頭供養。
もうちょっとやりたいことを先鋭化できたら再挑戦します。
よかったら下の星から評価してくださーい!(やる気が出るため)