〜1〜
ミステリ小説です。
殺人などといった表現が不得意な方はお気をつけください。
残酷な表現といえるほどのものはございません。
一般ミステリもの程度と考えていただければ幸いです。
「君ね、君はすこし下を見すぎなんじゃないかな?もっと上を目指すなら、目指すところ見てなくてはね」
年配のおっさん、いやもう爺さんと言っても過言ではないほど老けこんだ男性は、白髪交じりの頭髪をボッスボッスと掻きながら、机の上にある百五円のシャープペンシルに視線を置いている。 直立不動のまま、長い間話を聞いていたものだから、足の裏が段々と痺れてきた。
果たして立ちながら足が痺れるなんてことがあるのだろうか。少なくとも高校時代にはこんな事はなかった。年を重ねることによって生じた体力の衰えから来るものなのか、もしくは、この容量の得ない話が生み出したハルスネーションが俺の足になんらかの影響を及ぼしているのだろうか。
部長がデスクに両肘をついて視線を上げ、俺の顔を見上げる。部長の目を正面から見ることができず、かといってきょろきょろと辺りを見渡すわけにもいかないので、デスクの真ん中あたりに置かれた百五円くらいのプラスチックのシャープペンシルに目線を逃がす。
「御殿屋君、聞いてるかな?」
「聞いてます。」
このやり取りも三回目だ。
それに正直聞いてない。さすがに三十分近くも延々掴みどころのない古典的な説教をされて俺自慢の脳内集中力パラメータも赤色、限界に来ていた。
今朝、月曜の朝礼が済んで、いつも通りマイデスクに向かおうとしたら「ちょっと安田君」と突然部長に呼びとめられたもんだから、岸川の野郎「先輩なにかしたんですか?」とか嬉しそうに言いやがる。
「してねえよ阿呆」と強腰に出て言い返したが内心冷や汗ダラダラだった。
一体何がバレたのだろうか。思い当たることなんて、山のようにある!
部長の説教はかなりしつこい。それに「懐かしのアニメベストなんとか」の放送回数にも劣らないほどくどい。もし全国の学校長が部長と入れ替わったら、朝の全校集会はエンドレスループし、終わりの見えないインフィニティへと向かっていくだろう。時代を超えて……。
お、これは新しいアイディアだ。すぐにでもメモに取りたい。
何てまだ下らないことを考える余裕も体力も俺には残っているらしい。安心した。
いや今はそれどころじゃない。
部長の怒りそうなことを、一昨日買ったばかりのYシャツの袖で、汗を拭いながら考えてみる。何か言い訳くらいは考えておきたいものだ。
考えられる事と言えば、今週末に出すはずのシナリオ企画がいまだに骨抜き状態なことだろうか?確かにあれは自分でもマズイとは思っている。なんせ企画担当についてからのこの一ヶ月ほとんど何も思い浮かばないからだ。本決めではないので、大体のあらすじが組み立てられていればいいと部長は言うが、何も浮かばないものは浮かばない。期限なんてもの無視して作らせて欲しい。
しかしそんなこと言ったが最後、くちゃくちゃに丸められてトイレにぼちゃんだ。こちらは仕事に従事している人間であり、給料をもらう立場にあるのだからこれは義務であり、当たり前のことなんだろう。こればかりはなんとも言い返せそうにないので、素直に怒られる覚悟をして置こうと心に決めた。
部長のデスクに置かれたオカルトメルヘンな骨人形ストラップがこちらを向いて満面の笑みを浮かべている。腹立たしい。お前のその骨、俺の企画書にくれ。企画書の「骨」組みと、部長の「骨」人形を掛けたジョーク。イッツヴェリーヴィユーティフル。
他に考えられることと言えば、一昨日、キャラデザの斎藤真紀のマンションと、作画アシの桐谷祐美のマンションをハシゴしたことだろうか。あれも確かにマズい。もともと真紀との関係は一ヶ月程前からあったが、この間貸したDVDを返してほしいので今から来てくれ、なんてことを真紀の家から帰る途中(日曜に実家に帰る約束をしていたので、準備があると言って夜中の十一時過ぎに無理やり帰ったのだが)メールで祐美が送ってくるものだから仕様がない。あ、一回DVD取りに家に帰ったからハシゴじゃないな。もちろん重要なことはそんなとこではないのだが。
それに俺は紙袋に包んだDVDを渡した後、すぐさま帰るつもりだった。きっとこんな時間に家に呼び出すのだから向こうにその気があっても可笑しくはないが、さすがにさっきまで真紀と寝ていたのに、すぐさま心を別の女のために切り替えることはできない。そう判断したからだ。そんなことは至極当然のことであるが。
しかし、祐美の頭髪から流れ出るシャンプーの甘い匂いと絶妙な目遣いで、俺の頭は一瞬で先刻の意見を覆した。二ラウンド目とは思えないほど、軽快なステップで祐美をベッドに深く沈めていた。後のことはあまり記憶にはない。気がついたときには祐美の部屋で朝を迎えていた。
だがあれはどちらかといえば部長より本人たちに知られるほうが数倍マズい。もし仮に彼女たちに知られているならば、今頃マイデスクにはわけわからんことの書かれた呪いの札がびっしり張られているか、3階の窓から無情にもゴミ屑のように外に荷物ごと投げ捨てられているかだろう。女は怖い。
横目で愛しのマイデスクの安否を確認するが、どうやら無事なようなのでその心配は無さそうだ。ホッ。
しかし安心したのも束の間、結局部長の口から飛び出したのは、いつも以上に芯を捉えない話ばかりだった。
俺の仕事内容がどうだ、こうだ、とガツウンと言われるわけではないので、精神的には少しばかり楽ではあるが、それでも続くとかなりしんどいものがある。そんなこんなでもう三十分近くが経過している訳だ。
朝だ。みんな忙しい時間帯だ。こんなことしてていいのかよ部長。
本当に早く終わってくれることを願っていた。
「それでだね、御殿屋君、本題に入るんだけど」
「はい?」
ずいぶんと間抜けした声を出してしまった。 部長も少し怪訝な顔をして俺の顔を覗き込んだが、すぐにペン先に視線を戻した。
本題?突然のことに俺の頭は困惑した。なんなんだよ本題って、いやいやマジで。ってか今までのは本題じゃなかったのかよ。
俺の頭はぐるぐると回転していた。それはもう、超伝導する磁石のように。
部長はデスクから目を離し、俺の顔を真っ直ぐ見つめて言った。
「少し、御殿屋君、君はね、最近どうも心が詰まっているようだ。この会社に入ってすぐに、素晴らしい作品を生み出してくれた。我がホラー・サスペンス部門としては、とても高い功績だったよ。私も君を誇りに思っている。もちろん会社全体としてもね。あれからもう二年になるが、最近の君は、創造欲が少し薄れてやしないかい。どうも私には君が作品を作ることに対して消極的に見えてならないんだ。私は『あのゲーム』のようなクオリティは決して求めない。だから少し羽を広げて、もう一度気を引き締めて製作に取り組んで欲しいんだ。」
俺の創造欲が薄れてきている?馬鹿げている。俺はそんなところに落ちた気はない!俺の頭の中は常に新しいアイディアの事ばかりだ!
「それは具体的にどういうことでしょうか。」
汗で湿った手を握りながら聞いた。
「君には少しばかりの休暇を与えようと思う。明日から一週間ほどだ。そこで少し君に、考えてもらいたい。これは罰とか、命令、とかそういう訳ではないんだ。君の評価が落ちた訳でもない。ただ、君に時間をあげたいんだ。裏を返せば君に期待しているということになってしまうのだろうけどね。まあ、とりあえず少し早めの夏休みだとでも思ってくれ。いい気晴らしになることを祈るよ。」
「……わかりました。失礼します。」
俺は部長のデスクから離れ、自分の仕事場に戻った。腹立たしくはなかった。実際のところ創造する思い、アイディアが薄れてきているのは確かであったからだ。思いついた様々なものを繋ぎ合わせる事ができなくなっていた。自分の二年前の功績が己を縛りつけ、邪魔をしていた。超えることのできない壁だとどこかで決め付けているのかもしれない。
あの作品以来、ずっとシナリオアシスタントしかやっていない。しかし、やっと巡って来たチーフの座。もしかしたら、これは契機なのかも知れない。自分を打破できるかも知れない。俺はこの一週間に何かを見つけなくてはならないのだ。大きな何かを。
七月十日、すこし早すぎる夏休みが始まった。