第一話8
「海?ああ勿論いいよ。うん、その日なら空いてるから」
由衣の強要からさらっと抜け出したスギは、駅前にあるショッピングモールでふらふらと歩いていた。別にリディアと関わりたくないとかそういう訳ではないが、彼のこれまでの経験から察するにあのままあの会議に参加すればめちゃくちゃ面倒になりそうと判断したためである。特に由衣が……。
ミコトによると、リディアが居られるのはこの夏休みだけということでこれから色々イベントをやると決まったらしい。
そして最初の企画として次の週末、湘南の海に行くことに決まったので海パンを用意しろと。
「随分急な予定だこと。アイツは昔から思い立ったらすぐ行動に移すからなぁ……」
携帯を閉じ溜息混じりに独り言を呟くと、どうせだからと海パンの売っているフロアに向かうことにした。ここは市内の若者ファッションの発信源と言っていいほど若者が多い場所で、ファッション誌で取り上げられた服は県内では唯一大体揃うという。
「それにしても、小さい頃夢見てた宇宙人があんなあっさり出てくると実感わかないよな……。まぁ、かわいい娘に征服されるなら喜んで……」
「きゃっ!?」
突然スギの背後に誰かがぶつかりコテンと転ぶ音が聞こえた。
振り返ると八歳ぐらいの小さな女の子が尻餅をついて倒れていた。
「ごめんね。キミ、怪我はない?」
手を差し伸べようとしたところで彼女の不思議な格好に気付いた。美しく長い金色の髪、あどけなさのある小さな顔立ち、そしてそれを映えさせる黒のゴスロリのようなドレス、まるでフランス人形に命が宿ったのかと思うぐらい美しかった。
「なに見とれていらっしゃるの?早く手を貸して下さいな」
「おっと失礼。お手をどうぞ、お嬢様」
彼女のやけにお上品な口調に釣られてスッと手を差しだし、見様見真似な紳士を演じてみた。というか、こんなギャグマンガみたいなお嬢様口調、初めて聞いた……。
彼女はスギの手を握り立ち上がると、ちょっと不満そうな顔をしながらスカートに付いた埃を祓っていた。
「それにしてもダメですよお嬢様。ちゃんと前を向いて歩かないと」
「ぼおっと立ってる貴方が悪いのですわ。か弱い身体なのですから気をつけなさい」
ああ、いちいち癪に障る。だが落ち着け、こんなところで小さい女の子相手に怒るなんて大人げない。とりあえず別の話に変えて少し紛らわそう。
「キミは迷子かい?お父さんかお母さんはいないの?」
辺りを見渡してもこの子を捜している人はいなかった。まして同じ金髪の外国人なんてもっと困難だ。
「お母さん、ああ、親ということね。そんな概念、とうの昔に忘れていましたわ」
「…………??」
何を言っているのかまったくわからない……。親という概念を忘れた?まだ自分よりも生きていないはずなのにこの子は何を……。
ああ、そういえばこういうのを『中二病』って言うんだっけ?若さ故にとりあえず覚えた難しい言葉を格好良く言うっていう……。
多分彼女はその類の娘なんだろう。それにこんなヒラヒラのゴスロリ、何かのキャラクターなのかもしれない。そういえば近くにそれっぽいお店もあったし。そんな結論にまとめたスギはとりあえず親を捜すことにし、彼女の目線の高さに合わせて中腰になって情報を聞き出そうとした。
だが、自分より先に出た彼女の言葉にスギは固まってしまった。
「ねぇ、アタシも宇宙人、紹介してくださる?」
「……っ!?」
何故、という言葉すら口から出せなかった。あまりにも突然すぎることに、そして今一番意識している言葉故に変な警戒心が働いてしまった。
「ウフフ、隠し事したって無駄ですわ。アタシは全て知っているのですから」
「……な、何を?」
オーラを放ちながら不敵に笑う少女にスギは言葉を詰まらせ、相手が子供だということを忘れ何を言えば正解なのか模索していた。
「…………」
その時の自分は気づいていなかったが、さっきまでの笑みが一瞬で焦りの表情に変わっていたという。それに間近で察知した少女はフフッと笑い出し、
「なぁ~んて冗談ですわ、真に受けないで下さる?わたしはただ、貴方が先程宇宙人がなんとかって独り言を聞いていましたので興味が沸いただけですわ」
それを聞いて少しの安堵感、そしてそんなに大きい声で独り言言ってたのかという恥ずかしさが混ざり合い複雑な気持ちになった。
「はは、ごめんごめん。キミがあまりにもオーラある演技だからつい魅了されてしまったよ」
とりあえずそれで取り繕うことにしよう。それにしてもこの娘は一体何をしたいのだろうか……。
「フフ……アタシ。芝居に関しては自信がありますの。いかがでした?」
「名女優と言ってもいいんじゃないでしょうか?うちを騙すなんて中々なものですよ」
子供の可愛らしい戯れ。きっとそんな感じだろうと思いつつ、時計に目をやると帰りの電車の時間が近いことに気付いた。
「あら、お急ぎかしら?」
「ああごめんね。こんなかわいらしい娘がいるのに時間なんか気にして」
「いいえ、アタシが止めてしまったんですもの。謝る必要ありませんわ。ところで、貴方お名前は?」
「ああ、すっかり忘れてましたね。スギ、とお呼び下さい」
「そう、よく覚えておきますわ」
覚えたとして会うことはまずないだろうし、とりあえずあだ名だけ教えてあげた。
「キミは……」そう言おうと口を開けると一瞬のうちに彼女は人混みの中に消えた。
えっ……?
人と人の間にも影が見当たらない。あんなに目立つ服装なのに何処を見渡しても彼女の姿はなかった。単なる偶然、それとも幻覚?いろいろな憶測を巡らし、すぐに出た答えは、
「変な娘……」
「大分疲れたんだね。こんな気持ちよさそうな顔しちゃって」
大体の夏の予定を決め、夕飯を済ませるとリディアはテーブルを枕にする形で眠ってしまった。まるで夢の世界へお出かけするかのように、優しい寝顔で。
「まぁな、昨日からずっと新しいこと続きだったんだ。ゆっくり寝かしてやろう」
「う~~!しかしかっわいいなぁこの寝顔、うりうりっ!!」
と、今さっき俺が言ったことを完全無視するかのように由衣はリディアのほっぺたをプニプニと突っついていた。
「あの……、由衣さん?俺の話聞いてた?」
「ウソっ!?やばい!ミコトも触ってみてよ!マシュマロよマシュマロ!」
由衣はあまりの柔らかさに興奮し彼女を指さす。やめとけと言いつつ、つい目に入ったのは彼女の薄く赤い唇だった。あのとき唐突に触れた、柔らかい感触……、
「い、いいよ俺は。それよりもう暗いんだからお前もそろそろ帰れよ。送ってやるから」
「それもそうね、おじさん!ごちそうさまでした~!」
台所で洗い物をしている親父(シスカも皿洗いを手伝っている)に挨拶すると「またいつでも食べに来な~」と声が聞こえた。
玄関を出ると辺りはすっかり暗くなっており、ぽつりぽつりとしかない灯りの下を由衣と二人で歩いていた。
「なんか、一気に賑やかになったね」
「まったくだ、せっかく今年も普通な夏休み送ろうと思ったのに予定狂いまくりだよ」
「なによそれ、あんなかわいい娘が来たのよ。アンタはもうちょっと嬉しがったりしないの?」
「それ、女の子が言うセリフじゃないだろ……。でも、まぁ嬉しくないって言ったら嘘になるわな。母さんが死んでからずっと親父と二人っきりだったから、なんていうか花が出来たっていうか?」
「花……ねぇ」
そう呟くと、由衣はクルッと振り返り、
「ねぇ、ちょっとそこ寄ってかない?」
家からすぐにある若宮八幡宮、そこは俺たちが小学校の頃秘密基地を作ったりして遊んだところだった。裏の塀からよじ登り、軒下の狭いところに小さなテーブルやコップやおもちゃ、近所にある駄菓子屋で駄菓子を持ち寄ったりして色んなことをしていた。
俺たちは誰もいない社の階段に腰掛け、途中で買った缶ジュースをぷしゅっと開けた。
「なんか懐かしいね。小学校の頃、よくここで遊んだっけ」
「そうだったな、スギなんてしょっちゅう塀から落ちて泣いてたっけ」
「そうそう!僕だけ登れないって言って!」
「アイツ昔は臆病だったからな。大阪で何があったんだか……」
スギは小学四年の頃から中学一年まで親の仕事の関係で大阪に転校していた。その時の名残なのか、関西弁は移らなかったものの『うち』という言葉は未だに使っている。
「スギッたらあっちのことについては一度も話さないし性格まで変わっちゃったのよね。泣き虫だったのがナルシストみたいになっちゃって」
ナルシスト、言われてみればそうだ……。
「で、別にスギの悪口聞かせるために呼んだんじゃないんだろ?」
「まぁアイツには逃げ出した件があるけど。ねぇ、アンタはどうすんの?」
「何がだ?」なんて野暮なこと聞くまでもない。リディアたちのことだ。
「なんだよ、お前が一番乗り気だったのに今更弱気になったか?」
「う~ん、弱気とかそういうんじゃないんだけどね。自分でもわからないのよ。これからどうすればいいのかなって。少なくともこのままじゃいられなくなるだろうなってことはわかってるんだけど」
このままじゃ、いられなくなる……。
「……は、はあ?何だよそれ、そんなことあるわけないじゃん。ただ人数が増えるだけ、それ以上でもそれ以下でもないだろ。まぁ、その宇宙人が何かするって言うんなら話は別だけど」
そう、それはむしろ由衣が望んでいることだ。世界がどう改変されるかなんて俺たちの頭ではわからない。いや、それ以前に俺たちが何が出来ることなんて何一つない……。
「なにか、ねぇ……」
そう呟くと由衣は少し黙ってしまった。
「由衣……?」
「えっ?あ、なんでもないわ。さっ明日から忙しくなるわよ!じゃあねミコト!」
と、さっきとは打って変わっていつもの感じに戻ると由衣はそのまま別れた。まるで何か急用を思い出したかのように。
「お、おい由衣!?」
叫ぶ声に振り返ることなく、由衣はあっという間に暗闇へと消えていった……。
「なんだよ、アイツ……」