第九話1
パンッ!
真夏の青空に乾いた破裂音が響く。それは銃声でも風船が割れた音でもない。市内にある陸上競技場に響くスターターピストルの音だ。そしてそれを合図に100メートルの直線を八人の選手が駆けていく。
俺とリディアはその競技場にある観覧席で強い日差しに照らされながら青色のトラックを駆けていく陸上選手たちを眺めていた。
どうして俺たちが陸上部の大会を見に行っているかというと、この大会に由衣が短距離で出場しているからである。由衣は中学まで陸上部をやっていて県でも上位に入るレベルだったが、高校に入ってからは部活に入らず、あの氷屋でバイトをして自分のやりたいことに専念していた。それでもまだ実力は衰えておらず、こうしてたまに陸上部から助っ人として駆り出されているのである。
「ミコト~~!ちゃんと見てくれた~~?」
「お~!ちゃんと見てたぞ~~!」
100メートルを走り終え、由衣が観覧席に駆け寄ってくる。
「由衣さ~~ん!走ってる姿すごい格好良かったですよ~~!」
「ありがと~リディアちゃ~~ん!あとでいっぱいハグさせて~~!!」
「あ、それは間に合ってま~~す」
「え~冷た~~い……」
リディアも大分由衣のあしらい方理解してきたみたいだな……。
「ところでミコトさん、これは一体何をやっているんですか?」
「えっ?リディアずっと理解してないまま応援してたのか?」
「はい、能力使わないで走ったり飛んだりして何やってるのかなぁって。地球ではこういう遊びが流行っているんですか?」
由衣が大会に出場するからってことでリディアも連れてきたが、タルーヴァにこういう文化がなければ何をやっているのかわからないのも無理はない。
「地球の人間は順位を決めるのが好きだからな。ああやって競争して誰が一位か決めてんだよ」
「あっこれ競争だったんですか!だから遅い人があんな悔しがっていたんですね」
「リディアのそのスクールではやらないのか?体育祭とかインターハイとか」
「あんまり競争とかってやらないですねぇ。だってみんな違う能力持っているんでどうしても優劣がついてしまいますし」
やはりそういうものなんだな。徒競走したってリディアが瞬間移動使えば一位確定だし。
「でもわたし、この光景が新鮮で好きですね。何だか皆さんとっても笑顔が輝いているんですもん!」
正直俺はあまり運動が得意な方ではなく、スポーツでの達成感をあまり味わったことがない。せいぜい秋の体育祭でクラス優勝したときぐらいだろうか。
「輝いてる、か。ホントリディアはいい目してるな」
すると、由衣のところに一人の女の子が駆け寄ってきた。
「センパ~イ!さっきの走り見てましたよっ!すっっごいかっこよかったです!!」
「ありがと朱里。ふっふ~ん、わたしもまだまだ衰えていないわね」
「そうですよぉ!また一緒に陸上やりましょうよぉ」
「う~ん、それはちょっとできないかなぁ……。バイトとかで忙しいし」
「ミコトさん、あの人は?」
「ああ、由衣の一年後輩の田村だ。中学からずっとアイツに憧れて同じ高校入ったんだけど、肝心の由衣が部活に入ってなくて、こうしてたまに部活に誘ってるんだよ」
「へえ~、由衣さんに憧れる人っているんですねえ」
「お前さらっと毒言うな……」
そんな俺たちの会話に気づいたのか、朱里がこちらに視線を向ける。
「ねえねえ由衣センパ~イ、進藤先輩のとなり誰ですか。あんなにいちゃいちゃして、もしかして彼女さんですかぁ?」
と、むすっとした表情で由衣に問いかける。
「あ~~……あの子はそう、アイツの親戚!この夏休みこっちに遊びに来てるの!」
「センパイ、嘘つくの相変わらず下手ですよぉ?嘘つくとき大概目を逸らしてるのわたし知ってるんですから」
「ほ、ホントだって……。アイツがそう言ってるんだから」
「ふ~ん、進藤先輩がそう言ってるんならそうなんでしょうねぇ。でも親戚でこんないちゃいちゃしてますかぁ?」
朱里の指摘に「うっ」と言葉が詰まる。端から見ればミコトとリディアはたまたま観に来たカップルだ。
「ほらほらぁ、ぼやぼやしてるとあのかわいい子に進藤先輩取られちゃいますよぉ?いいんですかぁ?ねぇねぇセンパ~イ」
と、朱里はからかうように肘でクイクイと小突く。
「そ、そんなんじゃないからっ!」
由衣は耐えきれずその場から逃げるように走っていった。
「あっ!待ってくださいよ~!由衣センパ~イ!?」
朱里も慌てて由衣を追いかけていく。一瞬ギロッと俺たちを睨みつけながら……。
「どうしたんでしょうね由衣さん。急にどこか行っちゃいましたけど……」
「知~らね。まったく、まだアイツ俺のこと……」
朱里のことは俺も中学の頃から知っていた。由衣が部活を終えて着替え終えるのを待っている間によく話していて、それなりに仲は良かった。だが彼女が高校に入り由衣が陸上部に入っていないことを知ると、たちまち俺への態度が急変した。きっと俺が誑かしたと思い込んでいるのだろう。由衣も否定はしていたが聞いてくれなかったらしい。
まして今この状況、俺が新しい彼女を由衣に見せつけに来たと思われても仕方ない。
「まったく、どうしたもんかねえ……」
次に由衣が出る競技まで時間があるので俺は屋内にある自販機に行き、飲み物を買おうとしていた。
「え~っとサイダーサイダーっと……」
と、俺がペットボトルのサイダーのボタンに触れようとした時、
ピッ。
俺より先に朱里がスポーツドリンクのボタンを押したのである。
「あってめっ!?」
「ゴチになりまーす!相変わらず進藤先輩ってにっぶいですよねぇ」
「……ったく、何しに来たんだよ」
「それはこっちの台詞です。どういうつもりですか、由衣先輩がいながら新しい彼女見せつけるなんて。先輩のタイムが落ちたらどう責任取ってくれるんですかぁ!?」
いやむしろリディア来てくれて士気上がってんだけど……。
「あ、アイツは彼女じゃねえよ。夏休みこっちに来てる遠い親戚だ」
「あなたも由衣先輩とおんなじことを……。だったら何でそんなにイチャイチャしてたんですかぁ!ずっと見てましたよ!あの子がやけに進藤先輩に引っ付いていたとこぉ!」
ああ、多分「ミコトさん!あの棒投げてるの何ですか!?」と色んな競技を質問してたときのことだろう。ずっとグイグイに質問してたからな……。
「あれは物珍しかったから色々聞いてきたんだよ。こっちのことあんまり知らないから」
「陸上競技ぐらい世界共通じゃないですかぁ……」
うっ、そうだ。宇宙にはないけど世界じゃどこでもやってることだった……。
「そんなことどうでもいいです。先輩は由衣先輩のことどう思っているんですか?この期に及んでわからないとか言わないですよねぇ」
朱里の圧がすごい……。
「お、俺がどう考えようとお前には関係ないだろ。俺たちだって色々あるんだから」
「そんなあやふやなこと言ってわたしが納得すると思います?」
コイツの由衣に対する気持ちがどれだけ強いか痛いほど知っている。だからこんな返答など何の意味もないのだ。
「じゃあお前は俺に早く付き合えって言いたいのか?」
「そうです。わたしは由衣先輩に幸せになってもらいたい。そのためなら何でもするつもりです」
ホントはっきり言うな……。
「由衣はそうしてほしいって言ってんのかよ」
「直接的には聞いてません。けど進藤先輩に対する気持ちはずっと変わっていないんです。わたしは由衣先輩から陸上を奪ったあなたが嫌いです。でも由衣先輩がそれで幸せなら全力で支えてあげたい。例えどんな手を使ってでも」
「勝手なこと言うなよ……」
「勝手させてもらいますから!」
朱里は言い放ってその場を後にした。
「俺がアイツから陸上を奪った……か」
そう思われているとわかってはいたけどやはり突き刺さるものがある……。俺のせいで由衣の自由を奪ってしまったんじゃないかって。
それでもアイツが好きでやってることぐらい知っているけど、な……。




