第一話1
窓から入る夕暮れの赤い色、小さく響いては消えるひぐらしの鳴き声に気づくと、俺はゆっくりと瞼を開いた。
俺はいつの間にか自分の部屋のベッドの上に寝かされていた。いつもの木目の天井、フィットした柔らかさのベッド、少し眩しい窓からの夕陽。いつもの俺の部屋の光景だ。
夢……だったのか?
そりゃそうだよな、俺にそんなマンガみたいな展開が起こるわけがない。ましてあんな天然で純粋な眼差しで「わたしこの星侵略しに来ました」って暴露する宇宙人が俺にキスするわけがない。
「はぁ、できたらもっと踏み込めば良かったな。でも確か俺、裏山で草むしりしてたような……」
そうだ、俺は親父に拉致られて裏山の祠で掃除をさせられて……。ま、どうせ熱中症かなんかになって倒れたんだろう。その割には身体の調子はいいけど。
「さてっと、おかげでサボることもできたしそろそろ起き……」
「あ、目が覚めたんですね!良かった~」
…………。
上体を起こすと俺の傍らにちょこんと可愛らしい女の子が座っていた。
えっ?
「ぎぃやああああああああ!?」
えらい勢いで飛び起き、そのままゴンっと壁に頭をぶつけてしまった。
「~~~~っ!?」
「あの、大丈夫ですか?」
待て待て待て!!なんで俺の部屋にあの宇宙人がいるんだよ!?まだ夢の中……いや、夢じゃないのはもう実証されてる。一体、俺が寝てる間に何があったんだよ!!……て、そうだ。俺が泊まればって言ってたんだっけ。
「すまん、ちょっとこんがらがってるだけ」
と、そばに濡れたタオルが置いてあったのが目に入った。
「これ……」
「あ、お父様に頼まれたんです。ミコトをよろしくって」
よろしく、ねぇ。まさか、侵略者に看病されてるなんてな……。
「てぇ!何でお前いきなりキ……キスしたんだよ!?つうか、あん時何しやがった!!」
そうだった!あの時コイツがいきなりキスして、そっから記憶が完全に……。
「それはえっと、なんと言えば、そう!エナジーみたいなのを吸収させてもらいました!」
は?エナジー?どういう意味……。
「わたしたち種族は口づけすることによってそのエナジーを吸収する事が出来るんです。それで先ほどミコトさんの身体を調べたとき、この星の生命体にはわたしたちにない力、つまりエナジーが秘めてあるってわかったんです」
あの時そんなことまで調べていたのか。
「でもそれを吸収するとどうな……まさか!超能力の源となって世界を壊滅させるとか……」
「いえ、お腹いっぱいになって元気になるだけですよ。エナジーは言わば高級食材みたいなものです」
「こ、高級食材……」
つまりなんだ、俺のファーストキスは恋愛目的ではなく美味しいからキスしたと?
「実は、あの時わたしすごいお腹空いてたんです。食べ物も底を尽きそうだったので……」
と、もじもじしながらリディアは呟く。くそっ、こんな動作ですらかわいい……、じゃない!仮にもコイツは地球を侵略しに来た宇宙人なんだぞ!
「もしかして、それを目的に侵略しに来た訳じゃないだろうな。俺たち人間を家畜として捕らえて、それで使えなくなったら捨てていく……」
「そ、そんなこと絶対にしません!!」
急に立ち上がり叫んだのでつい面食らってしまった。そしてふと我に返った彼女はへなへなと座り込んだ。
「すみません、ちょっと興奮しちゃって。でもこの星に来たのも、この星の人がそういう特性だということも初めて知ったんです。それにこんなに優しくしてもらった人たちを奴隷にだなんて……」
こいつは本当に優しい娘だ。虫すら殺せなさそうなほど優しくて、それでも……。
「わかった、お前のこと信じるよ。まっ、侵略のことベラベラ喋ってんだし今更何を疑えっつうんだよ」
「あの、それって褒めてないように聞こえるんですが……」
「おい、話は済んだか?」
ふとドアの方に振り返ると、似合わないエプロン姿の親父が溜息混じりに立っていた。
「お、親父!?あ、あの……これはっ!?」
そうだ、まだ親父にも事情を説明してなかった!?……て、何をどう説明しろって言うんだ。宇宙人ですって言うのか?それとも彼女だ……って無理すぎるっ!?
「ほら、夕飯準備出来たから早く降りてこい」
と、俺の焦りを余所に親父はそれだけ言うとすぐに下に降りてしまった。
「え、なんで?」
疑問を感じつつ下に降りリビングに入ると、親父がテーブルに夕飯を並べていた。よく見ると茶碗が一人分多い。
「ほら、何そこで突っ立ってんだ?早く座れ。えっとリディアちゃんだっけ?夕飯食べるでしょ?」
と、いつも使っていないイスを動かしリディアに座るように促した。
「え、あっはい!」と彼女も少し慌てながらちょこんとその席に着く。
俺はと言うと呆然としたまま状況を飲み込めず流れるままに席に着いた。
そして普通に「いただきます」をし、普通に親父と話している……。
「な、なぁ。なんで親父普通に馴染んでんだ?」
「何言ってんだ、お前が熱中症で倒れていたのをこの娘が担いできてくれたんだぞ。命の恩人にもてなしするぐらい当たり前だろう」
どうやらあのキスの件は熱中症ということになっているらしい。……ん?何か引っかかる単語があったような?
「今『担いで』って言ったよな?」
「え?ああ、彼女中々力持ちなんだな。あんな華奢な腕でお前を持ち上げてきたんだから、初めはたまげちまったよ」
と、親父は笑い話のように話す。
確かに彼女はか弱いぐらい腕が細い。それで平均的な高校生体重の俺の身体を持ち上げたというのか……?
「そんなことないですよ~。この惑星は重力が比較的軽いんで簡単に持ち上げられるんで」
「惑星?」
「なああああああ!?こ、コイツちょっと天然なとこがあるんだよ!親父はそんな気にしなくていいから!」
と、咄嗟のことに必死に釈明しようとする。
「そ、そうか」
「あのさ親父、急なお願いで悪いんだけど、その、リディアをここに泊めてくれないか?コイツ、住むとこないまま日本に来ちゃってあの山にさまよってたらしいんだよ。なんて言うか、放っておけなくてさ。怪しいヤツじゃないのは俺が保証する。だから、お願いだよ!」
唐突ではあったが泊まらせる件を打ち明けた。いきなり現れた女の子を泊まらせるなんて普通じゃ通るわけないだろうが、それでも賭けてみるしかなかった。もしかしたら世界が破滅してしまうかもしれないという不安要素を、コイツは軽々と持っているのだから。
「構わんが?」
えっ?
耳を疑った。今まで簡単なことじゃイエスを出さなかった親父が、あっさりとオッケーを出したことに。
「い、いいのかよ!?まだろくに説明もしてないのに!」
「いいもなにも、この子はお前を助けてくれたんだ。困ってるなら断る理由なんてないだろ?」
「それはそうだけど……」
「それにこの子、リディアちゃんだっけ?生まれてから親御さんの顔をまだ見たことないらしいしな。仮にもここは神の場所だ。事情までは聞かないが相当苦労しているらしい」
それは初めて聞く話だ。多分俺が眠っているとき話していたんだろう。ふとリディアに視線を向けると、少し陰りを漂わせる笑顔を俺に向けた。
なんだよ、そんなの卑怯じゃないか。
「しかし、こうして見るとリディアちゃんは中々の美人だよな。この際ミコトの彼女にならないか?」
「ぶふぉ!?」
「ななななななな!?なにを言ってるんですか!!まだ交わることすらやってないんですよ!」
いきなりCまで飛んじゃったよ!?
「ちょっと待て!ご、誤解すんな!?俺らはまだそんな間柄じゃなくて、キスしたぐらいで……」
「ほう?もうキスまで」
「にゃああああ!?」
自ら掘った墓穴に頭を抱えながら食事を終わらせ、俺はリディアの寝床に案内することにした。
「ああああ、結局何か勘違いされてる……」
「ごめんなさい、わたしが余計なこと言ったばっかりに」
「いや、リディアのせいじゃないよ。それに、本当に付き合えたらなぁ~って……」
「えっ?何か言いました?」
「何でもないよ!ほらっ、この部屋だよ」
着いたのは今は誰も使っていない部屋だった。別に物置部屋ではなく、中にはベッドも机もタンスもある部屋、
「ここって……」
「死んだ母さんの部屋だよ。使わないで放っとくより誰かに使ってもらったほうが嬉しいだろ」
そう、この部屋は俺が小さい頃に死んだ母さんの部屋だ。夕飯の時リディアが座っていたあのイスも、元は母さんが座っていたイスだったのだ。
「お母様の……」
と、そばに置いてあった母さんの写真にそっとふれる。
生まれてまだ両親を見ていない……。あっちの習わしに首をつっこむつもりはないが、それはあまりにも苦ではないだろうか。
聞こうと思ったけど、今は抑えることを選んだ。じきにわかるだろうと思いながら。
「なぁ~にしんみりした顔してんだよ、俺はそんな気にしてないから。じゃあ俺は」
「ミコトさんっ!」
部屋を出る手前でリディアが呼び止める。
「あ、あの……本当にありがとうございます!わたし、この課題を成功させてこの星を侵略させてみせますから!」
と、いきなり俺の足に飛びつき、哀願するようなポーズで目をキラキラしながら訴えた。これが多分彼女らの感謝の表し方なんだろう。
ふう、まったく。
「断る」
「えーーーーーーー!?」
なんて、突然加速した夏休みの一日目はこうして幕を閉じた。
そうそう、あの後部屋のそばを歩いてたら「えっ!現地住民にバラしちゃダメだったの!?」と驚いた声が響いていた。
「目標確認、どうやらあの少年で間違いないようですね」
山の上にある今は廃墟になっている遊園地、その中で一番高台にある観覧車のてっぺんで一人の少女がガラスの筒で何かを覗いていた。
白を基調としたエプロンと黒の服を合わせたメイド服、頭にはお決まりのヒラヒラのカチューシャ、腰ぐらいまである長い黒髪をポニーテールにしてまとめていて、ゴスロリ系よりは落ち着いた服装のメイドだ。
だがその腰には不釣り合いな細剣があり、ただのメイドではないことを漂わせていた。
「しばし様子を見ておくべき、か」
と、小さく呟くとガラスの筒を仕舞い、飛び降りるとそのまま暗闇に消えた。