1.ピエロに遭遇
「うん、この辺りが丁度よさそう」
フュノは少し空を旋回した後、ゼロンの城から少し離れた森に降り立った。
姉達には「銀竜を倒してこい」なんて言われたけれども。ゼロンと戦って勝てる見込みはないし、そもそも戦うつもりがない。
城に潜り込んで私物を盗んで、あわよくば残り香を嗅ぐことこそが最優先事項。
(上手くいくかわからないけど。
……まずはここを拠点にして、しばらく様子を探ってみよう)
隠密行動をするには、今の青い竜の姿は大きくて非常に目立つ。
フュノは竜の中で小さい方ではあるが、背筋を伸ばすと森から頭がはみ出てしまうサイズ感ではある。
フュノはふっと息を吐いて、その姿を変えるようイメージする。姿はウサギでもネコでも何でもいいが、道具も使えて何かと動きやすい人型がベストだろう。
「よし。こんなもんかな」
変形した自分の手足を見て、人型になったことを確認する。
体を慣らすように、軽くクルリと回ってみる。先の戦いの最中に、北方で見かけた民族衣装を模したスカートがふわりと舞う。
イメージ次第でどんな生物にも変身できるが、毛と瞳の色までは変えられない。フュノは、青い髪の毛を、邪魔にならないよう一つに束ねた。
「まずは、落ち着ける場所が必要だわ」
『狭間の大地』の天気は荒れやすい。空がまだ明るい間に雨風をしのげる寝床を作っておきたい。
フュノは目の前の大木を無造作に片手で掴むと、軽々とそれを引き抜いた。まるで雑草を抜くように、ヒョイヒョイと周辺の木を次々抜いていく。
青竜フュノは、聖竜の中では一番弱い。
でもそれは、『竜にしては弱い』というだけで、そもそも竜自体は、生物の頂点に君臨する強靭な存在。
もちろんフュノだって、『竜として最低限の力』は持っている。
順調に木を抜いて、森の中にぽっかりと広場ができたところで、フュノのおなかが「ぐぅ」と鳴った。
「慌てて『狭間の大地』に来たから、今朝から何も食べてないのよね」
きょろきょろと辺りを見渡すが、食材になるものは見当たらない。
まだこの周りがどうなっているのかわからない状態では、迂闊に森へ入ることは控えておきたい。
仕方なく、フュノは目の前の木の皮を剥いで口にする。
雑食性の竜は顎の力も強い。味付けされた肉や野菜の方がもちろん良いが、木の皮でも難なく食べることはできる。
木の皮が美味しいかどうかは別だけれども。泥がついた雑草よりは断然マシだ。
木の皮をゴリゴリと咀嚼しつつ、ゼロンの城がある方向を見つめる。
鬱蒼とした森の先に、その城の一部を確認できる。
「あぁ、ゼロン様があんな近くに……」
少しでも距離が近づいたことが嬉しくて、顔がニヤけてしまう。
風に乗って、ゼロンの匂いが飛んできちゃうかもしれない。なんて、妄想しただけで鼻血が流れる。
どうせ誰も知り合いはいないし、後で水場を見つけた時に、顔も身体も洗えばいいか。そういえば先の戦いから、ずっとお風呂にも入れていない。
乙女は誰かといると恥じらう事もできるが、一人になると心は強くなる。鼻血は一旦放置して、お腹を満たすためにひたすら木の皮をゴリゴリ咀嚼する。
――と。突然、背後から「ガサリ」と草を踏む音がした。
「……何っ?」
驚いたフュノが慌てて振り向いて――そのまま、恐怖に固まり言葉を失う。
……そこには、ピエロのような『何か』がいた。
紫を基調としたその姿は、胴も手足もひょろりと長く。能面のようなペットりとした顔は、それが仮面なのか本物の顔なのかもわからない。
ただ、その口は赤く。「ニィ」と嗤い、フュノを、ただ、じっと見つめていた。
その奇妙な姿に、思わず、フュノの全身が泡立つ。
「……ひ」
フュノが、その恐怖に我慢できず、叫ぼうと口を開けた瞬間――。
「ィイャァーッ!」
――薄暗い森の中。焦点が定まらない瞳で笑みを浮かべ、木の皮を頬張る、顔が血まみれの青髪の女。
この世のものとは思えない、おぞましい化け物を見てしまった紫のピエロが、本能に従って、全身全霊の力で叫び声をあげた。
……数分後。
紫のピエロがこれ以上怖がらないように、鼻栓をして顔を綺麗に拭ったフュノは、体育すわりでスンスンと涙を流すピエロの背中を摩り、なだめていた。
(そろそろ、鼻血も止まったかしら……)
最初はフュノの目に、奇妙に映っていたピエロだったが。見慣れると、そこまで恐ろしいものでもない。そもそも、ここまで女々しく泣きじゃくるピエロは怖くない。
ピエロは少し落ち着きを取りもどすと、ぐすぐす鼻を啜り語り始める。
「さっき、何か青いモノが空から降って来たのよォ。
……ぐす……気のせいかもしれないけど、無視はできないじゃなィ?」
フュノは目を見開いて、ピエロを見た。
驚いた。『青いモノ』とは、きっとフュノの事だろう。
結構スピードを出して降りてきたので、誰かに見つかっているとは思いもしなかった。この『青竜を探せ』が得意そうなオネェ口調のピエロ、只者ではないかもしれない。
「ほら。アタシ、ゼロン様に、ココ任されているからァ……ぐす。
……アタシ、虫嫌いだから、本当にこんなトコまで来たくなかったのにィ……」
(――んん?)
フュノがピクリと反応し、背中を摩っていた手を止める。
今、このピエロ。『ゼロン様』とか言った気がする。
「ぐす……そうしたら、化け物みたいなアンタが……もぅ、最悪だわァ」
恐怖の青髪の女を思い出したのか、ピエロは手で顔を覆うと、わっと泣き出した。
だが、もはやピエロの嘆きはフュノの脳に到達しない。
(ゼロン様?『ゼロン様に任されている』?
……今、確かにそう言ったわ)
なんだか少し変なピエロだし、言っている事が本当なのかどうかは甚だ怪しい。……が、このピエロからは、ゼロンに似た匂いがするのも確か。
このピエロにお願いしたら、ゼロンに会う事ができるかもしれない。
まさかこんなに早く、ゼロンへの道が見つかるとは思わなかった。焦る心を落ち着かせつつ、フュノが尋ねる。
「ピ、ピエロさん。ゼロン様と、知り合いなの?」
「――ヤダっ!?」
フュノの言葉に、瞬間でピエロは顔色を変える。ピエロは、フュノから距離を取るように後ろへと飛び退いた。
その能面のような顔に、警戒の色が宿る。
「やだ、アンタ。この国の住人じゃないわねェ?
ゼロン様の腹心である、アタシを知らないなんて……!」
(ぶっ!ふっ、腹心……っ!?)
その言葉に、フュノが吹き出す。
こんな所でゼロンの知り合い……しかも、自称でも腹心に遭遇できた事は奇跡。大興奮中のフュノは、警戒を深めるピエロの異変にも気が付かない。
興奮のあまり、鼻血もぶり返してくる。
(ゼロン様の知り合いに会えるなんて!?……なんて、ラッキーなの!
しかも、ゼロン様に近そうな『腹心』とか言えちゃう立場、とことん羨ましいわ!羨ましすぎるわっ!
このピエロさんの仲間に……いいえ。わたしも、腹心になりたい!その腹心とやらに、絶対なろう!)
フュノは脳内で絶賛お喋り中なのだが、それは一切、声には出ていない。
ピエロ視点で見ると、質問に対して無言を貫き、真顔で鼻血を流すだけのフュノ。ピエロは、そこに敵意があると判断する。
この国の民であれば、ゼロンのことも自分のことも、知らない者などいないはず。
つまり、この青髪の女は、国外の存在。それはゼロンの敵である可能性が高い。
警戒を深めるピエロとは真逆に、フュノの興奮も止まらない。
(くぅぅ、そもそもゼロン様の腹心になるには一体どうすればいいの……。
ゼロン様を慕う気持ちの大きさなら、こんなオネェっぽいピエロなんかに絶対負けないのにっ!)
ピエロが、周囲の様子をチラリと伺う。
最初の姿が衝撃的で、あまり意識はできていなかったが。辺り一帯、木が無造作に抜かれて散らばっている。何があったのかはわからないが……この女の仕業に間違いないだろう。
「……アンタ、一体何者なの」
(いや待って。わたしの気持ちがオネェピエロに負けていないってことは、むしろ、わたしの方が腹心と言っても差し支えないんじゃないかしら?
だって、わたしの気持ちが勝っているという事だもの。このピエロだって、もしかすると勝手に『腹心』を名乗っているだけかもしれないわ。
そうか、わたしだって。もう腹心を名乗ってしまってもいいんだわ!)
そうして、フュノの思考は、巡り巡って、一つの境地にたどり着く。
フュノは深く息を吐いてピエロの瞳を見つめると、静かに頷いた。
『一体何者なの』
そのピエロの質問に、答えてやろうではないか。
(わたしも腹心なら、このオネェピエロは同僚ってことね)
フュノはピエロを一方的に仲間と判断し、すっと手を差し出して握手を求める。
「わたしも、あなたと同じ。……ゼロン様の腹心よ」
「……いや……ェっ!?」
ちょっと……いや、かなり。これはヤバイものに会ってしまったかもしれない。
ピエロは心の中で、フュノにドン引きした。