お見舞い
十月中旬、文化祭も終わりすっかり肌寒くなった。
僕が学校に行く支度を済ませて朝ご飯を食べていると、スマホがピロンと鳴った。
LINEでメッセージが送られた事を知らせるその音に僕はすかさずスマホの画面を確認した。
僕のLINEが鳴るのはりきからのメッセージだけだ。
他の人は通知を切ってある。
別に深い意味はないけど、スマホ通知で集中力が途切れるのが嫌で、夜と朝にまとめて返信している。
でも、りきは好きな人だから特別。
それだけ。
僕はメッセージの内容に思わず朝ご飯の咀嚼を止めて、ごくんとそのまま飲み込んだ。
「風邪みたいだから今日は休む」
どうやら、りきは体調不良で学校を休むようだ。
「大丈夫なの?」
僕はすぐに返信をする。
「ちょっとお行儀悪いわよ。」
「ごめんママ、急用なの。りきが風邪だって!」
あらあらとママは心配そうにしている。
「そんなにひどくないし、寝てたら治るよ」
「そっか。お大事にね。」
僕の返信にりきは変なキャラクターが親指を立てたスタンプを送ってきた。
「酷くないから平気だって。」
「そう、良かったわ。」
ママにLINEの内容を伝えて、僕は朝食を再開した。
今日は休みの連絡だけでなく、理由も教えてくれて少し安心した。
学校が終わったらお見舞いに行こう。
一人で登校して教室に入ると、既に佐藤さんが席に座っていた。
「おはよう、佐藤さん。」
「おはようございます。」
佐藤さんと挨拶を交わす。
りきがいないことに反応しない所を見ると、佐藤さんにも連絡が行っているのかもしれない。
そんな事を考えて佐藤さんを見ていると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「あ、りきは今日——」
「ああ、私も聞いてます。」
「そっか……うん。ならいいんだ。うんうん。」
一緒に登校しない佐藤さんにも伝えるんだとモヤっとした自分に気がついて、それを誤魔化すように頷いて自分の席に着いた。
ホームルームが終わり、放課後になると僕は急いで教室を飛び出そうとする。
「園田さん。」
佐藤さんに呼び止められた。
「お見舞い、行くんですよね?」
「う、うん。」
「私も行きます。」
「え、あ、いいけど……えーっと、大丈夫なの?車とか。」
「少しぐらいなら平気です。」
「そっか。うん。じゃあ一緒に行こっか。」
近くのスーパーでスポーツドリンクと果物を買った。
そうして、佐藤と二人でりきの家へ歩いて行く最中、彼女は電話で車をりきの家に迎えにくるように言いつけていた。
佐藤さんと彼女の「家」の人がりきの家を知ってることに再びモヤモヤとする。
りきの家に着くと若い女性が出迎えてくれた。
りきの父親の再婚相手だ。
彼女と軽い挨拶を交わすと、僕たちはりきの部屋へ向かった。
ドアを優しくノックすると、りきは気だるそうな返事をした。
「りきー!お見舞いにきたよ!」
「はぁ!」
りきの叫び声が聞こえると、少しドタドタと音がした後に、静かにドアが開いた。
ドアの隙間から上下グレーのスウェットで寝癖頭に冷えピタを貼ったりきが姿を覗かせる。
「来るなら連絡してくれても良かったのに……」
「あ!ごめん。」
慌てていたのと佐藤さんに気を取られて忘れていた。
それにしても、風邪で弱っているのか、いつもよりも弱気なりきがかわいい。
「アンタも来たんだ。」
僕の後ろに立つ佐藤さんを見てりきはそう言った。
「悪い?」
「そんなこと言ってないでしょ。」
「冗談だから、その……ごめんなさい。本当に体調悪そうね。」
佐藤さんは少しシュンとした顔をする。
こんな顔するんだ。
「ちょっと熱っぽいだけ。寒いからとりあえず中入って。」
そう言ってりきはすぐに布団に潜り込んだ。
それに続いて僕たちも部屋へ入る。
「適当に座って。」
りきの部屋に入ったのはすごく久しぶりな気がする。
ものすごく片付いてるわけじゃないけど、それがなんだかドキドキする。
今日はずっとここにいようかな。
「そうだ、りき。僕、果物とジュース買って来たから切ってくる!」
「ありがとう。」
僕は袋を持って部屋を出る。
ドアを閉めようとした時、僕は自分の手に持ったスポーツドリンクと果物の入った袋に目を落とす。
果物を切ってお皿とかお盆に乗せたら、きっと両手が塞がっちゃうな。
この重さだと僕の力だと片手で持てなさそうだし、少しドアを開けておこう。
僕は階段を降りて、キッチンへ向かう。
リビングに入ると、りきの父親の再婚相手の女性がいた。
えーっと、名前は確か……空さん。
「キッチン借りていいですか?果物切りたくて……」
「もちろん。ちょっと待っててね。」
そう言ってまな板やナイフを準備してくれる。
とても優しそうな人だけど、りきの様子だとあんまりうまくいってないんだろうな。
「ありがとうございます。」
りんごを袋から取り出して軽く洗い、切り始める。
しかし、りんごを4等分した所で手が止まる。
そういえば、この後ってどうするんだろう?
いつも家事なんて手伝ってこなかったから、慣れてなくて分からない。
確か8等分ぐらいになってたような。
「こうすると簡単よ。」
空さんがりんごとナイフを持つ僕の手を優しく押さえて、りんごを切る。
まるでお母さんのようだと思った。
その後も空さんに手伝ってもらいながらりんごを切った。
「うわぁ、ちゃんとうさぎになった。ありがとうございます。」
「こちらこそありがとう。」
「何がですか?」
「りきちゃんって、学校で友達とかいるのかなって思ってたから。少し安心したの。お見舞いに来てくれてありがとう。」
「まあ、僕は幼馴染ですしね。」
「そうだったの。ごめんなさい。私、本当にりきちゃんの事、何も知らないんだわ。」
空さんは自嘲なのか、悲しそうに微笑んだ。
「あ、いや、はは……」
僕は愛想笑いをするしかなかった。
「変な事言ってごめんね。気にしないで。」
その後、空さんとオレンジも切った。
切った果物を盛り付けたお皿とスポーツドリンクとそれを注いだコップをお盆に乗せて、僕はそれをこぼさないようにそーっと階段を上る。
りきの部屋の前まで着くが、部屋の中がやけに静かだ。
僕は両手が塞がったままドアを開けられるように、部屋を出るときにドアを完全に閉めずに作った隙間から部屋の中を覗いた。
キスをしていた。
ベッドで寝ているりきに、佐藤さんが膝をついてキスをしている。
しばらくキスを続けたあと、りきは口元を拭って佐藤さんに何か言っている。
しかし、佐藤さんは再びりきに顔を近づけて口を開いた。
「ねーねー!ドア開けてー!」
僕は咄嗟に叫んだ。
そして急いでドアの前に移動する。
すると涼しい顔をした佐藤さんがドアを開ける。
「あっ……」
「どうかしました?」
「ううん。」
僕は部屋に入り、机の上にお盆を置いた。
「ごめんねりき、果物切るのに手間取っちゃった。」
「いや、ありがとう。嬉しいよ。」
りきは優しく微笑む。
りきまでいつも通りの顔するんだ。
「ごめん、僕この後予備校なんだ。もう帰るね。」
「あ、そうだよね。忙しいのにごめん。」
「ううん、大丈夫。お大事にね、りき。」
僕は部屋を飛び出した。
僕は家に帰って自分の部屋のベッドに飛び込んだ。
涙が溢れてきた。
声も抑えられない。
ちゃんと呼吸ができない。
僕は一日中泣いた。
夜ご飯も食べなかった。
落ち着いた頃にはもう朝だった。
僕はぐちゃぐちゃになった枕に顔を埋めて覚悟を決めた。




