浴 -bath time!- 【1126の日小話】
【浩隆と香奈】
帰宅途中に寄ったドラッグストア。女性向け商品の陳列棚の前で名を呼ばれる。
「ねぇ、ヒロ」
「なんだい?」
「マシュマロとミルクプリン、どっちが好き?」
「え?」
「答えて」
その横顔はどこかむつかしい。商品を見つめる眼差しは真剣そのもので、ふざけている様子は一切ない。唐突な質問に、ひそりと眉を寄せつつも、しばしば思案した。
「マシュマロと、プリンねぇ……」
どこか別の場所で買って行こうとでも考えているのか。そうだなぁ……今日は少々スケジュールがきつかったし、より甘いものを食べたい気分だ。途端、ふるっふるの外観が思い起こされて、即座に答えた。
「プリンかな」
「……ミルクプリン、ね?」
「うん」
頷くと、彼女がすぐさま動いた。小さな袋に入った何かを手に取るなり身を翻す。
「レジに行ってくる」
「あ、うん」
ろくにこちらの顔も見ずに去る背中を送り出す。そうしてなんとなしに陳列棚に視線を移すと、今更ながら店員のお手製らしいPOPが目についた。
「マシュマロ肌?」
美白と保湿に重きを置いているらしい、入浴剤の売り文句。なるほどなぁ、とその比喩に関心しつつ視線をスライドして。
「ミルクプリンのような……」
成分表と共にアオリ文句の本旨を瞬間的に理解して、思わず顔が赤くなった。
「〜〜〜〜〜っ!」
思わず棚に手をついて、崩れそうになる身体をなんとか持ちこたえる。
「両方、って言うんだった……」
なんて贅沢な後悔だろう。
わざわざ自分に聞いてきた彼女の「仕込み」に陥落する。
役得、ってこういうことを言うんだろうな。
もはや帰宅後のことを想像するだけで、口元がにやけて仕方がなかった。
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【アーツとシリア】
「お湯、ここに置くわね」
言いながら彼女がたらいと手ぬぐいを置いてくれる。
ありがとうと返すと、彼女は「ごゆっくり」と残して部屋を出ていった。
よく温められた浴室。と言っても水の女神の公衆浴場のように、なみなみと湯の張った広い浴槽があるわけではない。湯をたらいで運び入れて、身体を清め拭くことのできる程度の広さ。けれど俺はその空間がことのほか好きだった。
長く使っているうちに染み込んだのだろう薬草の匂い。草蒸してもなお清々しく香るそれは、養父クレードが好んでいた香りだ。養母レティシアの手作りだったという香油。それはいつの間にか自分にも馴染んで、そしてこの時間にあっては欠かせないものとなっている。
「さてと」
早速上着を脱いで上半身裸になる。騎士団の訓練で得た傷はないか、打ち身は残っていないかと、まずは隅々を確認しながら手ぬぐいを湯に浸す。自分ももう17歳、大分背も伸び筋力もついたが、もう少し身体は作り込みたい。
「あとでウィラードに聞いてみよう」
自分よりもやや細身ながら、彼の身体つきには無駄がなく、しっかりとした筋力もある。鍛錬に何か秘訣があるのだろうから、いつか外食と引き換えにそれを教えてもらおう。そういえば、北通りの屋台街に新しい串焼きの店が出来たって言ってたな。
「よし、そこにしよう」
誘い出す口実を得てにんまりし、湯に浸した手ぬぐいを絞ろうと屈んだその時だった。
「アーツ、もしよかったらこれ……」
「えっ?」
突然背後の扉が開いて、シリアが顔を覗かせた。思わず振り返ると、彼女とばっちり目が合った。
「あ……」
それきり言葉をなくしたふうの彼女。その手には小瓶が握られていて。使っていたものは残りが少なくなっていたから作っておいてくれたのだろう。養母のそれと同じ、お手製の香油を。
「ご……っ」
「ご?」
目を見開きガッチリ固まったままの彼女に問い返すと、その顔がみるみるうちに赤く染まった。
「ごごごごめんなさいッ!」
叫ぶなり小瓶をこちらに投げ、急いで扉を閉めると廊下を走り去る。遠ざかる足音がじきに聞こえなくなったところで、俺は手の中に受け取った小瓶を首を傾げつつ見つめた。
「どうしたんだろう……?」
何か、彼女の気に触るようなことをしただろうか?
……まぁ、よくはわからないが、ともあれ使わせてもらおう。
心身共に解れ癒やされる、自分だけのひとときの始まりだ。
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【由梨亜×恭司】
「一度やってみたかったの」
豊饒の香、ワイン風呂。
彼女の白い裸体が赤紫色のドレスを纏う。
花びらのような水滴の張り付いた後ろ姿、そこが濃い艶を帯びたように見え、だから尚更堪えられなくなった。
すぐに手の平に柔肌を捕まえる。
そうして今夜はどこまでも酔おう。
君の甘い声と熱、そしてその色に。
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【ナタリフとキリム(そして幼女)】
「わーい! ぱぱーこっちにおいでー」
まだ年端もいかない少女の声が庭に響く。
「ちょっ……待ちなさいイチ!」
合わせて聞こえてくる、若い男性の必死な声。
「やぁだもーん」
「そんな格好じゃ風邪ひくから……」
「へへーんだ。くやしかったらわたしをつかまえてごらんなさーい」
「どこで覚えたんだ! そんなセリフ!」
「おとなりのおばしゃん〜」
「ベラさん……なんてことを……」
ほとんど遊んでいるようにしか聞こえないやり取りと、ドタバタとあちこちを跳ね回る足音。
まぁた派手にやってるわね。
裏の木戸を開けて庭に入ったキリム・カストゥールは、腰に手を当ててハアァとため息をついた。
ここは幼馴染である魔術師ナタリフの家。先程の若い男の声が彼だ。そしてその彼をいなすもう一人。この家に同居する、彼の妹弟子兼養女のイチゴ。二人が毎晩繰り広げる「入浴後の追いかけっこ」は、もはやこの近所では知らぬものがいないほどの風物詩になってしまっていた。
「おや、キリム」
入ってきた気配に気づいたのか、隣に住む雑貨屋のベラが勝手口から顔をだして片手を上げてきた。
「アンタもご苦労なこったねえ。どうせ毎晩世話してるんだから、いっそここに住みゃあいいのに」
「あのねぇおばさん、あたしはただの幼馴染の誼で、子育てに協力してるだけなのッ」
ぷんと拗ねると同時に、中からまた悲哀が聞こえてくる。
「たのむよ〜イチ〜。お願いだからパパの言うことを聞いてくれよぉ」
「やぁ〜〜だ〜〜」
「ほぉら、今晩もキリムママの出番だよ。気張ってきなー」
ほとんど本気で面白がっている様子で、おばさんがひらひらと手を振って送り出してくれる。やってやろうじゃないの、と気合を入れ、キリムは裏口のドアにずかずかと歩み寄ると手をかけた。
「たのもおおぉぉ! コラああぁ! いつまでそんなことして……る……」
台所につながる裏口。そこから見えた光景に、いつもならすぐさま『捕獲』を始めるはずのキリムは、瞬時に言葉を失って立ち尽くした。
「ぇ……へ……?」
思わずおかしな声が漏れ出す。
「あー! ままだ! ままー!」
にこにことかわいい笑顔を見せて抱きついてきたイチゴは――風呂から上がったそのまま、当然のように素っ裸だ。それだけならまだ日常茶飯事、子どもなのだから許容範囲なのだが。
しかし。
「あっ……え……?」
こちらに気づいたナタリフの、その顔が一瞬にして青ざめる。そうしておもむろに視線を下ろしかかったキリムは、はっと我に返って、湧き上がってきたそのまま声を発した。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁっ!」
「ぎゃぁあって、失礼だなぁキミ!」
「なにしてんのなんでそんなカッコなのなにかきなさいよぎゃぁぁ!」
「しょうがないだろ! 風呂上がりのそのまま逃亡されたんだから!」
「バカっ! ヘンタイっ! なに考えてんの!」
「わーい! ぱぱへんたい!」
「ちょ……そういう言い方はやめなさいイチ! あーこら、逃げるな!」
「やめて動かないでッ! とにかくなんでもいいから早く着てよ!」
「そんなこと言ったって……」
「ちょいと! あのねーぇ、おとなりさーん?」
混乱を極めた現場に、隣の家から至極間延びしたベラの声が割り込んでくる。
「「なんですかっ⁉ 今取り込み中なんですけどッ⁉」」
しっかり呼吸の合った返答に、苦笑しつつ、ベラが続ける。
「痴話喧嘩は仲のいい証拠だろうがね、せめて裏口を閉めてからにしてくれないかい?」
によによと楽しそうなそれに、二人は思わず顔を見合わせ……
「「ぎゃあああァァァッ!」」
今晩二度目の咆哮を上げた。
おまけ。
【雪菜とまこっちゃん】
え? 週末?
そうだなぁ。最近忙しかったし、ゆっくり温泉にでも行きたいな。
そうそう、俺、クルマ運転するのが割と好きでさ。何時間でも運転してられるから、どっか遠出して湯巡りなんていいねぇ。
そういえばヒロのヤツ、この間嫁さんと温泉旅行に行ったって言ってたな。なんかいいことがあったらしくて、土産と一緒にラブラブオーラ振りまいてたけど……温泉に浸かってさ、そのあともずっとしっぽりふたりきりってなりゃ当然そうなるよな。
それでさ、もし何の予定もないんなら、その、ドライブとか……車酔いするからダメ? そっか。それじゃあ仕方ないよな。
電車? 乗り鉄の趣味とかあるの? 違うって?
なら電車でどこに……ああ、あの郊外型の日帰り温泉施設か。俺もまだ行ったことないけど。へー26日って「風呂の日」なの。11月だと「いいふろのひ」? なるほどねー。イベントとかプレゼントとか、結構企画もあるんだね。
……なに? 一人じゃ不安なの?
まぁそうだよね。そういうトコに女の子一人でいると、変なのが絡んできたりしそうだもんなー。そっか……
それなら……俺がガード代わりについてくってのはどう?
いや! 別に他意はないっつーか、変な虫がついても困るっつーか……あ、こっちの話!
実は俺も行ってみたかったし。なんか楽しそうだしさ。
え? いいの? ほんとに? やった!
よーし、そうなれば待ち合わせ場所と時間決めよう!
……ああ、そうだね。ガード料兼迷惑料は俺の自腹ってことで。はいはい、わかってますよ。ご迷惑はおかけしません。
いいですよそれで。
むしろ、喜んで。