第八話:従兄弟とボク
この人から連絡があるときは、頭の中で警告音が鳴る。パトカーや救急車並に大きな音したサイレンが“逃げるが勝ち”という言葉が発しながら、脳裏で喚く。もはや本能といっても過言でない。
「……ビワ、替われって」
心なしか、ミクの声は鬱屈している。
世界征服を豪語してるわけだし、パソコンを使って様々な人脈を操るスーパー園児というイメージが湧きつつあるけれど、れっきとした人間だ。幼稚園に通う、普通からかなり逸脱した五歳児というだけなんだ、妹は。……あれ?フォローになってない?
つまり極論に言ってしまえば、ミクには苦手な人間がいないわけじゃない。
「で、でででで出たくない」
ミクにとっては“口が汚いから苦手”という枠で収まりきるけど、ボクには“条件反射で逃げ出したくなる”ほど苦手なわけでして。
リビングから飛び出す準備は既に整っている。けれども悲惨なことに、ボクの耳はミクが持つ受話器から聞こえる音を捉えてしまった。
「三秒だけ待ってやる。さーん、にぃ〜、い――――」
「ハイ、替わりました!ビワです」
ミクから受話器を引っ手繰って、涙が出そうなほどカラ元気な声を出して答えたボクって、なんて健気……。
「てめぇ、とっとと出りゃいいものを。この俺を待たすんじゃねぇよ、ボケナスが」
う〜わ〜……相変わらずな俺様だよ、この人。
「もう少しでそっち着くかんな。茶菓子用意して待ってろ」
それだけ伝えられ、挨拶もなしに突然電話は切られた。
「なぁ、一体誰からなん?」
今までにないくらい狼狽し、逃走しようとしていたボクの後をとりあえずついていこうとスタンバイしていたネコが、恐る恐るといった様子で見上げてくる。
「従兄弟だよ。父方のだから、戸籍上は親戚でも何でもなくなっちゃったけど……」
「心配で見にきとるってこととちゃうん?」
ネコの一言に思わず鼻で笑ってしまった。随分卑下した表情をしてると自覚の上だけど、あの人がそんな立派なわけがない。付き合いは母親の次に長く、幼馴染のウララや妹であるミクよりも長いんだ。
嘲笑めいた笑い方をするボクがかなり気に食わなかったらしく、踝にネコパンチを食らう。痛くないけど、爪が軽く靴下に引っかかった。
「ごめん」とネコを抱きかかえながら謝り、項から背にかけて毛並みを整える。
「何せあの人ほど“流星戦争”のダークスパイダーのテーマソングが似合う人なんていないからなぁ……」
「何なん?“流星戦争”って」
「海外のSF映画だよ。もう十作以上シリーズになってたと思う。観たことないけど」
「観たことないのに何でテーマソングなんて知っとんや」
「え?CMとかで結構流れてるよ。今度パチンコにもなるってやってたあの曲だよ」
とはいってもパチンコのCMなんて数多く存在する。どれのことか分からないらしく、ネコは小首を傾げている。
「そういえばSFって何の略だっけ?」
「サイエンス・フィクションやろ。科学的な想像に基づいたもんや」
何気にネコは博識だ。
「それより、逃げるなり何なり行動せんでええん?」
「え?……あ!早く逃げないと」
気が付けばミクはとっくに姿を消している。ボクと電話を替わったときに逃げたようだ。
リビングを出て廊下を慌ただしく駆け抜け、スリッパからスニーカーに履き変えて「いざ行かん」とドアノブに手を掛けた、まさにそのときだった。
ピンポーン。
「………」
万事休す。頭の中でダークスパイダーの曲が流れ出す。
ダーンダーンダーンダダダーンダダダーン!
「ビワ、いるんだろ?とっとと鍵開けろ」
「……はい」
恐々と横に倒していた鍵を縦方向に変えれば、即座にドアが開けられる。「オラ、退け」と脇に追いやられ、招かれざる客はボクのスリッパを履いて我が物顔でリビングに直行。慌ててボクも続けば、足を大きく開いて背凭れに腕を投げ出し、寛いだ格好をしながらも顔は顰め面という暴君が待ち構えていた。
ダーンダーンダーンダダダーダダダーン!
曲は未だにボクの頭の中で流れっぱなし。
「おい、茶菓子用意しとけっつっただろうが」
「ただちにブラックコーヒーと最中を用意させていただきます、キュージ様!」
ダーン!ダーダダダダダー……!
……曲を知ってるのはここまで。
背筋をピンと伸ばしてダイニングに駆け込み、湯を沸かしつつお茶請けの準備も整える。
「ビ、ビワ……」
いつになく従順なボクに目を丸くするネコの眼差しがきつい。
「染み付いた下僕根性は中々直らないものなんだよ……」
濃いめのブラックコーヒーがお気に召したらしく、不機嫌だったキュージ様の機嫌はとりあえず持ち直されたらしい。
ネコはボクの膝の上で丸くなり、固唾を呑んでジッとしている。そしてボクはキュージ様に肩を抱かれ、隣に座らされていた。第三者の目からすれば、年の離れた恋人同士が休日を寛いでるように見えるかもしれない。かなり嫌だ。
「その猫どうしたんだ?」
「正月からうちに住むことになったスコティッシュホールド種です」
「悪かったな、大晦日に来れなくて」
いえいえ、有難かったですよ。ものすごーく。
身内に不幸があったらしく、今回の年末年始は初めてキュージ様と関わることのない年を迎えられた。
「お前今年も抜け出したのか?で、またミクとウララに捕まったんだろ」
「今年は大丈夫でしたよ。でもこの子助けるのにずぶ濡れになったんで、潔く家に戻りましたけど。……それに彼氏(仮)と担任まで来てたから、結局は例年どおりの慌ただしさでしたけどね」
「……彼氏?」
ただでさえ低い声が、さらにワンオクターブ下がってリビングの空気を響かせる。それに気のせいと思いたいけど、隣から冷気を感じる……!
「あの、あくまで仮、ですよ?」
本心から認めてるわけじゃないですし。
「どこの馬の骨だ、そいつは?!あぁん?」
鼻と鼻とがくっつきそうなくらい顔を近づけられ、ボクは慄いて後ろに身を引こう躍起になるけれど、キュージ様の手はボクの肩を掴んだままだ。この手を離してもらわなきゃ、逃げようにも逃げられない。
「兄ちゃん、何やねん?!」
豹変したキュージ様にたじろぎながらも、ネコは威嚇するように唸り声を上げる。でも腰が引けてるのが丸分かりだ。無理するな。
とはいえこの状況をどうするか。冷や汗だらだらになりながら「あ〜」とか「うぅ……」ととめどない呻き声を上げつつ意味のない時間稼ぎをしていたら、短気な暴君の怒りは沸点に達したらしい。
「早く言いやがれ!」
「ギャー!」
胸元を揺さぶられ悲鳴を上げたときだった。
「ビワ?!」
「ビワちゃん!」
バンッと派手な音を立ててリビングに突入してきた乱入者が二人――――ショータローとミクだった。
「あ、なぁんだ。キュージさんか。お久しぶりです」
ストレートの黒髪を揺らして微笑むウララに気が殺がれたのか、キュージ様の手が緩んだ。
緊張で筋肉が弛緩したボクは倒れこむようにソファーの肘掛けに沈む。
「大丈夫?」
「ショータロー……どうやってうちに入ってきたの?」
「鍵開いてた」
あ〜……でも、鍵閉めてたら絶対にウララが壊してただろうから、結果オーライか。
「お前か?ビワの彼氏って」
「そうですけど、何か?」
立ち上がったキュージ様がショータローと向かいあう。
中学一年生にしては背の高いショータローだけど、大学生と比べたらかなり身長差がある。運動音痴なショータローは縦にひょろっとしてるけど、スポーツをしてるキュージ様は肩幅もあって屈強という言葉を連想させるような体つきをしている。力の差は歴然だ。
最も、この中で誰が最強かといえば、間違いなくウララなわけだけど。
ジッと睨みあう二人だったが、先に緊迫した空気を破ったのは意外にもキュージ様の方だった。
「お前知ってっか?ビワの一人称が何で“ボク”なのか」
「は?」
ボクとショータローの頭の上に疑問符が飛び交う。ちなみにウララはテーブルの上の最中を食べている。
「えっと、キュージ様。ボクの一人称なんて物心ついたときからで、大した話じゃないんじゃ……」
「あれはビワとウララが出会って間もない頃だったな。ビワを気に入ったウララが「将来ビワちゃんと結婚する」って言い出して、「じゃあウララがお嫁さんだったらあたし、自分のこと“ボク”って言わなきゃいけないね」って……忘れてないよなぁ、ビワ?」
にんまりと意地の悪い笑みを浮かべるキュージ様を茫然と見つめていたけど、次第に当時のことが脳裏に……!
「うっきゃー!」
「結婚は男と女じゃなきゃできないって、俺が教えた次の日だったよなぁ、あれは。さすがは幼稚園児。発想が可愛らしいことで」
悶絶するボクに精神攻撃を仕掛ける、容赦なき従兄弟。ボクがこの人を苦手する大きな理由は、俺様な性格だけじゃなく、この暴露癖にある。本人が忘れている嫌な思い出さえ掘り起こしてくれるのだから、本当に性質が悪い。
「そうそう。だからビワちゃんの正式な恋人はウララなの。ショータロー君じゃなくてね」
ボクの腕にウララのそれが絡まってくるけど、それを避ける考えさえも浮かばないくらいボクは羞恥で身悶えていた。
自分のことで精一杯だったから、ボクは知らなかった。
「所詮子どものときの口約束でしょう」
「お前が正式な恋人じゃないことは、ビワ本人が認めてんぞ」
「正式じゃなくとも、誰よりも恋人としての位置を確立していたのは間違いなく俺ですよ。ウララでもなく……ましてやあなたじゃなく、ね」
「このガキ……!」
火花を散らせる男二人の声を、ネコだけが聞いていた。
「キュージって人の本心、ビワには黙っといた方がええんやろなぁ」
『キュージ』ガ現レタ。
『ウララ』ト『ショータロー』ガ現レタ。
『キュージ』ハ『ビワ』ノ過去ヲ暴露シタ。
『ウララ』ノ機嫌ガ四十上ガッタ。
『ショータロー』ノ機嫌ガ十下ガッタ。
『キュージ』は『ショータロー』ヲ敵ト見ナシタ。




