第六話:クラスメイトとボク
もうすぐ一月も終わろうとしている、とある土曜日のこと。ボクが学校にいる間、普段どんな生活をしているのかネコに訊ねると「自由気ままに町を散歩しとる」らしい。だから気になって、いつも歩いてるという道を案内してもらった。
平坦なコンクリートの上を歩くのは何ら支障なかったけど、塀や屋根の上を歩くとなると、さすがに無理がある。
「でもこっから見える景色は中々のもんやで。二階の窓や学校の校舎から見るんとは、またちゃうし」
気持ち良さそうに背筋を伸ばして垂れた耳を震わす様子に、ボクも好奇心が揺さぶられた。高い場所から風景を見るのは元々好きだし、ウララに付き合わされて木登りやらアスレチックに挑戦させられてたから、凸凹した場所を登るのには慣れている。
……おかげで生傷や青タンが堪えなかったけど。
周囲に人がいないのを確認し、コンクリート塀を蹴ってよじ登る。塀に上がってしまえばすぐ屋根なので、ネコのいる所まで辿り着くのにさほど時間はかからないだろう。
ボクが落ちないか心配そうな表情をつくりながらも、瑪瑙の双眸は爛々と輝いている。面白おかしく状況を観察しているのが丸分かりだ。
塀の天辺を跨ぎ、もうすぐそっちに行くと手を振り上げたときだった。
「コラー!そこで何やっとるー!」
屋根のすぐ下、伸ばした足先が履くスニーカー真ん前の位置でピシャッと窓ガラスが開いたと思えば、即座に怒声が飛んできた。
しまった、家の中に人がいる可能性なんて考えてなかった!
「その靴……。じいちゃん、ちょっと退いて」
顔を真っ赤にしてボクを睨みつけていた老人の脇から現れた人影に目を見開いた。
「スミ君?!」
ネコを抱き上げて足早に道を歩くボクの背後から突き刺さる視線。肩越しにチラッと振り返れば、ニコニコと上機嫌のクラスメイト。
「それにしても咄嗟とはいえ、よう言い訳が思いついたなぁ」
感心した口ぶりのネコに答えようと一度口を開くが、背後にいる男子を忘れちゃいけない。再度振り返ってその距離を確かめれば、およそ一メートル半。
ボク以外の人間にネコの言葉は分からない。ここでボクが普段の大きさの声で返事をすれば、ウララやショータローのように変人カテゴリーに入れられるのは明らか。ボクからすれば、スミ君も充分、奇人変人の域なんだけど。
相手が変人であっても、ボクまで同志という目で見られるなんて冗談じゃない!
「昔からミクやウララや従兄弟あたりが破天荒なこと仕出かして、ボクまで御鉢が回ってくるのはいつものことだったから。言い訳して謝るなんて、もう慣れっこだよ」
ネコの耳に口を近づけて声を落として呟けば、憐憫の眼差しを向けられる。
「嫌な慣れやな……」
全くだ。
咄嗟に思いついた言い訳は「飼ってる猫が屋根の上に登ってしまって、どうやら降りられなくなってしまった」というもの。スミ祖父は渋々という顔付きではあったものの、とりあえず勝手に塀をよじ登ったことを許してくれた。
で、何でスミ君がボクの後をついてくるのかというと、ネコがまた屋根の上なんかに登ったら代わりに自分が捕まえる、と言ってくれちゃったからだ。余計なことに!
ボクと一緒にいれば面白いことが起こりそう、なんて好奇心が九割を占めてるだろうけど、残り一割が親切心だと信じて、後をついてくるのを享受したわけだ。
このまま何も起こらず無事に帰れたらいいけど……。
「あ、ビワちゃ〜ん!」
時、既に遅し。
声と同時に横からハグされた。ギュギュギュギュギュウ〜……なんて擬態語が聞こえてきそうなくらい。
ちなみにメキメキメキメリ、というのは擬態語ではなく、実際にボクとネコの体から鳴っている音。骨と筋肉が悲鳴を上げている。
「し、死ぬ……」
抱いてるボクの腕のさらに上からウララの力が加わってるわけだから、ネコは臨死体験を味わう寸前の状況にあるわけで。
「ウララちゃん。そろそろ離してあげないと、ビワちゃんと猫ちゃん、死んじゃうよ」
「あれ、スミ君いたの?」
「随分前から」
ウララの包容力が弱まり、ボクは四つん這いに、ネコは腹這いになって深呼吸を繰り返した。
弱りながらもどうにか我が家に辿り着いたわけだけど、ウララとスミ君はUターンすることなく家に上がり込み、ボクの自室にいる。
スコティッシュホールド種に興味を持ったらしいスミ君に連行され、ネコも二人と一緒だ。お茶を入れに台所に向かわざるを得なかったボクに、ネコは半泣きで助けを求めていた。とりあえず死にはしないだろうと、そのまま放ってきちゃったけど……。
「今度こそウララに骨折られてたらどうしよう。スミ君だと、マジックで眉間、繋げてそう」
後者ならまだしも、前者は洒落にならない。どちらにしろ、可能性はゼロじゃない。
適当に紅茶を入れて自室に戻れば、二匹と一人……違った、一匹と二人は硬直していた。状況が掴めず、まずはトレイを机の上において六つの視線の中心に目を遣れば――――。
「嘘でしょー!」
思わず両頬に掌を当ててムンクの叫びポーズをとってしまった。だって、だって……!
「一体何がどうしてこうなったわけ?!」
「ええっと……この猫がビワちゃんの家に住み着いてからビワちゃんが構ってくれなくなったって、ウララちゃんが愚痴を言い出したのが切欠で……悪戯心で二人して猫を追っ駆けまわしました」
「そ、それでね、このノートパソコンが開いたままの状態になってるって知らなかったの!」
注目の的となっているパソコンは、それはもう見事なまでに悲惨だった。
液晶パネルとキーボードは引っ掻きキズだらけ。四角い外面だったはずなのに二箇所ほど凹んでて、おまけに弾みで電源が入ったらしく、映った画面は薄暗い。
開いたまま、しかも床に置きっぱなし状態――主にパソコン使ってるのはネコだったから――で外出してたボクにも責任がないとはいえないけど、これはあまりに酷すぎる。
このパソコンを使ってるのはボクとネコだけじゃない。主にデータを残しているのはミクだ。
「ミクにばれたらきっと、ただじゃ済まない……」
ポツリと呟いたボクの一言で、ウララとスミ君は顔面蒼白。
ミクが流暢にキーボードを打ってる姿を、二人も何度か見てる。だからそこらへんの幼稚園児と一緒にしちゃいけないのは、本能で承知しているわけだ。
「と、とりあえず見た目だけでも誤魔化そう!キズは灰色の絵の具使えば何とかなるかも!凹んだ所も、反対側から叩けば元に戻るかもしれないし!」
スミ君の言葉に急き立てられ、ボクはたまたま部屋にあった灰色の絵の具でキーボードを塗りたぐり、ウララも力量を調節しつつ反対側を叩いていた。とにかくもう、ボク達は必死だった。
そして五分後、こんなことをすればより一層事態が悪化するだけだと思い知る。キーボードはキズどころか元々プリンティングされてた文字まで灰色一色に上塗りされ、凹んでいた箇所もゴムじゃないんだから、逆側を押し返せば元に戻るなんて単純に済むわけがない。それどころか機器の破片が散らばってしまう破目に……。
魂が抜けたようにボクは茫然とし、スミ君は一層みすぼらしくなったパソコンに大笑い、ネコは頭を垂れて謝っていた。
ウララは携帯電話で父親と連絡をとり、新しいパソコンを強請っていた。それを寄贈してくれるらしいけど……うん、データが入ってなくても、この哀れなパソコンをそのままにしておくよりかはマシだよな。
……それにしてもスミ君、人んちのパソコン壊しといて爆笑っていうのは……人間としてどうよ?
『ミク』ガ現レタ。
『ビワ』一行ハ土下座シタ。
『ミク』ノ説教ハ三時間続イタ。
次ノ日『ウララ』ハぱそこんヲ献上シタ。
『ミク』ノ機嫌ガ10戻ッタ。