第三話:妹とボク
「ベッド、トイレ、水と餌の食器、キャリーバッグ、グルーミング用品、消臭スプレー、玩具……キャットフードはまだ残ってるし、とりあえずそれだけあったら十分でしょ?ああ、首輪もいるんだっけ?」
ちらりとネコに視線をやれば、首を横に振られた。
まぁ、あくまで居候ってことで、ペットじゃないし。
「ううん、別にいい」
「そ。じゃあこれでいいね」
パソコンを扱うには些か違和感ある小さな手が、エンターキーを押す。画面には『ご購入ありがとうございます』の文字。
「ありがとう、ミク」
「おーきに」
ネコも関西弁で感謝を述べたものの、ミクの耳には「ニャー」としか聞こえていないらしい。
「どーいたしまして。ところでそれ、何て名前にしたの?」
小振りの顎先でネコを指す姿は、幼稚園児としてはかなり似つかわしくない。
ネコが気分を害するのも無理ないと思うけど、軽く後頭部を撫でることで諌めた。こういう子だから気にしないでくれ。
八つ下の妹の傲慢な態度なんて、ボクには慣れたものだし。今更どうこう言っても仕方がないと諦念している。
「そのままだよ。ネコ。ネコもそれでいいって言ってるし。な?」
「ああ」
ニャァと声を上げて、ボクの指先に擦り寄った顎を転がすようにして撫でてやる。気持ち良いのか、ウットリと目を閉じていた。構っているボクとしても、和む。
ああ、これが眼福というのか。
ほのぼのするボクらに、妹はただ肩を竦めて一言。
「ネーミングセンスない」
ほっといてくれ。
ネコの名前は元旦を過ぎた翌日に訊いたけど「名前なんてない」の一点張りだった。それが嘘かホントかは分からない。今まで飼われていたことはないけど、道行くがてら、子どもを中心に色々適当な名前で呼ばれてきた、とだけ。
「ところでさっきの、パソコンやっけ?ビワは自分の持っとるん?」
「ううん、さっきのパソコンをミクと共同で使ってる。ミクは自分用にあと二つか三つ、持ってたと思うけど。それでも、さっきのリビングで使ってたあれを一番使ってるんじゃないかな」
「あんな、ビワが遊んでくれるんは嬉しいんやけど、宿題しとる間とかは退屈なんよ。かといって寒いから外には出たないし。せやから、よければ貸してもらおかな〜……なんて」
「まぁボクとしても、まだまだ冬休みの宿題が溜まってる身だし、それで暇つぶししてくれるなら大万歳なんだけど」
自室に篭ってたミクにリビングのパソコンを借りる旨を伝えて自室に戻ると、ネコは心なしか瑪瑙の瞳を輝かせていた。
このままインテリな猫になられたらどうしよう、なんて馬鹿げた考えが過ぎったけど、それはそれで面白いかもしれない。
とりあえずマウスとキーボードの使い方を口頭で教え、ネットサーフィンをやらせることにした。
ちなみにうちは無線LANができる。設定してくれたのは、もちろんミクだ。
「……なぁ、この家の金銭面ってどないなっとん?」
「何?急に」
学校から与えられた問題集から目を離さず、文字を書き込む。
英語は結構苦手だ。洋楽はたまに聴くけど、あくまで曲の流れに乗るだけ。意味は分かってない。
「や、ちょい気になって」
「元父親から毎月送られる慰謝料と養育費。あとビワが趣味でやってる株かな」
だから妹とはいえ、ボクは強く文句を言えない立場だったりする。何せ我が家一番の稼ぎ頭。
……将来が恐ろしい。
「……株?」
「そう、株」
ちなみに幼稚園でもパソコンを離さないらしい。今のところ、他の園児にハブられてるってことはないようだけど。とはいえこんな園児だし、担当の先生と園長の悩みの種になってるんだろうなぁ、きっと。
……先生方、すみません。子どもらしい可愛らしさが欠けた妹で。
「ホンマに株だけ?」
ポキッとシャーペンの芯が折れる。
「さっきからどうしたわけ?」
座椅子を回転させて振り返ってみれば、ネコがどこか困惑した様子でパソコンに見入っていた。
一体何だとボクも画面を覗いてみれば……瞠目せざるを得なかった。
とある怪しげな宗教のホームページ。
何故そんなところにアクセスできたのかはともかく、問題はそこの教祖。顔の右半分を仮面で隠した写真と偽名が掲載されている。
どうして偽名だと分かるかって?
「ミクーッ!」
例え半分隠していても、映っているのがボクの妹に他ならないからだ。
「悪徳商法とかじゃないんだし、別にいいじゃない」
「そういう問題じゃないって!一体何考えてんの?!」
「心配しなくても、信者から集めたお金をこの家のために使ったことは一度だってないよ」
信者からお金を集める。胡散臭い宗教にありがちな方法だ。しかもそれを実行したのが、血の繋がった実の妹だなんて……。
「……ちなみにその集めたお金って何に使ってるわけ?」
せめて赤い羽根募金とか言ってほしい。
「私が世界を征服するための資金に決まってるじゃない」
ああ、目の前が真っ暗になるってこういうこと。
妹が語る信者の名前に、テレビで聞いたことのある政治家や警察の官僚、弁護士、それどころか海外の州知事の名前まで挙げられた気がするけど、怖くて訊きなおすことなんかできなかった。
え?そんなの子どもの戯言だって?馬鹿言っちゃいけない。
可愛げのない妹だけど、唯一子どもらしいところがこれでもあるのだ。
『嘘は泥棒の始まり』。その言葉を真面目に信じてること。
『ネコ』ハ某ほーむぺーじヲ見ツケタ。
『ビワ』ハ『ミク』ヲ問イ詰メタ。
『ミク』ハ世界征服ヲ宣言シタ。
『ビワ』ノ意識ハ逃避シタ。