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●●とボク  作者: 地球儀
11/11

最終話:親友とボク 後編

朝のニュースを見てないから絶対とは言い切れないけど、今日の獅子座は星座ランキング一位に間違いない。妥当なコメントは“タイプの異性に出会えるでしょう”。ベストプレイスは“河川敷”。

穏やかな微笑みを零す初老の男性はボクの隣に並び、夕日色に染まった川を眺めている。

どこか外国の血が混ざってるのかもしれない。彫りの深い顔立ちをしていて、よくよく見れば瞳の色も青みがかっていた。

ハリウッド俳優のトミー・C・ジョージ並のロマンスグレーっぷりに、ボクの鼻は血を噴き出す寸前だ。しかしこの最上級ダンディーの前でそんな失態できるわけがない。

堪えろ、堪えるんだ!ボクの鼻!理性!

「鼻、どうかされましたか?」

「いえ!大丈夫です!堪えます!」

取り繕った薄ら笑いを浮かべ、恐る恐る鼻から手を離す。……よし、鼻血は出てないぞ。

「えっと、春はお好きなんですか?」

「春夏秋冬、季節には各々の美点がありますが、やはり心和むイメージが強いのは春ですから。冬眠から目覚める生き物も多く、花は咲き、出会いが訪れる。……もちろん別れもありますがね」

“別れ”。その一言に高揚していた気が萎む。脳裏に浮かぶのは生成りと焦げ茶の毛色をした、瑠璃色の瞳を持つ雄猫。

街中を探した。近所のスーパー、コンビニ、ペットショップ、公園、商店街、学校……ネットに掲載されてたスコティッシュホールド種の画像をプリントアウトし、それを片手に隣町まで足を運んで尋ね回ったこともあった。首輪をしてないから野良と間違えられて、保健所行きになったんじゃないかと、拭いきれない不安を抱いて色んな所に電話を掛けたこともあった。

猫は気まぐれっていうし、今日こそひょっこり顔を出すんじゃないか、なんて都合の良い希望はずっと捨てきれなくて……。

俯いて急に黙り込んだボクに、居心地の悪さを感じたらしい。ロマンスグレーは軽く咳払いして再び語り始めた。

「私にも忘れられない別れがありました。あのときも季節は春でしたね。喫茶店とバーを経営してたんですが……どうしても離れざるを得ない理由ができてしまったんです」

不況、不況と嘆き困窮している世の中だし、飲食店なんて客が入らなきゃ元も子もない。嫌でも店を畳まなきゃならなくなったんだろう。

「それは……残念でしたね」

こんな、紳士の模範と言っても過言でない人の経営する店が潰れてしまったなんて……胸が痛む。

「四十年以上主人を務めてきましたから、寂寥感はありました。けれども私の跡を継いだ青二才も、今はうまく二店を切り盛りしてるみたいですし、とりあえずは安心しています」

……どうやら潰れたわけじゃないらしい。

勝手に酷い勘違いをしちゃってたことに冷や汗を流し、口を噤んでいると、顔を覗き込まれた。青を含む不思議な色の瞳が柔和に弧を描く。

「あなたにも大切なものとの別れがくるかもしれません。自分を責めて、後悔して、苦汁を呑むかもしれない。……けれど大丈夫ですよ。いずれそんな思い出を昔話のように懐かしむことができるようになります」

別れなら既にあった。でも懐かしむなんてきっとできない。だってボクは後悔している。どうしてあんなこと言っちゃったんだろうって。取り返しのつかないこと言っちゃったって。傷つけたって。

今のままだとおそらく一生、ネコへ悔いた想いを抱き続ける。そんなの絶対に嫌だ!

「……嫌な想いを懐かしむなんてこと、したくないです。現に今、日増しに罪悪感が高まってるんです。どうしても謝りたい。見つけ出して、抱き締めて、許してもらえるまで謝って、今度こそ、親友として認めてもらいたい……!」

例えネコを見つけ出して謝罪を受け入れてもらえても、また同じ失敗を繰り返しちゃうかもしれない。絶交されるかもしれない。でも今は、そんな起こってもいないことを杞憂するより、ネコを見つけ出して許しを請うことが先決だ。

眼球が燃えるように熱いと思ったら、眦に涙が溜まっていることに気付いた。

「……実際は君が考えているほど、事態は深くないかもしれませんよ?」

「え?」

意味深に微笑んだ彼は懐から片眼鏡(モノクル)を取り出し、慣れた手つきでブリッジを使って鼻に掛けた。

「わぉ……」

思わず感嘆の声を上げてしまった。

平面的な日本人顔が装着しても間抜けにしかならないだろう物体は、彫りの深い顔立ちの人種が身に付けるだけで一層映える。ロマンスグレーに更なる磨きがかかった。

馬鹿みたいに口をぽっかり開けて見蕩れていたら、紳士は白い手袋を嵌めた手を川に向けた。立てた人差し指がゆっくり、左から右へ移動している。その動きにあわせて視線を追っていたら――――箱っぽいのが見えた。逆光で精細な色とかよく分からないけど、中で蠢いているものが……それに微かだけど、声が聞こえてきた。

「だーれかぁ〜!助けてくれ〜!」

関西弁のイントネーションで、小学校高学年ほどの少年の声。

「ネコ!」

見目でちゃんと確認できなかったけど、あの声は間違いなくボクの捜していた猫だ!

足を縺れさせそうになりながら坂を駆け下りて、スニーカーや靴下も脱がず、ジャージの裾もそのままで川の中に入る。真冬の水温ほどではないにしろ、川の水は冷たい。けど、今はそれどころじゃない!

「ネコ!」

「ウニャァァ!ビワ!ビワ、はよぉ何とかして!」

ざぶざぶと川の流れに逆らいながら足を前に動かし、近付いてきた箱を両手で止めるとすぐさまネコが飛びついてきた。

「フミャァァァ!マジ怖かったわ!」

「よかったぁ……ネコ、無事だったぁ」

水の及ばない所まで移動し、ボクはネコを抱き締めたまましゃがみ込む。

「早う帰ろう思て川を使ったけど、やっぱ怖い……ってビワ、もしかして泣いとる?」

「ごめん、ごめんね、ネコォ……」

嗚咽混じりに声を上げてボロボロ涙を零すボクに、ネコは戸惑った様子だった。「ええ子やから、泣き止み」とボクの肩を叩く仕草をするけど、爪が衣服に引っかかったらしく、狼狽している。

慰められるも空しく、繊維ごしに感じるネコの感触を確かめると、益々涙が溢れてきた。

「ホントにごめんね、ネコ。ボク、ネコのことペットだなんて思ってないから。酷いこと言ったって反省してる」

鼻水を啜りながら微かに濡れたネコの後頭部を撫ぜて反応を待つけど、返事がない。怒ってるのかと内心ビクビクしてたけど、それにしては抱き締めるボクから逃げる素振りも見せないでいる。

「……ネコ?」

「あ〜……もしかしてビワ、俺が出て行った理由、“ペット”だから譲れないってキュージに言ったことが原因やと思とる?」

「え、だって、そうなんでしょ?だから怒って……」

繊維の網からネコの爪を救い出して顔を覗き込んでみれば、呆れた顔して溜息を吐かれた。あれ?もしかして違うの?!ボク、他にネコの自尊心傷付けること言ったのか!

「ビワ、覚えとる?以前スミんちの屋根に上がろうとしたとき、爺さんに言い訳した理由。『ペットが屋根の上から降りられんなったから上ろうとした』って言うたよな」

そうだ、前にもネコのことをペットって発言したことがある。うわっ、ボクって奴は一度ならず二度までも!

「しゃーないやろ。俺、実際猫なんやし。そう表現されても仕方ない。だからいちいち気にしてられるかっちゅうねん」

…………あれ?

「え?じゃあネコがボクの前から姿消した理由って……?」

驚愕で目を瞠ったボクにばつの悪い顔をしながらネコは「ごめん」と漏らす。

「ホンマはビワに説明してから行こう思っとったんやけど、目が冴えてどうしても眠れんし、いてもたってもいられんようになったんや。忘れたかもしれんけど、キュージが冗談で俺が欲しい言うたとき、ラジオかけてたやろ?」

そういえばあのとき、キュージ様が手持ち無沙汰って感じでラジオかけたような……気がする。

「そんとき火事のニュースが流れてな。他県にある、村主市麻生西区ってところの繁華街で大規模な火災発生って。俺の知り合いがそこで店やってて、どうしても心配やった。幸い店は被害に遭うてなかったけどな」

「ボクだって心配だった!」

声を張り上げたボクにネコはギョッと毛を逆立てる。

「急にいなくなるから毎日街中駆け巡って、睡眠時間削って、色んな人に聞き回って……もしかしたら死んだんじゃないかって、心配したんだから……」

「ごめんなぁ、ビワ」

再度涙を流すボクに頬を摺り寄せた小さな体が、とても懐かしく感じられた。



日も暮れてボクの涙もようやく止まり、さあ帰ろうかと坂を上ったとき、数刻前まで一緒にいた名も知らぬ紳士の存在を思い出した。三百六十度両眼を凝らしたけど、既にその姿は消えていた。

「あ〜!ボクとしたことが、ロマンスグレーの名前訊くの忘れた〜!」

「は?ろまんすぐれぇ?」

「無茶苦茶格好良い人だったんだよ。微笑みが素敵ないかにも紳士って身嗜みしてて、真っ白な手袋嵌めて、ステッキまで持って、おまけにモノクルだよ!しかも以前はニ店舗もお店開いてたって。今は跡を誰かに引き継がせたみたいだけど……う〜、せめてお店の名前聞いときゃよかった。そしたらまた会えたかもしれないのに……!」

短い髪を掻き毟って悔しさに身悶えるボクの隣で、ネコが唖然と口を開いている。

「……なぁビワ。もしかしてやけど、その人、六十過ぎくらいの、鼻の下に白髭生やしてて、目は青みがかってて、しかもそのモノクルっていうんはブリッジを鼻に掛けるタイプちゃうよな?」

「え?まさしくそうだけど。まさかネコ、その人知って――――」

「俺が訪ねに行ったんが、まさしくそんな容貌と身嗜みした奴や。ビワみたいに俺の言葉分かるっちゅう物珍しい人間で、跡引き継いだ主人も同じ能力持ってたから、奴が今どうしてるか訊いたんやけど……」

そこで口を噤むネコに訝しみながら後に続く言葉を待ってたけど、ふと足下に御守りが落ちてるのに気付いた。ショータローから貰ったものだ。いつの間に落ちたんだろ。

拾い上げる拍子に違和感。何だと思って表面をなぞれば、縦に真っ直ぐ傷がはしっていた。

「とっくに死んだらしい」

「………え?」

ネコが訪ねた人とボクが出会ったロマンスグレーが同一人物だって証拠はないけど、これだけは言える。今時そんな格好している人は滅多にいない。

握り締めた御守りに縫われた文字は心願成就。そこが真っ二つに裂かれていた。



「おかえり、ビワちゃーん!」

背骨が軋む熱烈なハグで出迎えた幼馴染。

「ビワ、一週間ほどヨーロッパ行ってきてもいいよね?」

スカイプ使って画面越しに壮年の金髪碧眼と対談する妹。

「あの御守りの効果が表れたって聞いたんだ」

宙に向かって相槌を求める彼氏(仮)。

「下半身濡らしたビワちゃん、色っぽい……!」

変質者のボーダーラインギリギリの担任。

「今年はウララちゃんやショータロー君も一緒のクラスになれればいいのに。ね、ビワちゃん」

ニヤニヤと勘弁してほしい冗談をほざいてくれるクラスメイト。

「おいビワ、とっととメシ作れ。腹減ってんだよ」

いつまでも俺様な従兄弟。

「……誰も俺のことなんて気にかけてへんな、こいつら」

「自分勝手な奇人変人ばかりだからね」

だから常に願ってる。どうかボクをそっとしといて。

そんな願いも空しく、まだまだこれからも喧しくなりそうだ。



『ロマンスグレー』ハ人生ヲ語ッタ。

『ネコ』ガ川ニ流サレテイル。

『ビワ』ハ『ネコ』ト再会ヲ果タシタ。

平穏ハマダ遠イ。

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