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●●とボク  作者: 地球儀
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第一話:猫とボク

薄っすら開いた唇から漏れるのは白い息。それは瞬く間に夜の一部と化して消えていった。

遠くで鐘を突く音が聞こえ、もう大丈夫かなと、ボクは小走りの足を止めた。

それを見計らったように冷たい風が全身を嬲り、思わず顔半分をマフラーに埋めて身を縮ませる。それでも一番冷えているだろう箇所は温もらない。

慌てていたとはいえ、耳当てを持ってこなかったのは間違いだった。でも去年の教訓を活かして、予めコートとマフラーだけでも郵便受けの中に隠してたのは正解だったかも。

指先で耳の感覚を確認したいところだけど、残念ながら耳当て同様手袋も忘れてしまい、防寒していない剥きだしの手を夜風に晒す勇気はない。

それでも不幸中の幸いというか、用意していたコートの左右ポケットには使用前のカイロが忍ばせてあった。毎年使用している愛用のメーカーの物で、今年から袋のデザインが変わったんだけど、今両手を温めてくれているのは去年までのデザインのもの。このコートに袖を通すのは今年初めてだし、きっと去年から入れっぱなしだったに違いない。袖から出せはしないけど、おかげで左右の手は今のところ寒さを忘れている。

さて、これからどうしよう。

ゴーン、ゴーンと除夜の鐘はどこかの誰かさんの煩悩を取り払っている。できることなら特に、あいつらの煩悩を取り除いてやりたい。いや、あいつらの場合煩悩っていうか、奇人変人ぶりというか、特技というか。

……せっかく苦労して家から飛び出てきたのに、新年最初に考えることがあいつらのことだなんて。

河川敷で一人、哀愁漂わすボクに差し伸べる手なんてない。

今頃一般ピーポーは家でゴロゴロとコタツに入って年越し蕎麦を食べてるか、もしくは寒い中お寺参りか。

あれ?神社だっけ?まあいいや。

ボクも年明ける直前まで前者側だったけど、あいつらと年明けを迎えたら新年早々疲れが溜まるのは目に見えていたので、こっそり逃げ出した。

一種の願掛けだ。一人で日の出を見ることができたら、今年こそ連中に振り回されないという。

……一昨年から実施してるけど、未だに効果は得られていない。ちなみに一昨年は除夜の鐘が鳴る直前で、去年は百八つの鐘が鳴り終わった十分後に捕獲された。

今年こそ日の出を一人で見てやる!そして願うは我が身の平穏!

右手をポケットから出してグッと握るまではよかったけど、やっぱり寒いのですぐに引っ込める。

「寒さを凌げる場所があればいいけど……とりあえず風の当たらない場所に移動しよう」

日の出の時間まで一先ず公園にでも身を隠すかと足を進めたとき、鳴き声が聞こえた。

「――――ニャァ……」

「猫?」

前を向いて後ろを向いて、再び前を見たけど、人どころか動物一匹見当たらない。

犬ならともかく、深夜人気のない道で猫の鳴き声は…不気味だ。

「ニャー……ナァゥ……」

ハッとして川を凝視する。

向こう岸に渡るための、コンクリートでできた橋の下。橋に設置された外灯は平坦な道だけでなく、流れる川の様子もついでに照らしてくれていた。おかげで不自然に動く影ができていて、状況が瞭然となった。

木製の箱の中にいる小さな猫。橋の柱で流されずにはいるものの、いつ箱の中に浸水してもおかしくない流れと水量。

猫の顔が不意にこっちを向いた。翡翠か琥珀か判別できなかったけど、睥睨された気がした。

慌てて坂を駆け下り、コートを脱いでスニーカーの足で川に入る。

股下までびっしょり濡れて、おまけに想像以上の冷たさから腰が引けたけど、猫は早くしろと言わんばかりに毛を逆立てている。

あ、鼻水出てきた。そういえば三日前まで風邪ひいてたんだっけ。ぶり返したらまた厄介だなぁ。

体に被せられる重たいだけの五重の毛布。額に乗っけられた絞ってないタオル。耳元で煩い幼馴染に看病もせず居座るだけの妹。宙に向かって一つ頷いたと思ったら、葱を首に巻きつけようと迫ってきた彼氏(仮)。人のパジャマ姿に鼻血ブーの担任。状況にニマニマと笑むクラスメイト。

あ、涙出てきたかも……。

半泣きになりながらも、どうにか目的地点まで辿り着きターゲットを掬い上げると、一安心したのか瞼を落として小さく息を吐いていた。

ここまできたからには箱だけそのままにしておくわけにもいかず、右手に猫、左手に木箱という状態で何とかボクは岸まで戻った。

砂が付着することも構わず、力尽きて膝立ちになり。肩で息をする。

結構疲れた。普段の運動不足が祟ってるなぁ、これは。

右手に抱いていた猫はするりと抜け出して地面に降り立つと、ジッとボクを見つめた。

そういえばボクが川に入ってからずっと鳴き声を上げていなかった。恐怖で萎縮してるのかもしれない。

「無事に陸に着けてよかったなぁ」

言葉が通じるかはともかく、安心できるようなるべく優しい声を心掛けて、指先で顎を擽ってみた。猫は機嫌良さそうに双眸を細めて喉を鳴らす。

翡翠か琥珀に見えた瞳の色は外灯の光の所為らしく、実際は瑪瑙に見紛う色をしていた。

毛色は生成りと焦げ茶。小柄な体型で、種類は三毛猫……にしては耳が小さい。先は少し丸みがあって、おまけに垂れ気味だ。

何だっけ?確かバラエティ番組の特集でやってたのは覚えてる。買いたい猫の種類ランキング一位だった。

「え〜と、ティッシュが名前についてたんだよなぁ。何ティッシュだっけ?いや、ティッシュが先だっけ?」

「スコティッシュホールド」

「そうそう、それ!」

「誕生国はスコットランドで短毛種と長毛種があって、耳はストレスや病気によって立ち耳になったりすることもある」

「思い出した。性格は温和で愛嬌もあって、とても扱いやすい…………って」

………え?あれ?今、誰が。

周囲を見渡してみるものの、相変わらず誰もいない。ついでに除夜の鐘は鳴り終えてて、一層静かさを増している。

……確かに今、ボクは誰かと話してた。

「ゆ、ゆゆゆゆゆ幽霊?!」

「ここや、ここ。どこ見とんねん」

瞬きを一回。二回。深呼吸。さあ息を吸って。吐いて。

恐る恐る顎を下に向けて、一緒に視線も俯けて。

「助けてくれてありがとな」

声変わり前の男の子の声。それは紛れもなく、美しい瑪瑙色の瞳を持つ小さな猫から発せられた。

「ねねね猫が喋った……!」

あんぐりと口を開けるボクを嘲笑うかのように、猫は双眸を細めてゴロゴロと喉を鳴らす。

「最近の猫は喋るねん」

んな馬鹿な。



ボクの周りには奇人変人が多い。それでも辛うじて人型の生き物だ。

「ふぇっくしゅん!」

濡れっぱなしの下半身。そういえば鼻もさっきからずるずる出てきている。いくら啜っても止まらない。

このまま風邪をひくことを覚悟して日の出に願い事をするか。奇人変人の集まった我が家に大人しく身を投じるか。

「なぁ、悪いんやけどあんたんとこの家にしばらく厄介になっても構へん?さすがにこの寒さは猫に酷や」

「は、はははは、はは……」

新年を迎えて早々出会ったのは、一見可愛らしいスコティッシュホールド種の雄猫。でも喋る。喋ったのだ!

膝立ちのまま上半身を折って四つん這いの格好になる。

ああもうなんか、日の出に祈っても無駄なんだと、今更ながらに痛感する。

半泣きどころじゃない。ホントに涙出てきた。



『ビワ』ハ喋ベル猫ト出会ッタ。

『ビワ』ハ猫カラ10ノ信頼度ヲ得タ。

『ビワ』ノ疲労ガ60上ガッタ。

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