五日目(1)
窓から差し込む数日ぶりの心地よい朝日を浴びながら、仄香は目を覚ました。
一昨日の晩はなかなか寝付けなかった仄香だが、蓄積した疲労とほんの少しの安堵感のためか、昨夜はベッドに入ってすぐ、底なし沼のような深い眠りについた。寝ぼけ眼を擦りながら時計を見ると、もう午前十一時を回っている。日付が変わる前にはもう熟睡していたから、少なくとも十一時間以上は眠っていた計算になるが、つまりそれほど心身共に疲れが溜まっていたということだ。
窓へと視線を転じれば、ここ数日空を覆っていた厚く黒い雲はすっかり消え、突き抜けるような青空が広がっている。ベッドから体を起こし窓際に向かった仄香は、そのまま掃き出し窓を開けてバルコニーに出た。
仄香が外の空気を浴びるのは、一昨日、霞夜たちと共に屋外の見回りをして以来。あの日は台風が最接近していた日で、ボーッとしていたら吹き飛ばされてしまいそうなほどの暴風雨が吹き荒れていたが、今日は夏らしい熱気を孕んだ潮風が吹き付けてくる。
ベランダに立ち、潮の香りが混じったそよ風に髪を靡かせながら、仄香は大きな背伸びと深呼吸をした。眼下に広がる青い海は湖のように穏やかで、風に煽られて白い牙を剥いていた昨日までとはまるで表情が違う。
これで外部と連絡がとれる。惨劇の終わりがようやく見えてきたことで、仄香の表情は若干明るさを取り戻していた。
久しぶりの心地よい空気を吸い込み大きく深呼吸し、仄香は言う。
「綸ちゃんとのんちゃんはもう起きてるかな? ちょっと、声をかけに行ってみよう」
部屋を出た仄香は、中央の廊下を渡って、綸と望の部屋があるH字型の反対側へと向かった。
しかし、両親の部屋の前を過ぎたところで、仄香はぴたりと足を止めた。綸の部屋の扉が開いていることに気付いたからである。
ここ数日、嫌というほど目にしたその光景に、仄香は絶句して息を呑んだ。
まさか、また……。
もしも嬰莉と霞夜を殺した犯人が錦野でなかったとしたら。錦野殺害が全くの無意味だったことになるばかりか、とりもなおさず、犯人はまだこの乙軒島にいるということである。それはつまり――。
仄香は綸の部屋の入り口からおそるおそる声を掛けた。
「綸ちゃん……? いるの……?」
しかし、返事はなかった。
もう時刻は昼近いし、朝食を摂ってそのまま一階のリビングにいるのかもしれない、とも考えたが、どうしても不安が拭いきれない。悪いとは思いつつも、仄香は部屋の中に足を踏み入れた。
「綸ちゃん……? おはよう、綸ちゃん……いないのかな?」
部屋の中に人の気配はなかったが、胸騒ぎを覚えた仄香は、そのまま奥へと歩を進める。
そして、リビングに入ったところで、短い悲鳴を上げた。
「ひっ……」
そこには、嬰莉や霞夜と同様、衣服を剥ぎ取られ凌辱の限りを尽くされた綸の死体が、うつ伏せに転がっていたのである。窓から差し込む強い日差しが室内を明るく照らし、綸の異様な亡骸を浮かび上がらせる。
「綸ちゃん? 綸ちゃん!!」
綸の傍に屈み、慌てて死体を抱き起した仄香は、再び短い悲鳴を上げながら口を押さえた。体中にこびり付いた白い体液。冷たくなった体は、やはり既に死後硬直が始まっていた。
変わり果てた綸の姿に、仄香の両目から大粒の涙が零れ落ちる。
「そんな……綸ちゃんまで……」
だが、今日の仄香は、そこで泣きじゃくるだけではなかった。大きな瞳から溢れ出る涙を拭いながら、眦を決して立ち上がったのである。
綸の部屋を出て一度一階に降り、再び二階へと上がった仄香は、綸の部屋の隣にある望の部屋の扉をノックした。
「のんちゃん、ここを開けて……」
数秒後、鍵は内側から開けられ、ゆっくりとドアノブが回る。開かれた扉から眠気の残る顔を覗かせた望が、大きく欠伸をしながら言った。
「ふぁ~あ、おはよう、仄香。今何時?」
さて、本作の性質上あまり読者への挑戦状を差し込むのに適したプロットではないことは重々承知しつつも、挟むとしたらこのタイミングしかないので、ここに挿入させていただきます。
今回は極めてシンプルです。
読者への挑戦状
『犯人を指名せよ』