13 本当にあった天国と地獄! いざ、三途の川を渡ろう!
時間にすれば数秒程度のことだろう。
次第に眩しさと衝撃が引いていき、玲はゆっくりと固く瞑った瞼を持ち上げて──絶句した。
「……何ここ」
直前までのやり取りをも忘れて、玲はただ呆然と辺りを見回し、やはり呆気にとられていた。
薄桃色の空。すぐ前方に広がるエメラルドグリーンに輝く海。その海の上を、1本の長い長い漆塗りの道が続いている。
ジャリという音に足元を見てみれば、そこにあったのは砂ではなく、大小様々な石だった。眼前のそれから現在地は砂浜だと思っていたのだが、これは河原といった方がしっくり来るだろう。
いつの間にやら自由を取り戻していた身体を捻って背後を見てみれば、名前も知らない背の高い木々が鬱蒼と茂っているのが目に入った。
あまりに密集した木々のせいで、その奥を垣間見ることは叶わない。
いや、というか何だこの木は。青だの黄色だの紫だの、木によって葉の色が異なっている。
……目がチカチカしてきそうだ。
空も海も木も、どこをとっても自然ではあり得ないような配色だ。珍妙極まるその風景だが、しかし何故だかどこかで懐かしさを覚えて、余計に玲はこの不可思議な空間に頭を捻る。
見覚えのあるというより──記憶ではなく、もっと深い何処かがここを知っているような、そんな感じである。
「む……? どうやら一番遠いところに出てしまったようだな……。まあ、問題無いか。ようこそ、霊界へ」
「ここが……霊界?」
隣に立つしかめっ面のリィエルの言葉に、玲はそう口にする。
配色については奇妙の一言に尽きるが、取り敢えずはのどかなところだった。
いや、というより、酷く殺風景というか……。とどのつまり、木と海と石と長い道以外、何も無い。
「……なんか、何にもねぇな」
「まあそれはそうだろう。正確には、ここは人間界と霊界を繋ぐ境界──『三途の川』だからな」
「川だったのこれ!?」
海かと思っていたそれは、実際は川であったらしい。ともすると、やはりここは河原のようだ。……川にしては、対岸がまるで見えないのだが。
こちらと影すら見えない向こう岸を繋ぐ道は、そうなると橋になる訳だが、いったいどこまで続いているのか。皆目見当が付かない。
「一応は分類上ここも霊界に位置してはいるが、実際はこの橋を渡った先が俗に言う霊界だ」
「俗に言うって言われてもなぁ……まるでわからんから何も言えないんだけども…」
「ちゃんと説明する。移動しながらな」
「移動って……このめちゃくちゃ長そうな橋を渡るのか?」
もう一度、玲は橋に視線を移す。
水面から1メートル程の高さに設けられた木製の橋は、荷馬車が3台程並んで通れそうな程に幅もあり、頑丈そうではある。
だが、どんなに目を凝らしても、やはり対岸の景色は認められない。何処まで行っても、薄桃色の空とエメラルドグリーンの海の水平線が続くのみだ。
これを渡りきるにはどれだけ時間が掛かることか。そう思うと、酷くげんなりしてくる。
「わざわざ歩いて渡る必要も無いだろうに」
しかし肩を落とした玲を他所に、リィエルそう言って反応も待たずに玲を抱えあげ、そのまま飛び始めた。
そうだった。リィエルは飛べるのだった。
ともあれ、そんなこんなで玲とリィエルの三途の川を渡るフライトが始まった。
「そもそも、霊界とは何なのかから説明しようか」
「おなしゃす」
飛行を始めて数十秒ほど経った頃、リィエルが会話の口火を切り、玲は抱き抱えられたまま素直に頷いた。
「霊界とは、鬼族が住む世界のことだ。その役割は、死した人間の魂を霊界に導くこと。そして、その者の生前の行いを記録し、それを基に裁定を下すことにある」
「あー……っていうと、閻魔大王様的な話でよくある感じで考えていいのか?」
「まさしく。この世界の王はそのままに閻魔だしな。恐らく想像はついているだろうが、霊界で下された判決によって、人間は天国、或いは地獄に向かうこととなる」
「はー、天国と地獄ってホントにあったんだな……」
まあ、今渡っている、対岸のまるで見えてこないこの川が件の『三途の川』で、目指しているのが霊界なのだから、天国やら地獄やらがあると言われても不思議は無い。
寧ろ、自然なくらいだろう。
だから、玲は感嘆の言葉を口にしながらも、実際にはそこまで驚いてはいなかった。
……全く代わり映えのないこのフライトの風景の方が、余程気になるところだった。
気を使っているのか、はたまたこの変化の無い景色を無駄に堪能させようとでもしているのか、リィエルの飛行速度は昨夜奏のもとへと向かった時に比べるとかなり遅かった。
と言っても、恐らく高速道路を走る車より速いのだろうが。
また、例に漏れずに何らかの魔法を使ってくれているようだ。これだけの速度が出ていても、特段負荷は感じられなかった。
天国やら地獄やら閻魔大王様やらと聞くと、つまりはあれか──。
(鬼灯様みたいなのいるのかな)
金棒を持った目付きの鋭い鬼なんかが、閻魔大王の補佐官をしていそうである。
リィエルのような者もいるくらいだし、あれぐらいにポップなのかもしれない、こっちのあの世も。
そんな横路に逸れた思考の空白に、次なるリィエルの言葉が突き刺さる。
「あったも何も、天界と魔界がまさしくそれだ」
「ふぁ!? そうなの!?」
驚きすぎて、危うくリィエルの腕から落っこちるところだった。
暴れるなと窘めながら、リィエルは少し強めに玲を抱え直しつつ続けた。
「天国が天界、地獄が魔界。ただ単に、言い方が違うだけの話だ」
その後のリィエルの説明を要約すると、おおよそこのような具合でった。
天界と魔界。則ち、天国と地獄。
天界は生前に善行を積んだ魂が向かう世界であり、神や天使達が統べる世界である。
その役割は、次なる転生へと向かう魂の調整、及び人間界の秩序を護ることにある。
そして魔界は、人間に対して罪を雪ぐための罰を与える場所であり、魔族や悪魔達が住んでいる。
「天界、魔界、霊界、そして人間界。これら4つの世界を併せて、"四界"と呼称されている。『四界魔導学』の四界だ」
「4つ目って異界のことだと思ってた…。霊界だったのか…」
「ああ。まあ、霊界なんて生きた人間には関わりがほぼ無いから、知らなくても大した問題にはならないがな。ああ、ついでだから言っておくが、よく我々を指して『守護天魔』というが、それは間違いだ。正しくは、人間と契約を交わした天界種、魔界種を指す」
「天界種と魔界種ってのは初耳だけど、聞くまでも無いわな。あ、じゃあ霊界の──鬼族が『守護天魔』になることはねぇのか?」
「無いな。奴等は裁定を下す立場の者達だ。死後の人間以外に干渉することは基本禁じられている」
「そうなのか……」
とりあえずざっくりとした説明を受けた玲は、やはりというか、視線を前方に映して苦い表情を作った。
「なあ、ここは『三途の川』な訳だろ? にしちゃあ……さっきから誰にもすれ違わないのはどういうことさ?」
既に飛び始めてから数分と経っているだろう。だが、玲達以外の者の姿は一向に見当たらない。
ここが、人間界と霊界を結ぶ境界であるならば、この場に誰もいないのはおかしくはないだろうか。
日本だけで考えても、今この瞬間にも何人もの人が亡くなっている筈だ。
ということはつまり、鬼族に導かれている最中の死人が視界に入っても何ら不思議は無いし、言い方は悪いが寧ろそうあるべきである。
そんな玲の質問に、リィエルは然もありなんと回答を口にする。
「人間界と霊界を繋ぐ道というのは幾つもあってな。ここはその中でも最も距離のある橋だ。使う者など、余程の物好きくらいだろうよ」
「その言い方だと、オレ等はその余程の物好きになっちまうんだが?」
「私だってこんなところに来る気は無かったのだ。ただ、私自身『三途の川』を渡るのは初めてだからな…。どうにも転移先がズレてしまったようだ」
「ああ、そっかお前って人間界に来たの初めてなんだっけか」
サブカルに精通しすぎていて忘れがちだったが、そう言えばそうだった。
リィエルは、玲に召喚されるまで人間界に来たことが無かったのだった。ともすれば、そりゃあ『三途の川』なんて渡る必要も無かっただろう。
どういう仕組みで転移なんてやっているのかは見当が付かないが、まあ、ルーラのようなものなのだろう。
行き先が明確じゃなかったから、若干不備が生じたとか、その辺りに違いない。
「──ってあれ、今が『三途の川』渡るの初めてなのか?」
リィエルの言葉に、玲はあれ、と首を捻った。
「うん? そうだが?」
そんな玲の反応に、リィエルも首を捻る。しかし、続く玲の言葉を聞いて納得したように苦笑した。
「召喚される時って、『三途の川』を渡らねぇのか?」
「…ああ、そういうことか。『守護天魔』召喚は魔法陣の上で行うだろう? あれは『三途の川』を介さず直接こちら側に繋がっているのだ。まあ、私はお前が途中で召喚を中断してしまったから、人間界への狭間に閉じ込められた訳だが」
「う……ホントすんませんでした……」
「ふふ、良かったな私が消えなくて。もし私が消えていたら、きっとお前は父上と母上に呼び出しを食らって地獄を見ていただろうな。死ぬより辛い目に遭っていても、何ら不思議は無い」
「──ッ!?」
言われて気がついた。リィエルは両親のことを過保護と言っていた。
仮に、仮にだ。溺愛している娘が人間の若造のせいで消えてしまったとしたら、どうなるか。
簡単だ。取っ捕まえてその煮えくり返った腸が熱を失うまで、存分にあれやこれやとするだろう。
もし奏が誰かのせいでいなくなったら、自分ならそうする。
一介の高校生である玲でこれなのだ。相手が天界、魔界の王ともなれば、「地獄を見ていただろう」という言葉は、比喩ではなく文字通りに地獄を見ることになるだろう。
何せ、魔界は地獄のことなのだから。
──ガクガクブルブル。
思わず想像して青ざめた玲は、何とか違うことを考えようとして、ふと疑問に思ったことがあった。
「……な、なあ。人間ってこう……別の世界に行っても大丈夫な……そんな特別な力があったりするのか?」
「む、どうしてだ?」
「いやさ、今のお前の言葉だと生きたまま地獄を味わうことになる感じじゃん? けど、それってオレが天界とか魔界に長時間いられる前提の話なんじゃねぇかって思ってさ」
「ふむ。まあ、お前が今ピンピンしていることがその答えだとも言えるが、もう少し詳しく解説しようか」
どうやら苦し紛れに捻り出した疑問も、まるで検討違いというわけでは無さそうだ。
お陰で、恐ろしい想像からは離れることが出来そうだ。
「……どうでもいいけど、暇だからって回転飛行するの止めてくれませんかね。お前のお陰で抵抗は受けちゃねぇけど……視界がくるくる回ってて酔いそう…」
「おっと、すまんなつい」
水平に飛びながらいつの間にかアクロバットな動きを加え始めていたリィエルが、緩やかに回転を止める。
リィエルの魔法のお陰で風圧やら遠心力やら、そういった力の影響はまるで無かったが、無かったからこそ、高速回転する景色との差異に脳が混乱し、幻の抵抗を生んでいた。
あとちょっと止まるのが遅かったら、胃の中のものを戻していたかもしれない。
まあ、それもあって余計なことを考える余裕が無くなった訳だが。
「さて、人間に特別な何かがあるのか、についてだが」
何事も無かったようにそう話し始めるリィエル。
まことに遺憾ではあるが、運んでもらって、解説までして貰っているため文句は言えまい。
「結論から言えば、特別な何かがある、というよりも元々そういうものだ、という方が正しい」
「元々……?」
「ああ。人間界で生き、死後に霊界にて生前の行いを裁かれ、罪が問われた場合は魔界にて罰を受けることでそれを清算し、天界にて次の命へと変わって、そして人間界で再び生を受ける。元々、幾つかの世界を行き来する生き物なのだ」
所謂ところの、輪廻転生である。
そう、人間はその過程で、4つの世界を廻っているのだ。
「その性質があるから人間界以外の世界にいても平気って感じなのか。んじゃあ、異界はどうなるんだ?」
「異界においても、人間は何ら活動に影響を受けることはない。そしてこれこそが、『幻想魔導士』というものが生まれた理由でもある」




