19 妹は兄が護るものだろう? 私はやらんぞ!
「げっ……。マジっすか…」
「見た目通りの防御力に、あの時間を巻き戻すような再生力。生半可な攻撃では倒せないだろうし、ダメージは与えた側から消えていく。それだけの耐久力があるのなら、獲物が疲れて弱るまで待てば良い。ふむ、幻妖ながら見事なものだな」
「感心してる場合じゃねぇだろ! どうすんのさ!!」
「どうするって、奴さん、お前に狙いを定めたようだし、死にたくなかったら戦るしかないだろう」
「え、逃げるって選択肢は? お前ならオレと奏を連れて逃げられるだろ?」
「はっ、御免被る。私の辞書に、敵前逃亡の言葉は無い! お前も私の主なのだから、あれくらいは何とかしてみせろ」
当然のことであろう、と言わんばかりにリィエルが肩を竦める。
だが、玲はそれに対して食い下がる。
「いやお前、だってさっき『幻想魔導士』を突破してくるくらいに強い奴だって言ってたじゃねぇか! そんな相手に、オレみたいなトーシローが勝てる訳無くね!? いくらお前がいるとしても、お邪魔虫にしかならないじゃんオレ!」
「対峙してみてわかったが、あいつは別に大した強さではない。碌に魔力も秘めていない。寧ろ、よく『幻想魔導士』に殺されなかったな、と言いたいくらいだ。それこそ、初心者には打ってつけの相手だろうよ」
「さっきのお前の話だと不死身みたいな奴の筈なんですけど!? なぁ!?」
「尚更ちょうど良いではないか。その腐るほどある魔力を思う存分発散出来るのだ。ただでさえ『魔力門』が1つも無い等というポンコツだったのだから、ここで魔力の使い方を多少なりとも覚えておくのが、今後のためというものだな。諸々と試行錯誤するがいい」
「ぐぬぬ……」
色々と文句も言いたいところではあったが、リィエルの言うことも尤もだ。
確かに、あんな再生力を持った頑丈な相手になら、思う存分あれやこれやと試すことが出来るだろう。
それでなくとも、玲の『魔力門』はリィエルから譲り受けた代物だ。その扱いに慣れるという意味でも、確かにいい相手ではある。
それに、死にたくなければ、殺されるより先に倒すしかない。リィエルが逃げないと言っている以上、あれから逃げ切ることなど叶わないだろうから。
玲だけなら、あの時──全身鎧を殴り飛ばした時のように、身体の内から湧き出てくる力に身を任せれば、それも出来るかもしれない。
流石の玲も、気づいている。
あの拳に宿った光──そして、その拳を放つ際に踏み出した足が受けた加速こそが、魔力による恩恵だということを。
だから、玲だけならば、逃げ切ることは出来るかもしれない。
だが、この場には妹がいる。魔力を扱えない奏では、この幻妖から逃げ続けることは難しいだろう。
ここまで逃げてきただけでも行幸。だが、それ以上は叶わない。
ここまで逃げてきたということは、裏を返せばそれだけ執拗に狙われたということ。
仮にこの全身鎧の移動速度が鈍重極まるものだとしても、なればこそ、いずれまた奏は襲われる。
(……それに、オレや奏を狙わなくなったとしても、そうなったらなったで他の人が被害に遭うことになる…か)
既に池から上がった全身鎧は、耳障りな音を鳴らしながら芝生を闊歩している。
──やるしか、ない。
短く息を吐き出して、玲は表情を引き締める。
「っし。腹ぁ括ったぜ。やったろうじゃんか! こうなったら、復活出来ねぇくらいボッコボコにしてやんよ! リィエル、行くぜ!」
大きく肩を回しながら、玲は向かってくる全身鎧に対して、こちらからも間合いを詰め始める。
しかし、玲の足は、僅か3歩と歩くことなく、停止することとなった。
「む、私は戦らんぞ?」
「はぁあ!? え、おま…はぁ!?」
思わずずっこけそうになりながら、玲はリィエルに向き直り、紛糾し始める。
「お前オレの『守護天魔』だろ! 主を護らなくて何が『守護天魔』だよ!!」
「『魔力門』をやったんだから十分だろう! 腐るほど魔力があるんだから、何も考えずにポンポンぶっ放せばあれくらい倒せる! さっきも言ったが、あれは練習にはもってこいの相手だ。そこで私が手を出したら練習にならんだろうが! だから私は、特等席でお前の初陣を観戦させてもらうぞ。時に応援し、時の野次を飛ばしながらな! さぁ行け玲!」
「~~! じゃあせめて奏のことは護っててくれよ!」
「やだぃ! 私は観戦に専念したいのだ!」
言いながらリィエルが指を鳴らすと、どこからともなく椅子が1脚、玲達のいる場所よりやや後方に現れた。
どこぞのちょっとお高そうなレストランで見るような、座り心地の良さそうな椅子だ。
その椅子まで、有無も言わさぬ内に歩み寄っていくリィエル。
観戦に専念したいと言いつつも、奏を猫のように掴んで行くその様子からは、少なくとも奏が巻き添えを食わないように、という、本当の本当に最小限の心遣いが感じられた。
そうして、どっかりと座り込み、脚を組んでふんぞり返る。
「うむ、さあ行け玲! 頑張るのだ!」
完全に観戦モードのリィエル。最早、取り付く島も無かった。
「ふざっけんなよお前! なぁリィエル! せめて、せめて奏だけは…! オレはどうなってもいいから、せめて奏だけはそのまま護っててくれよぉお!!」
「どうなってもいい訳あるか! お前が死んだら私はまた過保護な両親の元に強制送還ではないか!! 魔力を扱う練習こそすれども、あれに殺されるとか私は許さんからな! というか、心配せずともそういうことには打ってつけの奴が、そこにいる」
「あ? そこ?」
どうあっても玲1人で戦わせるつもりで、かつそれを眺めるために奏の護衛すら取り合ってくれないリィエルが、言葉と共に上空を指差した。
テコでも動かないだろうリィエルのそんな様子に絶望を覚えつつも、玲は素直にその指先を辿っていき、そして──凍りついた。
闇夜に映える、純白の2対の翼と白いローブ。リィエルのそれのように、見まがう程の美しい金髪の天使。
そんな天使に抱えられた、黒檀のように美しく艶やかな黒髪の少女。
クランと璃由であった。
「おーいクラン。璃由のついでに、玲の妹も一緒に護ってやれ。守護はお前の領分だろう?」
「リィエル様……ちょっとはしゃぎ過ぎではありませんか…? ……ええ、まあ、玲くんの妹さんを護るのは構いませんけれども…」
クランがそう言いながら、リィエルの元へと降りてくる。
クランが降りてくるということは、璃由もまた降りてくるということだ。
そう、璃由が……降りてくる。
「玲くん…」
「あ、え、そのぉ……つかぬことをお伺いしますが、いったいいつ頃からいらっしゃったんで……?」
「えーっと……玲くんがあの幻妖に向かって走り出した辺りから…」
(うわーん最初からだぁあぁああ!!)
最初から、見られていた。
妹を助け出さんと駆け出したところから、唐突に女体化し、そして妹への愛を高らかに語っているその様子まで、それはもうバッチリと。
もし第三者が今の玲を客観的に見た場合の印象は、恐らくこうだろう。
──人目も憚らずに学校のトイレで大声で悶絶し、女装をしてまで女子棟に潜入する変態で、何故か今は女の子に変わり果てた、救いようのない極めて重度のシスコンである、と。
「玲くん…。その……うん、凄く…可愛いよ?」
「……」
「あー……っと。玲くん、妹さんと……仲良いんだね」
「……あ、ああ……うん」
「……えっと、程ほどに、ね?」
「……」
困ったような笑みを浮かべた璃由。こんな気持ちの悪い人間にも、未だに愛想良く接してくれる、天使のような女の子。
そんな璃由の苦笑が、今は堪らなく痛かった。
「ほら璃由。そいつの側にいると巻き添えを食うぞ。クランの近くに行け」
「え、あ……そう…ね」
振り返って見れば、玲の後方──リィエルのやや後ろに、クランと奏は移動していた。
その前面には、いつの間にか蒼く透き通った氷の壁が出来ていた。
後ろ髪を引かれるような居たたまれない気持ちになりながらも、リィエルの言葉とクランの手招きに従って、璃由は小走りに駆けていく。
そして、璃由が十分側までやって来たと見るや、すかさずクランが腕を振るった。
それに合わせるように氷の壁は左右へと弧を描きながら広がっていき、あっという間に、360度を完全に覆い尽くした。
まるで凍った水溜まりのように薄い氷なのに、小突いてみると、酷く確かな固さを返してくる。
見た目よりも遥かに頑丈そうだ。
「ねぇ、リィエルちゃん。玲くん大丈夫なの?」
一応は指示に従ったものの、やはり心配なことに変わりはない。
何せ、玲はズブの素人だ。そんな人間がいきなり実戦など、心配にならない方がどうかしている。
「案ずるな。移植した『魔力門』はまだ馴染みきっていないから、私の制御下にある。今はそれを開いてやっているから、魔力も扱える。それに、最悪ヤバくなったらちゃんと助けるさ」
「それでもやっぱり危ないと思うんだけど……。そもそも、妹さんを助けたあの時、玲くんじゃなくてリィエルちゃんがやってたら、それで終わってたんじゃないかな…?」
「あっ…」
奏が、璃由の言葉にそう声を漏らす。
そう、そうである。何せ、リィエル・エミリオールだ。
天界と魔界の王の間に生まれた、半神半魔。その能力も計り知れず、他を圧倒するだけのものを持っている。
ならば、リィエルが奏を助けていたら、今頃はとっくに片付いていたことだろう。
璃由の指摘は尤もだった。
だが──。
「む、何を言うか璃由! 妹の危機を兄が救わなくてどうする! 妹がピンチの時にはどこからともなく現れて、妹に手を出す輩の前に立ちはだかる! 漫画だってラノベだって、これはお約束だろう! ヒロインの危機を主人公が救うように、妹のピンチはお兄ちゃんがどうにかすると相場は決まっている! これは『勧善懲悪』や『ボーイミーツガール』に並ぶ、揺るぎなき王道なのだ! 『はいはい王道ね、テンプレ展開乙ー』なんて言っている奴はな、まるでわかっていない! そもそも何故テンプレと言われるまでになったのかを考えろ! それは、それだけの長きに渡る間、或いは短期間に集中して使われ続けて、使い潰され続け、それでも廃らずに確固として君臨し続けたからだ! つまり、それだけ多くの者に愛されてきたということに他ならない! そうなる程に、王道とは親しみやすく、そして人の心を打つのだ! なのに、こんな是非もない程の王道展開で、その肝心のお兄ちゃんが側で指を咥えて見ている間に他の女の子が妹を助けに入るなど、そんな胸糞悪い展開があってたまるか! 私は一人の王道を愛する者として、断固として認めない!! ここはお兄ちゃんたる玲が何とかする以外の道は無いのだっ!!」
「お、おお…! リィエル様カッコいい!」
「……」
何が琴線に触れてのか、感動して手を打ち鳴らす奏。
それとは逆に、何とも言えない表情の璃由とクラン。
(……うん、やっぱり玲くんの『守護天魔』ね…)
妹愛を高らかに語った玲と、王道について熱く語るリィエル。その内容こそ違えども、やはりあの主にしてこの『守護天魔』であった。
さて、そんな賑やかな後方の会話を聞きながら、泣きたくなる思いで、とりあえず腰だめに体勢を落として構える玲。そこで、はたと気づく。
全身鎧が歩く度に響いていた、あのガシャンガシャンという金属音が、まるで聞こえてこない。
考えてみれば、あれだけ長々と茶番を繰り広げていたにも拘わらず、何ら被害を受けてもいない。
──どういうことだ。
「って……あれー……?」
なんと、全身鎧は、玲からおよそ5メートル程離れたところで、立ち止まっていた。
ご丁寧に、その巨大な両手剣も地面に突き刺してあり、腕を組んだ姿勢のまま、微動だにしない。
その様子は、まるで玲達の一悶着が落ち着くのを待ってくれているようだった。
首を傾げる玲の様子に気づいたのか、そこでようやっとあの鎧がカシャッと軋む金属音が小さくあがった。
『うん…? なんだ、もういいのかね?』
ガシャガシャと音をあげながら、鎧はそう言った。
(……ホントに律儀に待っててくれてたーッ!! てか喋ったぁあ!!)
赤月 玲の、初めての対戦相手。
それは、妹を襲ってきた癖に、こういう場面では決して手を出さない、そんな敵役の鑑のような存在だった。