17 何じゃこりゃぁあ!! 授かった力とその代償
(──くそ、間に合わない!)
走りながら、玲は悟る。
既に全身鎧との距離は、2メートルを切っていたが、玲がどうこうするよりも、その剣が叩きつけられる方が先だろう。
足りない。間に合わない。僅かに、間に合わない──。
だが、それでも、そう思いながらも身体は勝手に動いていた。
だから、それは自棄っぱちの一撃だった。
その2メートルの距離を埋めようと、強く地面を蹴り飛ばし、そして左手の拳を繰り出そうとする玲。
当たるかどうかもわからない。届くか否かもわからない。間に合う確証など、元より無い。
けれど、とにかく果敢にも飛び出そうとして、地を蹴る瞬間に、身体の奥から何かが沸き上がるのを感じた。
──直感する。
この沸き上がる何かに、身を委ねるべきだ、と。
そして、その直感が功を奏した。
まるで、時間の流れが遅くなったかのような、感覚の拡張感。
力が溢れてくるような感触。
何かに後押しされたかのように、地を蹴った玲の身体は、普通では考えられないような加速を得ていた。
──届く。これなら、届く!
そして、握り込んだその左拳に、青白い光が宿る。
燃えるような熱さを感じるが、決して不快ではないそれを、玲は渾身の力で突き出した。
「ウォオオオォオオオオッ!!」
──果たしてその拳は、全身鎧の横腹に直撃し、2メートルはあろうかという巨体を、軽々とぶっ飛ばしていた。
横殴りに飛ばされた全身鎧は、何度か地面を抉るように転がりながら近くの池に激しい水飛沫をあげて沈む。
「はぁ……はぁ……!」
──間に合った。
間に合わなかったらと思うと、ゾッとした。
既に、剣が下りていたかと考えると死んでも死にきれない思いだった。
だが、間に合った。玲の拳が、剣が落ちるよりも速く、叩き込まれたのだ。頑丈そうな鎧すら陥没させるであろうその威力はまさに──徹甲弾!
「奏……今、一番伝えたい事を言うよ…」
「あ……あ……」
妹を護るようにして、彼女に背中を向けながら、玲は言った。
徹甲弾が如き、痛烈な一撃を放ったこの場面で言うべき台詞は、やはりあれしかなかった。
だから、まるでそれが当然であるかのように、玲は言った。
「カナちゃん──君、を助けに来た!!」
「赤月…!! ──って誰ぇええぇえええ!?」
流石は兄妹。こんな状況でもネタに走る血は争えなかった。
勢いに任せてちゃんと反応はしたが、次いで聞こえてきた言葉に、玲はガクッとずっこける。
「お、おいおい奏。お兄ちゃんだぞ? お兄ちゃんが助けに来たんだぞ?」
思わず振り返って、妹を見る玲。
赤い髪は後ろで2つに分けて結ばれていて、兄をして可愛らしいと思う、ちょっと強気な目をした妹──奏は、「へ……?」と言いながら首を傾げる。
……あれ。そう言えば、さっき発した自分の声には、何だか違和感があった。
確かに玲は、男にしては声が高い方だったが、いつにも増して高かったように思える。
(……というか、何だ、この足がスースーする感覚。最近そんな感覚を味わったばっかりなような……)
「えっと……お兄…ちゃん……?」
「あ……お、おう。そうだぞ、お兄ちゃんだぞ!」
その言葉を聞いて、奏の表情がサッと青ざめる。それは、先ほどのような恐怖によるものではなく、あまりの驚愕故のものだった。
「……何があったの!? どうしちゃったの!? そんなに追い込まれちゃったの!? ねぇねぇ!!」
すがり付くように玲の胸ぐらを掴んで捲し立てる奏。
何だ、何が奏をこうまでさせているのか。
「おい、玲…」
「え?」
名前を呼ばれて、その方向に視線を向けた瞬間、カシャっと音が響き、フラッシュの光が目を眩ませた。
「ほれ、見てみろ……」
「おわっ…と」
何か、あまりよろしくないことを告げる時のような声色でもってそう言われ、投げ寄越されたそれを何とか受け止めた玲。見れば、それは玲のスマホだった。
どうやら、駆け出した時にポケットから溢れ落ちたらしい。
では、先ほどの音と光は、写メでも撮ったのだろうか。
──何故に?
そう思って、「見てみろ」とも言われたし、裏返しになったスマホをひっくり返して──驚愕した。
「──はぁ!?」
そこには、妹の姿と、その妹に胸ぐらを掴まれているもう1人が写っていた。
まるで闇夜に灯る炎のような紅蓮の長い髪はサイドテールに、そして肌はリィエルのそれに負けず劣らずキメ細やかで白く美しい。
蒼い瞳を縁取る切れ長の睫毛。
その人物は、第6高の指定の制服を着ていた。
臙脂色のブレザーに、白いブラウス。赤色のリボン。
膝がまるで隠れない丈のプリーツスカートに、膝元まで伸びるニーソ。
頼んでもないのに出来上がった絶対領域。
そして、ブラウスを押し上げるようにして主張する胸。
「……え?」
画面のその可愛らしい、サイドテールの女の子を指差して、それからその指を自分を指すように持っていく。
「……」
奏は、無言で頷いた。
「……え?」
それから、玲は慌てたように胸に手を当てる。
(──ある!!)
それから、玲はさらに慌てたように股間に手を当てる。
(──ない!!!)
しばしの沈黙。そして──。
「何じゃこりゃぁあ!!」
頭を抱えて、空に向かって、甲高い悲鳴のような叫びが虚しく響き渡った。
何がなんだかわからない。だが、言えることがある。
明らかに、今の自分は男じゃないと。
ある筈のものが無く、無い筈のものがある。
ジョニーくんが無くなり、代わりに15歳には不釣り合いな大きさの桃を得た。
「ねぇリィエルさん!? これどういうこと!? 何でこんなことになってるの!?」
猛ダッシュでリィエルの元まで駆け寄った玲は、リィエルの両肩を掴んでガツガツ揺さぶりながら早口に尋ねる。
しかし、リィエルも何だかあまりピンと来ていない様子であった。
「あー……その、多分なんだがな…?」
「……」
「私がほら、女だろう? 性別的には」
「……」
「その私の『魔力門』を移植して、それが正常に馴染む前に、『魔力門』を開いてしまったろう?」
「……」
「だからー……その……私側に引き摺られたというか……ちょっとトラブっちゃった、みたいだな!」
ニカッと笑いながらそう答えるリィエル。
──ちょっとトラブっちゃった……?
「性別が変わるののどこがちょっとだよ!! デッカイよ!!」
「む…。仕方がないだろう! 私のせいじゃないぞ! 大体服はサービスして作ってやったんだからいいだろう!! お前があの鎧を殴った瞬間、無闇にお前が魔力を解き放つから、暴走した魔力のせいでお前の服は弾けとんだのだぞ! 私がいなかったら女体化した上に素っ裸だったんだぞ!!」
「げっ、マジかよ…。それは……ありがとう。でもさ! 女体化はあれじゃん!! 何、これ戻るの!? 一生このままなの!? どうすんの!?」
「……これで晴れて女子棟にいても不思議がられんな!」
「嬉しくねぇよ!!」
「いいではないか。減るものじゃなし」
「減ったよ!! あるべきものが無くなったよ!!」
「代わりに大層な物を授かったではないか。恐らく、学校中の女子の羨望を浴びるぞ!」
「~~~!!」
どうしてこうなった。
自分は妹を護りたかっただけなのに。
確かに妹は護れた。それは良かった。
だが、その代償があんまり過ぎるだろう。
そりゃあ妹も取り乱す訳だ。
兄だと名乗ったその人物は、どこからどう見たって女の子なのだから。
確かに、それはちょうど女子棟に入る際にした女装の時の玲に似た面影があるが、それとは比べ物にならないくらいに女の子女の子していた。
妹からすれば、朝家を出た兄が、何らかの憂き目にあって、唐突に性転換手術でも受けてきたのではないか、というような事態であった。
寧ろ、取り乱さない訳が無かった。
「グスッ…うえええん! ごめんね…! ごめんね、お兄ちゃん……あたしのせいで…!」
あーだこーだとやり取りをする玲に走り寄ってきた奏が、兄に抱き付いて泣き始めた。
「ちょっ、奏は何にも悪くないって! な?」
そう言って頭を撫でてやるが、奏は一向に泣き止まない。
兄の豊かな胸に顔を埋めたまま、泣きじゃくる。
そして──爆弾を投下した。
「だってお兄ちゃん! あたしがお腹壊すように腐らせた牛乳飲んだせいで学校で酷い目に遭ってそんなになっちゃったんでしょ!? うわぁぁあああん! あたしのせいだぁあぁああ!!」
「んん……!?」
──ちょーっと待て。今聞き捨てならない言葉が聞こえたような…。
「奏……牛乳が、何だって…?」
「だからぁ! お兄ちゃんが第6高に通い始めたら家からいなくなっちゃうじゃん! だから『守護天魔』召喚失敗しないかなーって、牛乳傷めておいたの!! 召喚出来なかったら第6高にいられないだろうし! でもそのせいでお兄ちゃん思い詰めて、取っちゃったんでしょ!?」
「……」
「……」
驚愕の真実に、玲もリィエルも言葉を失っていた。
じゃあ、何か。
(あの『守護天魔』召喚の時に来た尋常じゃねぇ腹痛はそれのせいで……)
(私がコンポタと融合しそうになったのも、全てその牛乳のせいだと……)
──ぐわしっ、と。
奏の両肩に、手が掛かる。
ほえっ、と顔を上げて見れば、片や女の子と化した兄が、そしてもう片方は、何やら天使なのか魔族なのかよくわからないがとにかく可愛い女の子が、無数の怒りマークを浮かべたような笑みを顔に貼り付けていた。
「「かぁあぁあなぁああでぇぇええぇえええ!!」」
「きゃうっ…!!」
「お前のせいでお兄ちゃん『『守護天魔』にも拒否られた下痢野郎』とか呼ばれることになったんだぞ!!」
「お前のせいで私はコンポタと一体化して消滅する羽目になったんだぞ!!」
両サイドからいきなり怒鳴られ、思わずギュッと目を瞑った奏。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいー!!」
ガミガミと文句を言う絶世の美少女2人と、それに肩を掴まれながら泣きじゃくる美少女。
そんな3つの声が、誰もいない公園に虚しく響き渡っていた。
──いや。
「……」
「……」
そんな物陰を、上空から見下ろす者が2人。
誰あろう、玲達を追ってようやっと追い付いた、璃由とクランである。
先ほどの玲と同様、クランに抱き抱えられる形の璃由が、何だか青ざめた表情で口を開いた。
「……ねぇ、クラン」
「……はい」
「……あれって…戻るのかな…?」
「……」
クランは、何も答えなかった。