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屋敷を出ると、日傘をさした母親と庭をゆっくり歩く。
季節は春なのか、朗らかな陽気と心地好い風邪が草花を揺らして、白い蝶が蜜を吸いに来ていた。
「今年も綺麗に咲いてるわね。ほら、小さい頃ニベウスが持ってきたパンジーの種、今はあんなに立派な花を咲かせているわ」
母親の視線の先に、紫色と黄色のパンジーが仲良く咲いていた。
バラとか色んな花が咲いていて、確かにここは綺麗で気分転換には最適だったけど、母親が思い出話しをしてきて合わせるのが大変だ。
早いうちに記憶が無い事を話した方が良さそうなんだが、楽しそうに語る母親を見るとどうしてもタイミングを掴めず適当な相づちを打ってばかりいた。
少し離れた場所で母親の御付きのメイドと執事が控えているが、たまに視線が合うと慌てて避けられる。
うーん、やっぱり嫌われてるよなぁ。
「ふふ、午前中にニベウスとこんな風にゆっくり出来るだなんて久しぶりだわ。昔はこの時間は家庭教師とお勉強を....そうだわ!家庭教師!」
母親はやっちまった!と言いたげな顔で固まった。
まぁ、坊っちゃんなら家庭教師の一人や二人はいるだろうさ。で、家庭教師がどしたん?
「そう言えば、ニベウスの家庭教師は解雇してしまったんだったわ!直ぐに呼び戻さないと....」
「へ?解雇?」
「....ほら、ニベウスは熱病にかかっていたでしょう?その時に医者から助からないと診断されたから、ルキウスが....なら家庭教師はもう必要無いと....」
母親の表情が一気に暗くなった。なるほど、その熱病でニベウスは死んで、あの魔術師に蘇生されたって事か。
それにしても、息子が死にそうって時にあっさり家庭教師解雇するなんて、合理的だけど冷酷な判断だな。
これは母親も辛かったんじゃないだろうか。
「そうだったんですね....」
「ごめんなさい....あなたのメイドと執事も用意しなくてはね....」
「お母様は悪くありません」
空気が一気に湿っぽくなった。
い、息が吸いづらい....。でも、この流れで記憶が無い事も話してしまおうかな。
「....あの、お母様」
「なぁに?」
「実は、その~....お母様の事を覚えていないんです」
「........................」
お母様、絶句。
顔面蒼白で日傘の柄を握り締めて立ち尽くしている。
「えっと、お母様だけじゃなくて、自分の事も分からなくて....今までどうやって生活してたとか、簡単に言うと思い出がスッポリ抜けてしまっていて....その....」
慌てて状態を説明するが、母親は蒼白い顔のまま視線を伏せて泣きそうな表情になると、ふと、自嘲のような笑みを浮かべた。
「そう....そうだったのね....」
「あの....」
「そうよね....おかしいと思った....ニベウスが私の事をお母様と呼んだり、散歩に誘ったりするから不思議だったけど、やっと納得できたわ」
「..........」
空気は、更に重くなった!
やっべー、こんな鉛みてぇな空気堪えられねぇよ。
なーっつって!やーい騙された~!って言ってみようかな?流石に怒られるか?上〇さんみたいに頭噛みつかれたりしちゃう?
「でも、いいのよ」
俺が一人でテンパってると、母親がそっと抱き締めてそう呟いた。
おおう、いきなりはちょっぴり心臓に悪いぜ。
「あなたが戻って来てくれただけで、私は幸せなの。記憶なんて戻らなくても、思い出はまた作り直せばいいわ」
「......お母様..」
母親の優しく、俺を思いやる言葉に、さっきまで緊張で固まった心が温まった気がした。
いい母さんじゃねぇかニベウス。俺ジーンとしちまったよ。ニベウスは何でこんなに優しい母親を嫌ってたんだろう。
でも、これからはニベウスの代わりに俺がお母様と仲良くして行こう。昨日息子になったばかりだけど、この人とならやって行けそうな気がする。
俺はこの時、そう決意した。
「ローザリー様」
親子の空間に割って入って来たのは御付きの執事だった。
ローザリーと呼ばれて母親が顔をあげる。
「ルキウス様がお戻りになりました」
もうそんな時間か。
自分で時間を確認出来ないのは少し不便だ。庭に出る時、ロビーに大きな柱時計があったけど、その時はまだ十時半を指していた筈だ。つーか、今って何時よ。
ひとまず帰宅した父親を出迎えようと、お母様と一緒に玄関に向かう事にした。俺達がいた所からは玄関が見える程度の距離なので、少し急げば直ぐにつく。丁度、一両の馬車から一人の男の人が降りてくる所だった。長身で細身の優男って印象を受ける。
「ルキウス!」
母親がその人を呼び止めると、ルキウスはお母様に目を止め、次に横にいる俺を見た途端、顎が外れるかのように口をあけて驚愕した。
「ニ、ニベウス!何故、何故ニベウスがここに居る!!」
「戻って来たのよ!私の願いを神様が叶えてくれたの」
ね!あなたも嬉しいでしょ!と言いたげなお母様とは対称的に、父親のルキウスは初めにあったメイドと同じような表情で俺を見ている。
まぁ、いくら何でも死んだ息子がひょっこり現れたらビビるよな。
「さぁニベウス、久しぶりのお父様よ。あなたは覚えて無いだろうけど、キチンと挨拶をして差し上げて」
ちょっとお母様、空気読んで。お父様挨拶どころじゃないよ?今にも念仏唱えそうな顔つきですけど。
「馬鹿な事を言うなローザリー!今すぐそれから離れろ!」
案の定、現実を受け止めきれない父親が慌てて俺から引きはなそうとお母様の腕を引いた。だが、それはお母様本人に振りほどかれてしまう。
「変な事は言わないでルキウス!自分の息子をそれ呼ばわりなんて酷すぎるわ!」
「何だって?ニベウスは死んだんだぞ?」
「だから戻って来たのよ!言ったじゃない、私が絶対何とかするって」
ルキウスは母親と俺を交互に見やると、低く唸るような声でお母様を問い詰めた。
「ニベウスの遺体を隠したかと思えば....ローザリー、一体何をした....?」
............。
怖いよー.......。イケメンのマジギレ怖いよー。
しかもテラ不穏な空気むんむん。遺体とか何をしたとか謎めいた事言っちゃうと、じっちゃんの名に懸けた高校生が現れちゃうからヤメテ。
「私は母親として、子供を助けたかっただけ」
「ローザリー、まさか....」
「....そうやって、また私達を切り捨てるのね。そんなにあの女の子供を引き取りたいの?」
お母様の言葉に、父親はグッと顔を歪め悔しそうに唇を噛むと、ガックリと肩を落とした。
さっきまでの勢いがフライ アウェイしちゃった父親は、弱々しく首を横に降った。
「いや、違う。そうじゃない....。すまないローザリー....」
サスペンスの次は昼ドラの気配。
あの女って何?子供?父親は浮気でもしたんです?
あー、やっぱ記憶無いのは不便だなー!
説明を!誰か設定本を持ってきてくれ!
「私の事はいいの....私こそ....今のは、卑怯だったわ」
「......いや....」
........。
もーなんなのよー!夫婦喧嘩に子供を巻き込まないで頂戴!やだやだ、ストレスはお肌に悪いんだから程々にしてよね!話がすんだなら、私お部屋に戻っていいかしら!?
後味の悪い気まずさに堪えきれず、脳内でオカマ口調でふざけていたら、父親とバッチリ視線が合ってしまった。
うひぃ!
「ニベウス....」
「....はい」
「............よく戻って来た」
......あれぇ?
「......はい」
全く嬉しそうではないが、とりあえず屋敷から叩き出されずにすんだようだ。