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6 Battle communication

『僕はきっとこの瞬間を忘れない。キミと出会ったこと。キミと一緒に過ごしたこと。その全てが、きっと今の僕を形作る』

……うーん、俺に作詞の才能はないな。



食堂の外。

木々が生い茂る中、猫の額ほどの平地にぽつんと建つラーメン屋。そこに、どこから噂を聞きつけたのか大勢の野次馬が集まっている。

その中央で対峙する2人。

姉川舞音と大野先輩。


「大野団長、今日の我々にバトル=ライブの権利はありません」

「わかっている。だがな、我が団の誇りでもある団服を侮辱されたとなれば話は別だ。我が団の誇りため、勝負から逃げるわけにはいかん。それに彼女は……」

「……分かりました」


大野先輩の方は準備万端。

姉川もすでに特殊警棒を手にし、準備体操に余念がない。


「なぁ、姉川。やめないか。この戦いに意味はない。こんなところで怪我でもしたら、それこそ無駄に――」


説得しようとした俺の頬を何かが撫でた。姉川の拳だ。


「止めんな。あいつはオレを……何よりママを侮辱した。勝てるかどうかじゃねぇ。やるしかないんだよ」

「でも……」

「オレを誰だと思ってる。相手が誰だろうと怪我なんざするかよ」


そう言われたからといって、はいそうですかと頷けない。

今日だけとはいえ共同戦線を張った以上、俺と姉川は運命共同体なのだ。

だから、俺が止めなければならない。

けどこれをどうやって止める?

俺にはそんな言葉も覚悟もなかった。


「待たせたな。こいつがウジウジしてやがっからよ」

「そうでもない」


腕を組み、仁王立ち状態の大野先輩。

インディーズとはいえデビューを飾っているプロだからか、まとうオーラが違う。


「形式はバトル=ライブの模擬戦、3ノックダウンの1ラウンド制を取る。加減はしてやるが、期待はするな」

「いらねぇお世話だ。オレはてめぇみてぇな真面目ぶってすかした野郎が大っ嫌いなんだよ」

「奇遇だな。我も規律を破る輩は感心せん」


お互いが、一歩、前に出る。


「そうだ、始める前に」


大野先輩が懐をまさぐり、取り出した何か小さなものを姉川に放った。


「裕子からの預かりもんだ。その手錠では実力を発揮できんだろう」


どうやら姉川の両手を拘束する手錠のカギらしい。


「てめぇに勝ってからありがたく開けさせてもらう。……もっとけ」


あろうことか姉川は、鍵を使うことなく俺に向かって放った。


「……まぁいい。では、試合おうか」


騒がしかったギャラリーが静まりかえり、辺りに聞こえるのは一陣の風に揺れる木々の葉音のみ。

そしてうるさい位に騒ぎ立てる自分の心臓の音。


「姉川流闘芸法、ダンス=イン・ザ・スカイ」


特殊警棒を両手に握った姉川が、両手をだらんと地に落とし、身を低くする。

そして、次の瞬間。その姿が消えた。


「っっっっ飛べ!」


上。

姉川が常人以上の跳躍で、2メートル近い大野先輩の頭上を飛び越す。

宙でとんぼ返りしながら、姉川は両手の警棒を振りかぶり、叩きつける。

姉川が動きだしてから数瞬の完全な奇襲。

大野先輩は未だ微塵も動かず腕を組んだまま仁王立ち――当たる!


「押忍!」


突如、爆音が響き、大地が揺れた。

その衝撃波に押され姉川の一撃は届かず、突風に煽られ大きく飛ぶ。10メートルは距離を空けた位置で着地した。


「はぁぁぁぁぁぁあ!」


警棒を一振り、歌いながらまっすぐに駆けだす姉川。


「無駄だ。我が闘芸法とうげいほうは大地を揺らす」


腕を組んだまま、右足を上げる。膝が直角になったところで、振り下ろした。


『漢は気合、根性、押忍!』


10mは離れた場所の俺が、腰を浮かせるほどの振動。

一番驚いたのは姉川だろう。揺れた地面、足が空ぶり前につんのめる。さらに大野先輩の足元、砂敷きの地面が砕けた。

その土砂がつぶてとなって、よろけた姉川を襲う。

散弾のような土。

姉川は咄嗟に顔を両腕でかばうが、礫は身体に吸い込まれていく。


「ぐっ!」


鈍い悲鳴をあげ、たまらず横っ跳びで大野先輩の前から退避する姉川。


「絶対音漢闘芸法、岩張烈男子ガンバレだんし

「地面ぶっ壊して、後で怒られてもしれねぇぞ」


姉川はそう強がって見せるが、両腕の白い肌が所々赤く腫れている。

ダメージはあるのか。ぺろっと赤い舌が、腫れた右腕を舐めた。何か確かめるような瞳。


「やっかいな技だ――が、それだけだ」


姉川は両手に持った警棒の柄を合致させ、1本の警棒にする。

策でもあるのか、そう思ったが、姉川はそのまま突っ込んだ。


「無謀な!」


俺の叫び。大野先輩は鼻で笑う。今度は左足が上がり、


『押忍! 日本男児の心意気、この身で示す! 押忍!』


大野先輩の足が地面を砕いた。姉川は構わず前に出る。このままでは先の繰り返しだ。姉川を吹き飛ばそうと襲う土砂。

それを、


「たぁぁぁぁぁ!」


姉川が警棒を前に突き出し、そのまま、チアリーダーのバトンよろしく高速で回転させた。

警棒の回転に弾かれ、土の弾丸は姉川には届かない。


「同じ技、くらうかよ!」


そのまま真正面から突っ込むのかと危惧したが、姉川は警棒を手の中で分離。

両手を振って、1本を投げた。それを大野先輩は、上体を動かすだけで避けた。そこに、一瞬の隙ができる。

姉川が跳ぶ。警棒を鈍く光らせ、大きく振りかぶる。


「行った!」


ギャラリーがどよめく。それは姉川の攻撃が成功したからではない。

大野先輩が腕組みを解かず、額で姉川の特殊警棒の一撃を受け止めたからだ。


「ちっ!」


姉川の四肢が、警棒を支点に空中で動く。右の回し蹴りが側頭部に決まる。だが――


「かったぁぁぁ!!」

「絶対音漢闘芸法、固固覇我慢ここはがまん。肉体を硬化した我が体は鉄より堅い」


大野先輩の反撃。

腕を組んだ状態から前蹴り、姉川は寸でのところで回避に成功する。


「なら……ここだぁ!」


姉川が思いっきりブーツの先で蹴りあげた。

男の急所を。


「…………っ!」


おう、これは……痛い。俺を含め、ギャラリーの男子から苦痛を伴ったため息が漏れる。

確かに効率的すぎる攻撃だが、アイドルのやることじゃないぞ。

だが、


「いってぇ!」


やはりそこも無理だったのか。姉川はけんけんして距離を取る。


「……こんなの、反則じゃないか。勝てるわけない」


思わずもれた本音。それを姉川が拾った。


「馬ぁ鹿、闘芸法とうげいほうに無限なんてねぇ。闘芸法とうげいほうの源は命のリズム、つまり呼吸だ。力を放出する呼と力を貯める吸のリズムが力を生む。無限に息を吸ったり吐いたりすることなんざ、人間にはできねぇよ」


そうか。

永遠に息を吐き続けることなど不可能。

また再度力を貯めるには息を吸わなければならないのなら、そこを突けば……。


「でもそれじゃあ結局討つ手がないじゃないか」

「少しは考えろよ。シンク、シンク、シンク! 脳に栄養行ってんのか? なに、簡単なことだ」


姉川が警棒をくるりと逆手に持つ。何をする気だ。


「攻めなきゃいい」


ふっと、姉川が体の力を抜いた。だらりと下がった両手。

今がバトル=ライブ中とは思えない静けさが辺りを包んだ。

なんかおかしいと思ったら、姉川はさらに目を閉じているようだ。

時間の経過が長い。

どちらが沈黙を破るか。固唾を飲んで見守る俺らギャラリーも、声を出してはいけないような雰囲気に呑まれていた。


「ふっ、良い読みだ」


先に口を開いたのは大野先輩だ。


「やっぱり同時に違う闘芸法とうげいほうは使えないようだな」

「使えないわけではないが、ふっ、それも我の修行不足だな。……が、しかし想像以上だ、姉川舞音。大抵の相手は“岩張烈男子ガンバレだんし”で戦闘不能となるのを、技を返すだけでなく、“固固覇我慢ここはがまん”まで使わせるとは」

「お褒めに預かり光栄だね。んじゃご褒美に一発殴らせろよ」

「分かった」

「おいおい、マジか? 気前いいねぇ」

「勘違いするな。分かったのは、姉川舞音。お前を倒すには、腕を使わなければならない、ということだ」

「!?」


そこで大野先輩は初めて、そう初めてだ。

組んでいた腕を、解いた。

姉川渾身の攻めを、大野先輩は両手を使わず、さらに言えば1歩も動くことなく防いでいたのだ。

ざわっと背筋が騒ぐ。

組んでいた手を解いただけなのにこの威圧感。一体何が起こるのか想像もつかない。


「ここからは我も攻撃に転じよう。いつまでも殻にこもるのは、おとこのすることではない」

「はっ……なにがおとこだ! たかが腕組み解いただけで。おら、来いよ。両手を使えば何が変わるってな」

「お前はまだ勘違いをしている」


大野先輩は左手を前に上げ、残った右手を、ズボンのポケットに突っ込んだ。


「左1本だ」


その言葉を聞くと同時、姉川の顔色が引きつり、そして爆発した。


「っざけんな!」


姉川がそう吐き捨て、大野先輩に向かう。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


姉川の気迫籠る呼気が、大気を揺るがす。


「すまないが観客衆。もう少し離れてくれないか。何分、的が小さい。外すと危険だ」


だが大野先輩はあろうことか間近に迫る姉川から視線を外し、他のギャラリーに声をかけていた。


「どこみてやがるっ!」


怒りと共に放たれた警棒の一撃――は左手一本で受け止められた。

いや、まだだ。返す右わき腹を狙った左足。大野先輩は警棒を引くことによって、姉川の体勢が崩れ空を切る。


「放せっ!」


たたらを踏んだ姉川は、掴まれた警棒を振り払うように、大きく旋回。

そこから小さく跳躍して左の踵から蹴り上げる。

それも警棒を放した大野先輩の左手にガードされる。

さらにそこから姉川は回った。

左足で左手を抑えた状態で、右足が大野先輩の側頭部を打つ――直前、大野先輩は姉川の左足を掴み、そのまま、


「うぉぉぉ!」


上へと持ち上げて、姉川の身体を放り投げた。

小柄とはいえ、人間一人を片手で放り投げたのだ。尋常な腕力ではない。

姉川は、こちらもまたとんでもない軽い身のこなしで、宙で一回転して足から着地。5メートルの距離を保つ。


「ふん、“歌力かりょく”の乗らぬ攻撃など止めるのはたやすい」


いやいや。“歌力かりょく”が乗ってなくても悶絶ものの一撃を持ってるぞ、と体験者は語る。


「次は我の番だな」


ぞくっとするような冷ややかな声と共に、大野先輩が前に出る。


「押忍!」


鞭のようにしなやかに、そして一直線に前に伸びる左拳。


「はっ、んなもんが届くかよ」


姉川の言うとおり、大野先輩の腕がいくら長くとも、5メートルの差を埋めるはずもない。

拳は空を切るだけ、のはずだった。


「っ!」


姉川は何か感じたのか、姉川は地面を蹴って横っ飛び。

次の瞬間、姉川のいた場所から10メートルほど離れたところにある木の幹が爆ぜた。


「なっ!」


周囲にいたギャラリーから悲鳴があがる。


「押忍!」


もう一撃。

それを姉川は間一髪かわす。再び直後に姉川の後ろの幹がはじけた。

偶然じゃない。大野先輩の突き、あれが遠くまで届いている。


「押忍! 押忍!」


さらに二連射来た。

一発目を身体を反らせて回避。だが無理に避けたせいで、態勢が崩れた。

二発目が当たる。


「ぐっ!」


悲鳴があがった。姉川の頭が弾け、そのまま後ろに――倒れなかった。

たたらを踏んでこらえる姉川。

額から血は出ているが、無事だ。


「わざわざ壊してくれて、ありがとよ」


姉川が両手を前に、そこには鎖がちぎれた手錠が。

どうやら鎖に当てて威力を殺すと同時に、手錠を破壊したらしい。


「我が“遠当て”をかわすか……さすがだ」


“遠当て”……?

漫画とかでよくある、拳を当てずに敵を倒す奴だ。そんなもの、体現しているっていうのか。

こんな隠し技があったとは。これはマズい。姉川の待つ戦法が一気に瓦解した。

今までは遠距離攻撃がない分、攻め時は姉川が握っていた。それがこの“遠当て”という遠距離武器によって立場は逆転した。


「はっ、こんなもん。まっすぐに飛ぶだけのパチンコ弾だろ。銃よりは怖くねぇよ。残念だったな。やっぱ右も使うか?」


確かに姉川の言うとおり、拳銃とは違いモーションが大きい分、攻撃の予測は可能だ。

とはいえ同時に発せられる“押忍”という歌力の乗った声に惑わされなければの話だが。


「これは挨拶代りよ。これから放つ技で、自分が何に敗れたかを知らせるためのな」


大野先輩が腰だめの左手をゆっくりと引き、右肩が前の左半身を取る。そして、


「絶対音漢闘芸法、押忍鳥有無オストリーム!」


前へ、正拳突きのように突き出した。“遠当て”か。

と思ったが違う。風だ。

歌力が突きに乗って風を起こし、大野先輩から姉川に流れていく。目にも見えるほどの大気の変化を携えて。

まさに押忍という歌力が流れ(ストリーム)に乗って姉川を襲う。

風は荒れ狂う突風と、それはもはや大気の奔流とも呼べるもの。姉川の顔色が変わる。


「うっせぇぇぇぇぇぇ!!!」


突風に向かって姉川が吼える。歌力で打ち消す気だ。

だが、それも虚しくごうっと渦巻く大気の音にかき消された。


「そ、んな……」

「逃げろ、姉川!」


駆け寄ろうとした。

だが、突風は容赦なく俺も巻き込み、容易に姉川に近づけさせない。

愕然とした表情の姉川が、ハッとしたように回避行動を取る。だが遅い。


「あぁあああ!!」


大気の本流に飲まれ、姉川の小さな体が飛んだ。

上へ。

それだけに収まらない。濁流にのまれた木の葉のように左へ、右へと飛んだ姉川の体。

十数メートルは上昇した後、そのまま無防備に落ちた。


「姉川ぁ!」


走る。風は治まっている。

無事なのか、姉川は。生きているのか。危険な落ち方をした。すぐに病院に連れて行かなければ。


「待て」


だが、駆け寄ろうとした俺の前に現れた影――大野先輩だ。


「戦士でない者によるバトル=ライブ中の介入は、バトル=ライブ条例第62条で禁止されている。彼女に手を貸せば、彼女の敗北となるぞ」


大野先輩の冷静な物言いに、さすがにカチンときた。自分でやったくせに、とも思った。


「それどころじゃないだろ!」


俺は大野先輩の横をすり抜けるようにして走る。捕まるか、と思ったが妨害はなかった。


「おい! しっかりしろ!」


姉川の傍にしゃがみ込むと、構うことなく姉川の身体をゆすった。


「ぅ……」


生きてる。口を切ったのか血が出ていた。

身体もぼろくずのようになっているが、擦り傷切り傷程度。骨が折れた形跡もない。小さいながらも頑丈な体で一安心。ただそれは外見での話だ。


「誰か救急車! いや、担架でもいい! 早く!」

「あいよ、ちょっと待ってな!」


食堂のおばちゃんが請け負ってくれた。

俺はハンカチで右手の傷口に当てた。それでどうにかなるというものではないが、何もしないよりはいい。

そのボロボロの姉川の姿を見て、絶望的な感情が沸いてくる。

負けた、あの姉川舞音が。

出会って数時間、圧倒的な強さを見せつけた姉川舞音。それが、左手一本の大野先輩にこうも簡単に負けた。

姉川の力は井の中の蛙だったのか。いや、そんなはずはない。俺は確かに、彼女の中に輝きを見つけた。それは、こうも簡単に散ってはいけないものだ。


「とりあえず担架! 救急隊はちょっと時間かかるから途中で落ちあいな。一番近いのは第一講堂近くの医療センターだよ」


おばちゃんとそこらにいた男子が担架を持ってきてくれた。


「ありがとう、おばちゃん」

「いいんだよ。後でラーメン代払ってくれりゃあね」


すっかり忘れていたが、そういえばそうだった。後で色付けて返すことにしよう。


「う、動くぞ!」


その時、誰かが叫んだ。

振り替えると、地面に伏した姉川の身体。それが微かだが動いたように見えた。

そこから左手が上がり、地面を掴み、体を起こそうとする。


「おい、動くな! すぐ病院に連れてってやる!」

「うる……せぇ。オレは、まだ、戦う」


阿呆か。

思わず怒鳴りそうになった。

なぜそこまでして闘おうとするのか理解できない。

立ち上がっても、また負けに行くだけなのに。ただ辛いだけなのに。

それでも姉川は、警棒を杖に上体を起こした。どこにそんな力が残っていたのか、そのままゆっくりと立ち上がる。


「オレは負けて、ねぇ。……負けられねぇ。1日に2度も負けて……捨てられるのはごめんだ」

「馬鹿! そんな意地で、命捨てる気か!?」

「意地じゃねぇよ……」


姉川が一歩、そしてまた一歩と歩を進め、俺の脇を抜けるように。

その時、姉川はどんな表情をしていたのだろう。姉川は俯いていたし、俺はその顔を見ることが、動くことができなかったから。

だから――



「夢のためだよ」



俺は何て言えばよかったんだろう。そして、何で止めなかったのだろう。


『――夢をただ追いかけても手に入らない。誰にも負けない、強い思いが大事』


ずきり、頭に痛みが走る。誰かの言葉。いつかの記憶。


「がっ!」


姉川が飛んだ。また俺の脇を抜け、目の前で二転三転と地面を滑る。


「な、何するんだ!」


振り向く先、そこには大野先輩。左を振り切った形で止まっている。


「何をするとは心外だな。彼女はまだ闘おうとしている。手負いといえども、全力で狩るのが戦士というもの」

「なにが戦士だ! もう勝負はついただろ!」

「確かに勝負はついた。貴様の無暗な介入でな。おかげで彼女は敗北を背負った。だからこれは情けだ」


なんだ、この人は!

一瞬でも良い人に思えたのは錯覚だったのか。ここまで無抵抗の人間を打ち据えるなんて!


「ところで、貴様は彼女の何だ?」

「え……」

「パートナーか? マネージャーか? そのどれでもないなら、貴様はただの部外者だ。この戦いの場に口を挟むな」

「けど、これ以上続けても意味はない! この戦いは終わりだ!」

「身勝手な意見だな。所詮一般科には芸能科の苦悩は分かるまい。我ら芸能科は、勝たなければ意味がない。負ければそこで全てを失うリスクをもっている。アイドルになる、というのはそういうことだ」

「それは――」


思ってしまった。

俺のやっていることは間違っているのか?

当然と思っていたこの行為を否定され、俺の頭に初めて浮かんだ疑問だ。

なんだ、芸能科って。

なんだ、アイドルって。

なんだ、夢って。

あいつらは、ファンに媚びへつらって、嘘を言って、騙して、金をせしめるだけの人間じゃなかったのか。

格上と知りつつも、逃げずに立ち向かい、痛手を負っても闘う姿勢を辞めない姉川舞音。

それに対し、一切の遠慮なく、対等の立場で闘かおうとする大野先輩。

彼らそれぞれの意地、夢、希望……くそ!

夢なんか、死んだら意味ないってのに。勝てない勝負なんか、するなよ。


「姉川舞音。我が“押忍鳥有無オストリーム”を受けてなお闘うその姿、褒めてやろう。そして貴様のご両親を侮辱したことも謝罪しよう」


何を今更……。


「そこの男が介入したことで勝敗は決した。だが、お前が望むのならば相手になろう。ステージ・インしろ。それこそ我と互角に戦えるの唯一の方法だ」


俺の心配を知ってかしらずか。姉川は中指を突き立て、


「はっ、あんな格好すんなら……死んだ方がマシだ」

「よかろう、では散れ」


左拳を引き、再び左半身に。またあの技だ。

姉川はすでに満身創痍。ひと押しするだけで折れそうな姉川の身体。回避も迎撃もできない。

だが、その瞳には燃えるような炎があることに気づいた。

彼女は諦めていない。闘うつもりだ。

分からない。意味不明、理解不能だ。どうしてそこまで諦めが悪いのか。

諦めれば、辛い思いはしなくていいのに。

諦めなければ、みじめな思いをするだけなのに。

かつての両親のように。かつての俺のように。


『くじけても、苦しくても、それでも諦めない強い思いを抱いて。負けたって構わない。本当の夢を手に入れられるためなら』


生の歌声。姉川。姉川が歌っている。

そうか。どこかで聞いたことがあると思ったけど、これはあの悪夢の日。

絶望に打ちひしがれた俺に、あの人がかけてくれた言葉だ。

今、姉川は諦めていない。

くじけても、苦しくても立ち上がる不屈の闘志を燃やして、夢をつかもうとしている。

勝てないとわかっている戦いに、身を置こうとしている。


じゃあ俺は、何だ?

姉川が負けたら嫌だなとか、優勝できなくなるなとか、打算的にこの戦いを見ている部外者だ。

そもそもが賞品に目がくらんで、ほいほいと修羅場に乗り込んだただの素人じゃないか。

いや、俺は悪くない。何も間違っちゃいない。

ただ巻き込まれ、ここまで来たはずだ。

だからせめて勝てない勝負はせず、アイドルを逆に食い物にしてやろうと考えていたんじゃないか。


――違う。そうじゃないだろ。


もっと昔は、違ったはずだろ。

純粋にアイドルというものを応援できたはずだ。

それがどうしてこうなった。何がこうさせた。

アイドルという存在、あの時のオーディション。古い傷が、また開こうとする。

……くそ、なんでだ。

目の前でボロボロになりながらも立ち上がろうとする姉川の姿を見て、こうも胸が熱くなるのは。

分からない。分からないからこそイライラする。苛立ちに鈍った思考回路が、もっとも単純で、もっとも愚劣な判断を下した。


「なんだ……放せ」


一歩、夢遊病のように足を出した姉川。その手を咄嗟に掴んでいた。

たぶん、俺は暴挙に出たんだと思う。

頭の神経が1,2本吹き飛んだんだろう。


「お前をやらせはしない」

「あ?」


姉川が不審気に表情を崩す。その隙に、俺は彼女に抱き着いた。

小さく、柔らかい。血と汗と、ほのかな甘い匂い。


「は、放――」

「嫌だ」


力をさらに込めた。体を入れ替える。大野先輩に対して俺を前に、姉川を後ろに。

俺は、あの人に似た、こいつを守る。


「俺は男だから」


思いっきり姉川舞音を投げ飛ばした。

これでいい。

姉川は信じられないといった表情で俺を見る。

そういえばこんな近くで視線を交わしたのは、これが初めてかもしれない。まつ毛が長いな、とかそんな関係ないことを思った。

俺も昔はまつ毛が長いとかよく言われた。

自分で言うのもなんだが、昔は結構美男子だってもてはやされてたんだ。今はこんなだけど。


あのころはまだ楽しかった。歌って、踊って。アイドルになることが、なろうとすることが楽しみでたまらなかったんだ。

そう、姉川みたいに変に意地になっていたこともあった。

もしかしたら俺は、彼女に昔の自分を投影していたのかもしれない。

しかし、昔のことばっか思い出すな。

あぁ、そうか。これが走馬灯か。合点がいった。ま、しょうがない。あーあ、勝てない戦いはしてこなかったのに。なんて。何言ってんだ、俺。負けるのが怖がってるだけじゃないか。ご明察。

たまには負けるのも悪くないか。


「絶対音漢闘芸法、“押忍鳥有無オストリーム”!」


そして破壊が来た。


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