5 Are You Alive?
物語には、ラブコメというジャンルがある。
古くは源氏物語から、今や一大ジャンルとして築かれている。ハーレムとは男の(もといその逆も)夢であり、一夫多妻なんて制度はその先端といえよう。
だが残念ならが、現実世界でハーレムを体得できる人間は、それこそ生まれであったり、容姿であったり、家柄であったり、資産力であったり、純粋な力であったり、時代であったりと、限られたごく一部の特権階級にしかない。
つまり世の98%の人にとっては儚い夢なのだ。
だからこそ、ラブコメの主人公は平凡でありきたりな少年が多い。
故に広く共感を呼び、自分にもこんな体験ができるかも、とありもしない現実離陸を果たす推進剤となっているのである。
と、話に収拾がつかなくなっているきがするが、結局のところ言いたいことは、
「そんな夢の展開、ありえないってことで」
「なんか言ったか?」
俺の独白に対し、姉川の険のある声が返ってくる。
「いんや、別に何も。ただこんなことしてていいのかなーって」
「んなつまんねーこと考えるより、その脳みその1ミクロンでも有効活用する手立てでも考えてろ」
ひどい言われようだ。さっきは舞い上がるほど上機嫌だったのに、一転して不機嫌一色。山の天候と女子の機嫌はコロコロ変わるというが、本当のようだ。
あぁ、魅惑のラブコメに出てくる女子たちよ。君たちの女子力をこいつに分け与えてくれ。
せっかくこうして女子と二人、昼飯を食っているのにときめきもなにもない。
黙ってれば可愛い奴なんだけどなぁ。
姉川舞音の力量はこれまでの2時間で嫌というほど思い知った。
行動を共にしてからソロで、時にはグループでの襲撃が後を絶たなかった。が、そのことごとくを瞬殺で撃退してきた。俺なんかが出る幕のないほどに。
結果、手に入れた腕章は9千点分。
たとえ黒腕章を1つ奪われても、決勝リーグの最低ボーダーである2万点はほぼ確実だ。
「腹が減ってはバトル=ライブもできねーだろ」
「ま、そりゃそうだけどさ……」
椅子の背もたれに体重を移し、首だけを回して教室1個半くらいの狭い部屋を見回す。
お世辞にも綺麗とは言えない打ちっぱなしのコンクリートに、申し訳なさそうに掃き清められた床。壁に貼られたメニューは何年剥がしていないのだろうか。冷やし中華なんて年中営業してそうだ。客も俺らと1組の男女しかいない。
ここは特別エリアの一角。
ファミレス級の学食やどこぞの有名店が出店している中、ぽつんと取り残されたような地元のラーメン屋。
メインの区画から一本外れた立地もあるが、本当に客を呼ぶつもりがあるのか疑いたくなるこの内装だ。流行る要因が1つもない。
ただ、このエリアに来るや否や、一直線にこのラーメン屋に突撃しやがった姉川舞音は目を輝かせながらこう言った。
『いいか? ここでしか食べられない裏メニューがあるんだ。素材にこだわった秘伝のスープ、手打ち麺は当然。生徒じゃないのに学校に忍び込んでここのラーメンを食べに来る常連だっているらしいぞ』
…………ふぅ。
俺が今日で会う人、なんで全員自己主張が激しいかね。
てか俺、いる意味あるのかなぁ、なんて思ったりもする。
安物のテーブルに、手錠をされたまま頬杖をつく赤髪の少女。
左腕には黒の腕章が付けられ(担保として1つ渡した)、身長に反して長い足を組み、のんきに鼻歌なんか歌ってラーメンを待っている。
ちょっとメイクして、髪型を整えればテレビ映えもするだろう。
歌もうまいし、ダンスもできそうだし、何より強い。
ただそこで一つの謎が姿を現す。
なぜ彼女の名が売れていないのか。
俺はともかく“そういうこと”に詳しいはずの他の生徒も知らないようだし。
そんな些細な事と思うかもしれないが、現在の芸能事情ではそうはいかない。
闘芸法が確立して以来、素人が殴りこみやスカウトで、一気にスターダムへ上り詰めることは実質不可能になった。きちんとした闘芸法を学ぶ機会を持たないと(安全面を考慮して)バトル=ライブ実行委員から営業許可が出ないからだ。
だからなぜ才色兼備の姉川舞音が、こうして野に埋もれ、今まで騒がれてこなかったのか。
「何見てんだよ」
姉川が俺の視線に気づいてか、メンチ切ってきた。
あぁ、そうか。この性格か。
会う人すべてにケンカ腰。それで今まで話題にならなかったのかと勝手に自分で納得。
「はいよ、西宝ラーメンの闇大盛りありありの固め濃いめ多め2つ。可愛いお嬢ちゃんにはチャーシューをサービスだよ」
「お、マジ? サンキュー、おばちゃん。愛してる」
割烹着姿のおばちゃんが、ドカッとどんぶり二つをアルミ机に載せる。
通常の2倍のどんぶりサイズ。野菜が砂場の山みたいに盛られていて、しょうゆだか塩だか味噌だか区別のつかない匂いに、ニンニクの香りが色々凄いハーモニーを奏でる。
何よりスープが黒い。
昔イカスミラーメンなんてものがあった気がするが、それとは別物。
麺が見えないほど濃く、コールタールのように粘りがあるのは初だ。
厚切りのチャーシューが乗っているが、明らかに俺と姉川の比が1対3。おいおばちゃん。まさかサービスって俺の1を姉川に輸出したんじゃあるまいな?
さらに何の嫌がらせか、俺のどんぶりにはおばちゃんの親指が第2関節まで入っていた。
「うん、上手い! やっぱこれで1千5百円を切るのは安いな!」
手錠で繋がれた両手で器用に箸とレンゲを使い、勢いよく謎のスープをすする姉川。
てか1千5百円!? ラーメンで!?
「おい、食わないのか?」
「いや、この麺も何も見えないのって……」
「あ?」
すごまれた。けれどこれはやばい。
俺の脳内ガラクタ警報機が、フル回転で赤いサイレンを鳴らす。
「でもこれはさすがに――」
「てめぇ、男のくせにうじうじと! いいからもっとガツッと行きやがれ! 男の象徴切断すんぞ!」
無理、断れない。こいつ、本当に女か? ここまで逆セクハラされるとなんだか疑いたくなってくる。
覚悟を決めて箸をとる。……比較的被害の薄そうな一画から面をちょびっと取って、それを口に持っていく。割りばしが飛んできた。
「痛ぇ!!」
「馬鹿か! まずは素のスープを一口味わい、それから少量の麺をすすり、またスープを一口。トッピングは替え玉から! それが麺道の基本だろ!」
「麺道とか知らないし。なんで俺がこんなことまでしなくちゃ――はいすみません。いただきます」
俺の意思なんて、姉川のガン飛ばしの前では紙切れ同然だった。
南無三。覚悟を決めてスープを一口。
濃い。しょうゆ味っぽいのと、脂っこい豚骨風味で、味噌っぽいのが交じり合って中から塩味が染み出すと思いきや、微妙に甘い。
プチっていった。いくらだ。それがまた濃厚さを演出する。姉川にせかされるまま、麺をすすり、そしてさらにスープを一口。
…………普通だ。
食後の感想としてはびっくりするぐらい普通だ。コメントしづらいくらい。
「美味いんだよ。下手な意地はりやがって」
少しふてくされて、ラーメンをすすりだす姉川。
何と言っていいか分からず、俺は話題を変えた。
「どうするんだ、これから」
姉川が答えるには、しばらく時間がかかった。
麺を流し込み、最後にずずっとスープまですすった後、
「とりあえず今までと同じだ。片っ端からポイントあつめる。そんでデカ乳女捜してぶちのめす。さっさとコレ外さないと何の趣味だと思われるからな」
「デカ乳ってユーコ先輩のことか? まさかリベンジとか言わないよな。さっきだって負けて――」
ばきっと木が折れる音がした。
顔を上げると、箸を握り折った姉川が、眉間にしわ寄せ、どうすればそんな形になるのか目を吊り上げた形相でこちらを睨んできた。
「負けてない」
「え……だって自分が言って」
「負けてない!」
「いや、あれは……」
「負・け・て・な・い!!」
「…………ゴメンナサイ、負けてないです」
姉川は分かればいい、と鼻を鳴らす。
あぁ、こうやって勝者は歴史を都合のいい方に改ざんしていくんだなぁ、としみじみ納得。
それから10分。結局残した俺のラーメンを奪うように平らげた姉川(あ、間接キス)は、腹をなでながら立ち上る。
「さってと、そろそろ出るか。んじゃ、会計ヨロ」
「ああ」
姉川が席を立つのにつられ、俺も椅子から腰を浮かせかけ――
「って何でだ!? 今さり気なく俺に奢らせようとしただろ!」
出されたレシートを見る。2人で2998円。
何が1人1千5百円を切るだ、深夜の通販番組みたいなこと言いやがって!
「あ? こういうのは男が奢るもんだろ? いいか? オレが死ぬほど嫌いなのは食事を奪う奴と、食事を邪魔する奴と、食事を奢ってくれない奴だ」
「知るかそんなの! 3千円なんて大金、持ってねぇよ!」」
「あ? オレだってな、1千円以上持ったことねぇよ!」
なんの張り合いだ、と我ながら思うがここは退けない。高校生に3千円は死活問題だ。
と、視界の端でおばちゃんの目が光ったような気がした。ヤバい。
俺がなけなしの1千5百円だけ置いて、逃げようと心に決めたその時。
闖入者によって食い逃げになることは未遂に済んだ。
「騒がしいな」
場の温度が一気に下がった。と同時に、重苦しさが加わった気がした。
「食堂は永世中立地帯だ。そこでの争いはご法度。これ以上続けるつもりならば、風紀委員の権限を使って拘束させてもらうぞ」
入口に現われた男を見る。
ギザギザに刻まれた黒い学生帽に、詰め襟の膝まである黒い学ラン(長ランというらしい)、どこで売ってるのか高下駄を履いた、一昔前の番長を彷彿させるバンカラな服装をした大男。その後ろに同様の服装をした男たちが2人、腰に手を当て、背筋を伸ばして立っていた。
この人、一度見たら忘れもしない。
「確か“絶対音漢”の――ダイちゃん」
「ダイちゃんではない!」
怒られた。超怖かった。
「大野大輔だ。断じてダイちゃんなど惰弱な名前ではない」
「す、すみません」
惰弱なのか、と疑問に思うが、本人が嫌がっているのだ。ましてや先輩だし。
だが、そんな俺の気遣いをぶち壊す奴がいた。
「よぉ“ダイちゃん”。元気か?」
姉川だ。
「だからダイちゃんではないと……ん、お前は――姉川、舞音」
大野先輩の鋭く射抜く視線は、俺ではなく姉川に向けらた。
「覚えていてくれて光栄だな、あんたみたいなプロに覚えてもらえるなんてな」
「忘れるものか。お前のような有名人を」
意味深な言葉を吐いて、フッと唇をゆがめた大野先輩。笑った、のか?
「で、ここに何の用だ? 可愛い新入生から腕章奪おうってか?」
逆に姉川は不機嫌そうに言うと、左半身で戦闘体勢に入った。
これはマズい。大野先輩の力はユーコ先輩と同格。いや、インディーズとはいえデビューしている分、それ以上だろう。そんな化物相手にして勝てるわけがない。ここは恥を飲んでも戦いを避けるべきだ。
そもそもこのイベントに3年は参加しねぇんじゃなかったのか!?
「決まっているだろう」
大野先輩がずんと、一歩を進めてきた。
それだけ、たったそれだけで俺は動けなくなった。自重が倍になったような圧力。とてつもない“歌力”だ。声も発せられない。姉川も体が硬直したように動かない。だから大野先輩がどしどし歩を進めて来て、思わずへたり込みそうになった体が、
「――昼飯だ」
俺たちの脇を通り過ぎ、一つ隣のテーブルに座った。その後に続いて側近2人が席に着く。
「西宝ラーメンの闇大盛りありありの固め濃いめ多め、こいつらにも同じを頼む」
ラーメンが来るのを待つ間、特に何もしゃべらず黙々と座って待つ大野先輩たちに、姉川は小さくため息。俺も体から力が抜けた。背中が冷や汗で濡れている。
「ちっ、なんか白けたわ。おい行くぞ。さっさとあのデカ乳馬鹿女を探し出さなきゃ」
しばらく大野先輩を見ていた姉川は、ぷいっとそっぽを向き(このまま金を払わないつもりだろうか)出口へ向かおうとする。
「姉川舞音」
大野先輩の静かな声が響いた。
「なんだよ」
「一つ忠告しておく。裕子を侮るな」
運ばれてきたラーメンをすすった後、大野先輩がそう言った。
「あの女狐、飄々とした態度に我慢ならぬ時があるが、力は本物だ。貴様も分かるだろう?」
始業式でのユーコ先輩との戦い。
圧倒的に攻めていた姉川だが、最後の最後でカウンターを食らっていた。あまりに鮮やかすぎて、終始攻めていた姉川の勝ちだと講堂中のだれもが思ったはずだ。
だが、実際はそうでないことを俺は知っている。もちろん姉川自身も。
「今のお前には裕子には勝てない。ましてや我にもな」
ゾッとした。
それは忠告だったのだろうか。それとも脅しだったのか。
胸をわしづかみにされたような威圧感。だがそれ以上に、俺は姉川に嫌な予感を抱いた。
振り向いた姉川は、やはりというか、一文字に結んだ弾力ある唇が、ぴくぴくと痙攣していた。
そう、数時間姉川の行動を見ていれば分かる。彼女は圧倒的に挑発に弱い。これ見よがしな挑発にでも怒り心頭で乗ってみせる。単純というか、沸点が低いというか。
俺の心配を他所に、姉川はつかつかと大野先輩に近寄ると、バンッ、机をたたいて、
「表に出な。ホントかどうか、試してやるよ」
「……闘う理由はない。それに今日はバトルを禁止されている。ましてや結果の見えたバトルなど」
あぁぁぁ、なんでそう言う言い方するかな! 恐る恐る姉川の方を見ると、怒りに顔を真っ赤にして、震えていた。
「さっさと出やがれ! オレが嫌いなのはルールに縛られてる奴と、強いと勘違いしている奴と、オレをなめくさってる奴だ!」
姉川の啖呵に大野先輩はふぅっとため息。俺は固唾を飲んで見守っていたが、
ズズー
ラーメンをすすった。側近の2人も、姉川に対しなんら注意を払わない。
「にゃろう……!」
姉川が右こぶしを振りぬく。
速い。
姉川のような小さな体のどこに、数十人を圧倒する力があるかと見ていたが、彼女の最たる攻撃力はその速さだ。
そこに歌力が加わって、男を一発KOするパンチが生まれる。
だが、それをぶち壊す信じられない光景が待っていた。
「食事の邪魔をしてはいけないと、親御さんに習わなかったのか?」
姉川の必殺の右ストレートを、あろうことか箸で(使っているのとは反対側で)姉川の拳を挟み込むようにして、止めていた。
「んだと……」
「子は親の鏡というが。我なぞが口を挟むのも失礼だが、しつけがなっていない」
「てめぇ……ママを馬鹿すんな!」
姉川の顔が真っ赤にほてっている。沸騰して爆発寸前だ。
「なんなんだ、てめぇは! 力を誇示して、思わせぶりなことして格好つけてんじゃねぇ! 時代錯誤なだせぇ格好しやがって!」
その言葉に、今まで何を言われても冷静だった大野先輩の顔が変わった。
「団服は我らの魂……それを侮辱するとは、死にたいようだな!」
憤怒と屈辱が入り混じったすさまじい怒気に、食堂が文字通り震えた。
窓ガラスにひびが入り、先に来ていた客たちが椅子から転げ落ちる。
俺も姉川を抑えきれず、後ろのテーブルに尻をついた。
「どっちがそうなるか教えてやるよ、おっさん」
その中、姉川は気丈にも、中指を立てて応戦する。
なんでこうなってしまったのか、そう思わずにはいられないが、短気という性質にもう一つ、姉川のことで分かったことがある。
こいつ、死ぬほど負けず嫌いなんだ。