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4 Point Of No Return

人生のターニングポイントなんてひょんなとこから来るものだ。

それこそ人が運命という言葉を使いたがるように、“出逢い”はその中で重要な位置を占める。

1つの出逢い。それがいくつもの枝を生み、さらなる出逢いを生み、一つのターニングポイントへと帰結する。その出逢いも、また何かの出逢いに繋がり、さらなるターニングポイントを生む。

俺の場合、両親が熱烈な“アイドル”ファンだったことが、そんな篠崎家に生まれたことが、兄姉が“アイドル”という事象に食い物にされたことが、両親の勝手な失敗で“アイドル”という事象に敗北したことが、何の因果か宝名に入学できたことが、入学式の朝にユーコ先輩に出会ったことが、全て姉川舞音というターニングポイントに出逢うためにあったと言えるのかもしれない。

そしてその姉川舞音の出逢いも、次なるターニングポイントに繋がるための、ただの出逢いでしかないのだ。

15年の俺の人生。

波乱万丈とまではいかないまでも、最悪と最低でそこそこ平凡な人生だった。

それを180度、いやZ軸方面に押し上げてしまった姉川舞音との“出逢い”というものに、お礼の一つでも言ってやりたい。


――出逢いなんて、クソ食らえだ、と。



目が覚めた。

だが、まぶたを刺す白い光で、何も見えない。

重心が背中にある。どうやら寝ているようだ。背中から返ってくる柔らかい反発からベッドに寝ているのだと推測。


「あら……目、覚めました?」


人の声。

優しくなだめるような声に、俺は応えようとして失敗した。

喉がからからで声にならなかったからだ。

ふらつく頭に痛みを堪え、上体を起こす。

目を刺す光が弱まり、うっすらとだが辺りの様子がつかめるようになった。

薄いグリーンの壁に薬品棚やデスク。

そして教室3つ分くらいの広さの部屋には、空のベッドが10以上並ぶ。

どこかの病院か……いや、この学校のことだ。病院並みの保健室があってもおかしくはない。


「あ、あの。だ、大丈夫ですか?」


声に振り向く。

俺の右横で、カルテボードで顔の下半分を隠している白衣に身を包んだ女性がいた。

看護師、もとい保険医というとこか。

年は20歳を少し過ぎたくらい。黒髪をショートに揃え、ほっそりとした身体に白衣がよく似合う。


しかし、なぜボードで顔を隠しているのか。

極度の恥ずかしがりか、口でも裂けているのか。まぁ前者だろう。

女性は無言でコップを差し出してきた。

冷たすぎもしない絶妙な温度の水、いやスポーツドリンクだ。

一息に飲んだ。喉に潤いが戻り、数度席をするとようやく声が戻ってきた。


「ありがとうございます。まぁ、平気みたいです」


本当は痛い。

見栄を張ってどうなるものでもないが、なんとなくそう応えた。

とそこで自分の両手、そして上半身のところどころに湿布が張られているのに気づく。


「あ、ただの打ち身……数が多いので。そのお腹とか……あ、大丈夫、です。そんな、見てないんで」


なんだかほほえましいな。喋り方とか。照れ方も。

今日出会った女性陣とは大違いだ。

ん、あぁ、そうか。

何でこんなとこにいて体が痛いと思ったが、姉川に気絶させられたのか――って、待て。それじゃあ誰がここに運んできたんだ?


「え、運んできた人、ですか。あ、あのですね。えーと、えーと、うーん……ほ、本当は口止めされてるんですけど実は――」


だがその続きを聞くことはできなかった。

秘密保持とは程遠い保険医を遮って、壁際にセットされたスピーカーから陽気な音楽と声が流れてきたからだ。


『あーあーテステス。本日は晴れ時々ガラスのシャワー、もっしもっし亀よ~亀さんよ~、世界のうちでお前ほど、甲羅の美味しいものはない~なーんつって。はーい、宝名高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい実行委員長のユーコどぇす!』


瞬間的に殺意を覚えたのは、たぶん俺だけじゃないはずだ。


『さてさて! 宝名高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい第壱夜の『デッドオアアライブ! 腕章争奪バトル=ライブ“激闘中”!』開始まであと残すとこ10分でぇっす! 準備はエビバディOKですか!?』

「あと10分!?」


聞き間違いと思い、慌てて時計を見ると11時50分。

しまった。こんなことをしてる場合じゃない!


「後でまた聞きに来ます! とにかく、ありがとうございました!」


急いで靴を履き、看護師さんの制止の声も振り切って保健室を飛び出る。

通っていた中学校より二回りは広い廊下。すぐ右には入口のホールがある。不気味なほど人の気配がない。


「おい」


ホールとは逆。声のした方を向いた。姉川がいた。

廊下の壁から背中をはがしてこちらを睨み付けてくる。

相変わらず手錠が窮屈そうだ。


「あのな――」


姉川が何かを言い募ろうとしてきたが、今はそんな場合じゃない。


「すまん、また後で」

「なっ……おい、待て!」


食い下がる姉川の声を背に走り出す。ホールのガラス戸を開け外へ。

空はきれいに澄み渡り、昼下がりの太陽がまぶしく照らしてくる。

振り返り、今出てきた建物を見る。

『第8一般校舎』と大きく書かれているが、それがどこを示すか俺には分からない。

入学前、学校案内を夢の島に送ってしまったことを今更後悔。


学校案内を探すと、あった。

道路の反対側、植込みのそばにテーマパークよろしく大きな看板が。


東京ドーム10個分とかいうイカれた規模の校内は、主に3つのブロックで成り立っている。形としては、三つ葉のクローバーのような形だ。

南の中央に正門があり、そこから右に行くと俺たち一般科の学舎が並ぶ“一般エリア”、左は芸能科の学舎が並ぶ“芸能エリア”。

正門から直進するとあるのが、芸能科による各特殊施設の群れ“特別エリア”だ。

“特別エリア”はその名の通り特別だ。

各種音響施設や稽古場、スポーツグラウンドや朝に入学式を行った第3講堂、巨大なライブ会場となる施設が多々あるという。

実質これら特殊施設とその他広場などが敷地の3分の2以上を占めると言っていい。

それに反比例して、俺たちの一般科の学び舎である“一般エリア”は“芸能エリア”と合わせて3分の1もない。


「今更屋上に潜むのは無理だな……。あと10分、隠れる場所でも見つけなきゃ速攻で袋叩き、か」


声に出してみて、現状を再確認。

かなり絶望的だ。負けないためには、早々に降参することも考えられる。

とはいえ、まだEと賞金の夢が断たれたわけではない。

まずは逃げ方だ。“一般エリア ”や“芸能エリア”はパス。

建物ばかりで、隠れる場所も多そうだが、通路や屋上といった挟み撃ちされたら終わり。それは朝に実体験している。

となれば“特別エリア”だ。

人も多そうだが、何より広い。

だから“特別エリア”に行くための目立たない道筋を必死に頭にインプットしていたところで、


『ぴんぽんぱんぽーーーーん! ちょっと時間より早いけど、アクシデントこそイベントの醍醐味! 皆様、お待たせしましたぁ! デッドオアアライブ! 腕章争奪バトル=ライブ鬼ごっこ“激闘中”、これよりぃ、開始しまーーーす!』


校内に設置されているスピーカーから、ユーコ先輩の声が響く。

時計を見る。

11時54分。


「馬鹿か!」


いや、馬鹿だ、あの女。

天に叫んでも帰ってくるのは静寂のみ、と思いきやすぐそばから答えが来た。


「東雲拓哉ぁ!」


地から人が湧いたとしか思えない。

俺を中心に、建物の中から、歩道の奥から、植込みの中から、総勢30人近くの男女が現れた。

蒼の制服。芸能科、それも制服の新しさから同じ1年だろう。いや、今日は1年しかいないとか言ってたか。


「お前は完全に包囲されている。大人しく腕章を渡してもらおうか」


どこかで聞いた台詞。あぁ、そうだ。朝もこんな感じだった。

1対30。

冷静に考えて勝てるわけもない。

そもそも朝とは状況が違う。朝も2、30人から追いかけられはしたが、こうも包囲されると話はまた別だ。

正直アイドルの連中に屈するのは気分の良いものじゃないが、身の安全を考えるとそれも仕方なしか。

――待てよ。

朝と違う状況?

何が違う?

朝は逃げ場のない屋上だったが、今は解放された地上。

さらに相手は良く言えば玉石混交、悪く言えば烏合の衆。キザ男たちレベルの奴らもいないだろう。あいつら、中学まで負けなしとか言ってたし。

つまり――付け入る隙は、ある。

思いついた勝利へのプランを基に、身の安全と賞金&Eを天秤にかけた。

愚問だね。

男には命より意地(とE)が大事な時がある。


「……俺さ。勝てない勝負はしないタイプなんだ」

「なら腕章を渡しな。そうすりゃ怪我しなくて済むぜ」

「結論を急ぐなよ。話を急ぐ奴は決まって馬鹿を見るんだ。いいか? 勝てない勝負はしない。それってつまり裏を返せば、勝てる見込みのある勝負からは逃げないってことだ」

「はっ! 一般科のひがみにしか聞こえないね。勝てる見込み? そんなのどこにあるってんだよ、闘芸法とうげいほうも使えない一般科が!」


周囲の蒼服がドッと沸く。

嘲笑とも言える笑いを受け、なお俺は不敵に笑う。


「確かにバトル=ライブじゃ勝てない。でもな、なんでも芸能人おまえらの価値観で決めつけんなよ。言ったよな。これはバトル=ライブじゃない、“鬼ごっこ”だって。だから芸能科おまえらに勝てないまでも、俺にも同等のレベルで競える武器がある」

「なに……!?」

「ここの入学試験の中で唯一、一般・芸能関係ない統一試験、覚えてるか?」

「は? 何を言って――」

「忘れるわけないよな。あんな地獄の強行軍。試験会場は学校の敷地全て。試験時間は6時間。今考えるとよく突破できたなぁ、なんて思えるけど、ソレが合計点数の半分近くを占めてるのは馬鹿にならない。こんな俺だけど、いやだからこそソレだけには自信があってさ」


不審の目にさらされながらも、屈伸に伸脚、そしてアキレス腱を伸ばして見せる。

準備は――OK。

覚悟は――できてる。

なら後は……体力だけだ。


「さぁ、『6時間耐久マラソン大会』、始めっか!!」


言うが早いが、後ろへ向かってダッシュ!

包囲の一番薄い場所を、未だに驚いて事態を理解できていない女子たちの合間を縫って逃走を図る。

そう、宝名の入学試験で課せられた6時間耐久マラソン。アイドルは最終的に体力だ。だから体力のない生徒は問答無用で落とされていった。

受験の1年、いや夢に破れた後でも朝のランニングは欠かさなかったから体力には自信があった。今考えると、それもまた未練だったことに気づく。ま、本当に今更だが。


「ま、待て!」


待てと言われて待つ奴はいない。

直進した歩道を右に曲がる。

そしてすぐに左の草むらへ。木々の中に隠れる。

さっき見た案内板、それを見て思ったのが意外と緑の多い敷地ということ。

緑化計画というべきか、一種の森林公園ともいえる規模で木々が乱立している。

つまり視界が制限されるため、逃げ手にはもってこいだと踏んだ。

果たして、その通りになった。


「くそ、どこいった!」「散開しろ! お前らは右から、そっちは左だ!」「なに勝手に決めてんだよ! そうやって最後に美味しいところ奪おうって腹だろ!」「ちょっと、か弱い女の子もいるんですけど!」


相手は所詮利益の絡んだ烏合の衆。足並みが崩れればもろい。

1人ということも幸いし、足元に気をつけながら(根がでっぱってたり、意外と野放図に育っている)急ぎ北を目指す。もちろん“特別エリア”に逃げ込むためだ。

木々の中でも、高い校舎が見えるため、ある程度の方角は見当つく。


だが誤算は別のところから来た。

走って10分近く。息は荒れ、足は乳酸が溜まって悲鳴を上げ始めた。

足元と目の前、そして建物に気を張るという現代日本ではほぼ無縁の辛苦に、体力がゴリゴリすり減らされていく。

あぁ、ヤバい。舐めてた。

整地されていないだけでここまで足と精神に来るとは。

まだなのか、“特別エリア”はまだか。東京ドーム10個分とか馬鹿だろ。

ふと、開けた場所に出た。どうやら歩道と合流したらしい。

数分ぶりの平らな地面が安心と安全を運んでくれる。道路工事万歳だ。


「あ」

「ん?」


人がいた。年は同い年くらい、背は高めで、顔立ちもそこそこの男子。

俺と同じ一般科だ。一目見た感じ、さわやかでいい人そうだ。


「コンニチワ」


挨拶してみた。


「ここにいたぞーーーー!!」


回れ右でダッシュ。

なんて奴だ! 挨拶したのに! 礼儀知らず!

だが行く先々で、さらに一般科の同期に遭遇。応援を呼ばれた。


「きっつ……無理だろ、これ」


一般科の連中も敵に回ってるのは予想外だった。

勝てる要素が100個くらい減った気分。見誤ったかなぁ。でもここで降参するのも格好悪いし。

あー、くそ。

太めの木の背後に隠れ、震える足と呼吸を整える。


「くそ、逃げ足の速い! あいつの祖先は猿か!?」


いやいや。進化論でいえばあんたらも全員祖先は猿だよ。

なんてつっこみを入れる気力もない。ともかくどこか落ち着ける場所……いや、水。のど乾いた。

確かさっき自販機付きのレストハウスがあったな、と思い出す。

水分補給してから打開策を考えよう。呼吸を整えて、震える足に活を入れてレストハウスを目指す。

だが、そこで待っていたのは。


「ラーーーーーーー」


透き通った重音。まるでそこにあるのが当然のように、声が大気を包み込む。


「やっぱり来たね。そろそろここに来ると思ってたよ」


いたのは4人の男性ユニットグループ。見た目は可もなく不可もなく、悪く言えば地味な4人組だった。


「待ち伏せかよ……!」

「芸能科1年、“ア・カペラーズ”だ。それじゃあ始めよう、バトル=ライブ……スタート!」

「な! ちょっと待――」


問答無用の4人に、俺は制止を呼びかける。だが、すでに戦いの火ぶたは切って落とされた。


『ドゥッ!』


肩を殴られた。

痛っ、石? いや、違う!


『ドゥッドゥッパッドゥッドゥッドゥッパッチッチッドゥッパッドゥッパッドゥッパッ!!』


ドラムのような音が間断なく響く。

そのたび、空気の弾丸が俺の身体目がけ飛んでくる


「ぐぅ!」


マシンガンのような空気の球が次々と俺にヒットする。

奇襲とも言えるバトル=ライブの開始に俺の頭は混乱していた。

その中でも、必死に現状を探ろうと頭が回る。

ドラムの闘芸法――違う。奴らに楽器類はない。

ならば……口でドラムなどパーカッション(打楽器)の音をまねる、“ボイスパーカッション”だ。


「素人に本気を出すほど卑怯者じゃない。が、圧倒的な力の差を知ってもらおうか、一般科のエースくん!」


闘芸法は空気を振動させる歌声とミックスされて放たれる性質上、遠くまで届く。

つまり飛び道具がメインだ。

射程距離の差は、そのまま戦力の差になる。

丸腰の一般人では、今みたいに近づく前に滅多打ちに遭うだけだ。鉄砲隊を前にした戦国最強の武田騎馬隊もこんな気分だったのだろう。


『キミは僕の宝もの。いつでも僕に喜びをくれる』


合わせて、歌が来た。


『とっても大事なものだから。大事に、秘密にしまってしまおう。でも閉じ込めたりはしない。いつでも僕に笑いかけていて』


歯の浮くような歌詞を、優しく高らかに歌い上げる主旋律。

それをベース音が支え、時にハモり、美しい旋律を奏でる。頭を突き抜けるその美しさに、体の動きが重くなる。

そこへマシンガンのようなボイスパーカッション。俺は両腕でガードするしかない。


「ちっ、先こされたか!」「おい、あいつら、容赦ねぇぞ」「ああ。“歌力かりょく”はそこまでじゃないが、組み合わせが良い」「綺麗なハモりで相手の行動を奪い、そこへボイパのマシンガンで削るか」「強いわね。今の内に技が見れて良かったわ」「仕方ないな。面倒だけど、奴らから奪うしかないか」


周囲に人の声が満ちていた。

騒ぎを聞きつけ、いつの間にか芸能科の連中が集まってきたようだ。

その誰もが俺の敗北を信じている。

そりゃ素人相手だ。闘芸法とうげいほうの力がある限り、一般科は芸能科に勝てない。

はっ、その通りだよ。

てか俺は、なんで正直にイベントに参加してんだ。参加はした。義理は果たした。

なら負けてもいいじゃないか。元より勝てる試合じゃない。


「さっさと倒れちまえ。それともそんなに金が欲しいか――貧乏人!」


歌に混じって俺への野次が響く。

その言葉が、俺の脳を貫いた。

確かに一般科では芸能科に勝てない。そう言われているが、本当にそうなのか?

相手は同じ1年、キザ男たちのように名前が知れてるというわけじゃない。

しかもありがたいことに、手を抜いてくれているらしい。


勝算は? 1つだけある。

呼吸は? 1回だけもつ。

足は? 一瞬だけ動く。

ならあとは――覚悟だけだ。


「ただで負けるなんて……できるわきゃ、ねえぇぇええ!!」


吠える。

防御を半分解いた。

途端襲ってくる空気の弾丸。そして歌声。

だがそれだけだ。

本物の楽器じゃない。マイクもない。闘芸法の力、火力ならぬ“歌力かりょく”は低い。

なら……我慢はできる!


「おおおおぉぉぉぉ!!」


叫び、被弾を気にせず突っ込む。

すげぇ痛い。でも我慢だ。

朝の姉川は闘芸法とうげいほうを声で相殺させたと言った。俺に闘芸法とうげいほうはできないが、声が音であることは変わらない。なら俺も音を出せば、その分威力が落ちる。

彼我の距離は5メートル弱。

初速がかかれば3歩で行ける。その3歩が遠い。

と、俺は無意識のうちに行動に出ていた。


「なっ!?」


周囲の目が宙に放られた――黒の腕章に行く。

決勝リーグへの片道キップ。夢を叶える魔法の道具。

これを放り投げるなど、彼らにしては言語道断、罰あたりな行為だろう。

だが、俺は一般科だ。彼らのように、このイベントに勝てなくても死ぬわけじゃない。

だから、


「い・ま・だ!!」


1歩。初速を得た。

2歩。慌てて音の球が再び発射された。遅い。

3歩。大きく地面を蹴った。


「だりゃああああ!!!」


4人に飛び込んだ。でたらめに蹴り上げる。

手、じゃない足ごたえ有り。着地。同時に痛みで馬鹿になった左腕を振り回す。ごつっという音。

まだ動ける。右こぶしを出す。こういう時だけ、色々と詰め込み通信教育してくれた親には感謝したい。

3つに当たった。あと1つ。

アドレナリンが沸く。唖然とした顔のメインボーカルが左手前。


「お前で、最後っ!」


距離は手を伸ばせば届く距離。襟首をつかんだ。それを嫌って相手は後ろに下がろうとする。そこを狙って足をかけ、そのまま襟首を握った右手を前に突き出す。体落とし。男は受け身を取れずに背中から落ちた。

ふわり、と俺の右手に黒の腕章が落ちる。


「はっ、はっ、はっ……」


呼吸が収まらない。足が限界だ。自重を支えきれず膝をついた。

周りは敵だらけだ。急いで息を整えろ。


「アイドルなんて、こんなもんだ。一般人なめんな!」


荒れる呼吸に構わず、そう叫んで中指を指を突き立ててやった。

ここまで来たら自棄だ。宣戦布告だ、この野郎。

途端、周囲から敵意が注がれる。


「ふっ……ふざけるな!」


芸能、一般合わせて30人ほどが、俺に向かって、いや黒の腕章を狙ってくる。

ある意味防波堤となっていたあの4人を叩きのめしたことを後悔。

でもしょうがない。勝てる可能性があっちゃったんだから。

けどもうだめ、動けない。俺はここまでだ。


とその時、


「吹っ飛べ!!」


旋風が、俺の周囲に巻き起こった。

風に押され、尻もちをつく者もいれば、風に吹っ飛ばされる者も。俺は身をかがめていたから助かった。


「ったく。一人を寄ってたかって……恥ずかしくねぇのか?」


その中心地。赤みがかったポニーテールに、黒いスパッツの少女。

顔だけ、俺に振り向いて楽しそうに笑う少女。


「よう、オレも混ぜろや」


姉川舞音だ。

その笑顔だけ見れば、かなり魅力的に映った。

周囲が騒然となった。先のやり取りを知っている彼らとしては、最悪の相手だろう。


「くっ……これはそういうルールだ! 高得点ネギを背負った一般科カモの争奪戦って。そう、これは僕ら芸能科の勝負だ!」

「はっ、そういう事言う奴らばっか。だからオレはアイドル連中が大っ嫌いなんだよ」


吐き捨てるように言う姉川。

それを苦笑しながら1人が言う。


「お前も芸能科アイドルだろうに」

「そう。オレも芸能科だ。ならオレが参加しても良い勝負だよな? オレも参加していいルールになってるよな。いいかてめぇら、よく聞いとけ!」


そして、次の言葉。

今日一番、いや高校生活一番の問題発言を、姉川が言った。


「てめぇらは俺どころかこいつにも及ばねぇザコだ! 文句あんならかかってきやがれ!」

「は、はぁ!?」


その言葉に仰天したのは何を言う俺だった。

そりゃそうだろう。ただでさえ全校生徒を敵に回してるのに、これ以上波紋を呼ぶようなことしないでくれ。


「ば、馬鹿にすんなぁ! ステージ・イン!」


誰かが叫んだ。

同時に光が来る。それは断続的に続き、全ての衣装を変えた。蒼の制服を来ているのは姉川だけ。他はきらびやか、あるいはラフながらもおしゃれをした集団に様変わりしていた。

そいつらから、まだ何もされてないのに“歌力かりょく”がビリビリ伝わってくる。

こんなの、勝てるわけない。


「おい、手伝え。さすがにこの人数は疲れる」


だがそんな中でも、姉川はさして焦った様子もない。

さっきの4人と違って彼らは本気だ。今の俺に戦力になれって方が無茶だ。


「お願いだ」

「分かった」


自分で驚くくらい即答していた。

女の子からの頼み。しかもじっと見つめられたら……俺は男で日本人だからノーとは言えなかった。


「よそ見してんじゃ、ねぇ!」


男が飛び出してきた。それを契機に他の連中も続く。

殺気の塊が押しつぶしに来る感覚。俺は恐怖と疲労で足がすくんでしまった。

にも関わらず、横にいる姉川の足は軽い。軽く、左足のつま先でリズムを取り、


「ワン、ツー、スリー、フォー」


飛び出した。

姉川が跳ねる。右へ左へ。そのたびに1人2人が倒れる。それはまるで舞。舞踏だ。

俺を襲ってくる奴らもいたが、俺の目は姉川の動きを追っていた。

スカートとポニーテールをひらめかせ、長い手足を振り回す。

何よりこれ以上ない笑顔だった。体を動かすこと、声を出すこと、そうすることが喜びそのものといわんばかりに。


息をつく間に、戦いは終わっていた。

時間にすれば5分もなかったはず。圧倒的。相手は同じ1年とはいえステージ・インした数十人の芸能科。

対する姉川はステージ・インすらしていない。


「さって、残るはお前1人だが。どうする?」


死屍累々の中、最後の1人に向かって姉川は言う。


「くっ……なめるな。俺もアイドル候補生だ! さぁ、闘芸法とうげいほうで来い!」


男が身構える。

その動きに何か不穏なものを感じ、姉川を制止しようとして――その前に姉川は普通に蹴った。


「ぐふっ……なぜだ、なぜ闘芸法とうげいほうを使わない!?」

「くそったれなアイドルと一緒にすんな。んなもんお前相手にいらねーよ」

「バカな! それじゃあ俺の闘芸法とうげいほうミラーリングリングでお前の技をはね返せないじゃないか!」

「ほーぉ、そういうことか」

「あ……」


憐れ。というか馬鹿だった。

とどめのげんこつをくらい、最後の一人が倒れた。


「終わった……」


安堵より疲労に、思わずその場にへたり込んだ。


「しかし……すごいな。こんな」


10人くらいの一般科、これは最初の姉川の一声でリタイア。

残り20人ばかり。ステージ衣装の男女が一様に伸びている。


「はっ、さすがにあの人数まともにかかられたらきつかったけどな。沸点の低い馬鹿ばっかで助かったぜ」


あの挑発も、意味あってのことだったのか。そこまで考えてやったとは思えないが、まぁ結果オーライだ。

と、姉川が何かしていようで目を向けると、意気揚々と倒れた連中から腕章を回収していた。


「いやぁ、しかし大量だな。こんなにいっきにやれるとはね。お前も餌役ご苦労さん」

「ん、餌って?」


なんか聞き捨てならないことを言われた気がする。


「お前を保健室に運んでる時に、なんかスト―キングしてきた連中がいたから。ちょっと利用させてもらった。ま、お前がボコられた後、腕章の争奪になるとこを、横からぶん殴ってやろうと思ったんだけど。ちょっと当てが外れたな。しっかし、良く走るやつだな、お前は。追っかける身にもなってみろ」


体よく餌にされた!? とはいえ、ちょっと待て。

今、運んだって言ったか? 姉川が、俺を。保健室に?


「えっと……ありがとう」

「そう言うなって。恨むならお前の――って、はぁ? 今なんつった?」


俺は当然のことを言ったはずだが、姉川は素っ頓狂な声をあげ、不審者でも見るような目つきで俺を見てつめてきた。


「いあ、ありがとうって。運んでくれて……」

「お前、変な奴だな」

「あぁ、たまによく言われる」

「なんだそりゃ……」


嘆息されながらじろじろと見られると、どうも所在無い。ま、そりゃそうか。

とはいえこの状況、俺にとってはなかなか良いものだ。

よくよく考えれば姉川と2人きり。当面の危機は去ったことだし、緊張が表に出ないように話を振ってみる。


「でも、やっぱり優勝目指してるんだな。やっぱりあれか、ライブが目的か?」

「…………さて、どうかな」


真顔だ。怒りでもない、ただ純粋な瞳で俺を見てくる。その瞳を美しいと思うと同時、どこか暗い淀んだものを感じた。


「どういう意味なんだ? 姉川にとって、このイベントは……」


聞いた俺に姉川は視線を外し、歩き出す。


「少し移動しないか」


まだ会って数分だというのに、まるで年来の友のように気軽に誘ってきた。俺はその提案に無言でうなずく。

すぐそこにある木造の簡易レストハウス。

そうだ俺はここを目指してたんだ。置いてある自販機でお互いに飲み物を買うと、木の椅子に座りこんだ。姉川との対面に喉の渇きを忘れていた俺は、スポーツドリンクをむさぼるように飲んだ。生き返る……。


「で、さっきのお前の話だが……正直言う。優勝なんてクソくらえだ。いいか? オレが目指してるのはただ1つ、このイベントの破たんだ。くだらねぇだろ、アイドルなんて。虚偽と虚栄と虚像で作られた世界。そんなのあっても、気分が悪いだけだ。だから全部ぶっ潰す」

「潰すって、でもどうやって?」

「簡単だ、オレが優勝して賞品ライブをボイコットする。それでこのくっだらねぇイベントは終わりだ」


友達と遊びの約束を取り付けるかのような気安さで優勝を言うが、その困難さを分かって言ってるのだろうか。

いや、芸能科に属している彼女が言っていること自体の矛盾を。


「わぁってるよ。言ってることとやってることの矛盾は。それでも今の音楽状況は腐ってる。ただ見てくれが良ければ、強ければ、歌が上手ければ、それだけでミリオンだ。バトル=ライブが世界的に広がったせいでな」


そうだ。闘芸法とうげいほうが確立され、世界に“バトル=ライブ”のブームが起きると同時、CD、音楽ダウンロードの販売は邦楽・洋楽問わず一気にうなぎのぼりになった。

各国で“バトル=ライブ”が盛んに行われ、オリンピック感覚で世界中のアイドル・歌手が世界一を決める大会もあるほどだ。


「そのお陰で、ゴミ虫みたいに汚い歌があふれてる。口を開けば愛だ、恋だ。情熱の欠片も感じられない、ただ声出してるだけの薄っぺらな歌が。オレはそれが許せないんだよ。だからオレが証明してやんのさ。お前らのやってることは、オレに劣る、そんなもんだってな。そのための足がかりになんだよ、ここの学校ってのは」


ぎゅっと胸がしめつけられる思いがした。

そんな反骨精神、反社会思想なんて、一介の学生が騒いだところでどうこうなるものではない。若さで片付けられる問題だ。

だが、俺はそれを馬鹿にはできない。

過去のしがらみ、そして芸能界の退廃。

それは俺が、かつてと言わず今でも抱いている確かな感情で、それこそが、俺がここにいる意味そのものなのだから。

だから俺は、


「ははっ!」


笑った。思いっきり。はばかることなく。いや、こんな愉快な気分になったのは……そう初めてかもしれない。

少なくともあの運命の日以降、こうも心の底から笑ったのは。


「なんだよ、気持ち悪ぃ。オレの言ってることがそんな馬鹿らしいかよ」

「いや、違うんだ。そうじゃない。そうじゃないんだ」


これ以上は言葉を紡いでも嘘に聞こえてしまうと思った俺は、俺はポケットから黒の腕章を取り出すと、それを姉川に差し出した。


「あ? なんだ」

「なんだはないだろ。もともと半分はお前のだったんだし」

「気持ち悪い奴だな。聖人君子じゃあるまいし、何の見返りもなしに――っ、まさか!!」


そこで姉川は何かに思い立ったようだ。あぁ、そうだ。その通りだよ。


「お前、オレの身体を狙ってるだろ!」

「違う!!」

「男は恩売って身体を要求してくる狼だってママが言ってた!」


どんな教育方針だよ、そのお母さんは。


「寄るな変態!!」


缶が飛んで額にクリーンヒット。いつの間に飲みほしたのか、空だったことが幸いだった。


「あのな、俺がそんな奴にみえるか?」

「じゃあなんだよ。アガペー(無償の愛)なんてのは偽善者の吐く台詞だぜ?」

「別にそういうわけじゃなくて、ただ……」


それ以上先を言うのは、一瞬はばかられた。

理由を問われたら、自分の情けない境遇を話さなければ信じないだろう。

それが躊躇った理由、というかただ単に格好悪いことを知られたくない、なんてつまらない見栄だと思う。

だから『姉川が持っていた方が勝てる確率が高いから』なんて嘘をついた。いや、それも本心だけど。


「ふーーん」


その答えに、姉川は眉を少しあげ、何か考え込むような表情。

じろり、と俺の瞳の奥を射抜くような視線。そして、


「しゃあねぇな!」


だんっ、と机をたたくと姉川が勢いよく立ちあがる。そしてそのまま俺に向かって右手の人差指を突きつけてきた。


「オレとチーム組め」

「へ?」


一瞬、何を言われたか分からなかった。


「このイベント、個人戦に見えるが団体が禁じられたわけじゃない。グループの連中が参加できなくなるからな。だからここで即席のグループを組んでも全くは問題ないわけだ。OK?」

「それは、そうかもしれないけど。なんで俺を……?」

「まぁお前も一応戦えるみたいだしな。それにオレが嫌いなのは嘘つくやつ奴と、飯の邪魔をする奴と、タダで貸しを作ることだ。これで貸し借り無し。OK?」


嘘が嫌い。

その言葉、俺の胸が圧力機にかけられたみたいに押しつぶされた感じだ。なんとか顔に出さないように努める。

とはいえ、提案だけを聞けば双方に害のない取引だと思う。


「報酬は賞金の半分だ、いいな?」


にやり、と気持ちの良いくらい打算的な笑顔を見せる姉川。

もちろんこの誘いに、俺は拒否するつもりはなかった。


「あぁ、よろしく頼む」

「GOOD! その代わり変なこと考えんなよ。そんときは冥王星までぶっとばす」



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