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2 My Tecno Life

自分の意思、というのは大事だ。

自分で目標を決めたからこそ、やる気がでるし、自信も持てるし、失敗しても後悔しないで済む。

だが時にそれは世界という大衆の抑止力、言わば他者という障害や常識という枷によって無残にも踏みつぶされる。

そして、もう1つ。

抑止力が後天的な要因だとするなら、これは先天的なもの。

つまり生まれの環境。

幼い子供には抗えない、親という絶対。

その大いなる力の前に、自分の意思は時にかき消されてしまう。

親は子供に庇護を与える代わりに、自分の理想をアプローチとして子供に押し付ける。

それを子供は拒否する権利はない。

拒否すれば、それは親の庇護を拒否することと同じになり、それこそ生きていくことができなくなる。

だから子供は親からの誤ったアプローチを、間違っているとわかっていても、嫌だと思っても受け入れるしかない。

ただ、その誤ったアプローチを受けた子供は、親の期待に応えようと努力するが、それができないときは――



「こうしてひねくれるんです、はい」


以上体験談でした。誰のとは言わないけど。


『そもそも我が宝明学園高等部は、芸術、産業、科学、金融、アミューズメントと様々な分野で成功を収めてきた“宝明グループ”が設立したものであります』


はるか遠く、ステージでは校長のスピーチが行われている。退屈で思考が飛んでいた。


『そう皆様ご存知、音鳴一音おとなりかずねさん。7年前、彼女が起こした“ミュージック・レボリューション”を境に、アイドルの仕事は“歌って踊る”から“歌って戦う”に変わりました。“アイド流闘芸法”をぶつけ合う“バトル=ライブ”は今や世界に広がっています。我が校は“強く、正しく、美しく”の精神をモットーに闘えるアイドルの育成を――』


私立宝明学園高等部の始業式は、学校内にある小講堂で行われていた。

小講堂と言っても、収容人数3千人以上という規模だ。

これだけ聞けばとてつもない巨大な建物といえるのだが、全校生徒数1万人、今年度の入学生5千人、敷地面積2十万平方メートル(東京ドーム約4個分)の敷地をという化け物みたいなマンモス学園では小さい方に入ってしまう。

天下のエンターテインメント企業“宝名グループ”がバックについているからこそ、できる芸当なんだが。

閑話休題。


「しかし……退屈だな」


中学と代り映えのしない入学式の進行、校長のつまらなく長ったらしい挨拶に、さすがに辟易としてきた。

言い換えればつまらない。

言い換えなくてもつまらない。

いや、つまらないのが校長の挨拶とすれば、校長はその職分を全うしていることになるのだが。


ただ俺の今置かれている境遇を考えれば、そう切望してやまないのも当然だろう。

俺の座る、一般科の二階席。

武道館クラスの会場だ。

ここからはステージ上の人間など米粒にしか見えないし、逆もまたしかり。

一応、ステージ背後と左右には巨大スクリーンがあって壇上が映し出されているため、校長の顔のしわの数すら数えられることも可能だ。ここで芸能科の連中がコンサートやライブを行う時の配慮だろう。

つまり監視が緩い状態。となれば、軽い無法地帯になるのも当然の帰結だ。


「ね、TOSHI様見たってホント!? 写メ撮った!? 送って送って!」

「今日発表のオリコン見た? “SSサイレンサウンズ”と“OTOEオトエ”の姉妹でワンツーフィニッシュだって。これでここの3年の初音様が加わったら、トップスリーまであの姉妹で占めるんだろ。すげぇな、やっぱカズネの娘って」

「なーなー、ここって就職率良いって本当か? 卒業すりゃどこかの宝明企業に天下りできるんだろ?」

「アイドルと結婚したかったら、この時からツバ付けとかなきゃいかんわけよ、そこらへん俺はちゃんと計画してだな――」


ガヤガヤとは言わないが、ひそひそ話が横行していた。

まぁ退屈な入学の挨拶よりは、友達づくりの方が有益なのは確かだけど。俺もできれば話しの輪に加わりたかった。だが俺にはそれができない理由がある。

それは――


「ね、てかあそこの彼。ずっと気になってたんだけどさ。真ん中に1人だけジャージにパイプ椅子って、あれ、何の罰ゲーム?」

「え、知らないの? あのさっきまで超汗だくで走ってたんだよ。宝明なんとか祭りの一環とかいって」

「あー、あの訳わかんない鬼ごっこ? でも逃げ切ったって話しでしょ? すごくない?」

「いや、最後は1年の女子に捕まったんだって」

「えー、それ超ダサー」


おい聞こえてるぞ、そこの女子2人。

ちらっと睨みつけてやると「うわ、こっち見た」「いやぁ、犯される!」とかなんとか。

くそ。そもそもが、全部あの女がいけないんだ。


話は3時間ほど前に遡る。

早めの登校を果たした俺の前に立った1人の女生徒。

身長は150あるかないか。芸能科を示す蒼色の制服は胸元がはち切れそうなほど膨らみ、地面に届きそうなほど長い青の法被はっぴを羽織った彼女が俺に声をかけてきた。


『ねぇ君。一般科の新入生だよね? 入学オメー! てか朝早いねー。もしかして張り切って早く来ちゃった系?』

『え……あ。はい』

『あ、私のことはユーコって呼んで? 大島ユーコかユーコリンって呼んでね! なんつって冗談冗談』

『はぁ……あの何か用ですか? えっとユーコ――先輩、ですよね?』

『そそ。でさー、実は今日大事なイベントあんだけど。その大事な鬼役がさ。はは、笑っちゃうんだけど、1人足りなくて。あははは……って違う違う。笑うとこじゃないって! ヤバいの! ヤバヤバなの!』

『あの、何の話ですか?』

『このままじゃイベントが立ちゆかなくって。大事な羅刹十傑祭らせつじゅっけつさい、私のミスでおじゃんにするわけにはいかんでしょ?』

『いや、その何とか祭っての知りませんけど』

『というわけで君にその大役ならぬ代役を押し付けた!』

『押しつけたって言いましたよね?』

『え、マジで!? 引き受けてくれるって!? いやいや、義を見てせざるは勇なきなり。うん、君は勇者だね。ゆーちゃんだね。大丈夫、少なくとも100人くらいから追い回されるだけだから、安心して』

『俺の話を聞いてください。てか数の基準おかしくないですか?』

『はい、それじゃあこれ。鬼の腕章ね』

『聞けよ!』

『ルールは簡単。朝の9時から、始業式が始まる10時まで捕まらずにすんだら君の勝ち。超豪華賞品をプレゼン!』

『いや、出るなら賞品より賞金の方がいい……じゃなくて、まだやるって言ってないですし』

『ふーん? じゃあ学校の行事をサボるってことは、単位もらえなくなるけどいーのかなー?』

『ぐっ……』


回想終了。

今思い出しても腹が立ってくる。勝てない勝負はしたくないのに、単位という餌に見事引っかかってしまった。

マシンガントークで恐喝して嵐のように去って行った巨乳の女生徒。

ユーコと言う名前、芸能科の制服、ピチピチな胸元、背中に“祭”とでかでか描かれた法被。小柄な身体、服を着てもわかるでっぱり、茶系のカジュアルショートの髪型、おそらくD以上はあるだろう戦闘力、殊更目立つまっ黄色の縁メガネ、豊かに満つると書いて豊満。

…………いや、フェチとかじゃなく。健全な高校1年生にとって、あれは凶器なんだ!

とにかく探し出してこの恨み、3割増しで突きつけてやる。


『――という我が宝明学園高等学校でありますから、くれぐれも芸能科の方は怪我やスキャンダルに気をつけ、己の才能を遺漏なく発揮し、デビューを勝ち取ってください』

『校長先生、ありがとうございました。続きまして、生徒会より新入生への祝辞に移ります』


ステージではつつがなく普通に、入学式が進められていた。芸能の学校とはいえ、入学式は入学式でしかないのか。

と思ったその時だ。

ガタンっ

急に照明が落ち、辺りが暗闇に包まれた。

非常灯も含め、全ての電灯が消えたのだ。高い部分に窓があるが暗幕を張っているため、光というものが一切ない。停電、という声もあったが携帯にニュース速報もない。周囲がざわめき立ち、そこらでちらほらと携帯液晶の光が漏れる。


ドンっ!


突如、腹に響く重低音。


ドンっ!


ホールが揺れるほどの感覚。少し尻が浮いた。

辺りのざわめきが急に、波を打ったように静まり返った。


ドンっ! ドンっ! ドンっ!


音が連続して響き、次第にそれが8ビートを刻み始めた時、


『押忍っ!!』


マイクで拡張された大音量。室内にも関わらず突風が駆ける。


ガチャっ


音が響いて一筋の明かりが、スポットライトがステージを照らす。

ステージの上にはバンカラな応援団風の学ラン姿の男たち。いつの間に運ばれたのか、ステージの中央に大太鼓。遠くてその大きさは図り辛いが、ばちで勢いよく太鼓を鳴らす男よりも巨大だ。

その中、大太鼓と同等の巨大さを持つ人物が一人いた。大太鼓の前に、仁王立ちして立つ巨漢。あの姿格好に見覚えがある。確かあれは――


「あ、“絶対音漢”だ!」


そうだ。確かインディーズにも関わらず、プロのBクラスの実力を持つという男性アイドルグループ。

その標語は『我らこそおとこの中のおとこ』。

男らしい歌詞とその迫力ある声量で、女性ならず男性にもファンが多い。


『レディース、エーンド、ジェントルメーン!』


マイクではない肉声が講堂中に響いた。

単に“響いた”と言えば、ちょっと声の張れる人ならば当然とも思える。だがちょっと待て。

ここは収容人数3千人規模の大講堂だ。

2階席にいる俺にも響く肉声となれば、その異常性は言うべからずだ。

舞台袖から人が現れた。

巨漢の応援団たちに比べれば、小人とも言えるほどの人物。黒づくめのタキシードにシルクハットという、怪しげな服装。


『皆さんご存知、我が校のエース“絶対音漢”! デビューに向け忙しい中、新入生に向けてエールを送りたいということで来てもらいました!! ではどうぞ!』


黒のタキシードは巨漢を紹介すると自分は舞台袖に下がる。太鼓の音が激しくなる。そして巨漢が動いた。


『押忍っ!! 我らが男の中の漢。押忍っ!! 我らが姿見て、漢の生き様学べ』


太鼓の音、そしてそれを打ち破るようなボイス。まさに音のバズーカ砲。これが彼らのパフォーマンスだ。

時間で言えば、ほんの2分ばかりの曲だっただろう。

だが、圧倒的なボリュームで打ちのめされた感覚に、場内の誰もが言葉を失っていた。


『押忍っ!!』


と、最後の太鼓の音が静かに鳴り、その余韻が消えた瞬間、鼓膜を揺るがす大瀑布のような喝采と拍手が起きた。

拍手の嵐の中、例の黒のタキシードが出てきた。入れ替わりに巨漢以外の“絶対音漢”のメンバーと大太鼓がはける。


『いやー、素敵なパフォーマンスありがとう、ダイちゃん』

『む……ダイちゃんではない。大野大輔おおのだいすけだ』

『しかしやっぱ“歌力かりょく”が違うねー、羨ましい限りだよダイちゃん』

『だからお前は何回言えば分かる』

『つーわけで、退屈な入学式はここまで!』

『聞かぬか、人の話を!』


漫才のような二人の掛け合い。どこかで似たようなものを聞いたことがあったような……。


『はい、ダイちゃんの出番はここまでだから。さっさとはけるはけるー』


タキシードの人物がパチンと指を鳴らす。するとどこからか現れた黒子たちが4人がかりで、抵抗する“絶対音漢”の男を舞台そでに押しやった。


それを満足そうに見送ったタキシードの人物は、こほん、と咳払いして叫ぶ。


『さて、ここに集まったのはぁ! 未来あふれる新入生でも、うら若き15の雌雄でもない! 芸能界で己が本懐を遂げようとする獅子! すなわち、私たちの敵!』


急に変わった演説口調に、場内がざわっとなる。


『誰かが言った、一度会ったら強敵で、2日会ったらライバルで、毎日会ったら親友だ! 茨の道を踏み出した勇者たちよ、その道に幸あれ! 第98回ぃぃ! 宝明高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい第一夜、入学祭!』


黒ずくめがマントをはぎ取り、シルクハットとアイマスクを飛ばした。


『開幕だぁぁぁぁぁあ!』


一斉にクラッカー音が鳴り、紙吹雪が舞う。ステージの天井から垂れ幕(『宝明高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい』と達筆な字で描かれている)が垂れ下がった。

派手な演出だ、と感心するも一瞬、ステージを映すスクリーンに目が釘付けになった。

黒マント、シルクハットにアイマスクを取った黒ずくめの男――いや、女だ。

茶髪に白い肌。黄色い眼鏡に軽率そうな笑み。蒼色の制服に長い脚を引き締める黒タイツ。そして何より目を引くのは、年の割にかなり育った身体の一部分、そうあれは――


「あぁぁぁぁぁ!」


周囲の目を気にする余裕もないまま、思わず叫んだ。あいつだ。ユーコとか名乗った、朝の巨乳先輩だ。

彼女は舞台袖に手で何かを招いたかと思うと、あの青い法被はっぴが飛んできた。


『さてさてさてさて、退屈な始業式お疲れちゃん。これからはお祭り大好き生徒会所属、宝名羅刹十傑祭ほうめいらせつじゅっけつさい実行委員3年のユーコ先輩がお送りしますから、どっと肩の力抜いて抜いてー』


法被はっぴに袖を通しながらユーコ先輩のくだけた口調に、周囲の空気が弛緩する。


『んで、えっとここ何するんだっけ? え、祝辞? 祝辞なんて堅苦しいのユーコ嫌いだなー。んー、じゃあそうだ。キミたちの好きそうな話題――デビューの話をしよう』


デビューという単語に、1階席に座る芸能科の生徒たちに緊張が走る。

会場はシンと水を打ったかのように静まり返った。


『芸能科の誰もが目指すデビュー! この学校はアイドル養成を専門としてるとはいえ、全員ができるわけじゃない。当然だね。そう、ここでデビューする方法は3つ!』


ユーコ先輩が右手を高々と上げる。その人差し指が伸びた。


『1つ、卒業ライブで観客動員数を3万人以上にすること』


続いて中指。


『2つ、バトル=ライブで自分の芸能ランクをSランクに上げ、教師とのバトル=ライブに勝利すること』


そしてなぜか小指が立った。


『そして最後の1つ――それが宝明高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい! 年10回行われるこのイベントで全校生徒1万人のトップを取った生徒には即デビューのチャンス! かくいう“絶対音漢”も一昨年の第3と去年の第7の覇者だよー』


3万人とか即デビューとか。

改めてこの学校のスケールに驚かされる話に、特に1階からざわめきが起こる。


『あれれ、その反応。もしかしてビビっちゃってる? 怖気づいちゃったりしますか? 上級生とか1万人相手とか、無理に決まってるとか思っちゃってます?』


そりゃそうだろ。3万人の観客とか、1万分の1とか規模が規模だ。

尻込みもしたくもなる。

俺ならする。


『そう思った奴は、今すぐこの学校を辞めなさい!』


ざわざわとどよめきが大きくなる。


『私の心の師はこう言ってる。戦う前から負けること考える奴がいるか、と!』


どっかのプロレスラーが言ってそうなセリフだった。


『そんな弱気でデビューしようなんて、金と時間と才能の無駄! 今すぐ退学して別の道歩め! サラリーマンになれ! 安定した収入得て頭下げて出世して良い伴侶を得て幸せな日々を送って死んでしまぇい!』


それはそれで良い人生ってやつだと思うぞ。とは思うが、ここに来る連中はそれを放り出してでも厳しき門を叩いた人たちだ。


『ここにいるってことはそうじゃないでしょ!? 自分でやってやろうと思って門を叩いたんでしょう!? それなら必ずこう思え!』


言ってユーコ先輩が振り返り、法被はっぴの背中がスクリーンに映し出される。

そこに書いてある文字――今朝見た“祭”という字じゃない。


自意識過剰。


そんな5字熟語が殴り書きされていた。


『自意識過剰! “俺には出来る”、“俺は特別だ”なんて常に思ってる『俺夢詐欺』の人間! 新入生だからって壁はない! 皆がすぐデビューできる! 倒れる時は前のめり! その覚悟は、自信はあるかぁ!?』


瞬間、大地が揺れる。

芸能科の新入生3千人という人々の熱気が最高潮に達して地ならししているのだ。そして『ユーコ! ユーコ!』とコールが始まった。

そこで、俺も同様にハッとする。彼女の――ユーコ先輩の演出に引き込まれていたのだと。

固っ苦しい挨拶を省いた派手な演出、ジョークを交え、安心させたかと思えば焚きつけ、それを放出させる。

まるでジェットコースターのような方法で、新入生の心をつかんだ。あの先輩、見た目以上のくせ者なのかもしれない。朝の一件を俺はまだ許したわけじゃないけど。


『と言うわけで、宝明高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい、その第一夜。まずはイベント進行に必要なアシスタントくんを紹介しまーす』


パチンと指を鳴らすユーコ先輩。

すると舞台袖から現れた数人の黒子が、白い巨大な長方形をステージ上、ユーコ先輩の後ろにセットする。

マットだろうか? 遠くて分からない。


「はいじゃあ失礼します」


声。近く、というか隣だ。ステージに注目していたからすぐには気付けなかった。

俺の腹に何かが巻きつけられ、カチャと小さく金属音が響く。


「え? なに、これ!?」


腹巻、というより幅広のベルトが俺の腹部をしっかり固定。

左右から青色の制服の生徒に、両脇を抱えられ強引に立たされた。周囲の好奇の目が痛い。


「スポットお願いしまーす!」


直後、目に強烈な痛み。手をかざして数秒、それがスポットライトの光と知る。

その間もシュルシュル、カチャカチャと自分の周りで何やら作業が進む。だが何をやっているのか分からない。


「お腹は緩かったり苦しかったりしない?」

「は? いや、なんの話?」

「じゃあこれ、しっかりかぶって」

「いや、質問に答え――って!」


ずぼっと何か重く固い物が頭にかぶせられ、念入りに固定される。

外見は分からないけど、これってヘルメットだよな?


「OKそうだね。それじゃ吊り、入りまーす」

「いや、そもそもNGだって……おい、ここに日本語通じる奴はいないの――うわっ!」


背中から引っ張られ、足先がういたと思ったら、腰を中心に宙づり状態。背中が少しつっぱる。

腰を起点にぶら下がっていて、地に足がつかない。

それが余計に焦りを生む。


「ちょ、た、助けて!」

「頭上の糸、見える? それに沿ってグーンとステージのあの白のマット。分かるね? 注意点はさっき言った通り。絶対に暴れないこと。あと口を開かないで。舌噛むから。頭を下に、背中からライドオン。いいね?」


おいおいおいおいおい。

男の話は擬音と抽象的な表現しかないが、これから何をするのか、何をされるのか、分かりたくなかったが分かってしまった。


『はーい、皆ちゅうもーく! これから彼には、こっちへ来てもらいまーす! ライブでも“滅多に見れない”から、よく見ておくがよいよー』


さっと血の気が引く音が聞こえた。


『それでは行きまっしょう! カウントダウン! ファイブ、フォー……』


ユーコ先輩が楽しそうにカウントダウンを始める。それに乗っかる観衆。

2階の俺の傍にいた連中も、他人事のように(実際他人だけど)、一部不安そうに楽しんでいる。


『ワン!』


そして永遠に来てほしくない時間が、


『ゴー!』


来た。

ガクンと体が揺れる。そこから浮遊感が消え、すぐに疾走感に。体が宙を飛ぶ。


ヤバい、ヤバい! この速度、激突、死ぬ! 頭が下! 死ぬ! 風! 俺が風になる! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬヤバい死ぬ死ぬ死ぬ落ちる死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――


「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


永遠に続くとも思われた疾走も、


ぼふっ


という柔らかい音とともに終了した。


「は……はは?」


全身を包むふわふわしたもの。眩しすぎるライトの明かり。耳を打つ人々のざわめき。

俺、生きてる? 生きてますか? 生きていいんですか?


『はーい、こちらトップアイドルでもめったにやらない宙づりを体験したのは――』

『へっ!?』


ライトを遮り、急に俺の唇に何か固い物が突きつけられた。なんだ、と思ったそれがマイクで、ライトを遮る影が例のユーコ先輩だと気づく。


「なーまーえ! ユアネーム、ハリ!」


ユーコ先輩がマイクに反映されないよう小声で急かしてくる。混乱した頭で、俺は思わず名前を答えていた。


『し、しの……拓哉』

「しの……たく?」


ユーコ先輩は俺の名前を反芻して、


『はい、アシスタントのシノタクくんでしたー。はい拍手ー』


脳が試運転を始めるのに0コンマ2秒。停止していた頭がフル回転。

現状を理解するとマットから転がり落ち、ふらつく頭を押さえて言い募る。


「よろしくじゃないだろ! 勝手に何しやがる! 人の名前を略すな! それと何だアシスタントって! 大体朝の件だって――」


だが言葉が止まった。

飛蚊症のようなライトの斑点が落ち着きを取り戻して、壮大な景色が目に飛び込んできたからだ。

2階から見た異常に広い板張りのステージ。そして熱いほどに熱を持つライトの光。その中央、自意識過剰と書かれた法被を羽織ったユーコ先輩。

そして、その向こうに並ぶ人、人、人。

3千の群衆。6千の眼。

それが俺に(実際はユーコ先輩にだろうが)注目していると思うと脚が震えた。

なんだ、このプレッシャー。

これが、人の前に立つということ。

何をするわけではないが、原始的な恐怖が俺を包んだ。

……逃げよう。思ったが吉日。さっそく回れ右して、舞台袖へはけようとしたところ、


『はーい、シノタクくん逃げないの。生徒は学校イベントには絶対参加、つまり実行委員のあたしには絶対服従!』


むんず、と襟首を掴まれた。ユーコ先輩に。馬鹿な、数メートルは離れてたのに。


『さてもう1人のアシスタントをご紹介。なんと現在、テレビ早朝の日曜朝から絶賛放送中の大人気特撮ドラマ『爆音戦隊 ソウオンジャー』に出演している、新入生にしてプロのランクを持つスーパークール系草食男子アイドルグループ……“男子ング”!!』


おい、それって朝の連中だろ。人選考えろ、人選!

だが、俺の耳に入ってきたのは、聞き覚えのある別の叫びだった。


「てめーら! 何しやがる!!」

「え……?」


舞台袖から飛び出すように現れたのは、薄く赤みがかった長髪を後ろに束ねた芸能科の1人の少女。

なぜか後ろ手に縛られているらしく、不安定な足取りで舞台に姿を現した。

間違えるわけがない。あの子だ。

屋上で会い、蹴られた彼女だ。

制服は新品のものに代わっているのが、何となくほっとした。


「あ、何見てんだ?」


見ていたらメンチ切られた。怖かった。


『その“男子ング”を今朝、一人でボコボコにした稀代のルーキーにして超美貌のお姫様! 始業式をサボって屋上にいるところ、拉致させてもらいましたー、姉川舞音さんでーす!』


歓声と一部黄色いブーイングが沸き起こる。

あの男子ングって奴ら、女子には人気あったみたいだ。

ただそれより、俺は目の前の少女から目が離せなくなっていた。

姉川舞音。そうだ、そんな名前だった。


『オープニングイベントを盛り上げてくれたこの二人に、宝明高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい第一夜のアシスタントを務めてもらいまーす! はい、も一度拍手ー』


大観衆からの拍手は、まさに音の洪水。それに対し姉川舞音は、猛然とユーコ先輩にくってかかる。


「おい、この茶番はなんだ? さっさとこの手錠外せ」

『続いて宝明高羅刹十傑祭ほうめいこうらせつじゅっけつさい第一夜。そのルールを紹介するよん』

「聞けよ、人の話を」

『今日、ここの入り口で配られたこの腕章! みんな持ってるかな!?』

「なに勝手に進めてんだよ!」


食って掛かる姉川に対し、ユーコ先輩はなんのその。テンポよく説明を続ける。


『芸能科は青、一般科は赤の腕章が渡ってると思うけど、その裏地に数字が書いてあるよね。これが皆の持ち点になります! ここにある腕章は5千個。1つ1つに得点が書いてあって、その総数は10万点! ルールは単純にして明快! “腕章争奪バトル=ライブ”!! 15時までに総合得点が多い5組が決勝リーグへ進出! そして16時から決勝リーグを行うじぇえ!』

「てめ、いい加減に――しろ!」

「おい、やめ――」


姉川が痺れを切らして一歩踏み込む。

俺が止める間もなく、客席を向いているユーコ先輩の、死角となる背後から右の回し蹴りを放った。

だが、


「にゃっ!?」


気配に気づいたのか、動物的な反射でユーコ先輩は姉川の蹴りをギリギリ躱した。


「おろろ? マイちゃん、なんで怒ってるの?」

「マイちゃんって呼ぶんじゃねえ!」


怒声と共に蹴りが飛ぶ。

両手は塞がれているというのに、姉川は腰の回転を使いながら次々と連続の蹴りを見舞う。対した運動神経だ。

怒涛の攻めを、ユーコ先輩は紙一重で躱しているが、いつ直撃をもらってもおかしくない。

ただ、俺としてはそれより、動き回る姉川の動きにつられ、左右に流れる後ろ髪と、ヒラヒラ揺れるスカートに目が行く。

見ちゃいけないという良心の自分と、スパッツと分かりつつも一種の興奮を覚えてしまう自分がいた。


「わっとと、ごめん。気に障ったなら謝るから! あ、そうか。マイちゃんたち、腕章もらってないから怒ってるんでしょ!? ならイベントを有利に進められる超特効アイテム、“スーパー羅刹クン、腕章バージョン”をあげるから!」

「んなもん、しったこっちゃねーんだよ!!」


姉川の攻撃がさらに鋭くなる。

なんとか直撃は受けていないが、このままではユーコ先輩は大怪我必至だ。


「お前、いい加減に――」


勇気を出して姉川に近寄り、その肩に手を乗せようとして、


「邪魔……」


逆に姉川に掴まれた。

そこからは一瞬。

足を払われ、腕は引っ張られる。

身体が前のめりになり、そのままふわっと重力がなくなり、


「すんな!」

「のおおおおお!?」


空気を裂き、視界が高速で流れる。

目の前にはユーコ先輩。

ぶつかる!!


「危ない、よっと!」


ユーコ先輩は右に避けて僕の突進を躱してくれた。

だけでなく、襟首をぐいっと引っ張って僕の前進運動を止めてくれた。

……喉が絞まったけど。

さらに身体が回転して、ユーコ先輩の右腕の中にすっぽり収まった。


「大丈夫?」

「あ、はぁ……前っ!」


僕が喚起を促すのと同時、ドンッと突き飛ばされた。

たたらを踏む僕の目の前で事態は動く。

僕が叫んだ原因である姉川がステップインして、ユーコ先輩に向け足払いをかける。

ユーコ先輩はそれを小さく跳ぶことで回避。

だがそれは姉川の誘いだったようだ。


空中の身体にあっては回避運動はできない。

姉川は足払いから体を一回転させ、宙のユーコ先輩に渾身の回し蹴りを放つ。

ユーコ先輩は左腕をかざしてガード。

肉を打つ音が会場に響く。


「とどめっ!!」


着地したユーコ先輩に、姉川の蹴りが飛ぶ。

しかも今までのような横の蹴りじゃない。

足先で貫くような、前蹴りだ。

着地した直後の不安定なタイミング。しかも変化の加わった縦の蹴り。


「あっ!!」


ユーコ先輩の顔が上に吹っ飛び、くるりとほぼ一回転。前身から床に倒れこんだ。

会場がシンと静まり返る。

それはこの攻防が鮮やかで見惚れたのと違う。

進行役が倒れたという事実。1年が先輩を倒したという事実。

演出の一部か、という疑うものもいただろうが、それらを踏まえて考えれば、絶句という方が正しいだろう。


そして何より異様なのが、ユーコ先輩は当然として、勝者であるはずの姉川がピクリとも動かないことだ。

蹴りを戻して、左半身のまま、まるで時間が止まったかのように止まっている。


そんな光景にようやくざわめきが起こり、さらに舞台袖が慌ただしくなったのを見て、現場にいた俺はとりあえず事態の確認に動く。


「お、おい! なにやってんだ!」


俺は姉川に駆け寄り、一瞬の躊躇の後、その肩を掴んだ。

だが反応がない。様子がおかしい。


「おい!」

「あ、あぁ……」


肩を激しくゆすると、姉川は急に我に返ったように辺りを見回し、そしてこちらを一瞥。

そしてすぐに倒れたユーコ先輩を険しい目で見る。


『痛つつつつ……いやいや元気だねー、まったく』


鼻先を抑えながら、ようやく起き上がったユーコ先輩に、会場から安堵のため息が漏れる。

どうやら無事みたいだ。

が、それを見た姉川の表情が、さらに険しいものになった。


「てめぇ、わざとくらいやがったな」

「わざと……?」

「ふふふ、試合に負けて勝負に勝ったみたいな。いやー、そこのシノタクくんを餌に使うとか、試合巧者だねー」


ユーコ先輩が額をぴしゃりと叩きながら姉川を褒める。

そこで気づいた。その顔が綺麗すぎることに。いや、別に美しいという意味ではなく、姉川の蹴りを食らったにもかかわらず鼻血どころか、痣一つない。


「んふふー、シノタクくん。アイドルは鼻血なんて出さないよ。あのお姫様も、ましてや気絶なんてしてないしない」


俺だけに聞こえる声で、ユーコ先輩がそう言った。

確かに、駆け寄った時の姉川の反応、あれはおかしかった。

まるで気を失っていたような……。でも何故?

そこで思う。

ユーコ先輩の倒れ方。

勢いが良すぎた、といえばそうだ。もしそれが故意で、跳ね上がった足が、姉川の顎をかすめていたとしたら……。


「さてさて、続けましょうかねー、始業式を」


すました顔で伸びをするユーコ先輩。……この人、どこまでが素で、どこまでが演技なのかわからない。


『というわけで、気合十分の彼らにはイベント超特効アイテム、“スーパー羅刹クン、腕章バージョン”をプレゼンツ!』


ユーコ先輩がポケットから取り出したのは黒の腕章。それを姉川に渡す。


「ほい、シノタクくんも」


俺にも黒の腕章を投げてくるユーコ先輩。

思わず受け取ってしまった。

黒の下地に、鬼のようなデフォルメキャラが『ワシゃ羅刹くんだがや!!』と、叫んでいる絵がプリントされていた。


「え、俺も……?」

「そ、言ったじゃん。キミもアシスタントとして手伝って欲しいって」


そう言うユーコ先輩の顔は、どこか楽しげで、どこか打算的で、どこか優しげだったと感じた――


『はい、今二人に渡した黒の腕章! これは1個1万点! 2つセットで3万点の超ボーナス! 決勝リーグに行きたければ、この2人をボコボコにするがヨロし!』


――のはどうやら思い過ごしだったようだ。


『さらに気になる優勝賞金の発表! 賞金5百万に、収容人数8千人の特別ステージでのライブ権利! 優勝できなくても順位に応じた賞金がでちゃうのよ!』


客席から「おお、シノタクぶっ殺せー」「あのカワイコちゃんから奪ってやる!」とかいう意気込みが沸きあがる。

あれ? なんで俺、入学初日から全校生徒を敵に回してるの?


「そういうことか、てめぇ」


ふと、姉川が苦り切った顔でユーコ先輩をにらむ。ぶつかり合う2つの視線。

再び戦いの火ぶたが切って落とされるかと思いきや、引いたのは姉川の方だった。

くるりと踵を返すと、


「やる」


とだけ言って、俺に黒の腕章を押し付けて、前を通り過ぎる。

俺が反応する前にそのまま舞台袖へ消えていった。


「あれー……おっかしいなぁ。ちゃんとお願いしたつもりだったんだけど」


むむむ、とうなって見せるユーコ先輩。

お願い? 俺には押し付けに見えたけど。


『ま、気を取り直して。イベント開始は昼12時ジャスト! せっかくのお祭り、盛り上がってこー!!!』


うぉぉぉ、と地鳴りが講堂を揺らす。

姉川から受け取った2つの黒腕章、計3万点。

学園中の敵意が俺に向かう。明らかに勝ち目はない。

……逃げよう。

勝てない勝負はしない。君子危うきに近寄らず。自分の命が一番大事です。篠崎拓也くんは早退しますよっと。


「逃げようったってそうはいかんぞい」


背後からユーコ先輩の声が響いた。


「お金はいらんのかい、シノタク少年ボーイ?」

「それ誰ですか」

「いやー、大変なことになっちゃってるみたいで、少しでもやる気出してもらいたいと思って。ふーむ。お金が駄目ならどうすればやる気出してくれるかにゃー?」

「大変って、そもそもあなたが――」


文句の一つも言ってやろうと思い、振り返ろうとして――できなかった。

1つは不意に両肩から回された2つの腕。長袖の法被。そしてもう1つが、背中に当てられたもの。暖かくて、弾力のある何か。

これは、これはまさか……。

いや、慌てるな! 熱で膨らませた風船という可能性もある!

そうやって俺を驚かして衆人観衆の笑いものにする気だな。そんな手口に嵌るほど俺は甘くはないぞ!

とはいえこれはD……いや、まさか究極の戦闘力Eの可能性も!?


そして続く言葉に、俺の理性は――


「キミ、えっちぃこととか興味ある?」


たぶん崩壊した。


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