16 ココロオドル(後日譚)
「ちょっときつくないか……」
制服の一番上のボタンを締めながらつぶやく。
自室の姿見の前。
宝名学園高等学校の制服に身を包んだ一人の少年がいる。
東雲拓也――俺だ。
一昨日入学式を終えた俺たち1年生は、週が明けて今日から本格的な登校となる。
「……似合わねぇなぁ」
一般科の紺色とは違う。抜けるような空をイメージして作られたという、蒼色の制服。
アイドル候補生たる芸能科の制服だ。
「くそ、やっぱりきついぞ! あの人、ちゃんと寸法図ったんだろうな!」
毒づきながら、お祭り大好き巨乳先輩のことを思い出す。
今考えれば、あの人から始まったんだ。今の、この状況は。あの日もこうして早起きしていたような気がする。
そして、もう一人……。
「母さん、息子がついにアイドルになるんだな」
「お父さん、ついに私たちの夢が叶うのね……あぁ」
「母さん! しっかりするんだ! 息子の武道館ライブにゲスト出演する約束だろ!?」
背後から話し声。
振り向かなくても分かる。姿見にくっきり映っている、2人の男女。親父とおふくろだ。
「あのなぁ、二人とも。ただ宝名に入学するだけで大げさだろ。毎年何千って入ってるわけだし」
それにどこの世界に、両親がゲストで登場する武道館ライブがある。
「そんなことないぞ! 宝名に入れたってことは、それだけでスーパースターの階段に足をかけたんだ。落ちこぼれた他の連中と違って、チャンスはある! 可能性は0じゃあない!」
四角い顔に立派なひげを蓄え、太い眉の下には意志の強そうな少年の瞳。見た目は頑固おやじ、中身は超ミーハー。東雲卓司。俺の親父。
「そうよぉ、昔の人は言ってたじゃない。諦めたらそこで人生終了させますよ、って」
病弱そうな白い肌に、のほほんとした優しい笑顔。見た目は深窓のお嬢様、中身は超ミーハー。東雲玲子。俺のおふくろ。
この二人、何を隠さなくてもアイドルオタクだったりする。
付き合った理由は好きなアイドルが一緒だったから。結婚した理由は好きなアイドルを二人でおっかけするため。子供を産んだ理由は将来アイドルに育てるためという、アイドル馬鹿。
この二人のせいで、兄貴と姉さんは蒸発。俺も芸能界追放という烙印を負った。
……まぁ、それでもこうして、また宝名というところに入れる以上、俺はまだマシな方か。
「拓也」
「なんだよ、親父」
急に真面目なトーンで声をかけられた。
「一番上のボタンは外しなさい。そっちの方が格好いいだろう?」
知らんがな。ため息しかでないな、この二人は。
そんなことやっているうちに、家を出る時間が近づいていた。
「朝食は?」
「あ、できてるわよー。タッちゃんの新しい門出を祝って、豚の丸焼きに挑戦してみたの」
「阿呆か! 朝からそんなの入るか! 大体、いくらしたんだよ、そんなもん!」
「こら! 母さんに向かってその言葉はなんだ! アイドルならおバカですか、と言いなさい!」
「怒るとこそこかよ!」
「いいのよ、お父さん。アイドルに阿呆なんて言われるなんて……あぁ、夢みたい」
「そ、そうか! くっ、母さんだけずるいぞ! よし、拓也。お父さんにも言ってくれ、このメス豚が、と!」
「言うか! もう、準備あるから外出てくれよ!」
2人を追い出して、カギを閉める。
(おお、まさかこれが反抗期というやつか!?)
(あなた、アイドルの反抗期ってどうなのかしら? やっぱりローラーブレードで旗持って走り回るくらいはするのかしら!?)
(おお、違いない。すぐにローラーブレードと大きな旗を用意しなければ!!)
この両親は……。
ドアに額を打ち付けて、しばし頭痛が過ぎるのを待つ。
だが、同時に思う。
彼らがいなければ、ここまで来れなかった。
姉川舞音に会えなかった。
歌の本質を、知ることもできなかった。
それは、素直に感謝すべきことなんだろう。
あのハチャメチャな入学式も、やはりあの時は苦しく辛いものだったが、今にして思えば充実して満たされた感じが強い。
あれが入学式でのことと考えると、この先何が出てくるか分からないが、その時はその時だ。
多分、ノリの良い感じで突っ切れば何とかなるだろう。
そうだ、それくらいの気構えで行った方が、人生なんてものは丁度いいはずなんだ。
楽しむことが大事だと、俺はあの時学んだはずなんだ。
Take It Easy。
ロックに行こう。