13 ダンシング・サウンド
土くれが次々と直撃し、俺の身体は宙を舞った。
痛い――いや、痛くない。
痛覚がなくなったのか。
重力もなくなった。ここは宇宙か。そんな馬鹿な。
ぐるりと視界が回る。回転が止まった。
ぼやけた視界に映るのは紺色のキャンパスに刺すような白。
そこに黒いもやが映る。人の顔のようなもの。
誰だ?
思考する能力も失せていた。
ぼんやりとした意識と視界の中、次第にそのもやが実態となる。
あぁ、あれはおふくろだ。いや、親父か。
相変わらず幸せそうな顔しやがって。
これからどんな悲劇が待っているのも知らずに。いくらなんでも買収は良くないだろ。ましてや相手は伝説のアイドル、カズネだ。
そうだ。彼女が審査員として出るからこそ、注目されたオーディションだったんだ。
そんなことも知らず、俺は緊張と表現できることの喜びでいっぱいだった。
そりゃそうだ。あのときは小学生になったばかりくらい。
なんで……こうなっちゃったのかな。こうできちゃったのかな。俺は多分悪くない。悪くないのに、親に、他人に、世界に妨害を受けて、こんな結末を――
『負けたのを人の所為にしちゃだめ』
女性の声。
いや、俺はこの声に、この言葉に聞き覚えがある。
カズネだ。
あれは、そうだ。買収がばれて査問会に両親が連れてかれた後。俺は控室で待たされていた。
あの時は自分に降りかかった出来事が何か分からず、ただ優勝できなかったことが悔しくて、広い(子供の記憶だから本当は小さいのだろう)控室で独り寂しく泣いていた。
『惜しかったね。君の実力なら十分に優勝を狙えたのに』
そこへ現れたのが、カズネだ。
カズネは優しく、俺の悲しみをいやそうとしてくれて、しばらく話を聞いてくれた。
『恨んでる? お父さんとお母さんのこと』
話が尽きた頃、彼女はそう聞いてきた。
俺はその言葉に何と答えたのだろう。
『お父さんやお母さんを憎んでもだめ。負けたのを人のせいにしてもだめ。運がなかったと諦めるのはもっとだめ。でもね、人間は生きていれば、必ず今日みたいな辛いことは起こるの。その時はどうすればいいと思う?』
幼少のころの記憶だ。そんなことを言われてもよく分からなかっただろう。
『歌うの。辛いとき、哀しいとき、苦しいとき、その時の感情を表に出すの。お腹の中から出ていけ、って念じながら。そうするとあら不思議。悔しいこともすぐに忘れちゃう。さ、おばさんと一緒に声を出してみて』
時間にすればほんの10分にも満たない時間。
それでも、俺は救われていた。傷ついた心をいやしてくれた。
あの時はただ、歌えれば楽しかった。負ければ悔しかった。
単純な感情に一喜一憂して、それでも前を見て歩いてこれた。それが、どうしてこうも複雑になった。
辛いとき、哀しいとき、苦しいとき、俺は歌っていたからこそ、それらを乗り越えられた。
それが俺の原点。そうだ。俺は――
「好きだ」
「……は!?」
声に出した。
はっきりと自分の耳に聞こえる。生きている。
夕陽が沈み、夜の帳の降りた天蓋。そしてステージを照らす、目を刺すようなライト。
その影になるように、一人の人物。テレビで見たものと変わらない、アイドルの衣装を着た人物。
――カズネ。
あの時、手を差し伸べてくれたあの人が、今にも泣きそうな顔をして俺を見てくれている。
大丈夫ですよ。俺はまだできる。
やりたいことができる。闘える。
そうだ、聞いてください。
あなたのおかげで思い出せたんだ。昔に忘れ去っていた、あの気持ち。そうだ、俺は歌が――
「好きです。愛してます」
「な、ななな、何を言ってる!?」
「もう自分の気持ちに嘘はつきません」
俺は音楽が好きだ。歌うことを愛している。
アイドルが嫌い、なんてことはない。
俺はアイドルを目指し、挫折し、そして救われたんだ。
過去に受けた忌まわしい記憶で、自分が悪いと思いたくないから、アイドル連中を下手だ偽物だと難癖付けて、自分に言い聞かせた。
俺が目指していたアイドルなんてものは、こんな汚いものだ。だから俺はいいんだ、と。自分を正当化していた。
アイドルにはもう勝てないと決めつけて、夢を諦めたふりをしていた。
全ては、自分がこれ以上傷つかないように。みじめな思いをしないために。
けど、それはもうしない。
「俺は好きだ。だから好きなことで、好きだって気持ちで、負けるのは……二度とごめんなんですよ」
「お前、何を言って……そんな急に。あ、頭、大丈夫か!? 打ったのか!?」
立つ。痛い。
骨がバラバラになりそうだ。実際何本か折れてるのかもしれない。
頭がズキズキと痛い。
足がプルプル震えて、生まれたての子ヤギだ。
でも、立った。
動ける。声が出せる。
それだけで、十分だ。
「俺は勝ちます。勝って、優勝して、俺が好きだってことを、認めてもらうんだ」
「おい、ちょっと待て!」
止めないでくれ、カズネさん。
俺は勝つんだ。
勝って、デビューの座を射止めるんだ。
決勝は1対1のバトル=ライブ。足場は悪いが、それは相手も同じ。
「お前が相手か!」
「……当たり所が悪かったか。哀れな」
歌力がびりびりと伝わってくる。
さすがは決勝の相手。けどここで引くなんてできない。
親父や母さんが見ている。あの心配性の2人のことだ。今にも卒倒しそうな顔がよく浮かぶ。
心配すんなよ、俺、頑張るから。
さぁ、バトル=ライブの始まりだ。
『たとえば最低最悪の日が、僕らの身に降りかかったとして』
身体はボロボロ。喉も万全ではない。
でも声が出る。歌いたいという気持ちがあふれ出る。
『全てが嫌で、何もかも投げ捨てたくなって。どうしたらいいのか分からなくなる日々。自暴自棄になる時もある。他人を傷つけたくなる時もある。だけど』
静かに、心を落ち着かせるように歌詞を紡ぐ。
『それでも気にしない。こんな日もあるさと笑い飛ばせ』
ただ熱く。
そう熱さだ。
俺が求めていたもの、楽しかったもの。
全ての記憶、俺が生きてきた証。それを旋律に乗せ、ぶつけろ。
熱く、ただ熱く。
『だって俺は生きている。ここにいる。苦しみながらもがきながら前に進め』
音が巡り、熱を持つ。
風がその熱を運び、相手を襲う。
「馬鹿な、一般科が闘芸法だと!?」
反撃が来る。
風に音が乗って、俺を襲う。体中をハンマーで殴られているかのような感覚。
けど、
「魂のこもってない、“そんな歌”は効かない!」
嘘だ。めちゃくちゃ痛い。
でも歌うことで、辛いこと、苦しいことは全部吹っ飛ばすことができるんだ。
痛いの痛いのとんでけってさ!
『痛くても、辛くても、それでも気持ちはいつでも前へ。さぁ、歌え!』
燃えろ、俺の心。
燃えろ、俺の音よ。
すべての観客に火をつけろ!
大気が熱量をもって、炎となる。現実の炎ではない。だが、その“熱”は本物だ。
炎は連なり、そして目標を燃やしつくさんと迸る。
「炎の蛇……!? 真の戦士となるか!」
「おおおおおおおおおおっ限界を超えろ、無限の自分!!」
炎が相手にまとわりつこうとする。だがそれを、
「押忍っ!」
相手が地面を殴った。巻き上がるコンクリートに土がそのまま相手を襲う。自爆か。
いや、違う。
「ぐっ!」
相手は大地の力を躱すこともなく受け止めた。
ダメージはあるものの、俺の炎をそれで防いだ。
流石強い。決勝に残るだけのことはある。
「おい、無茶すんな!」
ぐいっと、肩を引っ張られた。
誰だ、せっかくいいところで邪魔をするのは。
振り返り、そこにいるカズネ――じゃない。
「あれ、姉川……?」
目の前にいたのは姉川だ。熱していた身体が、一気にクールダウンする。
なんだろう、頭がぼぅっとしてる。
「あれ、カズネは?」
「はぁ? ママがこんなとこにいるわけねぇだろ」
そうだ。姉川はカズネの娘だ。だから良く似ている。
ましてや同じ衣装だ。見間違えたのもしょうがない。
しかし、なんだろう。この感覚。今まで何をしていたか覚えていない。
と、俺の視線に気づいた姉川はサッと顔を伏せてしまう。
「どうした、顔真っ赤だぞ?」
俺の問いに、姉川は金魚のように口をパクパクさせ、何か言いたいようだが、結局はふてくされたように口を尖らせてしまった。
「ぅっさい。本当にその気があるなら……勝って証明しろ。話はそれからだ」
姉川らしい切り返し。
今までボコボコにやられてたんだ。本気の大野先輩。自信喪失していないみたいで安心した。
「あぁ」
だからと、俺は姉川に微笑みを返す。
「と、とにかく! それまではその話はホリューだ、ホリュー!」
急に慌てたように、俺から視線を外す姉川。「まったく、公衆の面前で何を……」とかなんとかぶつくさ言っている。
何か引っかかる……。
姉川のこの反応。俺、さっき何て言ったっけ。てか今まで俺何してたんだっけ?
なんかとんでもない勘違い発言をしてしまったのか。
……ま、いっか。思い出せないってことは大したことじゃないに違いない。
「驚いたな。貴様が闘芸法を使ってくるとは」
大野先輩だ。
なぜか体中に傷を負っている。服の一部が焦げているが、まぁ姉川がやったのだろう。
しかし完全に蚊帳の外だった俺に、視線が注がれているのは何故だ?
しかも今更、闘芸法?
姉川の闘芸法なら腐るほど見せられたはずだ。
「覚えていないのか? まぁいい」
そう言う大野先輩は、なぜか嬉しそうだった。
「構えろ、姉川舞音。そして篠崎拓哉。次が最後の曲だ」
緊張が姉川に走る。大野先輩の雰囲気が、急に重苦しいものになったからだ。
「離れてろ、タクヤ」
姉川に突き飛ばされた。
俺は情けないことに、簡単によろけ、そして見た。
姉川が大きく深呼吸。大野先輩は、念じるように両手のばちを眼前で合わせる。
大気が震える。これから起きる激突を予兆するかのように。
そして、
『姉川流闘芸法、奥義――ブレイク・ライトニングサウンド!!』
『漢者レコード流、打鼓奥義――真・旋風烈衝破竹波!!』
激突した。
音と音。
衝撃と衝撃。
そして歌力と歌力。
人間1個体を構築する全ての力が、姉川と大野先輩の間で激突している。
力は均衡。
いや、大野先輩は化け物だった。
「もっとだ、もっと見せろ! お前の歌力を、お前の夢を!」
大野先輩が楽しそうに、めいっぱい振りかぶったばちを太鼓の表皮に打ちつける。渾身の連打。
「く……そ」
姉川が押され出した。苦痛に顔をゆがめ、じりじりと後退する。
それでも負ける、とはもう感じなかった。
支えるべき背中。ただそう感じた。それがすぐそこにあるということも。
だから俺は迷わずその背を取り、
「言っただろ、俺はお前を見捨てない」
勝負の瀬戸際に関わらず、姉川が振り向いた。
馬鹿野郎。よそ見すんな。
その態勢じゃあ、腹に力が入らないだろう。声を生む、力が。
だから俺は前を向く。
『前へ一歩踏み出そう。その先にある、素敵な世界』
声に出ていた。いや、歌っていた。俺が。
なんで口に出たか分からない。けどそうだ。この歌……確かタイトルは――
「……ママの歌?」
「そうだ。カズネの中で唯一の英語タイトルだった。何でこれだけがそうだったのか、今まで不思議だった。いや、そんなこと忘れてさえいた。けれど、姉川。今、気づいた」
これは姉川舞音の歌だ。
『世界はこんなに音が満ち溢れている。だから歌おう。ここにはあなたと私だけ。歌おう、喜びの歌を。音が嬉しくて踊り出すような、素敵なサウンド』
それを、俺は姉川と一緒に歌いたかった。
いや、不意に思ったんだ。ついさっきだ。
その理由は思い出せない。
けどいい。そんなもの関係ない。音楽の前に、理由はない。
『だからもっと、音よ伝われ、音よ歌え、音よ叫べ、音よ楽しめ――』
だから俺は歌う。姉川舞音のために作られた歌。
そのタイトルは――
『音よ、舞え!』
ハモった。
俺の声。姉川のシャウト。
途端、衝撃が広がる。
大野先輩との間にあった、重い力が瞬時に霧散した。
そこを風が包む。痛みはない。力強いが、柔らかく、安心させるような、ゆったりとした風。
『みんなで歌えば、音が広がる、だからおいで。音を楽しもう』
高音と低音が、風と熱がミックスされ、全身を快感が貫く。
姉川と目が合った。なんだか俺は笑いたくなった。姉川は、少しはにかんた。
ふと、舞い降りる白い羽が見えた。いや、正確には羽じゃない。白いふんわりとした何か。
それは音だ。
目視できるはずのない音が、確かに見えた。理由は分からない。
けど、きれいだ。
白いきらきらした輝き、具現化した音だ。幻想的な景色にふと息を飲む。
音が舞う。
舞う音と書いて舞音。ぴったりじゃないか。
まさしく、彼女自身の歌。この歌が、彼女自身。
もはや俺の中から、勝敗という言葉は掻き消えた。
だって、こんなに気持ちいいんだ。無粋な思いに囚われたくない。
3千人以上の観客。
その誰もが呆気にとられたように、放心している。
一方、大野先輩の歌力は衰えない。
だから手を動かそうとして――止めた。
おい、何やってるんだよ。そんな遠慮することはない。先輩も、そこのお前も、皆みんな入って来いよ。そんな遠慮、“ここ”じゃあ無粋な思い過ごしだ。
もはや“ここ”はただ楽しむ場所。音を楽しんでこそ音楽。“ここ”は、それ以上でもそれ以下でもない。
ギュィィン!!
エレキギターの音が響く。
ふと見ると、キザ男がギター片手に決めポーズ。
そこから指が動いた。それは姉川の紡ぐ歌に乗せたメロディーと気づく。
「君らを負かすのは僕らの仕事だよ。それ以外の負けは許さない」
「キザ男……」
ふんっ、と鼻を鳴らしコードをかき鳴らす。
その後ろには男子ングの連中も手を鳴らしリズムを取っていた。
「皆さん聞いてください。この素晴らしい音を。もはやアイドルも観客も、教師も生徒も、この場所、この時間では何の垣根もない。みんな仲間だ、平等だ。だから声を合わせて。僕らと、姉川舞音と、一緒に音を楽しもうよ! 今日は、お祭りの日なんだから!」
キザ男が誘う。流石はライブに慣れている。MCも流暢だ。
男子ングも分かっている。そうさ、分かってないのは観客だ。
「Everybady come on!」
すかさず姉川が煽る。
「おー……」
誰かが遠慮がちに声を出す。
「腹から声出せ! Come on!」
「オー!」
「Say、 come on!?」
「オー!!」
「Are you ready!?」
「Year!!!!!」
叫びがステージ中にこだまする
姉川を中心に音が回る。
その時、3千人が一体になったような気がした。
誰もが思うがままに叫び、踊り、そして音を奏でる。
そこに一般科も芸能科も教員も男も女も1年も2年も3年も歌の上手いも下手もない。
ただ音を、自分を、感情を爆発させるだけだ。
間違ってる? 勝てない?
いいじゃないか。それでも。
音を楽しむと書いて音楽。これがきっと音楽の本質。
バトル=ライブなんてしきたり、くそくらえだ。
全世界に向けて宣戦布告してやる。
所詮、歌じゃ世界は救えないんだ。アイドルなんて他人に媚びへつらう存在だ。
それでも、歌は一人と一人くらいならつなげてくれる。アイドルは今を楽しむ時間くらいは作ってくれる。
そうだろう、姉川舞音?
思いが通じたのか、一瞬、姉川と目が合う。
笑った。
いつも感じた、寂しさが消えていた。よどみのない、純真な明るい笑顔。
黙ってれば可愛いものを。
いや、歌っていれば、さらに可愛いんだ。
そんな姉川を見れる。それだけで、俺はこの選択を後悔していない。
少なくともその時の俺たちは……輝いていたんだ。




