12 言葉より大切なもの
彼女は言った。
『歌に力あれ』と。
そしてその瞬間、“闘うアイドル”が確立された。
彼女は開祖であり、その道では神であり、そしてどうしようもなく被害者ではあった。
愛だ恋だ歌って踊れるアイドルという、飽和した部門に新たな風を求められ、祀り上げられた被害者。時代の必然という巻き込まれた1人の犠牲者で、そして1人の母親だった。
彼女は確かに時代を築いた。
だが、それを子供に期待と批判を持ち込むのは、親や大衆のエゴでしかないはずだ。名君の子が名君である必然性はない。DNAが半分同じというだけで、赤の他人なのだ。
それでも――当の本人が声をあげ、先頭に立って自分が親とは違う個の人間であると抗議するならば。誰の子供という枠でしか見るのではなく、1人の自立した人間として見てくれと訴えるために立ち上がるのであれば。
それを手伝えるのは、とても素敵なことじゃないか?
数多くの芸能人を輩出し、今や芸能界の登竜門とまでなった私立宝名高校。
東京ドーム4個分とかいう馬鹿でかい敷地にも、もちろん例外なく夜の帳は訪れる。
夕暮れ。
時刻は18時……何分だろうか。
だが、ここにいる誰にもそんなことには関心がないはずだ。
あるのはただ1つ。
第3屋外ステージ。収容人数3千人という、宝名としては中ぐらいの(普通に見れば十分な広さだが)広さを持つ円の中心にいるのは名前の通り巨漢の男、大野大介。昔の応援団のようなバンカラな格好だ。
そしてもう1人、それに対峙する形で俺の前にいる少女。芸能科を示す蒼色の制服。ポニーテールにまとめた赤みがかった髪は、夕陽を受けて火の粉をまとったように赤く揺れる。
容姿端麗、スタイル抜群。物理的に手が早く、性格に若干難あり。天使のような歌声を持ち、生まれた家庭からそこに大きなコンプレックスを持っている。男勝りのケンカの強さと、ダンサー顔負けの身のこなし。極度の負けず嫌いだが、涙を見せる弱さも持ち合わせている。なぜかラーメンに異常なこだわりを持っている。
これが少女――姉川舞音という、個人の俺の知っている全てだ。
俺も一応、今日1日の当事者ということでこのステージに立ってはいるが、それはなりゆきでのこと。
元からこれは姉川と大野先輩の勝負だ。
俺ができることは、もう何もない。
『あぁぁっとぉ! 絶体絶命と思われたチャレンジャーを救ったのは、あの姉川舞音だぁ!』
会場のボルテージは最高潮へ。だが期待の声援というよりは、ブーイングがすごい。
バトルを見たい、とは言ってもここまでじらせ、待たせたのだ。
期待度によるブーイングなのだろう。
だが、当の姉川は大野先輩に対峙したまま動かない。それは大野先輩も同様。2人の間に火花が散っているようだ。
姉川は、大きく天を仰ぐと、停止。数秒後に頭を垂れる。
深呼吸をしたようだ。ステージに突き立てた特殊警棒を握り、額を当てて祈るようにしている。
その肩が、微妙に揺れているのが俺には見えた。
震えてる?
無理もないか。覚悟を決めてきたといっても、10年分のトラウマをほんの数分で克服できるわけもない。しかも会場はひどすぎるほどのアウェー。これで萎縮しない方がどうかしてる。
だが、姉川舞音という人間は違った。
「うるせえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」
耳を破壊せんばかりの大音声。
音が何も聞こえない。このステージ周辺が真空になってしまったように音が消えた。
しばらくして、耳鳴りが収まる。
「ギャーギャーうっせぇんだよ。下手な音程で騒ぐな、耳が腐る。今からそこの時代錯誤のストリーキングのおっさんぶっとばすから黙って見てろ」
天に向かって中指を突き立てる姉川。
観客は何を言われたのか理解ができず、ぽかんとしていたが、すぐにブーイングの大合唱に代わる。
その中でも姉川は平然と、
「デカいおっさん。カマーン?」
大野先輩に向かって、人差し指をくいくいと引く挑発ポーズ。
……ははっ、これだ。これなんだ。
朝、彼女と出会った時から感じた、彼女らしさともいうべき姿。
これが、姉川舞音だ。柄にもなく感動している自分がいた。
「死にたいようだな」
大野先輩が吐き捨て、前へ出る。
その巨躯、一歩踏み出すごとに地鳴りがするような圧力があった。
「おい、タクヤ」
一瞬、誰のことを呼んだのか分からなかった。
それが俺の名前だと気付くと、慌てて答える。
「下がってろ。怪我しても知んねぇぞ」
「……これを怪我って言わないで、何を怪我って言うんだよ」
「うるせぇ! 黙って見てろ!」
俺に顔を向けている間にも、大野先輩が迫る。
身長体重ともに倍くらい違うだろう。触れれば押しつぶされるのではないか、という不安がよぎる。
「おい、前!」
俺が叫んだときには大野先輩の腕が伸びていた。
姉川目掛けて繰り出された左の突きは、巨体の割に目にも止まらぬ速度。
横を向いている姉川。反応が遅れる、当たる! だが、それが到達する前に、姉川の姿が掻き消えていた。
「わぁってるよ」
遅れて声が聞こえた。
大野先輩が目標を見失い、一瞬動きが止まる。
そこを姉川の特殊警棒が打った。大野先輩の死角から、わき腹に一撃を加えたのだ。
「押忍!」
振り向きざまに掌底を繰り出すも、姉川はすでにそこにはいない。
再びその死角から打つ。それを追って再び旋回するも、姉川の姿はなく、また死角から打たれる。
圧倒的な鬼ごっこが展開されていた。
姉川の回転がさらに上がった。もはや相手の反撃を許さない超高速の乱打。
『これは、超高速ヒットアンドアウェイ! チャレンジャー、蝶のように舞い、サブマシンガンの如く撃ち続ける!』
確かにこのまま押し切れるような錯覚を覚える。だが、現実は甘くない。
「しゃらくさい!」
大野先輩の上半身が、一瞬何倍にも膨れ上がったような気がした。そのまま右腕を地面に叩き付ける。
メキとかバキという音と共に、大野先輩の足元のステージが砕けた。
ヒットアンドアウェイに徹していた姉川だが、その衝撃で足が止まった。
「吹きとべ――押忍っ!」
声を突きに乗せて放つ“遠当て”だ。
姉川は跳躍したばかり。避けることも叶わない。
直後、姉川の身体が宙に舞った。
直撃――じゃない。
姉川の制服、その右袖を引きちぎりながら、音の奔流は場外へ。そのまま観客席の壁を粉砕した。
悲鳴が上がる。それも一部。ハイレベルすぎる攻防に、誰もが息を飲んでいた。ユーコ先輩も実況を忘れ、ただ見ているだけだ。
「ふん。見た目は派手だが、速いだけだな」
頭を左右にゴキゴキ鳴らす大野先輩にダメージは見られない。
口から血が垂れているが、切っただけのようだ。
姉川の細腕で殴ったところで、あの分厚い鉄板のような筋肉には、それほどの効果がないらしい。
「ちっ……相変わらず馬鹿みたいに頑丈な身体しやがって」
姉川が右手をひらひらしながら毒づく。
平然を装っているが、ダメージはあるのだろう。
「てめぇ、それは余裕か? さっきっからそのポンコツ寸前の左手しか使わねぇのは」
言われ、気づいた。昼の時からそうだ。
大野先輩は右手を使っていない。
「確かに左は限界に近い。それでもお前を屠るには十分だ」
ぐっと、左手を強く握りしめる大野先輩。
それが限界に近いものの腕なのか、俺には判別つかなかった。
「……ちっ。やっぱこのままじゃ無理か……」
手をふりふりしながら、姉川はそう呟く。
このままって、まさか……。
「なぁ、タクヤ」
姉川が振り返らずに、俺を呼んだ。
「……なぁ、お前にとってオレはなんだ?」
返答に困る問だったが、なんとなく答えなければならないようで、回らない頭で考える。
ここまで忘れていた親という枷。それがまた彼女を捕えていた。
とはいえ最愛の母親になぞらえるのは彼女にとって誇りのはず。
自分というものに、自身がなくなっている。どっかの誰かの昔を見ているようだ。
あの時、どっかの誰かはどうして欲しかった? 何をしてほしかった? それを考えれば簡単だろ、どっかの誰か。
――俺はただ、手を差し伸べてやればいい。
「言ったよな、俺の親のこと。強いられ、導かれるままに転落していった俺のこと」
姉川は、前を向きながら黙って聞いている。
寄り添う形になった。姉川の身体の熱が感じられる。
「俺は親の付属品で、言われるがままに親の言うことを聞く体のいい道具だった。けど、その中で1つだけ俺がいたんだ。歌うことが楽しいと感じていた俺は、俺だった」
あの時は、その思いだけが俺を形作っていた。今にしてそう思う。
だから、こいつに言ってやろう。
偉大な親を持って、自分の進む道を決められて、自らの力に嘆いて、それでも諦められないこいつに。
「お前はお前だ。アイドルとか、カズネの子だとかそれ以前に、ただ――歌が好きで、強くて、ラーメンが大好きな……姉川舞音だ」
姉川と目が合った。
姉川の瞳が俺をまっすぐに見つめて、動けばくっつくんじゃないかと思えてしまう。
その泣きそうにも見える瞳。その姉川の顔が、
「ははっ」
笑った。
試合中にも関わらず。ライブ中にも関わらず。
「馬鹿は気が楽でいいな」
馬鹿って、俺のことか? 心外だぞ。
いや、けど彼女の苦しい時、辛い時、悲しい時、それで笑ってくれるなら、馬鹿の汚名でも被ってやろう。
姉川は一歩二歩と大野先輩に向かって足を進める。
その姉川の足取りは、どこかふっきれたように迷いがない。
「こっぱずかしさは月の彼方に。今日は特別出血大サービスだ。目ん玉ほじくってよく見ていきやがれ!」
くるくるとバトンのように特殊警棒を回し、それを天に向かって大きく突き上げ――
「ステージ……イン!」
光があふれた。
一瞬、視界が奪われる。
だが、その後に現れた“彼女”に、さらに目を奪われた。
フリルのついたトップスにピンクのショートスカート。ボンボンが飾り付けてある白いロングブーツ。赤みがかった長い髪はカチューシャでまとめ、さらっと流している。
見るからに清楚、そして“アイドル衣装”という言葉がぴったりのコスチュームに身を包んだ少女がいた。
「カズネ……?」
口に出た。
そう、その姿は往年のカズネその人が身を包んでいたコスチュームとうり二つ。若干、色味という違いはあれど。
だが――誰だ、この子は。
唖然とする俺を一瞥した少女は、天に向かって吼えた。
「待たせたな。これで満足か、デカブツ。いや世界よぉ!?」
よく通る、そして胸を打つ強烈な声。
やはり、なのか。
いやそうだよ、姉川だ。
姉川舞音だ。
姉川舞音が、ステージインした時の衣装だ。
そのことに、度肝を抜かれていた観客も、一瞬の後には大歓声に変わる。
今日1日、罵声だなんだ浴びていた彼女への最大級の賛辞。なんだか我事のように胸が熱くなる。
『こ、これは……ステージ・インの声と共に現れたアイドル衣装に身を包んだ謎の少女! 信じられるかぁ!? あれはあの姉川舞音だぁぁぁ!!』
ユーコ先輩が、驚愕の声を上げる。あぁ。俺も信じられんよ。
しかし……ステージインした時の衣装がどんなものかという疑問に決着がついたが、こんな可愛い系で来るとは思わなかった。
馬子にも衣装とは、口が裂けても言えないが、黙っていれば誰もを魅了するアイドルになれたものを。あぁ、惜しい。
「本当に姉川かよ」
「悪いかよ。こんなんで」
「いや、全然……でもなぁ……痛てて……」
口をとがらせて拗ねて見せる様子も、なんだか様になっている。
恥ずかしいからか、もじもじとする姉川。
制服じゃ分からなかったけど、コルセット状になっているコスチュームを見ると、着やせするタイプなんだなぁ……。
「お、お前。恥ずかしいから……あんま見んな」
「ご、ごめん」
思わず視線を外してしまった。
ヤバい。意外とどころかめちゃくちゃ可愛いとか思ってるぞ、俺。
「……………で、なんか、ないのかよ」
「え?」
「その……なんだ。ほら」
残念ながら、俺にはそれだけで通じるほど意思疎通レベルは上がっていなかった。
「お前、普通なんかないのか? オレが折角、こんな衣装で、その、あれだ。なんだ。頑張ってんだよ」
しどろもどろながらもそこまで言われ、ようやく気付いた。
あぁ、そうだ。彼女も女の子なんだなぁ。
「あぁ、可愛いよ」
もう少し気の利いたセリフはなかったのかと思ったが、まぁいいや。
着飾るようなタイプじゃないし。なんて思ってると、
「ば、ば、ば、ば、ば…………」
「ば?」
急激に顔が紅潮し、壊れたラジオのように同じ音を繰り返す姉川。そして、
「馬鹿やろおおおおお!!」
吶喊していった。大野先輩に向かって超速で。
「ちょ、おい!」
止めようとしたときには手遅れだ。あの大野先輩に真正面から行きやがって!
事の成り行きを唖然と見守っていただけの大野先輩も、急に顔つきが代わり、
「はっ、ははははは!! やはりそうか! この姿、この速さ!! 貴様は“あの人”の娘! すなわち我が野望、我が夢!!」
蹴りだ。一発当たれば勝負を決する蹴り。
だが、それを姉川は、
「っさい!」
怒声一つで封じた。
大気がびりびりと震えるような音。
離れた俺すら足がすくむのだから、すぐ傍の大野先輩は相当の衝撃だっただろう。そこへ姉川が躍り込む。
「そんな! 恥ずかしい台詞! よくも! タクヤのくせに!」
一言一言に手が出る、足が出る。警棒が出る。
それを大野先輩は受けるしかない。
しかも左手が半分死んでいるのだ。さっきまでならいなして反撃に移っていたのが、今はそれができずにいる。
「あほ! 馬鹿! 変態! 頓馬!」
罵声に打撃が乗る。大野先輩の身体がよろけた。
「この力は!!」
大野先輩の顔からも、どこか余裕が消えた。
跳躍からの右の振りおろし。避けた。姉川の拳がステージを砕く。
さらにそこから、ステージに突き刺さった右手を軸に、体を縦に一回転。
ブーツの踵を落とす。
大野先輩は間一髪、上体を逸らせて回避。
だが続く右足が大野先輩の胸を打つ。
さらに着地した姉川の掌底がみぞおちをとらえた。
強い、という驚きと同時、恐ろしい考えが頭をよぎる。
まさかあれって照れ隠し?
だとしたら、笑えない。可愛いって言っただけで半殺しにされる……。
歌って踊ってボコれるアイドル、姉川舞音。
……冗談じゃ、ないよ。
「くっ……おお!」
と、大野先輩が反撃に出た。
今まで使っていなかった右だ。だがそれも姉川は避ける。
お返しとばかりに特殊警棒で殴る。
大野先輩の反応は早かった。
グローブのような大きな手が姉川の右手を包み込むように受け止めると、そのまま引いて姉川を前のめりにする。
それに対する姉川は、自ら跳んでそのまま大きく左足を後ろに蹴り上げる。
それは大野先輩の顔面へ向かう攻撃になった。
死角からの攻撃に、大野先輩は一瞬面を食らうが顔を左にずらすだけで当たらない。
大野先輩に手を引かれたまま逆立ちの格好の姉川は、さらに動く。
腰をひねって、両足を回転させ大野先輩の顔面を狙う。そこでようやく大野先輩は姉川の拘束を解いた。
『絶対音漢闘芸法、真・押忍鳥有無!』
足が大地を踏み込むと同時、放つ。今まで使わなかった右の押忍鳥有無だ。
左とは比べようもないほど大きい。ゴウッと風切る音は、聞くだけで常人は戦意を失うだろう。
だが姉川はくるりと地面に落着し、四つんばいになった体勢から、音の大砲を放った。
「Voooooooooooooooooooo!!」
音と音の衝撃がステージ中央で激突した。吹き荒れる風。
破壊されたステージの破片や塵を巻き上げ、まさに暴風域と化したその場を直視できた人間は果たしているのだろうか。
風が収まり、視界が戻るのにたっぷり30秒ほど。
うっすらと舞い上がる埃に映る影2つ。
それは実体となり、姉川舞音と大野先輩の姿を映す。
互いに振り上げた右拳。そして右の拳がかち合う。
正面から打ち合ったら、それは負けるのは姉川だ。大きく吹き飛ばされ、たたらを踏んで止まった。
「姉川っ!」
痛むからだに鞭打って姉川に駆け寄る。
だが、そこで俺は信じられないものを見た。
くらりとしたのも一瞬、あの大野先輩が膝をついたのだ。
『あ、アンビリーバボー!! 鉄壁の巨人が膝をついたぁ! 入学以来、大野選手の姿を見たものがいるのか!? こうなることを誰が予測したかぁ! ユーコは予測できなかったぞ、こんちくしょー!』
大歓声に会場が揺れる。
ユーコ先輩が一目置く大野先輩。
このイベントを2度制覇した猛者と、姉川は互角の勝負をしている。
誰でも何かを期待してしまうのだろう。
「姉川、大丈夫か」
「お、おま……ちょ、来んな!」
まだ色々テンパっているらしい。そこまで恥ずかしがられると逆に俺の方が恥ずかしい。
「違ぇよ! どけ! 分かんねぇのか!? あいつの歌力が上がってんだよ!」
「え?」
言葉に不安がよぎる。まさかと思い視線をそちらに移動する、と。
「くっははははははははははははははは!!!!」
大音声の笑い声。誰か、大野先輩しかいない。
膝立ちからゆっくりと立ちあがった。
「さすがは21世紀最高のアイドルと呼ばれたあの人の娘! 嬉しいぞ。世界一を倒す、我が夢が叶うのだからな」
「ママは関係ねぇ。今はあたしだ」
「ふふ、そうだな。貴様は姉川舞音だ。世界一の血を継いだ、本気の姉川舞音だ」
パチン、と大野先輩が左指を鳴らす。
「大太鼓じゃあ!」
叫びに応じ、大野先輩の部下が2人がかりでステージに大太鼓を運ぶ。そして大きなバチ。
通常の倍以上はある太さ。常人の手ではしっかり握れないだろうが、大野先輩の大きな手はそれを掴んでまだ余裕がある。
『ちょ、ちょっとダイちゃん! それってまさか――』
「今までの空覇闘芸法とは違う。大地の打鼓闘技、大太鼓こそ我が本気の闘芸法!!」
『いや、それ死人がでるよ!? そもそも試合は――』
「裕子、いいな!?」
『……っ!? ……あ~い』
あのユーコ先輩が折れた……?
面白いことへの追求心は、人一倍、いや、人十倍の彼女が、大野先輩の一括で押し切られた。
面白いことを実現するなら深慮遠謀、時には力づくで有無を言わせないあの人が。
すなわち、言っても無駄ということ。
そして何より、本気の大野先輩を力づくで黙らせることができないということ。俺の背筋に冷たいものが走る。
「祭りじゃ、祭りじゃ、太鼓を鳴らせ!」
先までの太鼓の音とは違う。
1つ1つの音が大地を揺るがし、音が俺の腹を殴る。それ以上に重量感がすごい。左手は限界のはずなのに。
「さすがはあの人の娘! 我に太鼓を使わせたこと、誇りに思え!」
「んなもん、誇れるか!」
舌打ちして、姉川が距離を詰める。
大野の背後に回り込むように。
大野先輩は太鼓を前に動けない、だからそれは正しい判断だと思えた。
「ドコドコうっせぇんだよ!!」
姉川が声を出して打ち消そうとする。
『漢者レコード流、打鼓闘技――小旋風!』
ステージ中央の大野を中心に、音の波紋が円状に広がる。
前から軽自動車に、こつんとぶつかられたような衝撃。
痛みはないが、耐え切れず姿勢を崩して尻もちをついた。5メートルは離れた、この位置だというのに、だ。
爆心地にいた姉川は体が斜め上に弾き飛ばされていた。
「危ない!」
無抵抗に吹っ飛ばされ、こちらに落ちてくる姉川。
あのまま頭から落ちたら大怪我じゃすまない。受け止めてやらなければ。
と、その時、落下した姉川がくるりと反転した。足を下に。迫るスカート、スパッツ、脚、そしてブーツの底。
「げぶっ!」
「な、わっ!」
顔面を襲う痛みと衝撃に、背中から落ちる。目の前には仰向けに倒れる姉川舞音の姿。
……嫌な予感。もといデジャビュ。
ゴチンと骨と骨がぶつかる音。直後、顔の前面に柔らかい肉の触感が来て、熱い何かが唇に触れる。それも一瞬。
背中から落ちた。涙でにじむ視界には、姉川がうずくまるように、俺の胸の上にいた。
「あ、あたしの邪魔すんな!」
案の定、起き上がった姉川に詰め寄られた。パンチが飛んできた。
「てかお前、今! 何をした!? あたしのどこ、触りやがった! あ!?」
「だずけでやろーとおぼったんだよ!」
「味方に殺されてたまるか!」
顔を真っ赤にして怒る姉川。
追加で蹴りが飛んできた。あ、危ねぇ。
「っ!?」
とその時、風の流れを感じた。後ろに引っ張られるような、吸引力。
ふと振り返ると、大野先輩が大きく両手を開き、時計回りに回す。
そこに生まれるのは小さな空気の渦。だが、大きさは重要ではない。
「我が奥義を、受けてみよ!」
そのまま野球のバッティングのように、バチでその空気の渦ごと、太鼓に叩き付けた。
『打鼓奥義――旋風烈衝破竹撃!』
ごうっ、という耳鳴り。そして圧縮された空気が地面を揺るがす。
大野先輩の足元、ステージに亀裂が走る。その亀裂は縦横に素早く走り、そして砕けた。直径10mはあるだろうステージが。
砕けたステージの下、そこから隆起してくるのは岩石ともいえる巨大な塊。
いや、土だ。
巨大な土の塊。それがステージ中央に隆起し、四方に断層破壊をもたらす。
「くっ、なんつー技を!」
砕けたステージを器用に飛び移りながら、姉川が毒づく。
ステージの中央に山が突如現れた形になっている。大野先輩は山の反対側で見えない。
「だが大外れだな。修理費、高ぇぞおっさん?」
「まだだ、姉川!」
確証はない。だが、まだ地面は揺れている。
いや、大気が揺れているというべきか。それが大野先輩の攻撃が終了していないことを伝えていた。
『――爆散!』
突如、土の山が爆ぜた。爆風と子供の頭ほどの土が、矢嵐のように降り注ぐ。
咄嗟の判断で、姉川の身体を突き飛ばした。
そういえばこんなこと、昼にもあったな。なんてことを思っている間に、衝撃が来た。
あ、死んだ。
そう思った。




