11 Remenber
『オレは、皆の期待を背負って生まれてきた』
走る。
夕暮れに包まれつつある校内を俺は走る。
『生まれた時から将来を決められ、期待され、そう育てられた。オレのこの歌声を聞いて、その期待はさらに高まった』
身体中が痛みで悲鳴を上げる。バラバラになりそうだ。でも俺は走りをやめることはできない。
『知ってるか? カズネって。そう、アイドルながらも格闘界に殴りこんで闘芸法を生み出した、新時代の歌姫って奴だ。あれがオレの母親』
18時38分。
『3人姉。その誰もが、業界で相応の評価を受けてる。流石は歌姫の娘たちだって』
決勝リーグが始まってから30分以上が経っている。間に合うか。
『当然その期待も、末妹のオレに向けられてた。オレはそれに応えようと、頑張った。ボイストレーニングも一生懸命やったし、毎朝走り続けて体力をつけた。ピアノやバイオリン、ギター、ダンス、琴の教室にも通った。勉強もできなきゃダメって、専任の家庭教師もつけられたし、ママ相手に闘芸法のシゴキを受けた。姉たちにいじめ感覚でボコボコにされたこともある』
思えば、この一日走りっぱなしだった。
『辛かったけど楽しかったよ。期待に応えることが嬉しかった。姉たちも何だかんだで可愛がってくれたし、何よりママの笑顔を見れるのがすんごく良かった』
俺の体、あと少しだけ持ってくれ。
『でも、ダメだった。オレには人前で歌うことができなかった。恥ずかしかったんだな。親とか知り合いの前じゃ何ともないのに、見知らぬ他人の前で歌うことが。あんなヒラヒラした服着て人前に出るくらいなら死んでもいい、くらいは言った気がする』
勝とうが負けようが、これでこの茶番劇は幕だ。
『小学校に入る直前だったかな。でかい大会の予選に、カズネの子供ってことを隠して出場したんだ。圧倒的に優勝して表彰台の上でカズネの子供って大々的に発表するつもりだったらしい。今考えればバカバカしい限りだよ。デキレースと思われても仕方ないやり方だ』
第3野外ステージが見える。
『そこでもオレは歌えなかった。歌うどころか、逃げ出した。100人くらいの客だった、それでも人前で歌うことを放棄した』
そこで奴が待っている。
『初めてだから仕方ないって慰められた。次があるさ、って。レコード会社の人たちはカンカンだったみたいだけど。でも、次はなかった。出れなかったんだ。あの怖さが、幼心にトラウマになって残っちまった。それでも歌は好きだったよ。ずっと独りで歌ってきたし、少しの見物人なら、闘芸法を使えるくらいに歌うことはできるようになった』
姉川を泣かせた、大馬鹿野郎が。
『まぁ、そんなだからみんな言うんだ、オレのこと、デキソコナイって。そして社会的に抹消された。父方の姓を名乗らされたんだ。それは別に良かった。あたしだって姉たちの足でまといになりたくなかったから。でも、ママと離れ離れになったこと。それだけは嫌だった』
会場、その入り口がすぐそこだ。
『それからだよ、オレがアイドルを嫌いになったのは。オレをあざ笑った存在、ママを奪った存在』
ステージを照らすライトが溢れ出し、光が夕暮れの校内を照らす。
『似てるっつったのは、そこだよ。お互い追放され、アイドルを、この世界を憎んだ者同士』
周囲には祭りの最後を見届けようと、群衆が集まっている。
『なんでこうなったのかな……。勉強も投げ出して行く高校がなかったから、ママの伝手でここに入ったけど。まさか入学式からこんなことになるなんて』
人の流れはそこへ向かっている。光に集まる蛾のように。
『お前のせいだ。お前に会わなきゃ、こんな厄介な事もなく、ぶつくさ文句言いながらもそこそこ平凡でどうしようもねぇ毎日だったのに。でも……つまらねぇまま終わってた』
誰もが笑い、期待に胸を膨らませる中、速度を緩めずに合間を縫っていく。
『オレが嫌いなのは知ってるだろ。約束を守らない奴と、言ったことに責任取れない奴と、同じ奴に二度負けることだ』
人の波を抜け、ステージへと続くドアを蹴飛ばす。
『責任、とれよ。男だろ』
ガードマン? は、知らねぇよ!
『5分。5分で気持ちの整理つける』
長い廊下を走る。最後の走り。だが全力疾走じゃない。体力は、残しておかなければ。
『だから頼むよ。オレにリベンジの場所を……あいつをぶったおすチャンスを、くれ』
そう、最高な音楽の時間のために。
光に飛び込んだ。
白だ。
視界に何もない。
いや、何かがある。人の顔。女性の顔。いつか憧れた人の姿。カズネ。
いや、姉川舞音だ。
寂しげな笑顔。
それでも、やわらかく微笑んでくれる。どこか安心するような微笑。
それが近づき、そして――抜けた。
「オオオオオオオオオオオ!!」
耳をふさぎたくなる大歓声。
地鳴りが足元を揺らす。
開け放たれたドーム状にも関わらず、渦巻く熱気。興奮のるつぼ。
花道を進む俺に、観客は誰も気づかない。誰もがステージに向かって歓声をあげている。
『ダウーン! 新人希望の星“男子ング”も大野大介の前には敵わず!!』
白いタイルでできたステージの上、這い蹲った蒼の制服『男子ング』5人と、それを見下す1人の巨漢。
『さぁ、宝明高羅刹十傑祭第一夜、決勝リーグ“第32871回、ステージインお色気ギリギリ、銀河一の強い奴! バーリトゥード的ライブ決戦大会、インホーメー!!” 優勝賞金を賭けた、最終決戦! 勝ったのはぁ、常勝不敗の『絶対音漢』大野大介!!』
再び歓声が上がる。誰ひとり俺に気づいていない。それでもいい。
『さてさて、じゃあ勝利者インタビューですよ、ダイちゃん』
『ダイちゃんではないと何度言えば……まぁいい』
『お、さすがダイちゃん。そっちの方が可愛いってようやく分かってくれたね』
『そういう意味では……ふん、そんなことはどうでもいい。ただやり残したことがある。そうは思わないか――篠崎拓哉?』
「え……」
大野先輩の目、10メートル以上は離れているのに、はっきりと俺を捉えていた。
機先を制された感じだ。
このまま引き下がるのも癪なので、俺は無言で歩を進めステージに上がる階段までたどり着く。
『な、なんと! 決勝リーグに不参加だった姉川舞音の下僕、シノタクくんがまさかの闖入! いったい何をしにきたー!?』
ライトがこちらに向けられた。
同時に湧き起こる怒声、罵声。この1日、聞き飽きた。
手を光に透かして見る。ライトを背中に受け、仁王立ちする巨人を。
『少年ボーイ、企画意図分かってる? もう試合終わってるんだけど?』
「まだ終わってないですよ。大野先輩の言うとおり」
階段を上り、最後の一段に足をかけた時、圧力が来た。
仁王立ちの悪鬼からの圧倒的な攻撃的“歌力”。
身体が重い。足が震える。股間がきゅっと縮む。すぐにでも逃げ出したい。
いや、逃げよう。勝てない勝負はしない――なんて数時間前の俺だったら言ってたな。
はは、こうも違うものかね。
腹のくくり方で、背中に水辺を背負っているだけで、見える景色が全然違う。
1歩。ステージの上に立つ。ぬるりとコールタールに足を突っ込んだような重さ。だが動く。前に進める。
勝てない勝負はしない主義だった。
だが、なんだろう。勝てるのかもしれない。そう思えてしまうのは。
「うっ……遅いぞこの貧乏人……」
倒れている男子ングのキザ男の隣に立って手を伸ばす。すでにステージインは解除され、蒼の制服姿だ。
別に助け起こそうとか、遅れたお詫びとかで友情の握手とかする気はない。欲しいのは1つだけ。
「ちょ、こんなところで……いや、やめろ! あぁ!」
奪い取ったものを羽織った。
ちょっと肩幅がきついが、芸能科の蒼い制服は俺にフィットしてくれた。
「これで俺も戦士だ」
そう宣戦を布告した。目の前で待ち受ける巨人に向かって。
芸能科の制服で対等。俺も同じ、ステージに立つことができる、と。
対する巨人は、口だけで笑った。
「はははははっ! 面白い! 実に面白い!」
「面白いんじゃねぇよ。ロックなんだよ」
俺も笑ってやった。
3千人の観衆。スポットライトの中心。昔抱いてた、夢のスタートポイント。
笑わなきゃ、考えるだけで卒倒したくなるだろ。
「意気込みはよし。だが分かっているのか? ステージ・インすらできない一般科が、バトル=ライブの場に立つという意味が」
「何言ってやがる。俺は今まさに“夢の舞台に立って”るんだよ」
一瞬虚を突かれた様子の大野先輩だったが、今度はにやりと小さく笑った。
「ふっ、よもやそこまで馬鹿だったとはな」
俺も驚き。
人生15年過ぎて、新たな自分を発見しました。いやいや、人生捨てたもんじゃない。
『ちょ、ちょっと待ったシノタク少年ボーイ。時間も押してるし、もう優勝も……』
「だからまだ終わってないんですって。みんな見たいはずだ。どっかのバカのせいでうやむやに終わった、姉川舞音VS大野大介の決着を。それに誰か言ってましたよね、イベントにハプニングはつきものって。断然こっちの方が、面白い」
呆気にとられた様子のユーコ先輩。だが、その口元には笑みが。
『まさか千尋の谷に落とした子が、機関銃持って逆襲しに来るとはねー』
それは例えの意味が分からない。
「ちなみにシノタク少年ボーイ? 当の舞ちゃんは?」
マイクを外してユーコ先輩が聞いてくる。そんなの決まってる。
「真打ちは遅れて登場するものでしょう?」
俺の答えに納得いったのか、そっちのほうが面白いととったのか、ユーコ先輩は頷いた。
『皆さん! ここに今、我々が望んだ闘いが実現しようとしています! 鉄壁の巨人の異名をとり、今やトップアイドルへの階段を驀進中のグループ『絶対音漢』リーダー大野大輔! 対するは1年期待のルーキーにして、歌ってボコれる超可憐アイドル姉川舞音! 初戦は大野大輔の圧勝! だがまだ決着はついていない! この勝負の行方、見たくないかー!!!』
反応は声ではなく行動で来た。
歓声とともに、会場は超ヒートアップ。足を鳴らす音がこだまとなり、地鳴りを起こす。
さっきまでブーイングだったのに、人間って単純だな、と思うのは見方として間違っている。
部外者だったら俺だってこのマッチングは期待してしまう。何よりユーコ先輩の盛り上げ方には、嫌がおうにも熱くなる。
『念のためルールを再確認! 制限時間は10分の1ラウンド制、両者同時パフォーマンスで3ダウンのノックアウト制。グループの場合、ダウンは誰にでも適応されるよ。場外はテンカウントでTKO。時間切れは大野大輔の勝利!』
俺が3回倒れても負け、か。
だが勝つ必要はない。俺はつなぎだ。彼女が来るまで負けなきゃいい。
屈伸にアキレス腱を伸ばし、準備運動をしている俺に審判が近づく。
バトル前の確認に来たようだ。俺は頷いて応える。
『それではぁ、宝名高羅刹十傑祭、第一夜ぁ! エクストラライブ――』
緊張しているのか。自問。いや、大丈夫だ。音も聞こえる。敵も見える。なら、できることをするだけだ。
さぁ、感情を解き放て。
『ファイト!』
掛け声と共に走った。
闘芸法の基礎中の基礎、音の衝撃波で相手の音を相殺する。
基礎なわけだから、訓練を受けていない一般人でも、相手の音に対し音を合わせれば相殺できる。
だが――
ドンっ
腹に響く太鼓の重低音。足が重くなった。
急に重力が倍になったような、背中に重石でも乗せられたような感覚。声なんて出るわけがない。
『押忍!』
大気が震えた。質量を持った風が左側から押し寄せてくる。
次の瞬間、左わき腹に何かが直撃した。
「がっ!」
“遠当て”だ!
姉川の一撃より鈍く、重い。痛みに足が止まる。
『押忍!』
もう一撃。打撃が胸を打つ。
めき、とも聞こえる身体の音。
「ぐっ……はっ!」
膝が崩れる。この威力。2発で動く気力を奪っていきやがった。
『押忍!』
まだ来る――そう考えた次の瞬間。がんっ、と頭に鈍い音が響き、弾けた。
頭をハンマーで殴られたらこんな感じなのだろう。
上も下も分からぬまま、右半身が地面にぶつかる感覚がする。
倒れた、とはっきり分かったのは数秒後。
ライトに照らされ、光って見える空を眺めていることに気づいてからだった。
『ダウーーーン!! 開始からわずか5秒でダウンを奪われたチャレンジャー! やはり一般科には荷が重い勝負。これは立てるのかぁ!?』
おい、待てよ。立てよ。こんな瞬殺、誰も認めないぞ。
ぐわんぐわん揺れる頭を押さえ立ち上がる。
揺れる視界の中、審判が駆けよって俺の目を覗いてくるもんだから、とりあえずにらみ返してやった。
『ファイト!』
「素直に倒れていれば良いものを……。だが手は抜かん」
太鼓の音が断続的に響くステージ中央、大野先輩が左こぶしを腰に当て右半身。まさか!
『漢者レコード流、空覇闘法秘技――押忍連射!』
大野先輩が左手を前に出すと同時、風が吹いた。
春一番、なんて生易しい。突風だ。
台風の時のような、ともすれば吹き飛ばされそうな風が俺を襲う。
『押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍!』
さらに連打。
太鼓のリズミカルな重低音と、それにも増して腹に響く野太い声が風という質量を持って俺に飛んでくる。
「ぐっ……そったれぇぇぇ!!」
一発一発に威力はないが、これはまずい!
なんとか堪えようと叫び、声を出す。だが、そんな“音”など無意味であるかのように、風が俺を直撃する。
『押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍押忍!!!!!』
身体が浮いた。それからは一瞬だった。
無重力。ただ進む方向は決められている。身体をくの字にしたまま後ろに飛ぶ。
数秒の浮遊感、そして背中からぶつかった。
「ぐっ……はっ!!」
メキ、ともバキとも音が響いた気がする。
全身の骨がバラバラになったんじゃないかと思うほど、すさまじい衝撃。一瞬絶息する。
そして吐き出す空気の中に交じる液体。唾か、血か。
『じょ、場外ぃぃ!! あっという間の超連続攻撃“押忍連射”によってチャレンジャー場外に吹っ飛ばされたぁ! あぁっと、場外ダウンカウントが入る! 10秒以内に戻れるのかぁ!?』
そうか。10秒。短すぎだろ。くそ、こっちはめっちゃ痛いんだよ。
てか、このまま倒れちゃえば、痛みからも辛さからも解放されるんだよなぁ……。
『チャレンジャー! 無理かぁ!? 姉川舞音の到着を待たずして敗れ去ってしまうのかぁ!?』
衝撃でぼうっとした頭が、その言葉にはっとなる。
そうだ、姉川舞音。約束した。愚か者。そんな大切な約束を忘れるな。
倒れそうになった身体、それを受け止めるように右足が出る。
続いて左足。痛い。でも歩ける。まだ動けるじゃないか。
そうだよ、あいつを待ってるんだ。
あいつは来ると言った。なら絶対来る。俺はそれまでここで耐える。
それが約束。責任。責任をとれない、嫌な奴になりたくない。
『チャレンジャー! 夢遊病のような足取りでステージにたどり着いたぁ! 会場からは割れんばかりの拍手! そして続行コールぅ!』
「君、続行か?」
誰かが話しかけてくる。
誰だ? 審判だ。
続行? ふざけたことを言うな。当たり前だろ。
俺はここで姉川を待つんだ。観客だって続行を望んでる。
一世一代のステージだ。最後まで楽しませろよ。なぁ。
『これは、ストップか!? いや――』
『ファイッ!』
審判の声が響く。
そうだ、まだだ。まだライブは終わってない。
『だがダウン2回でリーチになってしまったチャレンジャー! ここからどう出るか――おぉっと、チャレンジャーから動いた!』
「おおおおおおおおおおおおお!!!」
腹から声を出す。吐き出す。力を、全ての力を。
「ふんっ、根性だけは一人前。だが!」
大野先輩が応えた。長ランを脱ぎ捨てる。
上裸となったそこに現れる肉体、隆々とした筋肉に俺の数倍はある腕。ははっ、すげ。
太鼓が鳴り響く。
右手を前に、左手を腰だめに、その太鼓のリズムに合わせて縦に小さく揺れる。その左手周辺の空気が歪んだように見えた。
目の錯覚じゃない。確かに大野の左腕周辺が、渦を巻いたようにうごめいている。
この技は……!
「これは敬意だ。先の押忍連射のような、空覇闘法とは違う。お前を戦士として迎えるための敬意、そして洗礼だ」
大野先輩は左腕をさらに引く。
「この時間稼ぎが無駄になったとしても、貴様のことは、忘れん」
時間稼ぎ?
無駄?
なめたこと言ってんなよ。
「こちとら、これまで10年も無駄にしてきたんだ! 数分間が無駄んなったところで、構いやしないんだよ!」
叫ぶ。
「いくら言っても、呼んでも伝わらないこの思い!」
そして詩が口に出た。カズネの歌だ。姉川が最初に歌っていた、あの歌。
大野先輩の表情が一瞬驚愕にゆがむ。だが、それもすぐに無表情に戻り、
『絶対音漢闘芸法、押忍鳥有無!』
左手の大気が解放された。
昼は、技の軌道をずらしたと言った。それであの威力だ。
今回は振り切った、本気の押忍鳥有無。
俺を1人の相手と認めた上での、本気の一撃だ。
避けようにも身体は言うこと聞かないし、風の奔流は軽く直径数メートルある。
抵抗など無駄。時化の海に挑むのと同じ。
それでも俺は歌を止めない。
たとえこれが最期になろうとも、いや、最期だからこそ。
「それでもキミは輝くんだ。キミの想い、世界に響け。きっとそれを、皆待ってる!」
そうだ、輝くんだ。
俺じゃない、誰かのために。
誰かの想い、声を――歌を、世界に響かせるために!
圧倒的な力をもって、大気の渦が、俺を襲ってズタズタにするその直前、空気が弾けた。
『―――――――ぁ』
そして、歌声を聴いた気がした。
いや、俺は死んだんだ。白い世界。
死んで、天使の声を聴いた……なわけあるか。
俺は生きてる。
考えることができるし、背中は痛いし、立っている。
なら、答えは一つしかない。
――そうだ、そうだったな。こいつのためなんだ。
俺はきっと笑っていた。
確かな破壊の前に。
「遅ぇよ、馬鹿」
突風が吹きぬける。
羽織っただけの蒼の制服を引きちぎらんばかりにはためかす。
俺の目の前に鉄の棒が突き刺さっていた。
さらに、手を伸ばせば届く距離に人影。
俺の身長より小さく、抱けば折れてしまいそうなほど華奢で、後ろに結んだポニーテールは風に巻かれて右へ左へ。スポットライトの中心、俺の前で立ちふさがる少女――姉川舞音が振り向いた。
「待たせたな、チェリーボーイ」
にかっ、と彼女が笑う。
あぁ、これだ。これが天使の微笑み。台風の中でもさんさんと照りつける太陽のような笑みに、俺は軽口を返す。
「アイドルが客待たせんなよ。チケットの払い戻しを要求する」
「るせーよ。ボロボロになりやがって、すげーかっこわりぃ」
反論したかったが、まぁ確かにその通りだ。
切り裂かれ、叩き付けられ、血と埃と擦過でジャージがボロボロ。
あーあ。制服といい、まだ1日も着てないのに。
まぁいいや。
「で、奏れるのか?」
俺は聞いた。期待した通りの答えが来ると信じて。
「ああ」
簡単明瞭な答えが返ってきた。その時、俺は笑ったのかもしれない。
それは姉川も同じだった。
「これからが、本当のライブの時間だ」




