アマモ揺れる海 続編
アマモ揺れる海 続編
帰ろうよ ふるさとへ
一 灰干し魚?
「おーい!集まってくれぇ。おーい! おーい! 」
四月半ばの夕暮れ時のことである。洋一は竿を担いで晩の酒の肴を手に入れるために魚を釣りに波止場に向かっていた。ウーン ウーン ウーン ウーンと急を告げる消防のサイレンが港の空気を震わせる。あわてて道べりに釣り竿を投げ出して港に走った。もうすでに何人か集まっていた。
「いったい何事なら?」
すると漁師をしている同級生の与一がいつもになく青ざめた顔で言った。
「昼までには帰ると言って船釣りに出かけたお爺が、夕暮れが近いというのに帰ってこんのんじゃ」
「ええっ! 昌爺が?」
「一人で行かせたのが悪かった」
「どのあたりへ釣りに行くと言うて出たんなら」
「さなぎ島のあたりで小鯛を釣ってくると言うて、朝方に出たんじゃが」
「与一、お前はいつも心配じゃからと一緒に乗っていたのに何で今日は一緒に行かなんだ?」
「いやー、ちょっと腹の具合が悪かったんで寝とったんじゃ」
「エンジンでも故障したのと違うか」
「昨日は調子がよかったから、それはないじゃろう」
「昌爺は八十近いがまだ認知症は始まっとらんから、昼間に方角を見失うことは考えられんしなぁ」
「船を二、三艘出してさなぎ島の西と東のあたりを探してみよう。与一は体調が悪いんならここで待っとるがええ」
組合長の三郎さんの一声で、為さんと同級生の登志男と久米さんが船を出すことになった。与一の嫁の育子は半泣き状態でハンカチを手にうろうろしている。洋一は急いで為さんの船に飛び乗る。別の二艘にもそれぞれ二人ずつ乗って後に続く。
「為さん、今の時間潮の流れは東か西か?」
「洋ちゃん、今なら西から東に流れとると思うで」
「そんなら東側へ急ごう。故障なら潮に流されてさなぎ島の東の方に居るに違いない」
漁船はモーターボートと違い馬力はあっても速度はあまり出ない。急ぐ気持ちを抑えながら為さんは慎重に舵を握る。
「為さん方角が違うが」
「何を素人が言うとるか。船のことはわしに任せとけ。向こうに一万トン級のタンカーが進んどるのが見えんのか?」
「あっ、そうか。大波が来るんじゃな」
「そうよ。スピードを出しとる時に横波を喰ろうたら一発じゃ」
「なるほどそれで向きを変えたんか。そうか、そうか」
三十分ほど走って、やっとさなぎ島の東側にたどりついた。
「おい!あの向こうにいる船が昌爺の船と違うか?」
「ちょっと遠くてはっきり判らんが急いでみよう」
「もうちょっとスピードは出んのか?」
「これが精一杯じゃ、洋ちゃん」
別の二艘も西側を調べてこちらに向かっているようだ。
「おう、間違いない。昌爺の船じゃ」
「おーい、おーい、昌爺!大丈夫かぁ?」
洋一は大声で叫ぶ。
「おお、来てくれたか。遅いのう、もうちょっと早よう来てくれるかと思うとった」
のんびりとした声で不足を言っている。大した爺さんだ。
「何を言うとるんなら昌爺。エンジンでも故障したんか?」
「歳を取ったんでうっかりしてのう、油切れじゃ。今まで油の点検をせずに出ることはなかったのになぁ」
「予備タンクは積んでなかったんか?」
「与一の奴が阿呆じゃけえ、昨日下ろして積んでなかったんじゃ」
そう言いながら昌爺はロープを手繰り寄せて錨を上げている。長年鍛えた漁師だから落ち着いたものだ。洋一は驚くと同時にあきれてしまった。
「も少し船を寄せるけえ、昌爺ロープを投げてくれんか」
「与一はどうしたんなら。乗っ取らんが」
「腹の具合が悪いと言うから港で待たしとる」
「ああ、そうか。役立たずな奴じゃ」
「昌爺、減らず口をたたかずに早よう帰ろうで」
「おう,有り難うさん」
為さんの船に積んでいた予備タンクを渡して給油する。何のことはない、一発でエンジンはかかり四艘揃って帰りの行進となった。昌爺はベテラン漁師だから錨の効くあたりまで流されて、そこでうまく船を止めていたのだ。さすがだ。度胸が据わっていて下手に歳は取っていないなぁと洋一は感心する。
携帯で登志夫が与一に連絡を入れている。洋一はいつも電話で縛られるのは嫌なので持っていないが、こういう時はやっぱり携帯があると便利だと痛感する。今頃港では皆ほっと胸をなでおろしていることだろう。本当に良かった。
「お爺ちゃん、心配したんよ。お昼過ぎても帰ってこないんで」
「おう、育子さんか済まん、済まん。心配かけたのう。与一が馬鹿たれじゃから予備のタンクを積んどらんので酷い目に遭うたよ」
「お爺、そりゃあ無いじゃろう。船を出す時に点検しなかったお爺が悪いんじゃ」
「まあそう言うな。昨日『島のこし』で小鯛が足らんと言うから、何とかしてやろうと思うて急いでいたからな」
「お爺、もう歳じゃから一人で出るのは止めてくれ」
「何を言うか。お前が役立たずじゃから、わしが頑張ろうと思うたんじゃ」
「おい、おい。親子喧嘩はやめてくれ。何事も無かったんじゃからもうよかろう」
組合長の三郎さんの一声でその場は何とか収まった。
「昌爺、それで小鯛は釣れたんか?」
と洋一。
「生けすを見てくれ。二十匹ばかり上がっとると思うで。早よう『島のこし』へ届けてやってくれんか」
「さすがじゃ。油切れでもたいしたもんじゃのう」
「鯛を釣らせたら昌爺の右に出る者はおらんからのう」
「みんな、お爺をおだてるのはやめてくれ。また調子に乗って出て行ったら碌な事にならん」
「皆さん大変お騒がせして済みませんでした。さあお爺ちゃん、みんなにお礼を言って帰りましょう」
「おう育子さんわかった。皆の衆、心配かけて済まなんだ。日が暮れてきたから引き上げてくだせえ」
洋一は昌爺の話の中に出てきた『島のこし』が気になったが、皆が次々引き上げていくので聞きそびれてしまった。
河田正造らが立ち上げた新会社の名前だということはそれからしばらくして知った。
☆
株式会社『島のこし』の一日が今日も始まった。
「洋一さん、ちょっと待ってな。朝の段取りはすぐ済むから」
正造はそう言いながら指示を出す。
「おい、きょうは魚の入荷はどうだった?宮岡さん」
「昨日、海が時化たので、いつもより少ないらしいで」
「そんならパートは応援を頼まなくてもええな。今日はいつものメンバーでいいか?」
「ああ。魚のさばきはすぐに終わるだろう。灰床への仕込みも昼までには終わると思うで」
「よし、わかった。午後は真空パックをしてもらうことにするか」
「さっそく待機組のオネエたちには今日は出なくていいからと、照子さんに電話連絡をさせておくからな」
「ああ、そうしてくれ」
「照子さん電話連絡を頼むよ」
「もしもし留さん、ごめんね、魚の入りが少ないけえ今日は出んでええわ。隣の花子さんにもそう言っといて」
専務の正造は事務員の照子さんが、何人かに電話を掛けているのを横で聞きながら、早くこんな電話を入れなくてもいいように、魚の仕入れが安定するといいなあと思いながら、パソコンの前に座り今日の注文受けページを開いていた。
☆
『島のこし』が稼動しだして半年程経った頃、洋一はNPО法人『笠岡島づくり海社』の理事長で、この会社の専務をしている河田正造から呼び出しをうけた。この前の昌爺のことで何かあったのだろうか。怪訝な思いを抱きながら、いつもの神社のお勤めを終えてその足で『島のこし』の事務所に顔を出したのだ。
工場の片隅にある事務所に座って活気に満ちた会話を聞きながら、洋一は正造の手が空くのを待つ。しばらくして、朝の手配の終わった丸顔の正造が脂ぎった精悍ないつもの顔で洋一の前に現われた。この前、島の運動会で会った時よりずいぶん頭が薄くなっていて驚いた。
「洋一さん、待たせて済まなんだなぁ」
「いやいや、暇だからかまわんよ。それでいったい何?話というのは」
「ほかでもないんじゃが、社長が洋一さんと面識のある僕に話をしてみてくれんかと言うので、わざわざ来てもらったんです」
「ああそうか。今日、社長は?」
「昨日から大阪のデパートに、営業の村上と販路開拓に行っとるんですわ。申し訳ありません」
「そりゃあお忙しいことじゃなぁ」
「おかげでなんとか軌道に乗ってな。しっかり売らんと借金が返せんが。そりゃあそうと洋一さん、会社の相談役を頼まれてくれんかな」
「え!・・・・・・わしに相談役を?」
「ああ、洋一さんが商事会社に勤めていたというのを社長が耳にしてな。あんたの経験を生かして応援して欲しいと言うとる」
商事会社で貿易の仕事に三十八年間携わり、退職後洋一は以前の仕事の人脈を生かして、ベトナムへ使い捨てカメラの空容器を集めて送る商売を始めていた。向こうでは再利用して使うので初めの間は面白いほど注文がきた。その後ベトナムも経済が発展し生活レベルが向上したのと、デジカメが安価に出回りだしてもう潮時と考え、横浜のマンションを息子の健に譲り生まれ故郷の島へ帰ってきて四年目だった。
「話というのはそういうことか。いやー 参ったなあ。神社の宮司を務めとるからちょっと無理じゃないかなぁ」
「神社の仕事は日常的には早朝だけじゃろう?」
「毎朝六時に太鼓をたたいて祝詞をあげ、後は境内の掃除をするだけじゃ」
「会社へは時々出てきて貰えたらいいから」
「毎日出なくてもいいのか?」
「ああ、相談に乗って欲しい時に言うから」
「それでいいのか?」
「ただ申し訳ないが会社の借金を返すまで、役員はしばらく無報酬に近いと思うので、それを承知で受けてもらいたい」
「そうかな。金のことはええが、まあ僕独りでオーケーと言うわけにいかん。神社総代にも了承してもらわんと」
「そりゃあそうじゃなぁ。まあ急がんからよう相談してもらっていい返事を頼むで」
正造はこう言いながら洋一を作業場に案内してくれた。
「正さんすごいなあ。床も腰壁も全部御影石じゃあないか」
「気づいてくれたかな。衛生管理を徹底しようと、水洗いが出来るように島の石を使っとる。これで完璧になったと思うよ」
「なるほどよう考えたなぁ」
「食べ物の作業場なので衛生管理が一番大事と思ってな」
「なるほど、あんたの言うとおりじゃ」
「わしらにとって石は専門だからどうにでもなる」
「ところで正さん、灰干し魚と言うのは普通の干物とどこが違うん?」
「天日乾燥と違って灰で水分をとり、冷蔵庫に入れて熟成醗酵させてうまみを閉じ込めるのが灰干しのポイントじゃ」
「ウロコや内臓は?」
「パートのオネエ達にウロコと内臓を綺麗に取ってもらい、水洗いをして塩水に漬ける。それを取り出して灰で乾燥させる」
「灰に包んだら灰が付いて困るだろう」
「魚をセロハンに包んでさらに白木綿の布でくるんで灰の中に入れるから大丈夫じゃ」
「その灰が三宅島の火山礫なんじゃな」
「そうそう、その火山礫を灰にして使うところが特徴なんじゃ」
「石材加工の島じゃから火山礫を灰にする技術はお手の物じゃなぁ」
「そうよ、火山灰は水分の吸収がよく、そのうえ魚の臭みが消えて高級干物が誕生するという筋書きよ」
「臭みも取れるのか?」
「そうそう、灰で乾燥と匂いとりができる」
「三宅島の火山礫の灰が適しとるのか?」
「鉄分とシリカゲルが混じっている灰なので最適なんじゃ」
「わざわざ三宅島から?」
「三宅島の復興にも一役買うことになる。一挙両得というところよ」
「後は冷蔵庫で熟成させて終わりか」
「三十時間ほど熟成させて取り出し、真空パックにして製品が完成する。それを箱詰めして注文待ちということになる」
「なるほど、完成まで人手がかかるんじゃなぁ。価格設定はどれ位にしとるの?」
「セット物で三千円と五千円の進物用に仕上げとる」
「進物用か」
「今ではボチボチ全国で注目されるようになってきて、少し明かりが見えてきた」
「うまいこといくといいがなぁ」
「なかなかこぎつけるまで大変じゃった。試行錯誤の連続でな」
正造はそう言って苦労話を聞かせてくれた。
「僕は料理のことは判らんから家内を巻き込んでなぁ」
「奥さんも?」
「見通しが立たんと人には言われんからな」
こんな話をしていると事務員の照さんが正造を呼びに来た。何やらオネエ達が調理台を囲んで賑やかに言い合っている。
「専務、これを試食してみてくれますか」
「ああ、どれどれ。うーん、これはちょっと塩辛くないか」
「このハリイカは四パーセント塩に三十分漬けたものよ」
と正造の奥さん。
「時間を二十分にしてみましょうか」
「少し塩の効きが薄い方がいい。気足らん人はしょう油をかけて食べれるように」
「そうねぇ、消費者サイドで考えないと。そうしてみるわ」
「この前の小鯛は少し臭みが残っていると社長が言ってたよ」
「ずいぶん気をつけて水洗いしたつもりなのに」
「血合を完全に取り除くのに歯ブラシでも使ってみたらどうかな」
「魚のサバキの工程で家庭でやる以上に丁寧にしないとだめかなぁ」
「オネエ達、よろしく頼むよ」
「熟成するのに冷蔵庫に何時間入れとる?」
「今は大体三十時間くらいでしょうか」
「三十時間か。ふうーん」
「真空パックの前にあまり冷蔵庫に長く入れていると、折角灰干し乾燥した価値がなくなるわよ」
「それはどういうこと?」
「冷蔵庫に長く入れておくと案外水分が蒸発するのよ」
こうして社長の大木道夫は正造たち仲間五人と、家族や知人を巻き込みながら灰干し魚の試作を繰り返し、失敗をエネルギーに替えながらやっと製品にこぎつけたのだと言う。
試食段階に至る前に乾燥に使う灰の粒子の大きさも何度となく失敗を重ねながら今に到達したようだ。
そして塩分調整と熟成醗酵の他に、もう一つ試行錯誤を繰り返したのは魚を包んで灰の中に入れる際の白布の厚みや目の大きさ、セロハンの番手だったそうだ。特にセロハンは水分を通しても旨味を逃がさないものに到達するまでが大変だったらしい。
さらに食べ物だから異物の混入をチェックするために、金属探知機まで導入したというのには洋一も驚いた。
「なんと正さん、『島のこし』という会社名は変わった名前じゃなぁ」
一度会いたいと正造から連絡をもらった時から、疑問に思っていた会社の名前について聞いてみた。
「会社の名前かな。それはなぁ大木社長が付けたんよ」
「大木社長が?」
「そう、我々の狙いは灰干し魚を売り出して、島の年寄りたちを元気にしたいんじゃ」
「年寄りたちを元気に?」
「島の連中が元気になり、島が活気を取り戻したら島は滅びずに残るからな」
「そりゃあわかるが、この前の昌爺のようなことも起きるで」
「いや、あれは元気を出した年寄りのハプニングと思っとる。そんな心配は要らんのではないかな」
「そうかなぁ?ハプニングか」
「年寄りに元気を出してもらって島起こしをしようと考えとるんよ」
「島起こしをなぁ」
「島起こしのために灰干魚を製造して売り出し、ついでに笠岡も売り出すねらいなんよ」
「なるほど。灰干し魚を売るだけでなく笠岡も売り出す魂胆か」
「爺ちゃんたちはまた元気を出してぼちぼちでも漁をしだし、婦人衆も働き口が出来ると島の皆が元気づく。島起こしが成功したら島が残るから『島のこし』じゃ。それを狙っとるんよ」
「なるほどそうか」
「島が活気を取り戻したら若い者がユーターンして戻ってきたり、Iターンして来る者も今より増える。そしたら島の若者も少しは地元に残るようになるかも知れんと思う」
「笠岡の宣伝にもなるとええがのう」
「まあそういうことで、洋一さんが商事会社に勤務されとった関係でお願いしたんです」
「まあ総代長に相談してみるよ」
「よろしゅう頼みます」
「それはそうと正さん、あんたの石材会社のほうはお父さんの代からじやったなぁ」
「いや、僕で三代目になる」
話を聞いてみると、正造は洋一より九つほど歳下だが、なかなかのやり手だ。祖父の代から細々と営んでいた石材加工業を高校卒業と同時に父親から引継ぎ、今では島でも有数の加工工場にしたのである。その上今度の新会社の立ち上げである。『島のこし』という会社を一緒に立ち上げた社長はどんな人物か、洋一は早く会ってみたいと思った。
☆
正造が隣の地区で仲間と何か妙な工場を立ち上げたと聞いてはいたが、まさか洋一にお呼びがかかるとは思いもせず聞き捨てにしていた。その自分に声がかかったのだ。ちょっと驚いた。島に帰ってきてから四年、神社の宮司を頼まれ、島の人たちに受け入れてもらうため洋一なりに一生懸命務めてきた。野菜作りも四年も経つと少しはましなものが出来だした。
商事会社で三十八年間、企業戦士としてがむしゃらに働いてきた。洋一が現役時代に貿易で扱った主だった物は、主にビニロン、テトロン系の化学繊維の原料であった。業界用語ではペレットといって米粒大の白い原料で、丈夫な繊維を生み出すダイヤだ。仕事に従事していた時は何の疑問も抱かず売りまくったが今になって思うと、自然に還元しない公害の元を撒き散らしてきたのではと忸怩たるものがある。 せめて定年後は罪滅ぼしの意味もかねて、自然にやさしい生活をと思った。それが島に帰って自給自足の生活をするようになった主な理由である。ふるさとの島でのんびりと悠々自適に暮らそうと、妻とは別居生活までしてやっと手に入れた現在の生活だ。また以前のような生活に戻ることはどうあっても御免こうむりたい。
しかし考えてみると島の活性化を願って始めた『島のこし』からの要請で、しかも常勤でなく時々相談にのってくれたらいいと言うのだから、洋一としては何か面白そうで受けてもいいかなと思った。名称どおりの相談役だから少しは気楽だ。しかし問題は神社総代会の了承を得られるかどうかだ。そんなことを考えながら家路につく洋一だった。
そして数日後、
「毎日というのではないけぇ、祭りなど祭事の時と神社の管理、毎朝の祝詞の奏上だけはきちんとやってもらうという条件でどうかな」
色々意見は出たが総代長の久米やんのとりなしで、洋一の申し入れは有り難いことに了承された。
数日たって洋一は神社総代会の報告をしなくてはと『島のこし』に出向いた。そしてそのとき初めて大木社長に会った。無精ひげを生やした目元の優しい顔つきの男だった。市長の片腕として市役所の企画部長を昨年定年退職して、今の会社を立ち上げたアイデアマンだと正造からこの前聞いていた。
「社長の大木です。この度はご無理をお願いしまして」
「ああ、初めてお目にかかります。山本洋一です。なんとか総代会の了解が得られたのでこの前の話を受けさせてもらいます」
「洋一さん、それはよかった。よろしう頼みます」
「正さん、役に立つかどうか判らんがこちらこそよろしく」
「時々相談に乗ってもらいたいんで気楽に考えてくれたらええよ」
「ああ解った。大木社長、大阪のデパートはうまくいきましたかな」
「いや、なかなか難しい。関東地方では昔から灰干し魚を作っていたらしいが関西は馴染みがなくてな」
「試食用の製品を持って行ったんですか?」
「いや、今回はパンフレットだけですわ」
「そりゃあまずかったなあ。食品は試食してもらわんと商売にならんで」
「やっぱりなあ。元商社マンはええアドバイスをしてくれる。ありがとう。もういっぺん現物を持って営業の村上に行ってもらうか」
すると大木社長が口を挟む。
「それがええ。出来れば専務も行ったほうが先方の信用もええで」
「わしが行ってもええんじゃが、『島づくり海社』のほうの手が放せんからなぁ」
「そうか、この前島弁の改良の話があると言うとったなぁ」
「そうなんじゃ。有人七島のうち四島が特色を生かした魚を使って作っとるが、主役の魚が年中獲れるとは限らんからせめてもう一つ別のメニューが欲しいんじゃ」
「そりゃあ、鯛にしても冬は天然物は難しいし、魚によっては旬があるからなぁ」
「今『石切り弁当』を作ろうと試作中なんじゃ」
「石切り弁当?」
「握り飯の具に、ひじきの煮つけと蕗の佃煮、古漬けの高菜ワサビを使った三種類の握り飯を、鉄板でこんがり焼いて『お焼き』風に作ってみようと思うとる。昔、石切作業の弁当に日持ちの良いものとして作られていたんじゃ」
「なるほど、それで石切り弁当か。そうするとこれで七種類の島弁になるなぁ」
「付き合わせにグチの三色かまぼこと沢庵を添えることにした」
「『島づくり海社』もやることが多いから大変なんじやなぁ」
「何回か試作して食べてみたが今度は決定せにゃあならん」
「島のオネエたちもようがんばるなぁ」
「島弁を求めて来る観光客もおるからなぁ」
「最近、テレビで話題になったから嬉しい悲鳴じゃあないか」
「作っとる連中も評判がええから最近力を入れだしたんで」
「ええことじゃ。島の連中が元気になるのが一番じゃ」
「わしもそれが目的で頑張っとる」
「それに正さん、高級灰干し魚と言うても、消費者にとってはやっぱり魚の干物じゃ。スーパーの干物と差別化しないと高すぎて手を出さんで」
「それなんじゃ。会社としては進物用品としてデパートにアプローチしようと思うとる」
「それそれ、進物で食べた人が旨いと言って別の人に進物として利用してくれると需要は広がるよ」
「まあ色々知恵を貸してもらえると有り難い」
「岡山のTデパートで試食コーナーを設けてもらったらどうなら」
「それはええかもしれんなぁ。社長どうですか」
☆
『島弁』は洋一が島にユーターンして帰ってくる三年ほど前から始まった取り組みだと正さんは以前話していた。
「最初は魚をメインに七島の特長を生かした弁当を作ろうと取り組みを始めたが、うち三島は高齢化が進み対応できなかった」
「高齢化は問題じゃなぁ」
「それで今は四島で『アナゴ寿司弁当』や『鯛めし弁当』とか『喜昆布弁当』など六種類を作っとる」
「ほうー 六種類もなあ」
「注文に応じて作り、島を訪れた観光客に提供したり、市のイベントに出品して喜ばれとるで」
「僕も去年の島の大運動会で『アナゴ寿司弁当』を食べたことがあるよ。大ぶりの焼きアナゴが乗っていて身がしまっていて美味かった。おまけに椎茸の煮つけや紅しょうが、漬物などが添えてあったで」
「瀬戸内の島の旬を食べてもらうのが一番。それに島の季節を感じてもらうコンセプトじゃ」
「瀬戸内の小魚の旨さが良くわかるよ」
「近頃は笠岡の駅前にアンテナショップを出して販売も始めたんじゃ」
「アンテナショップか。やるなぁ」
「それに通所介護施設「えがお」への給食サービスも始めて、特集番組としてNHKで全国放映されたんで」
「NPO法人『かさおか島づくり海社』もなかなかやるじゃないか」
「僕ら有志が島を元気にしようと、それぞれ持ち前のパワーを出して設立してここ十数年、島起こしに情熱を傾けてやっとるんじゃ」
洋一が感心するのは、彼が自分の住む島だけでなく笠岡有人七島のことを念頭に入れて、島を元気にしようと活躍していることだ。さまざまな取り組みをしているが、その中でも洋一がユニークだと思うのは、この『島弁』と『島の大運動会』に加えて、アイターン希望者の積極的な受け入れ態勢である。市が新たに設けた『海援隊』と称する機構の支援を受け、空き家探しを島じゅうに発信して、既に七島で二十七家族が移り住む手助けをしてきている。
「海援隊が出来て一年ほど経った頃、福山で武田鉄矢のライブがあるという情報が入ってなぁ」
「えっ! あの海援隊の武田鉄矢が?」
「ああ、アプローチしたら趣旨に賛同して、忙しいスケジュールをやりくりして来てくれたんじゃ」
「そりゃあすごい話じゃ」
「講演が終わって、帰りの船の中で島弁の昼食をとってもらう予定になっていた。ところがその弁当を船に積むのを係の者が忘れとってのう」
「係が忘れとった?」
「えらいことじゃった。あの時、大木社長も一緒に乗っとったろう?」
「ああ笠岡に着いてから、『地方へ公演に行って、昼食にカップラーメンが出たのはこれが初めてです』と言ってスタッフは笑っていたよ」
「そうじやった。船員がたまたま何個か積み込んでいたのを食べてもらったんじゃ」
「スタッフの連中も呆れとったで」
洋一はいつだったか会社に顔を出した時、事務所で社長の大木や正造たちがコーヒーを飲みながら、こんな苦労話を聞かせてくれたのを今思い出していた。
二 島が元気に
アイターンしてきた人たちは、それぞれ持ち味を生かして島に溶け込み、活き活きとスローライフをエンジョイしている。
洋一の住んでいる島は、かつて盛んであった石材産業が衰退して今は大幅に人口が減少してきた。二十年前の平成元年には三千五百人もの島民がいたが、洋一がユーターンして帰ってきた頃は、千五百人を切るほどに減っていた。おまけに高齢化率は五十六パーセントに達して、島の元気がだんだんなくなりつつある。そんな島の現状を憂えて出来上がったのが、『海援隊』や『『島づくり海社』』であるが、その取り組みが徐々に功を奏して、定年を迎えて帰ってきた洋一が目を見張るほど島の様相は変わりつつある。
一番驚いたのは、最近ジョニーというカナダの青年が市の『海援隊』や『島づくり海社』の応援を得て、伊丹市から移住して来ることになったという話を聞いた時だ。
「洋一さん、僕は今日カナダの青年と面接してきたで」
「ええっ!カナダ人と?」
「ああ、そうじゃ。まだ三十代半ばの青年でな。それが面白いんじゃ」
「何があったん?」
「なんと面接のときに手土産を持ってやってきてなぁ」
「そりゃあ珍しいのう。面接で手土産とは」
「そうなんじゃ。それもな、つまらないものですが言うてな」
「ハッ ハッ ハッ、日本人が顔負けするようなことを言うものじゃなぁ」
「そうよ。今までに三回ほど下見にやって来たと言うとった」
「島のどこが良かったのかのう」
「聞いてみると人情の厚いのが一番で、二番目が島の自然、そして三番目が魚じゃそうな」
「魚?漁師でもするんか?」
「いや、魚が美味いのに惚れたらしい」
「面白い青年じゃなぁ。それで仕事は何をしとるん?」
「なんでも船の輸出関係の仕事をしていると言うとったで」
「船と言うても造船所はありゃあせんが」
「パソコン一つで、世界を相手にヨットやボートを売る商売らしい」
「ほう、珍しい商売をしとるんじゃなぁ」
「なんでも売ったヨットを客のところに曳航して、今までに何度もこの島の沖を通ったと言うとった」
「長続きするじゃろうか」
「いや、仕事は伊丹でも成功しとるので大丈夫らしい。僕は島の人にも上手く溶け込める協調性があると見込んだ」
「それで言葉のほうは?」
「その方は心配いらん。日本語はなんとかしゃべる。それよりか、彼に早よう島の言葉に慣れてもらわにゃ駄目じゃ」
「ああそうか。それで家族は?」
「まだ独身じゃ。日本の女がええと言うとったで」
正造とこんな話をしてしばらく経ったある日の夕方、『島のこし』の事務所で、正造がスタッフと話しているのを聞いていると、カナダの青年はこの暮れには移住してくるらしい。札幌から移住してきた山成さんも加わって、『島づくり海社』や『海援隊』の応援で空き家の周囲の草刈をして、住む家は決まったようだ。洋一が取り組んでいるアマ藻再生の浜に近い、見晴らしのいい高台の一軒家という。
「若い人が島に移住してくれると周りの年寄りも元気をもらえる。今度は嫁の世話をせにゃぁ」
正造はそう独り言を言いながら帰っていった。
☆
数日後、洋一が会社に顔を出すと、珍しく市の『海援隊』の森山君が正造や大木と賑やかに話している。
「空き家はたくさんあるのになかなか貸してもらえんで困っています。どうにかなりませんか、正造さん」
『海援隊』のメンバー三人は森山君をはじめ、自分から立候補して選ばれたらしいが、市長から『君達は島の人間になれ』と激励されてやってきたと、洋一は為さんから聞いていた。
「森山君、わしも色々あたってみとるがなかなか難しいなぁ。皆それぞれ理由があってな」
「そうなんです。僕も理由を聞くと無理も言えんと思いました」
「見ず知らずの者に貸して、問題が起きたら面倒じゃという人もいるし、盆や正月に帰ってくるからと言う人もある。所有者が島にいる場合は話が早いが、ほとんど遠方に出とるからなぁ」
「中には家を貸さないと食っていけないほど困っているのかと、他人からそんなふうに思われるのは嫌だという人もありました」
洋一は聞いていて何とかならぬかと苛立ちを覚えて、
「市が空き家を借り上げて仲介者になり、移住希望の人に貸したらどうなら」
とうとう口をはさむ結果になった。
「洋一さん、何を言うとるん。『海援隊』は『空き家巡りツアー』を組んでようやってくれとるんじゃ。正造さんも『島づくり海社』の方で頑張っとるが、なかなか貸してくれる家は少ない」
大木からたしなめられた。
「それはそうと『グルメ島めぐり』の店はその後うまくいっとるかなぁ」
「大木社長、この前行って見ましたが平日でも観光客が昼時に数人来てましたよ」
「ああそうかな、森山君は食べに行ったんか」
「いや、ちょっと連絡することがありまして」
「なんでもこの夏からはバーベキューもやるとか聞いたが」
「ああ、そのことで事業内容が一部変わるので情報収集に。ご主人が言ってましたよ。『島だからこそ価値があるんですわ。来てもらうのに何か名物をつくらないとだめだと思って、田舎風の魚中心のフランス料理にしたんです。グルメ雑誌が取り上げてくれてどっと客が増えました』と」
「あのグルメ雑誌に情報提供したのは、大木社長じゃろう」
正造が種明かしをしてしまった。
「ご主人には黙っておいてくれ。言ったら駄目で」
「ああ済まん、済まん、つい口が滑ってしもうた」
「話は変わりますが転地療養のつもりでやって来たというGさんは、最近顔色も良くて、行事にはすべて参加して、早く島の人たちの仲間入りをしようと頑張っておられます」
「なんでもカメラを携えてぱちぱち撮って皆に配っているとか」
「近所づきあいのきっかけを作ろうと頑張っとるらしい」
「はい、彼女は町内会へも婦人会へも、島へ移住して来てからすぐに加入されました」
話を聞いていると洋一がほんの二、三日前に介護事業所で会った女性だった。
「僕はほんの二、三日前会って話をしたで。今ではすっかり体調を取り戻して、ヘルパーの資格を取って手伝いをしているとか。初めは一日穏やかに暮らせたらいいと思っていたが、今はやりがいがあります。島の人たちは器が大きくて包容力があり、島に来て良かったと話していたよ」
「長続きするといいがなぁ。『島づくり海社』としてもそれが一番気がかりじゃ」
正造はそう言いながら車に乗って出かけて行った。もうこれで解散するのかと思っていると、森山君が
「この前、隣の島で面白い話をした人が居ましたよ」
「面白い話?」
「隣の島の移住第一号のTさんが、飼い犬のお陰で島の人たちと早く馴染めたと言うてました」
「飼い犬のお陰で?」
「『散歩させんとあかん思うて連れて歩いていたら、自然に会う人と挨拶するようになって、島の人たちと仲良くなれましたんや』ということですわ」
「ああ、そういうことか。なるほどなぁ」
「本人は三ヶ月もつだろうかと不安だったらしいが、知らぬ間に八ヶ月が経ったそうです」
「犬が橋渡しをしてくれたのか。そうか、そうか」
「高島第一号のC子さんは三年経って、島の漁師と結婚してもうすぐ子供が生まれるそうです」
「それはお目出度いことじゃ。子供が増えるのは嬉しい」
「洋一さん、そんなに上手くいくばかりではありませんよ。京都から漁師がしたいと移住してきた親子の場合、ちょうど海苔のシーズンで手伝っていましたが、三日目には腰が痛いと言いだして五日目から休みだし、一週間ほどして音を上げてとうとう半月後には親子とも引き上げてしまいました」
「なかなか大変じゃなあ、『海援隊』も」
「でもテレビの力にはかないません。『十万円で一ヶ月暮らせる島』という番組で笠岡諸島の移住受け入れの様子が放映されたとき、なんと四百件ものアクセスがありましてねえ。本気の人と半分興味本位の人と受け答えに苦労しましたよ」
「そりゃあ大変だったろう」
「コンビニも仕事もありませんがよろしいかと言うとあわてて電話を切る人もあって、最後には百件ほどに減りました」
「そうかな、いい加減な連中もいるもんじゃなぁ」
森山君はこんな裏話を洋一に聞かせてくれ、船の時間がありますのでと港に向かった。
☆
今年も島の大運動会の時期がやってきた。今年で十二回目を迎え、七島二巡目の最後で『六島』が会場である。戸数四十七戸、人口八十八人で有人七島では一番小さな島である。
「洋一さん、島対抗の綱引きに出てくれんか」
「ああ、ええよ。走るのはもう無理じゃ」
「そんなことはないじゃろう。まだ七十になっとらんのだから」
「でもなぁ正さん一番に足にきたで。もう無理は出来んと思うとる」
「そんなもんかなぁ。わしはまだ走るのは苦痛じゃぁないで」
「そりゃあ、わしよりも九つも若いんだからなぁ」
「まあ、そんならよろしゅう頼むで」
「ああ、わかった。リクリエーション種目だから大丈夫じゃ」
当日は抜けるような五月晴れに恵まれた。今年は監督が飛島の出身ということで、バレーボールチームのシーガルズの選手も参加して、人口八十八人の島にツアー客を含め千五百人が参加して盛大に開催された。『島づくり海社』の河田正造理事長の挨拶に、
「島は島だけでは生きていけません。陸地部との連携によって、初めてそれぞれの島の個性が発揮できるのです」
と、陸地部から大勢の参加があったことへの感謝を述べていた。上手いことを言うなあと洋一は感心して聞いていた。幼い子供からお年寄りまで参加して、ほんわかと和やかな運動会で、市をあげて取り組んでいる行事なので、洋一の同期生の遠藤市長も勿論のことやって来て、力のこもった挨拶で島民を励ましていた。
洋一は昼食にイベントの時しか作らないという飛島の潮騒弁当を食べてみた。椿油を練りこんだ白い麺と、青海苔を練りこんだ青色の二色の麺が涼しげで、島で獲れたタコ、えび等の魚がアレンジされていて、艶も腰も十分なウドンは絶妙な味であった。
あれが無い、これも無いと不足ばかりに目を向けずに、島にあるものを見つけ出してそれを生かすことが大事ではないかと最近洋一は思う。戦中、戦後に島で少年時代をすごした洋一は、物のない生活を体験してきたが、今は『贅沢すぎる不幸』が蔓延しているように思えてしかたがない。
少年時代を想い起こしてみて、あの頃はむしろ『貧しさの中の豊かさ』があったように思う。食生活を考えてみても、野菜を自分で作り海からの幸を手に入れ、豆腐や油揚げも大豆は自家製、味噌やしょう油も自家製で金がなくてもちゃんと生活が出来た。鶏も各家で何羽か飼育して卵と鶏肉は手に入った。周囲が皆そうだから不幸とは思わなかった。洋一の精神の中枢にその感覚は深く入り込んでいて、今の自分の生活にも大きな影響を与えているように思える。
神社の管理を頼まれて毎朝太鼓をたたきながら、祝詞をあげる生活を始めて四年目を迎えたが、そんな洋一に対して神様なんか何の意味があるのかと言う人もいる。だが洋一は思う。人は意味だけの為に生きているのか?無意味と思われる事柄の中にも何かがあるのではなかろうか。島の年寄りたちは心の拠り所としているし、その信仰心に応えて少しでも心の安らぎになればと思う。
洋一は帰りの船の舳先で風に吹かれながらしみじみとこんな物思いに耽るのだった。
三 あるものを生かして
島の大運動会に参加してしばらく後、洋一は会社に向かいながら思った。正さんたちが立ち上げた株式会社『島のこし』も大運動会に負けず劣らず島の活性化にもってこいの企画ではないか。最近話題になっている徳島の『葉っぱビジネス』に匹敵する取り組みになるのでは・・・・・と。
徳島の『葉っぱビジネス』(つまものビジネス)は洋一も、以前テレビの特集番組で見たことがある。神山町は人口二千人弱で、高齢化率四十九パーセントの山間の小さな村で、温州蜜柑の生産が中心だったらしい。村人は急傾斜の蜜柑畑で、這いつくばるような苦労をしながらも懸命に生きていたという。ところが昭和五十六年の二月、かつて村人たちが経験したことの無いほどの激しい寒波に襲われて、蜜柑の木が三分の二ほど枯死してしまったそうだ。
それからは山の木を切り出して椎茸栽培で生計を立てていたが、昭和六十二年にY氏が、大阪の鮨屋でヒントをつかみ立ち上げたのが株式会社『つまもの』だと報じていた。
『どこでも探せば資源はある。自分の村の資源を探そう』という理念の下に、日本料理を彩る季節の葉、花、山菜などを採取して販売する葉っぱビジネスを始めた。取り扱うものは軽量なうえきれいなものばかりなので、女性や高齢者向きで瞬く間に脚光を浴びるほどに成長したらしい。パソコンを各自持っていて全国の市場情報をキャッチしながら、今何が必要とされているか、値段はいくらかなどの情報を手にしてその日の作業に取りかかる。葉っぱビジネスを始めてから本当に高齢者が活き活きとしてきたと、現地の農協の支所長はテレビ取材で語っていた。
大木社長や正造たちは神山町を視察して帰り、何度も検討を重ねたらしい。
「洋一さん、神山町はすごいで。村のお年寄りたちは朝起きると、パソコンの前に座りマウスを手にすることから一日が始まると言うとった」
「わしも以前テレビの番組で見たがそうらしいなぁ」
「朝だけじゃあなくて作業の合間にも情報収集をしとるらしい」
「パソコンの情報を見て、何をどれだけ採取するか判断して動くとテレビで言うとった」
「ああ、そうじゃ。わしらが訪問しとってもパソコンから目を放さんのだからなぁ、あの年で。ほんまに驚いたで」
「すごいんじゃなぁ」
「中には年収一千万円近く手にするお年寄りも居るらしい」
「え!一千万?」
「それでわしらも『つまもの』の理念に習ってこの有人七島の資源を探したんじゃが、一番に思い当たるのはやっぱり魚しか無かった」
「そうじゃなあ、資源というても石はもうあまり出んからなぁ」
「最近、石は韓国や中国から安いのが何ぼでも入ってきとるし、ほとんど加工しとる。わしの工場はそれに手を加えて付加価値を高めるしか方法がない」
「向こうは人件費が安いからかなわんなぁ」
「そうよ。日本で掘り出して加工したら三倍も四倍も高くつく」
「魚に目をつけたかな。アマ藻がだいぶ消えて漁獲量が減ったとはいえ、まだこのあたりの島は何とか獲れとるもんなぁ」
「本土の市場に出しても油代で消えてしまうこともあると為さんはぼやいとったで。それで魚に目をつけたんよ」
「白石じゃあ鯛やヒラメの養殖もしとるし、要る時にすぐ手に入るのも利点じゃろう」
「いや、天然しか使わないつもりじゃ。いずれ白石漁協にも協力を要請するよ」
「もう、真鍋や飛島にも頼んだんか?」
「高島は本土に近いから駄目じゃったが、ほかは協力的だった。だが飛島や六島は漁師が老齢化して余りあてにならん」
「出来るだけ生産量が安定することを考えたほうがええで」
「それが一番の悩みよ。注文がきても品物がなかったら次から相手にしてくれんからなぁ」
「冷蔵庫に入れて熟成させるので保存については心配はない。乾燥させ熟成したものは真空パックにするので大丈夫だ」
「なるほどなぁ」
「冷蔵庫に入れんでも日持ちはええが、万一を考えて近く大型の冷蔵室を作る予定にしとる。ところが前に借りた借金がまだほとんど残っているので、なかなか銀行がうんと言わんので困っとる」
「まあ無理はせんがええ」
「そうじゃ、せっかく立ち上げて軌道のったんじゃから潰すわけにはいかん」
「働き口が出来て喜んどる年寄りたちにも申し訳がたたんからなぁ」
「正ちゃん、どんな魚を灰干しにするんなら」
「そりゃあ季節によって違うで。鯛は五月から七月が旬じゃ」
「スズキは春か?」
「いや、春だけでなく八月ころまでじゃ」
「案外期間が長いんじやなぁ」
「ヒラメも冬じゅう獲れる。太刀魚とゲタ (舌平目)も五月から十月と長い。キスやハリイカは夏の間が多いがなぁ」
「鯵は駄目なんか」
「いや、鯵は六、七月じゃが平鯵は七月から十一月くらいまで獲れる」
「すると全部で九種類、けっこう年中途切れずに操業できるなぁ」
「ああ、会社設立の前にこの島の周りで獲れる魚を検討して、これならいけると睨んで始めることにしたんじゃ。近くイイダコにも挑戦してみようと思っている」
会社立ち上げからの意気込みを大木と正造は熱っぽく語った。
四 文化のかおり
五月の中ごろ洋一は『島のこし』自慢の「灰干し魚」を土産に大津の淳子と義母を訪ねた。淳子から聞いてはいたが、義母がこんなに弱っているとは思わなかった。足腰の弱った義母は、千葉にいる淳子の弟が買ってくれた電動ベッドを起こして洋一を迎えてくれたが、前回に比べて顔に精気がなかった。それでも義母は洋一の顔を見ると
「洋一さん、すんまへんなぁ。男一人で大変でっしゃろ」
と口癖のように訪れるたびに同じことを言う。
「お義母さん何を言われますか。二人で納得してこうなったんですから心配要りませんよ」
「島に病院があったら淳子もこんな我が儘は言わんでっしゃろに」
「仕方ないですよ。淳子は心臓の持病があるんですから、万一を考えて別居生活をしているんです」
「お母さんもうその話はいいわよ。主人とも納得づくのことなんだから」
「そりゃ判ってますけどなぁ」
こうして洋一は五ヶ月ぶりに淳子の手料理を口にした。持参した灰干し魚を淳子が焼いて出すと義母は、
「こんな干物が島で出来るんでっか?普通の干物魚と違いますなあ。干物なのに身がふっくらとして干物とは思えんほどとても美味しゅおますわ。それに臭みがおまへんなぁ」
そう言いながらずいぶん喜んで食べてくれた。
「今、島の特産にしようとがんばっている会社があるんですわ」
やっぱり持ってきてよかった。年寄りの口にも合うとなれば、きっとヒット商品になると洋一は内心ほっとした。
その夜淳子と枕を並べて、ずっと心に引っかかっていた子供たちの結婚のことを洋一は口にした。
「健はまだ付き合っている娘はいないのか?」
「先月大阪の出張帰りに寄ったけどその気配はなかったわ」
「もう三十五がくるだろう、あいつは」
「今年の誕生日で三十六ですよ」
「困ったもんじゃ。すると裕子は三十二か、あの子はどうなんだ?」
「裕子は付き合っている彼がいるらしいわ。何でも薬品会社のデベロッパーとか」
「そりゃあ良かった。早よう片付いてくれんと安心できんからなぁ」
「そうですねえ。健も早くいい人を見つけて、私たちが元気なうちに孫の顔でも見せてくれたらいいのに」
「今時の若者はどういう考えなのかなぁ。結婚年齢はどんどん高くなるし、生涯独身が増えてきとると言うが」
「私たちの頃は結婚しないと、どうしたのかと世間から変な目で見られたけど、今はシングルマザーが増えているそうよ」
「昔は世間体を気にして離婚も勇気がいったが、今は当たり前という感じになって」
「少子高齢化が社会問題になってるけど、人口構成が逆ピラミッド型になって、いったい日本はどうなるんでしょうね?」
「こんど子供たちに会った時もう少しプッシュしてみるか」
「そうよ、貴方からももう少し強く言ってちょうだい」
「ああ、そうしてみるよ。でもなかなか俺の言うことには耳を貸さないからなぁ、あいつらは」
「貴方は今まで仕事、仕事で、子供たちのことを少しもかまってやらなかったのだから」
「またその話か。もう済んでしまったことだ。仕方なかったんだ」
「企業戦士とか言われて、子供の起きている時間帯に帰ってくることは無かったでしょう。それに海外勤務も多かったし」
「日本が追いつき追い越せの時代だったんだからなぁ」
「それで今は年金制度が危うくなるなんて、全くたまったものじゃないわ」
「民主党が政権を取ったから少しは改善されて、安心して老後を過ごせるようになるといいんだが・・・・」
いつの間にか二人は眠りについていた。そして洋一は神社のことが気にかかったが、義母のこともあり大津に二泊して島に帰った。
☆
海水の温度も上がるこの時季になると、瀬戸内の島でも魚種が増えてくる。スズキ、ハリイカ、カワハギなどの入荷が増えてきた。六月になると、太刀魚、ゲタ(舌平目)、キスが獲れだして、漁獲量も一段と増加してくる筈だ。七月からは、鯛や鯵も入荷するようになり、十一月から三月にかけてヒラメも加わるだろう。大体季節に応じて九種類の魚を素材にして、灰干し魚を加工するという計画である。
昨年の十一月に会社を立ち上げて半年が経つ。冬の間は漁獲量も少なくパートは一日平均八人位で済んだが、春になって入荷する魚種も量もだんだんと増え、多い時は十四、五人出て賑やかに世間話に花が咲く。
「今日は普段より魚の量が少ないなぁ」
「これなら昼までに終わるで」
「量が少なかったらパート代も少ないけぇ、嬉しいような悲しいようなことじゃ」
「まあ留さん、そうボヤキなさんな。働くところが出来て小遣いも稼げるし、正ちゃんに感謝せにゃあいけんで。なあ秋さん」
「まあ、そういうことじゃ。有難い、有難い」
「そりゃぁそうと、大阪の孫は春休みにはやって来るんかな?」
「正月に帰ってきた時来ると言うとったけえ多分来てくれると思う」
「うちの孫は埼玉じゃけえ、遠いから盆か正月に一回来るだけでちょっと寂しいわい」
「そうじゃなぁ。美代さんとこは家族五人帰ってくりゃぁ、旅費もよけい要るから無理もないわ」
「うちは親子三人じゃけえその点は楽じゃ」
「それでもこの前孫が自転車を買うというんで小遣いを送ってやったんで」
「うちはもう大学じゃけえ自転車くらいでは済まんわ」
工場では今日も、七人ばかりのパートのオネエたちが出勤してきて、魚包丁を手に鱗を落としたりはらわたを取り除いたり、ワイワイ言いながら作業をしている。島では魚屋はなく若い時から魚はすべて自分たちで料理して暮らしてきたのだから慣れたものだ。
「朝から皆元気がええじゃろう」
「賑やかにやっとるなぁ」
「いつもこんな状態ですわ」
正造は事業が軌道にのって満足そうである。
洋一が近くで作業を見ていると、
「小遣いにもなるし仲間同士で話が出来るんでストレス解消になるんよ、洋ちゃん」
「私らは歳なんで椅子に座って作業が出来るから助かる」
「パートの私らによう配慮してもろうて感謝しとるんじゃ」
「子供たちの話や孫たちの話で毎日花を咲かせとる」
とオネエたちは洋一を見つけて話しかける。
なんと賑やかなことか。だが洋一が聞いていて不思議に嫁の悪口は出たことがない。中でも高齢のオネエたちはこの工場で小遣いを稼ぎ、年金と合わすと月に十五万円くらいにはなるらしい。金に不自由しないから愚痴も出ないのであろうか。体を動かして働く場所を得て生きがいを見つけたようである。比較的若いパートのオネエたちも、身近なところに働き口が出来て喜んでいる。
洋一はにぎやかなオネエたちの会話を耳にしながら、この活き活きとした姿を目の前にしてよかったなあと思う。島の婦人衆が元気になれば、他の者たちもおのずと元気を出すだろう。島の活性化の始まりだ。
☆
それからしばらくして明日出社して欲しいと洋一に電話があった。相談したいことがあるという。
「正さん、明日はちょっと出かけるから行かれんで」
「何があるん?」
「歯科医の奥さんになっとる高校の同期生から、ヴァイオリンのコンサートに招待されてな。美星の山の上に行くことになっとる」
「えっ!コンサート、そりゃあまた凄いなぁ」
「横浜に居たときは妻の淳子と時々コンサートや観劇に行ったが、島に帰ってきてからは久しぶりじゃ」
「それなら日を代えるからゆっくりしておいでー。帰りに栄光ミュージアムに寄ってみたらどうかな」
「栄光ミュージアム?」
「栄光電器の吉田会長が蒐集した美術品を、笠岡ホテルの二階に展示しているんじゃ。無料公開しとるんで」
「えっ!無料?」
「私財を投じて集めた芸術品を私物化しないで、われわれ庶民に鑑賞の機会を無償で提供してくれている」
「それは素晴らしいことじゃ。全国に似たような美術館がたくさんあるが、たいてい入館料をとるからなぁ」
「僕は吉田会長の心意気に感動しとるんよ」
「でもスタッフの給料など維持費はどうしとるん?」
「たぶん栄光電器の利益の一部を財団に振り向けて運営しているんだろうと思う」
「私物化して自分一人で楽しんでいる金持ちは掃いて捨てるほど居るらしいがなぁ」
「そうそう、だからすごいと思うで」
「是非帰りに寄ってみる。ありがとう」
翌日、朝早くから久しぶりのスーツに身を包み、朝一番のフェリーに乗る。市の北東部に位置する歯科医の山下先生の美星の別荘に向かう。人口二万人少々の高原の町である。道筋の山々の新緑が目に染みるように見事で、新緑の季節独特の山の匂いまでが歓迎してくれている。何ともいえぬ幸せな気分に浸りながら洋一は友人の車に揺られていた。
バイオリンコンサートというので、緊張した面持ちでスーツ姿で出席した洋一であったが、田舎の参加者が多いので主催者が気を利かしてくれたのであろう。極めてくつろいだ雰囲気なので洋一もほっとした。歌謡曲、津軽ジョンガラ節、童謡、タンゴと親しみのある曲目が演奏された。「津軽ジョンガラ節」をヴァイオリンの演奏で聞くのは大変珍しくタンゴは迫力があった。最後に演奏された「千の風になって」を聞いていると、洋一の両親も島のあたりを風になって、息子がしゃんと生活しているか心配して見ているのだろうかと、そんな思いに駆られ不覚にも涙がにじんできた。
演奏者の息遣いが聞こえる距離で聴くのは初めてで、迫力満点だった。本当に贅沢で楽しいひと時を過ごした。同級生は有り難い。美星という山あいの町での演奏会であったが、久しぶりに文化の香りに接した洋一であった。
帰りに正さんの教えてくれた栄光ミュージアムに寄ってみた。新聞記事で知っていた梅原龍三郎の「バラ」をはじめ、小野竹喬、奥田元宗、平山郁夫など著名な画家の絵もあって目を引く。岡山自慢の備前焼も金重陶陽の水差しや藤原啓の花入れなど多数陳列してあった。洋一は高校時代校長室にあった清水比庵の書を見て、けったいな字だなあと思っていたが、ミュージアムでたくさん見ることができて再認識した。展示室の一隅に吉田会長の御母堂である貴美さんのコーナーも設けてあり、親孝行しているなぁと感心する。特に貴美さんの作品の中で備中神楽の扁額は洋一の目を引くものだった。正さんの言っていた通り、これだけの蒐集品を無償で鑑賞できる計らいに洋一も敬意を表したい思いだった。
生まれた島に帰ってきた洋一にとって、今回のコンサートといいミュージアムの鑑賞といいありがたいことだ。故郷の島での生活は自分から選んだ道であるし、離島だから仕方がないと自分に言い聞かせて、今まではのんびりとした島の生活に生甲斐を見出していたが、これからはあまり頑なにならず、あちこち足を運んでみる方が良いのかも知れないと思うのだった。
五 大波が
いよいよ今年もアマ藻の種を海底に蒔く時期が近づいてきた。今年は少し早めに段取りをしておこうと、洋一は漁協組合長の三郎さんに会いに組合事務所に出向いた。するとそこに以前話しに聞いていたカナダ出身のジョニーらしき人物が三郎さんと話しこんでいた。
「洋一さん、なんか用かな?」
「お邪魔します。アマ藻場再生の件で来たんじゃがよろしいか」
「ああええよ。もう話は済んだから」
「こちらの外人さんはあのカナダ出身の方かな?」
「ハイ、ジョニーとイイマス。ヨロシク オネガイシマス」
「この人は山本さんと言うて、八幡神社の宮司さんじゃ」
「ハチマンジンジャ?ソレ、ナンデスカ」
「あんたらの国の教会のような所じゃ。そこの牧師と同じじゃ」
「キョウカイ、ボクシ、ワカリマス、ワカリマス。ヨロシクネ」
「洋一さん、もうアマ藻の植え付けの時期がきたかな」
「少し早めに下話をしておこうと思って」
「アマモ?ナンデスカ、ソレ」
「アマ藻というのはな、幅一センチ、丈が八十センチ程の細長い扁平な海草で、ちょうど稲の葉のような姿なんじゃ。春には白い花をつけ米粒大よりやや小さめの実をつける海草じゃ。あんたは海に詳しいじゃろう」
「サブロウサン カイソウ、ワカリマス」
「アマ藻はなあ、七月から八月にかけて種子を残して枯れるんじゃ。そして落ちた種子が冬に発芽して繁殖する。それに枯れた根から芽吹いて繁殖するものもある」
「アマ藻の中に魚が卵を産み、稚魚がそのアマ藻の中で外敵から守られて育つから魚の揺りかごと言われています」
「サカナのユリカゴ、デスネ。ソノタネをウエルノデスカ?」
「僕が島に帰って来た翌年、身近な人たちを巻き込んで『アマ藻場』復活の取り組みを始めたんです。今年で四年目になる」
「あんたが今住んどる家の近くの北の浦の沖合いは、昔島でも有数の魚場だったんじゃ。その磯で藻場が消えかかっているのに気づいて、山本さんが言い出して三年前から始めた活動なんじゃ」
「ボクガ マエスンデイタ須磨のカイガン タクサンタクサンアリマシタ。カナダ リアス式カイガンで、アマモ アマリアリマセン」
「繁殖地は遠浅の砂泥海底が適していて太陽光線が届かないと生息できないので、水深四、五メートルあたりが限界なんです」
洋一は少年時代に泳いでいて足に巻きつかれ、パニックになった思い出がある。ユーターンして帰った年の初夏にその北の浦へ釣りに行って、アマ藻場の消えかかっているのに気づいた。少年の頃はアマ藻がびっしり群生していて、そのアマ藻の手前でトシ君や英ちゃんとよく釣りをしたものだが、これでは浜は死んでしまうと思った。洋一がアマ藻場再生に取り組もうと思い立ったのは、あの時の釣りがきっかけだった。今日はとんだことでアマ藻の講義をする羽目になってしまった。
一週間後アマ藻場再生の打合わせ会を開いた。漁協組合長の三郎さんが漁協の漁師連中にも声をかけてくれ、今回は二十人を越えるメンバーになった。
「去年までの三年間の取組みで、やっと浜の三分の一ほど生えてきたばかりじゃ。なんだか成績が悪いなぁ」
「確かに網袋を五十ほど沈めたのに、根付いたのはのは半分だった」
「それでも少しずつだが、確かに復活してきているから今年も頑張ってみようや」
「あたりまえじゃ。ここまでやって途中やめが出来るか」
「そりゃあそうじゃ。やめたら島の笑い者になるで」
「年中手間がかかるわけじゃぁない。アマ藻を刈り取って種を沈める時の二、三日じゃ。やろう、やろう」
「神島の出崎じゃぁ成功したと言うとったで」
「あそこはカブトガニの先生で有名な土元先生や地元の森川さんたちが熱心にやっているからのう」
「もう十年越しというじゃぁねえか。国土交通省から支援金が出とるらしいで」
「なんでも小学生に応援してもらっているらしい」
「わしらぁはまだ三年やったばかりじゃけえ、そんなに悲観することはねえ」
「でもそんなに上手くいくかのう」
「僕は神島の森川さんにこの前会いに行って、向こうのやり方を教わってきた。さっき為さんが言うとったように、何でもポットに種を蒔いて芽が出たのを浜に植えつけるらしい」
「わしらのやり方でも、効率は悪いが手間は省けるし、確実に増えてきとるから今までのやり方でやってみようやぁ」
「まあ根気よく続けるしかなかろう」
組合長の一言で、今日の寄り合いの結論は出た。また今年も時期がきたら大勢の島民に呼びかけて参加してもらうため、少し早めに計画を立てておこうと思いながら、洋一は自転車のペダルを力強く踏みながら家路を急いだ。
☆
アマ藻場復活の世話人会を終えて、一週間ほど経ったある日、洋一は会社に顔を出した。 ネット販売のページを改定するのでキャッチコピーを考えてくれと、営業担当でホームページの立ち上げに取り組んでいる村上から頼まれて、二、三の案を作って持ってきたのだ。取り敢えず社長の大木に提出してどの案が良いか、後は一任するつもりで帰ろうとしたところ正造に引き止められた。何だろうかと訝しく思いながら待っていると、正造は誰かからこの前の会合のことを聞いたのだろう。突然アマ藻場再生の話を切り出した。
「洋一さんアマ藻の種まきをする時期が来たのと違うか?」
「七月の下旬を考えとる。もうすぐ応援依頼の連絡が『島づくり海社』にも届くと思うで。昨日公民館の主事に頼んでおいたけぇ」
「ああそうかな。まだ見とらんけどな」
「頼りにしとるんじゃ。よろしゅう頼むで。何人くらい応援してくれるんかなぁ」
「今のところ十四、五人は出てくれると思う。今年は洋一さん、『島づくり海社』も組織を挙げて、アマ藻場再生の応援をするで」
「正さん、そりゃあ有り難い。『海援隊』にも話して応援してもらおうと考えとったんじゃ」
「そりゃあええ。市も『海援隊』には本気で力を入れとるからやってくれるじゃろう」
「いずれにしても人海戦術だから呼びかけが肝心じゃと思う」
「『島づくり海社』も島の人たちに公認されてきたから呼掛けたら応援してくれる。心配しなさんな」
「まあ、その時はよろしゅう頼むわ」
「アマ藻の刈り取りは七月の終わり頃じゃったなぁ」
「今年からは北の浦の自前のアマ藻を刈り取って植え付けることが出来るから、東浦の連中の世話にならずに済むから気が楽なんじゃ」
「ああそうか。今までは東浦の連中に頭を下げんといけなんだからなぁ」
「ああ、二人ほど口うるさいのが居てなぁ。いつも難しゅう言うて揉めたことがあった」
「あいつらは以前から何でもかんでも喰ってかかるんで有名な男じゃ」
「前々からそうなんか」
「YとSじゃろう。わしも大体誰かは察しがつく」
「当たっとる。なるほどなぁ」
「腹はそう悪うない男なんじゃが、言うことは遠慮なしに言うからな。噛み付き亀みたいな奴じゃ」
「もうこれからはその心配も無いけえ助かったで」
「北の浦のアマ藻で足りるかな?」
「ああ、三年がんばった甲斐があったというもんじゃ。大丈夫、けっこう自前で足りると思う」
「洋一さんが言い出して始めた取り組みじゃが、少し光が見えてきたというところかな」
「公民館長はじめ組合長や漁師の為さんらのお陰でな」
「今年は僕も応援するから」
「『島づくり海社』が立ち上がってくれたら鬼に金棒というもんじゃ」
「人を動かすのは任しとかれぇ」
「ありがとう。頼りにしとるからなぁ」
☆
しばらくして会社に出てみると、ネット販売が功を奏して注文がぼちぼち入りだしたと皆活気づいていた。この前、営業担当の村上がホームページの立ち上げに孤軍奮闘していたがうまくいったらしい。
「ホームページ立ち上げは上手くいったらしいなぁ」
「ああ、洋一さんか。お陰で何とか上手くいきましたよ。ぼちぼちネット注文が入りだしてなぁ」
「そりゃあ早いことじゃ。さすがネット時代じゃのう」
「ネット販売を始めたことを、『島づくり海社』のホームページに掲載しとったからと思うよ」
「なるほど、案外ホームページを検索している者がいるものじゃなぁ」
「そりゃあやっぱり時代でしょう。神山町のお年寄りたちも、家に一台パソコンを持って毎日マウス操作をしているんだから」
「そうじゃったなぁ」
事務員の照子さんがパソコンの前に座り、忙しく注文のチェックをしているようだ。それにしても時代の変わりようは激しく、ここ最近のネット時代の到来は、洋一など古希を迎える年齢の者には、なかなかついていけないところがある。メールを打ったりエクセルでのデータ処理は、ベトナムと取引していた時利用していたが、ホームページを立ち上げてネット販売とは居ながらにしての商売である。確かに徳島の葉っぱビジネスでは高齢のじいちゃん、ばあちゃんまでが、パソコンを駆使して活き活きとやっていたとこの前正造が話していた。その気になれば高齢者でもパソコンに十分対応できることを知り、驚きを禁じえない洋一であった。
☆
種つきアマ藻の刈り取りと植え付けの日がやってきた。出来るだけ大勢の島民に参加してもらうことが、環境問題を理解してもらう上でも大事だと、神島の町内会長から聞いていた。神島は種を採取して植え付ける方法だが、潮が引いてしまったところに植え付けるのでその点は楽だ。洋一たちのやり方は少し手抜きをして、種の付いた枝藻を刈り取って網袋に詰めて海底に沈め、自然発芽を待つやり方を採用している。潮が干上がってしまわないので手植えは無理だ。効率がやや落ちるが、潮に流されないように重石をつけて沈めて置けば何とか根付く。
夏休み中の子供たちもかなり参加してくれるというので、大潮の日を設定していた。大潮なら沖のほうまで潮が引くので子供でも大丈夫だ。それに七月になると、水温もかなり高くなり海に入っての作業には差し支えない。
今年は島の漁師連中も大勢参加してくれた。三年間の取り組みは微々たる成果だったが、今回やっとその趣旨が理解されたからであろう。一昨年移住してきた三家族も子供連れで今年もまた来てくれていた。
「今年も参加してもらってありがとう。島の生活はどうですか」
「はい、皆さんに親切にしていただいて助かっています」
「早く慣れてくださいよ。今年は二家族、移住してきた人たちが、それぞれの理由で離島してしまいました。残念ですがそれぞれ理由のあることで仕方がありませんがね」
「近所の漁師さんからしょっちゅうお魚を頂いて助かっています」
「何かあったら相談に乗ります。『島づくり海社』も応援してくれますから、安心して島民の中に溶け込んでください」
「ありがとうございます。皆さんが親切にしてくださって助かります」
予定の人たちが揃うまで集まってきた人たちの中を、アマ藻の取り組みでいざこざの起きないことを願いながら、挨拶に廻っていた洋一は、初めて見る移住者が参加してくれているのを見つけて、早速挨拶しておこうと話しかけた。
「どうも、事務局長の山本です。参加いただいてありがとうございます」
「組合長の三郎さんから声をかけていただきまして」
「ああ、そうですか。あなたが伊丹から来られた伊藤さんでしたか」
「はい伊藤と申します。伊丹から来たのはカナダ人の方で、私は神戸からやって来ました」
「こりゃあ失礼しました。神戸からまたどうして?」
「介護の仕事に就いていましたがちょっと体をこわしまして」
「介護の仕事はなかなか大変なんでしょうなぁ」
「腰を痛めましてね。それに子育てを豊かな自然のなかでやりたいと妻が言うもんで、色々あちこち探しましたが、この島の人情に惹かれまして」
「ああそうでしたか。まあ自然はいっぱいありますし魚は美味いでしょう」
「組合長の三郎さんに親切にしていただいて、この前は蛸と太刀魚をたくさん戴きました」
「それで島での仕事はありましたか?」
「ええ、お蔭様で漁協の事務に使ってもらっています。パソコンが少々使えるものですから」
「そりゃあ良かった。それで奥さんの方は何処に?」
「私は毎日じゃあ在りませんが、パートで島弁作りに週二、三回行っておりますの」
「ああそうですか。最近観光客が増えて島弁も案外人気が出てきたようで」
「ええ、神戸にいた時、グルメ雑誌に何回か載っているのを見てどんな弁当か興味は持っていましたが、まさか私が作る立場になるなんて」
「それぞれの島で使う魚を工夫してバラエティに富んでいるでしょう」
「ええ、昔からそれぞれの島に伝わる伝統料理に新しい工夫を凝らしていて、美味しいと思って作っています」
「子供さんはお二人ですか?」
「はい、ここに今日も連れて来ていますが、上の女の子が小学二年、下の子が幼稚園の年長組ですわ」
「一姫二太郎で理想的ですな」
「来年の春には三番目が生まれる予定ですの」
「それはそれは、おめでとうさん」
「ありがとうございます。聞くところによると、もうすぐお医者さんがこの島に帰って来られるとか」
「ああ、この島の出身で大阪の大病院で副院長をしていた人ですよ」
「この島に来る前、お医者さんのことが気がかりでしたが、その話を聞いて安心して決断できたんです」
「私ら年寄りは子供の声が聞こえるとほっとするんです。丈夫な赤ちゃんを産んでくださいよ」
「ありがとうございます」
こんな会話を交わしているうちに大勢集まってきた。ぼちぼち取り掛からなくてはと、洋一は用意した長さ五十センチ、幅三十センチほどのタマネギ袋を軽トラから下ろしながら、ざっと頭数を数えてみると、大人とあわせて四、五十人はいるだろうか。これだけ集まってもらえると今年の取り組みは八分方成功したようなものだ。
「おじちゃん、どのあたりのアマ藻を刈ればいいのかなぁ」
「ボクらの背の足るところにあるものを刈ってくれたらいいよ」
洋一はそう子供たちに頼んで、必ず保護者か大人がマンツーマンで付いて作業してくれるよう指示を出す。
「来年のことを考えて少しずつ残して刈り取ってくれ」
「刈り取ったアマ藻はどうするん?おじちゃん」
「大人が持っている網袋に入れたらええ」
「おい!一人三袋を目標に頑張ろうや」
『島づくり海社』の正さんがメンバーに声をかけている。以前約束してくれていた通り、『島づくり海社』のメンバーを十数人連れてきてくれていた。
「正さん、すまんなあ。大勢助っ人を連れてきてくれて」
「海が元気にならんと島はだめになるが。『島のこし』としても魚が獲れんかったらお手上げじゃからなぁ」
「まあ、そりゃあそうだが、平日で忙しいのに申し訳ない。大潮の日をねらっていたらこの日になってしもうた」
「気にするな、気にするな。神島のほうでも取り組んでかなり成果を上げとるというからこっちも負けとられんで」
「向こうはカブトガニの土元先生や大学の先生が付いとってじゃからなあ。本格的なんじゃ」
「やり方はそう違わんじゃろう?」
「県の水産試験場から教わったやり方じゃから間違いはねえ。三年間やってなんぼうか根付いた。昨年は台風が来たからなぁ」
「台風ならどうしようもない」
「今年は百パーセントを目指して、沈めた網袋が海底から浮いてしまわんようにブロックをくくりつけようと用意しとる」
「そりゃあええ。きっと上手くいくよ」
「そう願っとるんじゃがまた台風でも来たらどうなるか心配じゃ」
正さんとこんな会話を交わしながら洋一は鎌を持って、種つきアマ藻を刈り取っていた。
「おーい、ちょっときてくれ。子供が溺れかかっとるぞー」
「早よう行ってやれ。溺れ死んだら大事じゃ」
三人ばかりが、水を掻き分けるようにして急ぐ。沖合い二十メートル辺りは潮がかなり引いていても、強い波がきて思うように近づけない。洋一は現場から百メートルほど西の辺りでアマ藻を採取していたが、急いで浜に上がった。少し遠すぎるので近くにいる連中に任せるしか手はない。そう思いながら現場を目指して走った。気は焦るが砂に足をとられて思うように走れない。最近走ることのない洋一は息切れがしてハアハア言いながらも、やっとの思いでたどりつき声をかける。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃ。水は飲んどらん。沖合いを大型貨物船が通過したので突然の大波にのまれたらしい。今まで経験がないけえパニクッたんじゃ」
従兄の為さんがそう言いながら、子供を抱きかかえるようにして浜に上がってきた。洋一は子供の両肩に手を置きどこか怪我をしていないかと、頭から足の先まで丁寧に見ながら声をかける。
「ぼく、大丈夫か?どこも何ともないか?」
「うん、だいじょうぶだよ、おじちゃん」
「びっくりしたじゃろう」
「うん、大きな波がバサッと来て身体が押し流された」
「沖を貨物船が通ったから大波が押し寄せたんじゃ。何でもなくてよかったのう」
「うん」
「ちょっとそこの岩の上に座って休憩しとき。今日はもう作業はせずに見物しとったらええ。もうすぐ終わるからな」
保護者が付いて来てない子供には誰か大人が付くように頼んでいたが、誰も付いていなかったらしい。あれほど頼んでいたのにと思ったが、何事も無くてやれやれというところだ。何かあったら保護者に申し開きは出来んし、この取り組みも台無しになってしまうところだった。ほっとした。保護者に事情を話しに行き十分謝っておかなければと思いながら、アマ藻の採取と植え付けの作業を続けた。
今回は大勢参加してもらったので思いのほか早く作業を終えることが出来た。人海戦術なので参加者の多いのは有り難いことだ。
☆
「何かあったらどうしてくれるんなら」
「いや、本当に申し訳ありません。大人が一人ずつ付くようにしとったんですが、わしの不注意です。お許しください」
「あんたらのしとることに反対はせんが、今後子供は巻き込まんようにしてくれ」
「よう解りました。本当に済まんことでした。どうか許してください」
何を言われても謝るしかない。夏休み中だが明日は校長にも事情説明と謝罪に行こう。そう思いながら洋一は漁協の事務所に立ち寄った。
「洋一さん、ご苦労さんじゃったなぁ。浜田はすんなり解かってくれたか?」
組合長の三郎さんが声をかける。
「ああ、こっぴどくしかられたで。もう子供を巻き込むのはやめてくれと言われた」
「そうかな、だが子供や島の人たちが出来るだけ大勢参加してくれることが、アマ藻場の大切さを知ってもらうのに一番なのになぁ」
「洋ちゃん、力を落とすな。何も無かったんじゃから良かったじゃないか」
「まさか予想もしなかった。大型船が通過すりゃあ大波が来るのは常識なのに」
「音もせずに通り過ぎて、しばらくしてから大波が押し寄せるからなかなか気が付かんことが多いで」
「僕のチェックが足りなんだ。きちんと大人が付いているのを確認しとけば良かったんじゃ」
「わしらもうっかりしとった。あんた一人の責任じゃないよ。そう落ち込みなさんな」
「起きてしまったことは仕方がない。子供に何も無かったのが幸いじゃ」
「いや、そう言ってもらうと少しは気が休まる。これからは気をつけるから今後もよろしゅう頼むで」
洋一の願いはなにはともあれアマ藻が上手く根付いてくれることだ。アマ藻場が復活して魚が居付いてくれたら豊かな漁場が戻ってくる。そうすれば今日の保護者にもいくらか罪滅ぼしが出来る。そのうち理解もしてくれるだろう。来年の一月の点検に期待をかけようと、自分に言い聞かせるように洋一は唇を噛むのだった。
六 島がふくれる
お盆と正月は島の人口が三倍にふくれ上がる時である。今年も八月の十三日から帰省客がフェリーで大勢降りてきた。洋一の中学時代の仲間も何人か夫婦連れで帰ってきたのを見かけた。島に残っている年寄りたちはこの日を首を長くして待っていて、桟橋は出迎えの人たちでごった返している。
「おう、元気でやってるか。覚えとる?俺のことを」
「ええと、山川君じゃあないかな」
「ああ、そうじゃ。山本は何時島へ帰って来たん?」
「四年前じゃ。久しぶりじゃのう」
「お袋がまだ一人で頑張っとるからなぁ。毎年正月か、お盆には帰ることにしとる」
「まだ元気じゃよ。さっき迎えに出とるのを見かけたぜ」
「よう、山本じゃあないか。島本じゃ」
「島本?お前だいぶあの頃より変わったなぁ」
「ああ、頭が薄くなったからなぁ」
「そりゃあ、お互い様じゃ」
「今、山本は宮司をしとるの?親父から聞いたぜ」
「ああ、神社の管理を頼まれとる」
「お世話になるなぁ。八幡神社は僕らの心の拠り所だから有り難いよ」
「毎朝祝詞を上げて掃除をして帰るだけじゃ。時には地鎮祭を頼まれることもあるがな」
「正月に帰った時お参りしたら境内がやけに綺麗だったのは君のお蔭か」
「それくらいの事しか僕には出来んが」
今年のお盆は妻の淳子が島へ来るというので、夕方桟橋に迎えに来ていた洋一は、幼馴染に何人も会いなんとなく心温まる思いだった。
妻の淳子はいよいよ最後のあたりでニコニコ笑いながら船から降りてきた。
「疲れたろう。大丈夫か?」
「今日はとても大勢の乗客だったわ」
「ああ、そりゃあお盆だからな」
「大勢帰ってくるのね」
「普段の三倍に島の人口がふくれるからなぁ」
「まあ! そんなに」
「島から出ている者も島に残っているお年寄りも、この日を楽しみにしとるんじゃ」
二人は桟橋を後にしてこんな会話を交わしながら家に向かった。
「この刺身は何?とても美味しいわ」
「そりゃあキスじゃ。今朝早く俺が釣って来たんじゃ」
「これがキスなのね。料理大変だったでしょう。小さい魚だから」
「小さい言うても、二十センチはあるよ。魚をさばくのはお前より上手いかもしれんぞ」
「この煮つけはなに?」
「それは為さんが持ってきてくれたメバルじゃ。から揚げにしても美味いぞ。香ばしくて骨まで食べれる魚じゃ」
「身がポロッと取れてあっさりして美味しいわね。でも少し味が薄いわ」
「馬鹿言え。お前の心臓のことを考えて普段より薄味にしたんだぞ」
「だって、いくら何でも限度があるわ」
「まあそう言うな。男料理じゃけえ、我慢して食え」
文句を言いながらも淳子は洋一の作った夕食を一つ残さず食べてくれた。あれこれ批評はあったが洋一は満足だった。久しぶりに淳子を抱いて眠りについた。
☆
あくる日夕飯を終えて一息ついていると、
「今晩は。洋ちゃん、居てはりますか?」
「あらー 英次さんじゃないの」
「お久しぶりでんなあ、奥さん。お盆の墓参りに帰りましてん」
「おう、英ちゃん、よう帰ってきたなぁ。まあ上がれよ」
「ほんならお邪魔さしてもらいますわ」
「親父さんの十三回忌の法事以来じゃなぁ」
「そうでんなぁ。十ヵ月振りでおますなぁ」
「いつまで居るん?」
「十六日には帰る予定ですねん」
「それなら一杯やるか」
「いつもすんまへんなぁ」
「おい、一杯つけてくれんか。英ちゃんとやるから」
昨年英ちゃんと飲んだ時もトシ君との魚釣りや牛飼いの思い出、戦争中のこと、メジロ取りなど、いつのまにか幼い頃の思い出話になったが、瀬戸内の小魚を酒の肴に今回もまた久しぶりに再会した幼馴染の二人は、夜が更けるまで少年時代の話しになった。
「洋ちゃん、あの時の傷は今でも残ってはるのか?」
「傷?」
「洋ちゃんが柿の木から落ちはった時のこと」
「ああ、そう言われると思い出したで」
「洋ちゃん、あの頃明美ちゃんが好きでおましたん?」
「ぼくより三つ年上じゃったなあ、明美ちゃんは」
「よしとけばよかったのに、あの子に頼まれてクマゼミを取りに柿の木に登りはって」
あれは確か小学校に上がる前のことだった。夏になると近所の幼友達五、六人でよく蝉とりをして遊んだ。その中に洋一より三つ年上の明美ちゃんという可愛い女の子がいて、クマゼミを捕まえてと言われて、洋一は網を片手に柿の木に登った。幹はちょうど手ごろの太さだった。横に伸びた枝の上をソロリ、ソロリと、片手で近くの枝を握り虫取り網を片手に、蝉に全神経を集中させて前に進んだ。足元の枝が枯れ枝とも気づかず、もう少しで蝉に届くところまで進んだ時、枝がボギッと折れて三メートルほど下に転落した。運悪く柿の木の根元には周りから出た石ころが山のように積んであり、左の脛を怪我してしまった。見るとポッカリとザクロが口を開けたように裂けている。不思議なことにあまり出血はない。洋一は自分の手で傷口を押さえて五十メートルほど下の我が家まで大急ぎで帰った。幸い父がいて自転車に乗せられて診療所に行き五針縫ってもらった。今でもそのときの傷痕が鮮明に残っている。
可愛い明美ちゃんのために男気を出してとんだ災難に遭ったが、少しも後悔はなかった。なんだか名誉の負傷といった気分だった。
「英ちゃん、あの時の柿の木がまだ現役で残っているよ」
「そうでっか。あれからもう六十年になるというのに」
「あんがい柿の木の寿命は長いものらしい」
「洋ちゃんと会うとあの頃が懐かしゅうて」
二人が会うといつも、少年時代の思いで話を懐かしく語り合うのだった。その夜も深夜をまわって英ちゃんは隣の実家に帰っていった。
☆
洋一は十五日の夜、淳子を伴って盆踊りに出かけた。島では今年も十三日の夜から三日間盆踊りが小学校の校庭で予定されている。昔は十五日の夜だけ盆踊りをしていたが、島に帰って来る人達のことを考えて十数年前から三日間の開催になった。
学校の校門の近くまで来るとカカッカ、ドン、カカッカ、ドンと、のんびりとした太鼓の音が聞こえてくる。運動場の真ん中には紅白の幕を張り巡らした櫓が立ち、浴衣に鉢巻姿の三郎さんの美声が響く。既に四、五十人の踊りの輪が出来ていた。
『月にナァ、むら雲 花に嵐 イヤ ドッコイショ ドッコイショ 散りてはかない 世のならい アラ ヨイトサー マンダライヤー 鬼がコニャエー』
『大黒踊り』がゆっくりとしたテンポで繰り広げられている。
「やあ、洋一じゃない?」
「おう、天野じゃろう。元気でやっとるんか?」
「ああ、今年は親父の七回忌で帰ってきたんよ」
「昨日、山川と島本に久しぶりに会ったよ。元気そうじゃった」
「ああそうか。やつら今晩踊りにくるかなぁ」
「多分くると思うで。お前は大阪じゃったなぁ。お袋さんが元気な間に島へ帰って来いよ」
「うーん、考えてはいるけどなかなかなぁ」
「俺は今、家庭菜園を楽しんどるよ。自給自足もええぞ。おまけに魚は美味いしな」
「確かに島に帰って食べる魚が一番美味いのはようわかるよ。煮魚にしても身が引き締まって何とも言えんもんなぁ」
「そうよ、小魚が特に美味いからなぁ。シーズンには夕方になると夕食に食べる魚を毎日釣りに行くんじゃ」
「羨ましいことを言うなぁ、お前は」
「子供さんはもう独立しとるんじゃろう?」
「上の息子は東京に居る。下の息子は今同居して大阪の市役所に勤めとる」
「そりゃあええことじゃ。マンションは息子に譲って帰って来い。お前の所は島にしゃんとした家もあるし、お袋さんも居るんじゃけえ」
「うーん、考えてみるかなぁ」
「俺は住んでいた横浜のマンションを息子に譲って帰って来たんじゃ」
今日は盆踊りの最終日だが、島に帰ってきていた友人と何人か会うことができた。やはり幼友達は幾つになってもわだかまりがなくていいもんだと思いながら、淳子の座っているテーブルに行った。淳子は焼き鳥とビールを買って待っていてくれた。同級生の与一も登志男もすでに踊りの輪の中に居る。洋一は缶ビールを一本空けるとさっそく輪の中に入った。
音頭はいつの間にか『石堂丸』に変わっている。
『あわれなるかやー石堂丸は 父を尋ねてー高野に登る・・・・・・顔も知らざる 父上様がーここのお山におはすと聞きてー・・・ 』
『アー ドッコイショ ドッコイショ 』
洋一は高校を卒業するまで踊っていたから慣れたもので、手さばきも足運びもリズミカルに、たちまち輪の中に溶け込むことができた。淳子も洋一の後について輪の中に入り、片手に団扇を持ちながら見よう見真似で何とか付いてきた。
太鼓の音は校舎に反響して心地よくこだましてくる。子供たちも最近は体験学習で練習しているから、可愛いい浴衣姿で参加してどの子も団扇の返しようがしなやかで見事だ。お盆で帰省したと思われる普段見慣れない若者たちも大勢参加して、夏の夜の宴は夜の十時頃まで休むことなく続けられた。
「いつまで続けられるかのう。音頭とりも太鼓も、跡継ぎが出来ないと続かんからのう」
「音頭の三郎さんも、太鼓の為さんも八十が近いんでしょう?」
「いや、七十の半ばじゃ。わしより五つほど上じゃと思うで」
「島の伝統を守るのも大変ね」
「小学生に教えても中学、高校と大きくなるにつれて、恥ずかしがって踊りゃあせんからなぁ」
「若い衆が地元に残れるように、働く場所がもう少し増えないとだめね」
「島に企業が進出してくる可能性はほとんどないからなぁ」
「離島振興に県も力を入れているようだから、そのうちよくなるでしょう」
「『島づくり海社』も頑張っとるがなかなか難しいらしい」
まだ続いている太鼓の音が周りの木々の中に吸い込まれていくのを耳にしながら、洋一は淳子と家路についた。洋一は伝統の継承の難しさをしみじみと思うのだった。
七 子供の声
数日後の地元新聞で「眞鍋で子育て島せんか?体験ツアー」が開催され、二世帯八名が参加したという記事を見た。人口三百人の島で、「明日の真鍋島を考える会」を立ち上げての取り組みだそうだ。ここ五年の間に四世帯、十五名のアイターン者を受け入れて、島では三年ぶりの赤ちゃんが今年は誕生したと報じている。
なんでも中学校の生徒数が減り、閉校の憂き目にあうのではと危惧した島の人たちが立ち上がって、子供を持った世帯の受け入れに重点をしぼったらしい。中学校の灯を絶やさないようにと言うことで、PТAを始め地域や行政が一体となっての計画だと書いてあった。
新聞記事を読んでしばらくして、隣の島の世話役であるKさんとひょっこり洋一の住む港の桟橋で出会った。洋一は朝の神社のお勤めをしての帰りだった。
「朝早ようからなんですか?」
「ああ、洋一さん、ちょっと『『島づくり海社』』の正造さんに用事があってな」
「ああ、そうかな。このまえ新聞で読んだが、移住の話は上手くいきましたかな?」
「初日は島の婦人連中がお迎えして、子育ての話や、島での生活のことを熱心に話しとりました。楽なもので、子供たちはすぐに島の子供たちと仲良くなり、親が話している間、外で一緒に楽しく遊んでおりました」
「子供は純真で、あまり抵抗がないのかもしれん」
「昨年神戸より移住してきて定住している一家に、体験談を話してもらいました」
「体験を語ってもらえば実情がよう解かってよかろうなぁ」
「午後は海水浴タイムということで、PTAの親の漁船に親子みんな乗せて、南側の松の浦の浜へ泳ぎにいったんですわ。そしたら丁度県北の新見の中学校の生徒が交流で来ていましてな。途中で合流して賑やかなことでした」
「そりゃあええ機会でしたなぁ」
「それで晩は島の夏祭りでしたから、PTAも人手不足ということで、参加者のお父さんには焼きそばやフランクフルトを手伝ってもらってずいぶん盛り上がりました。夜の九時からはふれあいセンターで打ち上げをやりまして、終わったのは午前二時前でした」
「そりゃあ良かった。島の人情がよう伝わったことでしょう」
「民泊は同じ子供世代がいる家にしてもらいました。案外気を使ったんですわ」
「わざわざ夏祭りにあわせて、ツアーを組まれたんですな」
「あくる日は島のあちこちを案内して自分の目でよく見てもらい、移住希望の人が島に馴染めるかどうか出来るだけ島民に会ってもらったんです」
「そりゃあ、ええことです」
「最後に、移住した時に住む家を何軒か案内して終わりました」
「空き家はよけいあるんですか?そちらの島に」
「空き家自体は二十軒ばかりあっても、盆や正月に帰る家や家財道具が置いてある家は貸してもらえず、可能な家はたったの三軒しかなかったんですわ」
「そりゃあまたひどい話ですなぁ」
「まあ、粘り強く協力を求めるしかありませんわ」
話を聞いてみるとKさんの島でも、移住希望者用の空き家確保に苦労している様子がありありとうかがわれる。
☆
それからしばらくして洋一はこの前、島の桟橋で偶然会ったKさんとまたひょっこり港で出くわした。
「この前の体験ツアーの結果はどうでしたか?」
「二家族招いて、色々取り組みましたが、一家族が移住してくることになりました」
「そりゃあ良かった。で家族は何人?」
「六人家族です。中学生を頭に小学生が二人、四番目の子供はまだ保育園児なんです」
「そりゃあ案外若い夫婦ですな。子供が増えるのはええことじゃ。おめでとうさん」
「子供が四人増えました」
「それでどこからの移住ですかな?」
「福山ですわ」
「案外近いところからですなぁ」
「以前にも何回か海水浴に来て島の人情に惹かれたらしい」
「海水浴に?」
「もう一度島に行ってみたいと夏休みの終りに電話がありましてな」
「ほう!引き続いてですか」
「ふれ合いセンターでバーベキューをして、また色々相談して帰って行きました」
「中々骨が折れますなぁ」
「その後秋の運動会の時にもう一度島を訪れて移住を決断したようです」
「島の歓待が良かったのでしょうな」
「我々も出来るだけのことをして迎えました。そしたら十月の終わりにはもう引越しという段取りになったんです」
「それはまあずいぶん早く決断したもんですなぁ」
「二隻の漁船で笠岡まで迎えに行き、家財道具を積んで帰りました」
「そこまでやるんですか」
「島では大勢出向かえて一時間ほどで引越しは済みました」
「もうひと家族は駄目でしたか」
「香川から定期船で来たんですが仕事が心配で実現しなかった」
「それは残念でしたなぁ。それで福山からの人は仕事は何を?」
「主人が調理師をしていたらしく島弁の調理をしてもらうことになりました」
「やっぱり仕事がないとなぁ」
「奥さんは船着場で切符販売をしてもらっとります」
「子育ては金がかかるもんなぁ」
島の人口がだんだん減っていくが地域には子供は欠かせない存在といえる。洋一は後白河法皇の『梁塵秘抄』で
『遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそ揺るがるれ』
と謡われているのを思い出した。地域から子供の声が聞こえてくると、なぜかほっとして心安らぐ思いがする。中学校を存続させるためにも、こうした取り組みを粘り強く続けるしかないとKさんの話を聞いて強く思った。
八 認知症?
洋一は、時々『島のこし』に顔を出して、天気の良い日は竿をかついで海に出かけるか、畑で野菜作りに励む毎日を送っていた。夏の終わりに種をまいた白菜や大根は、今年は順調に育ってもうすぐ食卓に上るほどに成長している。ほうれん草は十月半ばから毎日おひたしにして食べている。子カブは浅漬けにすると二、三日で食べられる。軸もシャキシャキして美味い。自然は正直で、野菜も手をかければかけるほど応えてくれる。季節季節の野菜に不自由することはない。来週、淳子がやって来たら大津の義母さんにことづけよう。そうだ、この前美味しいと言って食べてくれたので、今回もまた『島のこし』の「灰干し魚」も持って帰らそう。きっとまた義母さんも喜ぶに違いない。洋一の頑張りと島の豊かさを、もっと知って欲しいものだと思いながら今日も畑から帰るのだった。
☆
淳子は十一月下旬の昼過ぎに、三ヶ月ぶりで島にやってきた。
「お昼はもう済んだの?」
「いや、お前が来ると言うので、まだ食べとらん」
「ちょうど良かったわ。岡山で下車して岡山寿司を買ってきたのよ。テレビなどでよく宣伝しているし、ぜひ一度食べてみたかったのよ。」
「岡山寿司か。もう長いことわしも食べとらんなぁ」
「ちょっと待って、お汁を作るから」
淳子はエプロンを出して台所に立った。洋一は任せて話しかける。
「お母さんはその後どうだ?」
「少し認知症の症状が出てきたみたい」
「四月に行ったときはまだしゃんとしていたのにとうとう認知症が始まったか。それは大変じゃ」
「ええ、この前も弟が出張で京都に来た帰りに寄ってくれたけど、あくる日になるとケロリとわすれているの」
「和義君が来たことを?」
「ええ、三時間ばかり居たんだけれど、そのときはしゃんと話ができたのに」
「めったに会わん息子と話をする時はまともなことを言うと、このまえ正造が話しとったが・・・」
「お母さん、昨日和義が来てくれて良かったわねと言うと、そんな者来ゃしないよと言うのよ」
「そうか・・・・」
「だから余計困るのよ。弟は姉さんから電話で聞いたほど認知は始まってないと言って帰って行くんだもの。私が嘘を言ってるみたいで」
「ああやっぱりそうか。息子と会うとしゃんとするらしいからなぁ」
「貴方がこの前大津に来たでしょう。あの後洋一さんにお金を盗られたと言うのよ。本当に困るわ」
「おいおい、参ったなぁ」
「この前健が来たときは、洋一さんよう来てくれはったなあって言うのよ。貴方と孫の健を間違えてるのよ」
「俺は健と似とるかなぁ」
「貴方の若い頃に少し似ているから間違えたのかしら?」
「医者はどう言ってるんだ?」
「治す薬は無いので本人の気持ちを出来るだけ理解して、自尊心を傷つけないようにって」
「とぼけたことを言うのを理解すると言っても難しいなぁ」
「この前は夜中に起きて、枕の下にウナギがいるから早く料理して焼きなはれなんて、幻覚症状も時々あるの」
「お義母さんは幾つになるのかなぁ」
「今年の十二月で八十九よ」
「そうか、昔は認知症など聞かなかったがなぁ。長生きすると色々あるもんじゃ。お前がダウンしないように気をつけてくれよ」
こんな会話を交わしている内に、淳子は手際よく油揚げと麩にとろろ昆布を見つけて汁を作ってくれた。洋一は久しぶりに岡山寿司に箸をつける。錦糸玉子の程よい甘さがいい。サワラやママカリの酢づけも食欲をそそる。レンコンに椎茸やエンドウと具だくさんだ。
二人で食べれば何を食べても旨いが、久し振りに口にする岡山寿司は格別だった。
やがて夕暮れ時を向かえ夕食の用意をしながら淳子が言う。
「島には活きのいい魚が一杯いても、御寿司は面倒だから貴方はよう作らないわねえ」
「男料理はシンプルなもんじゃ。刺身にするか煮魚か焼き魚、それに自前の野菜を添えるだけじゃ」
「も少しバランスの良い食事を考えんと体をこわすわよ。この島で病気になったらどうするのよ!」
「町に出た時、たまに肉を買って帰るがほとんど自給自足じゃ。安上がりでええぞ。それにこの春から高田君が帰ってきて、島の診療所で面倒を見てくれとる」
「えっ! お医者さんがいるの?」
「ああ、わしより五つほど若いが、息子さんの独立を機に、奥さんとユーターンしてきてくれたんじゃ」
「まあ、それはよかったわねぇ。診療所の女医さんが亡くなって困ったと言っていたのに」
「大阪の大きな病院の副院長だったらしい。島が困っているという話を市長から聞いて、恩返しのつもりで帰ってきてくれたんじゃろう」
「大阪からこの島へねえ?」
「奥さんは花作りや野菜づくりに精出して、活き活きやっとるで。高田君も暇な時はしょっちゅう釣竿を担いで釣り三昧じゃ。白菜でも茹でてくれるか?」
「ええ、そうするわ。少しでいいわね」
こんな会話を交わしながら、洋一は久しぶりにやってきた妻の淳子に食べさせてやろうと、朝方釣ってきたボラを三枚におろしていた。いくら離れて暮らしていても、長年連れ添った淳子とはすぐにかつてのリズムが取り戻せる。以前と違うのは主に洋一が厨房に立つことくらいである。
☆
洋一は新穀祭の祭典を終えて大津を訪ねた。この前淳子が島に来た時に話していた、義母の認知症のことが気になっていたからだ。ベッドの傍らに行って挨拶をする。
「お義母さん、判るかなぁ?洋一です」
「洋一?どなたはんでしたかねぇ」
「淳子の亭主の洋一ですよ、洋一」
「どなたはんか知りませんが、何の御用でっしゃろ?」
洋一のことは何も思い出さないらしい。やりきれない思いだが予想以上に認知症は進んでいるようだ。
淳子が義母の夕食の世話を終えてやっと二人きりになる。
「ずいぶん認知症が進んでいるように思うがお前大丈夫か?」
「施設に預けるのも不憫でなんとか頑張っているのよ」
「今はデイサービスやショートステイの制度があるんじゃから、無理をせずに時々は利用したほうがええぞ」
「うん、それは解っているけど・・・・」
「お前が倒れたらどうにもならんぞ」
「弟の和義も経費は負担するから施設に預けたらどうかと言ってくれるの。今のところなんとかやっているけど最近少し重荷になってきだしたわ」
「それ見ろ、この前新聞に在宅介護の記事が載っていたが、介護する者がダウンしたりノイローゼにならないうちに、もうだめだと音を上げたほうが賢明だと書いてあったぞ」
「ええ、わかってるわ。貴方の言う通りこれからは週に二、三回は預けて息抜きをすることにするわ」
「おう、それがええ。お前も持病を抱えているんだからな」
「私の心臓のほうは最近安定しているから心配は要らないと先生が言ってくださるの」
「そうは言っても心臓だからなぁ。侮っては駄目じゃ」
「ええ、気を付けるわ。ありがとう」
「いよいよ駄目だと思ったら施設に入れることも考えたほうがええぞ。和義君もそう言ってくれているんなら」
「ええ、わかったわ」
淳子は実の母だから何とか自分で出来る間は頑張ろうと思っているようだ。
「まあ自分の体と相談で無理をせんことじゃ」
洋一は自分の我がままのことで少々後ろめたさもあり、それ以上は言えなかった。話し合いで決めたこととは言え、生まれ故郷の島に帰りのんびりとスローライフを楽しみ、悠々自適の生活を送っている洋一にとって、折角手に入れた今の生活を投げ出して淳子に付き合うところまでは決断できない。冷たいと言われればそれまでだ。淳子がこのことについて一言も言わないのでかえって洋一の心は痛む。苦情でも言ってくれればむしろ反発のしようもあるが、文句を言わないだけに苦しい。帰りのフェリーの中で義母の顔と淳子の顔を重ね合わせて思い浮かべながらこんな物思いに耽っていた。
九 生えとるか?
暮の三十日に洋一は神社に供える鏡餅二組と自分の正月用に小餅を五十個ほどついた。年越し祭と新年祭は川上宮司が本土の祭りで忙しく、島では洋一が執り行った。一昨年の正月は大津で淳子の手作りのおせち料理を食べたが、昨年からは神社の祭典をしなくてはならず、大津での正月はもう諦めるしかない。少し暖かくなったらお義母さんの見舞いもかねて行くことにしよう。そんなことを思いながら神社の戸締りを終えた。
戦後大都市への一極集中は当たり前のようになり、若者は都会へ都会へと出て行くようになった。その結果、都会は膨れ上がり地方は疲弊して過疎化が急速に進んでいる。地方で育てた人材は都会に吸収されてしまい、あげくの果て地方の産業は発展しない。この悪循環を六十年もの長いあいだ続けてきたのが戦後の日本の姿ではなかったか。もちろん洋一もその歯車に巻き込まれてきた一人であるが・・・・。
それは大きな時代のうねりであったが、今、団塊の世代はこれからの自分の人生を模索している。地方に目を向けユーターンなり、アイターンしてくれば、地域の伝統文化の維持にも貢献でき、農山漁村の荒廃にも歯止めをかけることが出来るのではないか。そして団塊の世代の人たち自身がスローライフを満喫出来るというものだ。
だからここらで発想の転換をして、若いうちは都会で稼ぎ、定年を迎えたら田舎に帰るという人生スタイルを定着させ、そのローテーションを国民皆が代々続けていけば、やがて日本は住み良い社会を取り戻せるのではないか。
そんな思いを込めて洋一は大晦日の晩に神社の年越し祭を終えてから、一緒に働いていたかつての同僚や、同じくリタイアした仲間に新年の挨拶メールを送った。その中に田舎へ帰ろうという誘いのメッセージを入れることにした。
【都会は人間らしく住むのには、余り適していないように思います。都会に住む地方出身の団塊の世代の皆さん、都会で稼いで定年を迎えた らマンションは子供に譲って田舎へユーターンしませんか。青い空、豊かな自然、きれいな空気があなたを待っています。僕は野菜作りをしながら自給自足的な生活を目指して、スローライフを楽しみながら日々幸せに暮らしています。のんびりと心豊かな田舎の生活があなたを待っていますよ・・・・】
熱い思いを込めて呼びかけた。メールのBCC欄に二十数名の、地方出身のメール友達のアドレスを打ち込み、正月元旦に着くように除夜の鐘を聞きながら送信ボタンをクリックして眠りについた。
☆
トン、ト、トン、・・・トンック、トンック、トン、ト、トンと神社の本殿から今日も軽やかな太鼓の音が聞こえてくる。
洋一は三日間神社のお勤めを休んでいたので、少々後ろめたい思いを抱きながらいつもより早く神社に出向いた。太鼓を叩き大祓の詞を上げていると、背後に誰か来て唱和してくれているのが聞こえる。やっと朝のお勤めを終えて振り返ると、島の婆ちゃんたち三人が境内に立っていて、
「三日も太鼓の音がせなんだから心配しとったんで」
隣の婆ちゃんが声をかける。
「ちょっと大津のほうへ行っとってな」
「奥さんがどうかしたんか?」
「いや家内は元気でした。家内の母親がちょっと弱っていたんで、どうも済みません」
「病気にでもなっとるかと心配しとったんじゃ」
「有り難う」
「やっぱり私ら年寄りは、あんたの叩く太鼓の音を聞くとホッとするんじゃ」
「そう言うてもらうと僕もお勤めをしとる甲斐がある。これからはせいぜい休まんようにするからな」
「まあよろしゅう頼みますで」
近所の婆ちゃんからこう言われると洋一もやりがいを感じる。今までは毎朝七時に
《今日も元気で仕事や家事に精出してくださいよ》
という気持ちを込めて太鼓をたたいているが、お勤めだからと軽い気持ちでやっていた。太鼓の音が安らぎになっていると言われると、もっと心を込めて打たねばならないと思う。
☆
いよいよ第三回目のアマ藻の根付き点検の日を迎えた。昨年使った海中メガネやウエットスーツを取り出して準備を整える。為さんに船を出してもらう約束をしていたので念のため電話を入れる。昼を済ませて港に行ってみると既にメンバーは揃っていた。今回は正さんも来てくれている。全部で七人乗って北の浦へ船を廻す。なんといっても一月の半ばで水温は六度前後だから、船の上からのぞきメガネで確かめるしか手はない。船の舳先に二人、左右に分かれて船をゆっくりと進めながらアマ藻の生えている群がりを数えていく。洋一は期待に胸を膨らませながらメガネをのぞく。
「おう!生えとる、生えとる。二十センチ位に育っとるぞ」
公民館長の義男さんが興奮して言う。洋一も見逃すまいと真剣に海中メガネの筒を覗く。船の進行に合わせてアマ藻の小さな群生が次々と眼下にユラユラと揺れている。水は澄んでいるから確認するのは楽だ。
「ありゃっ、ここは生えとらんぞ」
洋一が驚きの声を上げると組合長の三郎さんも、
「こっち側も生えとらんなぁ」
「おい、待て待て。ちょっとコースが外れとりゃあせんか?為さん、しゃんと舵をとらんとだめじゃ」
と正さんが大きな声で怒鳴る。
「コースを外れとるかのう、済まん済まん」
「もう一回元に戻ってやり直しじゃ。数えとったが判らんようになった」
「せっかく計数器を押しとったのに」
元に戻ってやり直しだ。百メートルにわたって三列沈めていたので往復六回の点検の結果、集計してみると八割がた生えてゆらゆら揺れているのが確認できて、洋一としてはまずまず成功だと安心する。
「まあ八割生えとりゃあ成功じゃろう、洋一さん」
「うん、これなら成功と言ってもええじゃろう。今回は台風も来なかったし大勢協力してもらったお陰じゃ」
うまくいけば春過ぎには六十センチから八十センチに成長して、稚魚の揺りかごの役割を果たしてくれるに違いない。
しかし今回の成果に洋一は満足していなかった。まだ浜の半分ほど取り組んだだけだ。かつての豊かなアマ藻場を取り戻すにはまだまだ何年もかかるだろう。一度自然を壊したら復元は並大抵ではないことが身に沁みてわかった。
人間のエゴが支払う代償は大きい。少しずつ粘り強く取り組みを続けるしか手は無いだろう。島の人たちも環境の大切さを理解してくれだしたし、子供たちも参加してくれているから見通しは明るい。
点検に参加したスタッフは思い思いの期待を胸に帰りの船に揺られていた。
十 加太へ帰って
三月二十九日は旧暦の三月三日で雛の節句である。今日は『流し雛』には絶好の日和で雲一つない。南浦の浜辺には二百人ばかりの観光客や報道のカメラマンが集まって、雛流しの始まるのを待っている。洋一は島に帰ってきて神社の宮司を受けてから、毎年この行事には参加してお祓いをしている。
「今年は島の中学生が麦わらと厚紙でうつろ船(くりぬき船)を作って参加してくれました。ただ今から流し雛の行事を執り行います」
公民館長の義男さんの開会の挨拶に続き、いよいよ例年の通り準備が始まる。
「幼稚園児や小学生たちは自分たちで用意した紙ビナを、それぞれのうつろ船に乗せてください」
「満潮は十一時半だからそれまでに準備を終えるようにしてね」
婦人会長の美代子さんが子供たちに指示する。
「おばちゃん、船頭のお人形はどこに乗せるの?」
「船の一番前と後ろに乗せて頂戴ね」
「食べ物はどこに?」
「あさり寿司や菱餅は真ん中でいいよ」
「桃の花はどこ?」
「桃の花は食べ物の近くでいいわ」
「線香立てはどうするの?」
「線香立ては前の船頭さんの後ろに置いてね」
こうしてやっと準備は終わった。後は満潮が過ぎるのを待つだけだ。
「さあ、時間が来たわよ。線香に火をつけて線香立てに立てて頂戴」
観光客はいっせいにカメラのシャッター切っている。晴天なのにフラッシュをたいている人もいる。
「加太へ帰ってください。加太へ帰ってください」
婦人会長が手を合わせて祈ると小学生たちも一斉に後に続いて祈る。幼稚園児たちがうつろ船を海に浮かべて沖へ押し出す。参加している島の婆ちゃんたちは口々に願い事をぶつぶつ言いながら手を合わせている。押し出されたうつろ船は引き潮に乗って、少し進んでは押し戻され、また少し進んでは押し戻されながら、人々の願いを乗せて次第、次第に沖へ流がされていった。また忙しくカメラのシャッターがピッ、ピッと鳴る。
「山本さん、ちょっといいですか」
ビデオカメラを担いだ地元ケーブルテレビの石本君が洋一に近づいてきた。
「ああ、石本君お久しぶり。今日は取材ですか?」
「ええ、ちょっと教えてください。いつ頃から始まった行事なんですか?」
「今から三百年ほど前から始まったものです」
「毎年旧暦の三月三日と決まっているのですか?」
「ええ、毎年旧暦の三月三日の雛の節句に行っています」
「うつろ船は昔から麦わらなんですか?」
「私が子供の頃は全部麦わらを使って作りましたが、今回中学生が作ってくれたのは、船体の一部分は発泡スチロールを使ったようです」
「『加太へ帰ってください』と言うのはどういう意味ですか?」
「ちょっと話が長くなりますが、伝説では昔この島にいた天神と、淡島という神話の島の女神が結婚することになったんです。ところが女神が病気であるとわかって、うつろ船に乗せられて帰されたところ、和歌山の加太というところに流れ着いたそうです。そして粟島神社に祭られて女神は淡島さまと呼ばれ、婦人病除けのご利益があると言われて信仰が深まったらしい。それで『加太へ帰ってください。加太へ帰ってください』と唱えて船を流すようになったのです」
「本来は婦人病除けを願った行事だったんですね」
「そうです。本来は婦人病除けだったのですが、その後家族の健康や子供の健やかな成長などを願うようになってきました」
「いずれにしても珍しい伝統行事ですね」
「似たような行事は、やり方は違いますが全国方々にあるように聞いていますよ」
「いや、どうもありがとうございました」
「今日テレビ放映するんですか?」
「はい、五時四十五分からの『ニュース・トゥデー』で流す予定です」
「放映してもらうと観光客が年々増えて取り組んでいる者たちも励みになります」
「そう言って頂けるとわれわれもやりがいがあります」
地元ケーブルテレビの石本君はそう言ってカメラを担いで帰りの船に乗り込んでいった。
☆
しばらくして本土に一番近い高島に三十代の若夫婦が移住してきたと洋一は耳にした。聞くところによると、Nさんは二十代のころ東京でコンピューター関係の仕事に就いていたが、体をこわし地方への移住を六年ほど前に決意したらしい。岡山で関連の仕事を引き継いでのんびりとやっていたが、パラグライダーに出会い、虜となって週五日ぐらい笠岡の干拓地にやってきて飛んでいた。そして現在の奥さんとはこれが縁で結ばれたそうだ。そして病み付きになりいっそのこと笠岡に移住しようと決断したらしい。
コンピューター関連の仕事なので自宅が仕事場である。笠岡ならどこでもいいと考えていたところ、パラグライダー仲間から島でも移住の世話をしていると聞かされ、話しが急展開して高島にやって来たという。それを聞いて洋一は、時代はどんどん変わっているなぁと思った。笠岡にはケーブルテレビも引かれて、高速光ファイバーでスピーディーにインターネットがつながる。仕事上何も困ることは無いらしい。
洋一は文書作成のワープロ機能はよく使うが、あとはホームページの検索とかメール交換をするくらいで、機能のほんの僅かしか利用していない。今時の若者はパソコンでなんでもやってのける。便利な世の中になったものだ。この前聞いたカナダ人と同じで、世界中ネットを利用して仕事をこなすのが当たり前の時代になってきたのだと洋一は感心する。
☆
高校同期の遠藤市長は、三期十二年の総仕上げを四期目で果たしたいと再度立候補を表明した。洋一は同級生として市長選にかかわることになり、今までののんびりした島の生活から選挙という生々しい現実に引っ張り出された。
神社のお守り役として毎日お勤めをし、野菜作りとアマモ再生に情熱を傾けながら、時々会社に顔を出すという刺激の少ない生活を続けてきた。でも今回の選挙がきっかけで多くの友人たちと出会い、また別の自分を発見できたように思う。人との交流が極端に減っていた最近、逆に人恋しくなっていたのかもしれない。
人間は一人で生きているのではない。いや一人では生きていけない。心のどこかで誰かとつながっていると思うことで生きていけるのだ。
洋一は淳子とトコトン話し合って、それぞれの生き方を選び今は別居生活をしている。だが互いに信頼しているからこそ今の生活が続いているのだ。でもいつかは離れ離れでなく残された人生を共に過ごしたいと思っている。
これはこれで良かったのではないかと、洋一は帰りのフェリーの中でしみじみとこの三年間を振り返っていた。
十一 病みつきに?
市長選も終わった四月の終わり、朝早く大津の淳子からの電話でたたき起こされた。何かあったなと思いながら受話器をとる。
「あなた、母が危篤状態なの。早く来て頂戴」
「えっ!この前行った時は、元気だったのに」
「春風邪を引いて肺炎になり三日前に入院してたんだけど、急に昨晩から様態が悪くなって」
「おう、わかった。朝一番の定期船が六時半だから、そっちに着くのは早くても昼前になるで。それまで持ち堪えててくれたらいいがなぁ」
「とにかく出来るだけ早くお願いね」
二月の末に訪ねた時は洋一の作った野菜や大根の切干し、それに灰干しカレイなど持って行き喜んで食べてくれた。認知症は始まっていても、もうすぐ卒寿のお祝いだと楽しみにしていたのに、命はあてにならんものだと通勤客の多い船の中でつくづくと思うのだった。船のエンジンの音がやけに今日はもどかしく感じられる。
在来線、新幹線を乗り継いで、淳子の言った病院に着いた時は既に十一時を少し回っていた。病室に駆けつけてみると、淳子やお義母さんの妹など身内の者が四人、ベッドを取り囲んで涙にくれていた。残念だが死に目に間に合わなかった。こみ上げるものがあった。言葉はなかった。高齢になって肺炎を患うと危ないとはよく聞かされていたが、とううその通りになってしまった。
八十九歳で千の風になった義母の葬儀を終えた翌々日、洋一は淳子と今後のことを話し合わなくてはと思った。しかし葬儀を終えたばかりでまだ立ち直れない彼女を目の前にして、今後のことなどすぐには言い出せなかった。でも淳子の落ち込みが余りに激しいのでちょっと心配だった。やはり今後の事は四十九縁の法要が終わってからにしようと腹に決めて、淳子のことは近くに住む叔母に頼んでひとまず島に帰った。
淳子は心臓の持病があり実家の近くに専門医のいる大津で、年老いた母親の面倒を見ながら生活したいと、不本意ながら別居生活をして四年になる。母親の面倒を見るという理由もなくなった今、洋一は島の診療所に高田医師がユーターンしてきて、淳子が島を敬遠する理由はなくなったと内心思っている。いつ話を切り出すか思案していたが、四十九縁の法要を済ませた翌日、後片付けを手伝いながら洋一は思い切って話しかけた。
「淳子、島に来ないか。この前話したろう、島に帰ってきた高田君のことを。万一の場合は彼も付き添ってくれるんだ。彼は循環器が専門だったらしいから心臓には詳しいんだ。一度主治医に相談してみたらどうだ」
「島に行くの?でも心配だわ」
「大丈夫だよ。今度は俺がついているし、とにかく主治医に相談してみろ」
「だってこの前のようなことがあると専門病院に行くまでに時間がかかりすぎるわ」
「この前は台風が来てすぐに船が出せなかったが、あんなことはそう度々あるもんじゃあない。それに今年からは病院船も配置されるらしいから」
「でも病気が病気だから。心臓でなかったらまだいいのだけれど」
「ステントを入れているんだから大丈夫だよ」
「あなたが大津に来てくれるわけにいかないの」
「それは四年前にじゅうぶん話し合ったじゃないか」
「ええ、それはそうだけど」
「病院への対応は俺がいるから大丈夫だよ」
「ええ、それはわかっているわ」
「叔母はもういい歳だろう。幾つになるんだ?」
「母より四つ下だから八十五歳になるかしら」
「その歳ならお前が面倒見る羽目になるかも知れんぞ」
「ええ、そりゃあそうかもしれないわ」
「そうだよ。高齢の叔母さんに頼ってもおられんだろう。息子の太一さんも奥さんを失って、今は男手一つだから大津にいると、きっとお前の方にお鉢が廻ってくるぞ」
「そうねぇ、それなら主治医の先生に相談してみようかしら。先生からオーケーの許しが出たらあなたの言うように島へ行くわ」
「ああ、そうしてくれ。倉敷で手術を受けて以来、発作は起きてないんだからきっと許可がおりるさ」
「ニトロだけはいつも忘れずに持ち歩いているけどね」
「よし、決まった。医者からオーケーが出たら島に来い。美味い魚をしっかり食べさせてやるよ。家の前の畑で花でも作ってのんびりしたらええ。北の浦のアマ藻もだんだん増えてきたから魚釣りと野菜は俺に任せとけ」
「有り難う。そう言ってもらうと少し元気が出てきたわ」
「釣りも教えてやるよ。ポイントさえ選べば簡単に釣れるんだ。あの手ごたえを知ったら病み付きになるかもしれんぞ」
「釣り?したことないわ。私にできるかしら」
「大丈夫だよ、コツをつかめば簡単さ」
「ホント?やってみるかな」
そう言って淳子は久しぶりに笑顔を見せた。
「とに角これからは互いに足らぬところを補い合って、二人で一人と思ってやっていこうや」
「そうねえ、歳をとると物忘れも増えてくるし、身体も以前のようには動かないものねえ」
「俺は出来ることならアルツハイマーにもならず、認知症にもならずに生活できたらと思うとる」
「認知症だけは私も嫌だわ」
「結局平均寿命が延びて長生きする人が増えてきたからかなぁ。昔は見かけなかったぞ」
「私の母は長生きしたけど認知症の期間は一年程で助かったわ」
「そうだったなぁ。足が不自由になったのと耳が少し遠かったが、案外頭はしゃんとしていたもんなぁ」
「そうよ、私たち、これからは貧しくともお互いに足らぬところを補いあいながら生きていくしかないわ」
そんな会話をしながらやっと後片付けを終え、その夜洋一は久しぶりに淳子を抱いて眠りについた。
☆
家財道具の始末など洋一は何回か島と大津を行き来して、めどの付いた六月の末に大津の家の管理を従弟の太一に頼み、主治医から許可の出た淳子はカルテの写しを手に島へやってきた。淳子と止むを得ず別居生活を始めて、四年目にやっと正常な生活に戻った。親戚周りの挨拶を終えて家にくつろいだ淳子は、少し疲れた様子でその晩は早くベッドに入った。
「ああ、空気がおいしいわ。それに静かねえ、この島は。朝早く漁船のトントントンというエンジンの音で目が覚めたわ」
洋一が起きてみると、既に朝食の用意が出来ていて、味噌汁の甘い香りが漂っている。今まで洋一は神社のお勤めを済ませてから、パンと牛乳の朝食だった。今日からはまともな日本人らしい食事をして神社に行ける。四年もの間離れての生活だったが、これから二度目の新婚時代を迎えた気分である。
神社からの帰り道沖あいを巨大なタンカーが、音もなく東に向かって航行していくのが目に入る。ボー、ボー、ボーと三回、近くで漁をしている漁船に警笛を鳴らしてゆっくりと過ぎ去って行く。
淳子が島に来た翌々日、洋一は高田医師に淳子を頼んでおかなくてはならないと思い島の診療所を訪ねた。
「大津から持ち帰ったカルテの写しを忘れんようにな」
「はいはい、ちゃんと用意してます」
歩いて十分ほどの診療所にいくと運良く高田医師はいた。
「先生お世話になります。家内の淳子です」
「始めまして、淳子と申します。よろしくお願いします」
「洋一さん、その先生はやめてよ。先輩からそう呼ばれると何かからかわれているようで」
「でもなあ。そういうわけにはいかんじゃろう。他の人たちの手前もあるから」
「まあ先輩にだけは、おい、慎二と呼んでもらったほうが気が楽です」
「そう言われてもなぁ。今度は逆にわしが年上と思うて偉そうにしとると言われるからなぁ。人前ではそういうわけにはいかん」
「まあよろしく。奥さんこの前洋一さんから話しは聞いていますがカルテはお持ちですか」
「はい、大津の病院でコピーをいただいて持ってきました」
「どれどれ、手術は倉敷病院ですな。狭心症でステントを入れておられるんですね。あれっ!M医師が担当でしたか」
「そうです。M先生ですが何か?」
「いやー驚きました。世間は狭いと言うが、M医師は僕の大学時代の一級下で、テニス部で一緒にペアーを組んだ仲です」
「まあ、それはよかったわ。あなた先輩、後輩なんですって」
「あんたテニスをやっとったんか?」
「僕らの頃は岡山大学は全盛時代で中四国で何回も団体優勝しとるんです」
「ほう、それは大したもんじゃ」
「彼とは内科の循環器の研究室が一緒だったんです」
「それは有り難い。これから何かあっても話が早い」
「彼は倉敷病院で副院長をやってますから安心してください。少々の無理は聞いてくれます」
「まあよろしく頼むよ」
「洋一さん、いつか釣りの手ほどきをしてください」
「まだ素人じゃが任しとけ。為さんがついとるから安心じゃ」
「この前の日曜日に北の浦に行ってみたがさっぱりでした。子供の頃よう釣れたのに」
「少しアマ藻が復活してきたのにまだ駄目か。あそこはアマ藻が消えてな。今アマ藻場再生をやっとる最中じゃ」
「アマ藻場再生?」
「わしが島に帰ってきて始めた取り組みでな。今年で四年目になる」
「再生すると言うがどうするんですか?」
「アマ藻の種を蒔くんじゃ」
「アマ藻に種があるんですか」
「春には白い花をつけて米粒大よりやや小さめの実をつける。そして七月から八月にかけて種子を残して枯れていくから、その前に刈り取って植えつけるんじゃ」
「ほう、植えつける言うて海に潜ってやるの?」
「潜りはせんが、刈り取った種の着いたアマ藻をそのままネットに入れて、七月ころ海に沈めとくと二月頃に発芽してくる」
「三年やって成果は?」
「二分の一くらい元に戻ったがまだまだじゃ」
「今年も挑戦するんですか」
「ああ、やめる訳にいかん。男がすたる」
「その時は教えて。暇だから参加しますよ」
「それは有り難い。とにかく人海戦術じゃから人手は多いほうがええ」
今日は淳子を高田君に紹介して今後のことを頼むのが目的だったが、とうとうアマ藻の話になってしまった。しかし高田君がM医師と大学の研究室が一緒だったことは幸いである。これで淳子も一安心だろう。洋一としても島に連れて帰ったからには責任がある。良かった。
☆
こうして洋一は神社のお勤め、野菜作り、灰干し魚の『島のこし』会社への時々の出勤と、淳子を島に迎えてからは充実した穏やかな日々を送っていた。
梅雨が明けた。前々から心の中で膨らませていた淳子を釣りに連れて行く計画を実行しようと、昨日の夕方潮が引くのを待って干潟で餌にするゴカイを掘って用意していた。
「釣りに行こうやぁ。キスやべラがよう釣れると本家の為さんが言うとったで」
「ええっー 釣りに?」
「島へ帰る前に約束していたじゃあないか。ちょうど潮もいいしきっと釣れると思うで」
「私に釣れるかしら?」
「ポイントさえ選べば大丈夫だ。俺に任せとけ」
そう言って洋一は淳子を連れて西の浦へ向かった。餌を付ける前に、投げ釣りの方法をやってみせる。淳子は何度か失敗したがそのうち上手く投げれるようになった。遠投の練習を終えて餌のつけ方を教え洋一もさっそく釣りだした。
「あっ、ビリビリッとしたわ。どうするの、どうするの。どうしたらいいの」
「ビリビリッとして、ぐぐっと引いたら竿をギュッとしゃくってからリールを巻くといい」
「あっ、またビリビリッとしたわ。上げてもいいのね」
「思い切ってあげたらええ」
「エイッ、釣れてるかな、逃げたかな」
「巻き上げるとき、重かったら釣れとる」
「あらっ! 餌がないわ」
「失敗しても何回かやっとる内にコツがわかるじゃろう。辛抱、辛抱」
三時間ほど頑張って、洋一はキス八匹とベラを十匹ばかり釣ったが、淳子はキス四匹とベラ二匹に終わった。釣ったというよりは釣れていたと言うべきかも知れない。釣り針を飲み込んで大変だった。でも初めてにしては上出来だ。
「キスは天婦羅にしましょうか?」
「ああ、そうしてくれ。べラは煮付けがいいよ」
「私にも釣れたわ。あのビリビリッと感じる手ごたえが何ともいえなかったわ。病み付きになりそう」
淳子はキスの鱗を落としながら、まだ興奮冷めやらぬ口調で語りかける。一緒に島に住むようになったら、今日のように淳子と二人で竿を並べるのが洋一の夢だった。もう釣りは嫌だと言われはしないかと心配していたが、作戦は見事成功したと内心ホッとする。せっかく島にやって来たのだから、淳子にも島の生活の楽しさを一つずつ体験してもらいたい。そう考えての今日の釣りだった。
今日は久しぶりに美味い天婦羅にありつけると内心期待しながら、釣り道具の整理に余念がなかった。
あくる朝神社から帰って淳子とお茶を飲んでいると、珍しく淳子がしみじみと語りだした。
「昨日は楽しかったわ。また連れて行ってよ。竿先に神経を集中させて引きを待っている時は頭の中は空っぽで、何にも考えないからストレス解消には最適よ。それに浜に打ち寄せるザーッ、ザーッという波の音が心を洗ってくれるようで素敵だったわ」
「そうか、それは良かった。俺は実は少し心配していたんだぞ。餌を付けるのを嫌がるのではと」
「最初は少し気持ち悪かったけど慣れたら何ともないわ。島に来て良かった。島の人たちは親切で人情味あふれる人たちばかりだし、夕日の美しさや星空の輝きはこの島でないと味わえないし、枕辺にザ・ザー、ザ・ザーと聞こえてくる潮騒の音も素敵だわ。いちばん気に入っているのは、朝目覚めたときの漁船のポンポン、ポンポンという音を耳にする時よ。ああ、今日も穏やかな一日が始まったなぁって」
「住み慣れない島に来ることを最初は渋っていたが、今の話を聞いて俺はホッとしたよ」
「ありがとう貴方、感謝しているわ」
☆
今年の夏もまたお盆前まで島は海水浴客でずいぶん賑わった。洋一がアマ藻場復活に情熱をかけている北の浦には、島の漁協の手で臨時の夏の家が開設されている。貸し座敷が百メートルに渡って作られ、飲み物やかき氷や焼きそばの売店が漁師のおかみさんたちの手によって繁盛している。洋一はアマ藻場のことが気になり一度だけ出向いてみた。潮が引いた時どのあたりまで海水浴客が泳ぎに行っているかが気になっていた。様子を見ているとちょうど種つきのアマ藻を沈めた辺りは、水深が浅過ぎて泳ぐのには不向きな位置だと確認できてホッと一安心した。これなら大丈夫だ。
北の浦を後にして帰ってくると、
「あなた、カボチャとサツマイモの葉っぱがしおれかかっているわよ」
仏壇に供える花を畑に摘みに行った淳子が帰ってきて言う。
「今年は瀬戸内地方は極端に雨が少ないからどうしようもないよ。おまけに気温も平年より高い日が続いているからなぁ。海水浴客には絶好の日和だが」
「トマトやナスも元気がなかったわよ」
「折角うまく根付いていたのになぁ。ちょっと様子を見に行ってくるよ」
「水を運んだほうがいいかも」
「水は早朝か夕方にやらんと駄目じゃ。日差しの強いときに水をやると根が傷んでしまうんじゃ」
そういい残して洋一は麦わら帽子をかぶり、まだ強い残照の中を畑に向かった。確かに淳子の言うとおりカボチャは小さな実をつけているが、葉っぱはしおれかかっているしサツマイモは枯れそうで、トマトやナスも葉っぱが縮んだようになって何か変である。考えてみるとここ二週間ばかり雨もなく異常に暑い日が続いたから無理もないだろう。
夏の瀬戸内は夕凪の頃が一番しのぎにくい時間帯だ。太陽が照りつける日中でも木陰に入ると海風が吹いて心地良い。だが夕方ピタッと風が止まったときは家の中にいてもむっとして、汗がじわじわとにじみ出てくる。やり切れない時間帯だ。朝凪、夕凪と風が止まると書いて「なぎ」とは言いえて妙である。和製漢字らしいが洋一はうまい表現だと昔の人たちの知恵に驚くばかりだ。
扇風機からは涼風ならぬ温風が、水道からは生ぬるい水が出てくる。少し動けば汗たらたらで、古い冷房機では部屋の中も涼しくならない。淳子のことを考えて、今まで我慢していた新しいエアコンをほんのこの前取り付けたばかりだ。島の冬は暖かいので暖房機能はなくてもいいが、最近は冷暖房兼ね備えた製品しかないので仕方がない。
昔の人達はどのようにして夏の暑さをしのいだのだろうか。これはみな地球温暖化の影響なのだろうか?来年はどんなに暑くなるのか心配になる。夏の暑さには強いと思っていた洋一だが年のせいか最近は暑さが身にこたえだした。
十二 海のめぐみ
洋一は今朝もポンポン、ポンポンという漁船のエンジンの音で目覚めた。時計を見るとまだ五時少し前である。深呼吸をしながら浜に出てみる。ザー、ザーと穏やかな波が打ち寄せ東の空が明るんでいる。島陰の向こうの水平線に太陽がもうすぐ顔を出そうと空は少し赤味をおびている。
島の朝は早い。同級生の与一や従兄弟の為さんたちはもう既にねじり鉢巻で船の舵を握っているのだろう。何隻もの漁船が魚場を目指して急ぐ姿が遠のいていく。彼らの夜は早く九時過ぎには就寝し翌朝四時頃には起きだしてテレビをつけ、その日の天気予報を一番に見るのが日課だ。
瀬戸内海は太平洋や日本海と違って台風の襲来以外は、海が荒れるということは滅多にないが、万一を考えて普段から天気予報には注意をはらっている。予報を元にその日の行動のよりどころとしているようだ。長年の経験でその日の天候に合わせて、どのあたりで何を狙うか決めるのだ。この島の漁師はたいてい一人で乗り込むので、強風注意報でも出ていればその日の漁は中止だ。洋一は沖合いを目指す漁船を目で追いながら大漁と無事を願いつつ浜辺を後にする。
神社で朝のお勤めを終えて洋一は久しぶりに会社に顔を出した。今朝も朝早くからパートのオネエたちが、賑やかに言いながら魚を調理している。内臓をきれいに取り除かないと商品価値が落ちる。島に魚屋はないので彼女たちは嫁に来た時から何十年と自分で魚料理をしてきた。だから魚のさばきは慣れたものである。最近入荷してくる魚の量も増え、おまけに注文も追いつかず工場は活気があふれている。
会社を立ち上げてからまもなく一年半が経つ。この会社もネット販売を始めてから、島にいながらにして全国と取引を始めた。営業担当の村上も、以前のように会社を空けてデパートまわりの出張は最近めっきり少なくなったようで、ネット販売に集中して取り組んでいる。村上の努力が実り最近ネット販売も軌道に乗ってきたようだ。たいていパソコンの前に座ってマウスを握っている。専務兼事務長の宮岡はパソコン操作は不得手で最近は事務を村上に任せ、魚の仕入れ交渉のため周辺の島の漁業市場を精力的に回っている。
事務と営業が逆転した格好だ。とはいっても会社は大木社長、河田、宮岡の二人の専務、それに営業担当の村上と、電話番の照子さん、それに非常勤の洋一の六人で後はパートの女性連中である。だからそんなこまごまとした役割分担は必要がない。何でもこなすことが肝心で役割に関係なく皆よく動く。のんびりしているのは洋一だけで申し訳ないと思うこともある。
二、三日して為さんから波止場で太刀魚が連れ出したと聞いたので、洋一は夕方竿を担いで港に出向いた。太刀魚はイワシの群れを追って湾内に入ってくると聞いている。昼間は深い海底にいるが、イワシの群れを見つけると後を追って夜明け前と日没直後の極短時間波止場に姿を見せる。そこが狙い時だ。電気ウキが沈んで見えなくなって二、三分待ってシャクリを入れるのがコツだ。三十分ほど頑張って幅七センチ、長さ八十センチ級四匹が釣果だった。引きも強くずっしりと重いので岸壁に引き寄せるまですごいスリルがある。
洋一は自然のつながりの神秘にいつも驚く。自然はそれぞれの季節でリズムを持ってつながっている。プランクトンを追ってイワシの大群が浜に押し寄せる。そのイワシの群れを太刀魚が追いかける。そして自分はその恩恵にあずかる。良く出来たものだ。
早速持ち帰り淳子に塩焼きにでもしてもらおう。しばらくの間夕方の釣りが楽しみだ。洋一は島に帰るにあたって一番期待していた釣り三昧の生活を味わえて満足している。波止場の灯台の明かりが点滅しだした頃ルンルン気分で家路につくのだった。
☆
秋が終る頃、今年からは歳暮商戦に本格的に乗り出すと大木社長が言い出した。
「洋一さん、ホームページに宣伝のキャンペーンを張るので、キャッチコピーやら、レイアウトを考えてくれんかなぁ」
「歳暮商戦かな。それは面白いかも知れん」
「初めてのことじゃから、よろしく」
「ターゲットをどこに絞るかが問題じゃ。富裕層にするか、中間層を狙うかによって違ってくるからなぁ」
「高級干物とはいってもターゲットは中間層あたりが適当と違うか」
「そうなると価格設定が問題じゃ。干物の詰め合わせの量にもよる。あまり貧弱な詰め合わせでは歳暮にならんし」
「中間層なら今まで通り三千円、五千円ぐらいでどうだろうか」
「まあそんなところだろう。灰干し魚は干物の延長だから余り値が張ると手を出さないのと違うか」
「リーマンショック後の景気回復はなかなか足取りが鈍いからなぁ」
「最近は人員整理や賃上げ見送り、ボーナス・カットなど、負の材料ばかりが新聞を賑わしているし」
「まあ、消費者の懐具合も考えて決めなくてはならんからのう」
「パックの仕方もそのことを考えて、色々のものを上手く詰めるのがええよ」
こうして価格は今まで通り三千円と五千円に設定して、いよいよホームページの作成にかかった。
「お歳暮商戦のページが出来たで。洋一さん、ちょっと見てください」
「村上君、案外早かったなぁ」
「もう二年目になるから大分慣れてきたんです。レイアウトはこれでどうかな?」
「レイアウトはええが色がちょっと派手過ぎないか?」
「色ねぇ。どんな色にしたらええじゃろうか」
「原色はあまり使わず、明るい中間色中心でやったらどうかな」
「これならどうかな?」
「文字はそれでいいが写真のコントラストを少し変えたら。ちょっと色が薄すぎるで」
「これでどうじゃろう」
村上は即座にパソコン上で、あれこれと試行錯誤しながら自由自在に編集して洋一の意見を聞く。大木と正造も首を突っ込んで、ああだ、こうだと賑やかに言いながらも新しい試みなのでみな燃えている。三十分ほど四人で詮議をしながら、やっとまあまあのページが出来上がった。これでお歳暮商戦への乗り入れの準備は出来た。半年前から始めたネット販売にかなりのアクセスがあり、大体安定した注文が続いている。だから灰干し魚の美味しさを知った人たちが必ずアクセスしてきてくれるに違いない。
☆
新しい年を迎えて会社の事務所で世間話しをしていたら、北海道の旭川から定年退職した一人の男が隣の島に移住してきたと正造が話題にした。なんでも連れ添いを失い暖かい所でのんびりと余生を過ごしたいと、あちこち探していて『島づくり海社』のホームページにたどり着き、下見に来て惚れ込んだという。
そんな話を聞いて、のんびりと島で余生を送りたいという動機は洋一と似通うところがある。今は淳子と二人暮らしだが、四年間洋一も一人暮らしの経験をしてきた。一度話しに行ってみようと思い予定表を開いてみた。今週はあれこれと予定が詰まっていて動きが取れない。よし、来週の火曜日なら何も予定が入っていないので行ってみよう。
「暖かくていいですわ、まるで天国ですよ。雪掻きの苦労がないだけでも助かります」
「奥さんはどうしなさった?」
「七年前に乳がんで亡くなりましてな。息子は二人とも東京に出とりまして一人で頑張ってきましたが、冬の雪かきが重荷になりだしましてな」
「ああそうですか。雪かきですか。私なんかは経験のないことでようわかりませんが」
「幹線道路は公でやってくれますが、住宅の中は自前でやらんと駄目ですから家の前の雪掻きだけでも大変です。高齢の一人暮らしの家にはボランティアも来てくれますが我々はそういうわけにもいかず・・・・」
「道路の雪かきねぇ」
「それに屋根の雪下ろしは歳をとると危険で、最近では融雪装置を設置する家庭が増えてきました」
「屋根に傾斜を付けて何とかならんのですか?」
「昔はそうでしたが、北海道では滑り落ちてくる雪が危険なので、最近は屋根に循環装置をつけて融かす方式に変わりました」
「そうすると燃料代が大変ですなぁ」
「そうなんです。灯油が値上がりするともうかないません」
「聞いてみないとわからんものですなぁ」
「裕福な家はいいが庶民にとって冬は大変なんです」
「このあたりの島は霜も降りんから雪の心配はいりませんよ」
「四月には豌豆の花が咲くそうですな。この前隣の婆ちゃんが話していました」
「実を着けるのも本土より一ヶ月くらい早いですからなぁ」
「魚もあちらと違って小ぶりですがどれも美味い。辛党の私には酒の肴に不自由せず最高です」
「いける口ですか。酒の肴にはもってこいの美味い小魚が多いでしょう」
「カニもわたり蟹や石蟹のほうが、タラバやズワイより美味いと思いますよ。北海道の蟹は姿も大きいが味も大味です」
「そんなもんですか。小さいから面倒でしょう、食べるのに」
「野菜も畑を少し借りて作ることにしました」
「そりゃあいい。魚も野菜も自給自足が一番ですよ」
「釣りはまだ慣れないもので、なかなか上手くいきません」
「漁師にポイントを教えてもらうといいですよ」
「山本さんは宮司をされとるとさっき言っておられたが、何社くらいお世話をされているんですか?」
「この島だけですわ。毎朝お勤めの祝詞を上げ、神社の掃除をしたり管理をやっとります」
「ああそうでしたか」
「一度私の島へも遊びに来てください。一緒に釣りでもしましょうや。穴場を教えてあげますから」
「ありがとう。また寄せてもらいます。まだどこの島へも行ってないんです。暖かくなったら是非行かせてもらいますから、その時はよろしくお願いします」
「灰干し魚の工場も案内しましょう」
「灰干し魚?」
「ええ、三宅島の火山礫を砕いて灰にし魚を灰の中で乾燥させるんですわ」
「ほう‐、面白いやり方ですなぁ」
「私もその会社の相談役みたいなことをやっていましてな。去年の暮れはお歳暮で大人気でした。乾燥したものを冷蔵庫で熟成させるので、普通に乾燥させた干物より味が一段と円やかになって臭みもなく案外人気があるんです」
「そりゃあ是非一度食べてみたいもんです」
川崎さんはさすが辛党らしくえらく興味を示した。一度今日のお礼に届けようと考えながら引き上げた。厳しい冬を雪と戦いながら過ごしてきた彼にとって、島は天国のように思えても不思議はない。早く何か趣味でも見つけて、のんびりとスローライフを満喫してもらいたいものだと思いながら洋一は自分の島に帰った。
☆
「洋ちゃん、イイダコが釣れだしたで。明日釣りに行ってみんか」
「もう飯が入っとるかな?」
「おととい食ってみたが十分入っとるで」
「そんなら連れて行ってもらうか」
「明日は潮が十時ごろ動くから九時頃港においでよ」
「よし、わかった。仕掛けは為さんが用意してくれるんか?」
「ああ、任しとけ」
そんなことで今日は久しぶりのイイダコ釣りとなった。新春の穏やかな海を南下してポイント近くに行くと、大小の釣り船が小島の周りに散らばって思い思いに釣っている。洋一は疑似餌の白い玉のついた針を手グスに結びつけて早速竿先の直下に下ろす。
「ここらあたりは水深何メートルぐらい?」
「さあ、七、八メートルはあるかなぁ」
「イイダコ釣りは久しぶりじゃ」
「重りが底に着いてから一呼吸か二呼吸して竿先の曲がりに気をつけとったらええよ」
「かかりの無い針じゃから、リールを巻く時気をつけんとな」
「途中で緩めんように一定の速さで巻くといい」
為さんがコツを教えくれる。緊張した面持ちで洋一は竿先を見つめる。
<おっ、来たぞ。逃げるなよ>
ずっしりとした重みが竿を通して洋一の手に伝わる。逃げられないように細心の注意をはらってリールを巻く。やっと水面近くに上がってきた。船べりに身を乗り出すようにして洋一は取り込みにかかる。右手を伸ばして糸を掴もうとしたら水面ぎりぎりのところでタコが跳ねた。
「あっ、逃げた」
「洋ちゃん、タコが掴めるところまでテグスを緩めずにリールを巻くんじゃ。水中にいる時に糸を緩めたら駄目じゃ。逃げられてしまうで」
「そうか、一寸急ぎすぎたなぁ」
「取り込み易い高さまでリールを巻いて、タコの首根っこを掴むと墨を吐かずに済むんじゃ」
「しばらく釣らなんだからコツを忘れてしもうた」
「逃げられてもまた仕掛けを下ろしたら抱きついてくるで」
「おぅ、きたきた。今度は逃がさんぞ」
「水中で緩めたら逃げるで、気をつけんと」
「よし今度は大丈夫じゃ。おお、大きいぞこれは。飯が入っとるのが透けて見える」
こうして昼まで二時間ばかり奮闘して二人で五十杯ほどの釣果だった。イイダコは釣って楽しいだけでなく、煮付けや酢の物、空揚げ、天ぷらと食べ方も色々だ。たこ焼きにも使えるし、調理方法は多彩で淳子も喜ぶことだろう。『島のこし』でも墨を抜いて灰干しにすれば好い製品が出来るのではないか。また正造に進言してみよう。そんなことを思いながら洋一は潮風に吹かれて、早春の穏やかな瀬戸内を船に揺られていた。
十三 元気なうちが花
十一月の第二日曜日、地区の氏神様である荒神様の七年に一度の大祭りがやってきた。大祭りの年は神楽を奉納するのがしきたりである。幼馴染みの与一の話によると、かなり経費がかかるので最近はなかなか奉納出来ないと言う。子供の頃は確かに四年毎に神楽を見た記憶がある。松のうさんが登場してひょうきんな語りを聞かせてくれたり、大国主の命が登場して国譲りの話をしたり、勇壮で力強いヤマタノオロチ退治の舞などが奉納されたのを思い出す。中でも大黒様がまく福の種を拾うのが子供の頃の一番の楽しみだった。
宮司として八幡神社の祭りは少し慣れてきたが.山の中腹にある荒神様の祭りは初めてである。土曜日の朝八時に集会所に集合する。
「荒神様に運ぶものは白板に書いとるから、よう見て軽トラで運んでくれ。棚の中にあるから、よう確認してな」
地区長の守さんが大きな声で指示する。
「畳が書いてないがどうするんなぁ」
「畳は神社の倉庫に積んであるよ」
道具も揃い、社の前の広場にシートを敷き、その上に八畳の畳を敷いて舞台とする。
「オイ、誰か竹を四本切ってきてくれんか。舞台の四隅に立てるから、手ごろなのを頼むで。先の方の笹は少々残しとけよ」
「湯釜の神事の設営を誰かしてくれんか、前回の写真があるからそれを参考にな」
地区長の指示がひっきりなしに飛び交う。若い衆も年配の者も指示に従っててきぱきと動き、昼過ぎには完成した。洋一は荒神様の祭りの準備は初めの事でウロウロすることも多かったが、幼馴染みの与一に教えてもらいながら何とか手伝いを終えた。
翌日は天気もよく、祭りには最適だった。午前中、神楽太夫が家々を廻って家祈祷をし、集会所でお神酒を戴き、なおらい (食事)を済ませ太鼓を叩いて宮上がりだ。宮司の祝詞と湯釜の神事が済むといよいよ神楽の奉納である。今回の一座は成羽の神楽社中を頼んでいる。子供の頃洋一が見たのは総社の一座が公演をしたように思う。為さんに言わせればいずれの社中も備中神楽だからそう違いは無いと言う。
洋一が子供の頃は、午後二時頃から舞い始めて夜中の十時頃までかかったと記憶している。今は経費の関係と年寄りの夜道を気遣って、昼間の二時から六時までの四時間になったようである。一つ一つの舞の時間を短縮して一応全ての舞を奉納するのだと為さんは言っていた。
トン トン トコトン トン
『よー はい よー はぁー』
トン トン
『さーて舞い出だす神を いかなる神と思うらん・・・・・・』
トコトン トン
太鼓の音が周りの森にこだまして心地よい。役指の舞に始まって、榊舞、白蓋神事、導き舞、猿田彦命舞と神事舞が続く。時間短縮とはいっても神事舞は省くことなくきちんと舞うのがしきたりだ
そして洋一のお気に入りの神話を基に劇風に創作された神能がいよいよである。まずは『天の岩戸開き』だ。岩屋に閉じこもった天照皇大神を知恵の神様(思兼命)、踊りのうまい女の神様(天宇津女命)、日本一の力持ちの神様(手力男の命)たちが登場して、とうとう天照皇大神を岩屋から誘い出して神能の一は終わる。
そして舞台は神能の二、『国譲り』の舞に移る。大国主命は出雲神話の主役で、なかなかの艶福家だったと伝えられ、生まれた子供は百八十名に余るというのも話とはいえ面白い。
見物席がざわつきだした。いよいよ大国主命が福の種を播く場面が始まるようだ。 今も昔も見物の人達はエキサイトする。洋一はユーターンして地区の仲間入りをさせてもらった初めての荒神祭りなので、紅白の福の餅を百個奉納させてもらったから、今回は播くほうにまわった。
「大黒さん、こっち、こっち」
「洋ちゃん、こっちにも投げてくれえ」
人々は大国主命とは呼ばず大黒さんの愛称で呼んでいる。相変わらず賑やかなことだ。 そしていよいよクライマックスの神能の三『素戔鳴命の大蛇退治』が始まった。まず、
トン トン トコトン トン トコトン
「よー はぁ、よー はい」
トン トン
とゆっくりしたテンポでの地舞が始まる。ヨーイソリャ ヨーイソリャの音楽さんの囃子と太鼓のリズムに乗って素戔鳴命が登場してきた。洋一の一番好きな舞である。手さばき、足裁きも優雅で面をかぶった首をアクセントをつけながら左右に振って舞っている。神楽の舞の中でも極め付きの圧巻といってよい。洋一はその舞に引き込まれ、太鼓のリズムに合わせて自分も首を振っているのにハッと気づき、そっと周りを見回した。皆の目は舞台に吸い寄せられているようで、洋一は年甲斐も無く顔を赤らめながらもホッとするのだった。
やがて『じじ』『ばば』が登場して嘆きの物語が始まり、人々の涙をそそる場面が展開する。末娘の『稲田姫』が素戔鳴命と契りを交わし、いよいよ大蛇に飲ます酒作りになった。この酒造りの神、松尾明神は神楽の中で一番のお笑いの立役者だ。観客と音楽さんと三者で掛け合い漫才のやり取りをしながら、賑やかに八千石の酒を造るのである。
洋一が子供の頃はまだ幼くてやり取りの面白さがあまり理解出来なかったが、今回は腹の底から笑えた。そしてピー ピー ピューの笛の音とともに、二匹の大蛇が登場して最後の舞になった。素戔鳴命との戦いの末『天の群雲の宝剣』が胴のなかから出てきて最後のクライマックスとなった
今回の成羽の一座は松尾明神と音楽さんのやり取りが特に面白かった。時代にあった話題を取り上げ、こっけいな話術とそぶりで観客を楽しませてくれた。
淳子は初めて観た備中神楽に感動していた。中国地方の神楽は出雲が発祥の地だろうが、関西あたりでは観たことがないという。特にアドリブの会話のやり取りが面白おかしくて、お腹の皮がよじれるほど笑ったと言う。
☆
あれは横浜から島に帰った年のことだった。洋一は市の集団検診を受けた。
「山本さん、軽い高脂血症が見られます」
「えっ! 高脂血症?」
「それに体重を少し減らさないとメタボリックシンドロームから抜け出せませんねぇ」
「とうとうメタボにもなりましたか」
「メタボはいろいろの病気の温床にもなりかねませんから」
「先生、高脂血症というのはどういう病気ですか?」
「血液中のコレステロールや脂質が多い状態を言います」
「高脂血症を放置しているとどういうことに?」
「水道管の内側に水垢が付着して水の流れが悪くなるようなものです」
「病気として心配なのは?」
「高脂血症を放置していると動脈硬化が進み、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞、大動脈瘤、眼底や腎臓の障害など、さまざまな合併症を起こす危険性があります」
「どうしたらいいんでしょうか?」
「あなたはタバコは吸いますか」
「いや、今は吸っていません。もう二十年くらい前にやめました」
「お酒はどれくらい飲みますか」
「三百五十ミリリットルの缶ビール一本はほとんど毎晩飲んでいます」
「肉料理は?」
「島で自給自足風の生活を目指していまして、月に一回食べる程度です」
「よくわかりました。嗜好品や食事は問題ありませんねぇ。運動は何かしていますか?」
「いや、スポーツらしいスポーツはしていません。グラウンドゴルフを島の年寄りたちと一緒に週二日やってはいますが。学生時代は空手部でした」
「ああそうですか。グラウンドゴルフも運動になりますが、あなたの年齢で今の様子では少々軽過ぎますねぇ」
「どうしたらいいんでしょう」
「できれば今の野菜中心の食事を続け、その上に運動をしてください。のんびりした散歩でなく有酸素運動がいいでしょう」
「有酸素運動?」
「有酸素運動というのはウオーキングやジョギングとかサイクリング、水泳などで軽く汗をかく程度の運動を言います」
「散歩でもいいのですか?」
「のんびりとした散歩は効果がありません」
「それならジョギングがいいでしょうか」
「あなたの歳で今からジョギングはやめたほうがいい。ウオーキングをお勧めします」
「それでは汗をかく程度に大股で歩いてみます」
「そうそう、それがいいでしょう」
「高脂血症のほうは何に気をつけたら?」
「まだ基準値をわずかに超えているだけですから、年に二回ぐらい血液検査を受けて様子を見てください」
「どうもありがとうございました」
四年前の検査で高脂血症とメタボを言われていた。そして野菜中心の食事と軽い運動をするようにと栄養士から指導を受け、健康に自信のあった洋一は驚いた。それ以来用事の無い夕方は出来るだけ浜の周辺を歩くことにした。夕方は漁師達の漁船が一日の漁を終えて帰ってくる。時には獲れた魚のおすそ分けもある。だがなにもおすそ分けを期待してこの時間帯を選んだわけではない。昼間漁に出て陸に居ない漁師たちと話の出来る絶好のチャンスだからである。アマ藻場再生の取り組みの発起人としては、漁師連中とは良い関係を維持しておかねば、そっぽを向かれたらどうにもならない。ほとんど毎日港に出てそれから防波堤の端まで歩く。冬は風が強くて寒い時もあるがそんな時は一枚余計に着て歩いた。
こうして四年が過ぎたが、今年の検診で二つともクリヤーできて保健師から誉められた。洋一は嬉しかった。日課としてきた港周辺の散歩と野菜や魚中心の食生活が功を奏したのだろう。体重はちょうど理想体重の六十二キロ、コレステロール値は百二十七で正常値の範囲まで下がっていたのだ。
これに意を強くした洋一は今日も鍬を握る手に力が入る。淳子も日焼け防止にすっぽりと頭巾を被って、首の周りをガードして腕抜きまでして全身防備で今日は畑に着いてきた。無理をしなければ大丈夫だろう。隣の爺ちゃんに聞いて今年初めて温床を作り、トマトや茄子、胡瓜、ピーマン、キャベツの苗を自分で作った。霜の降りない暖かい島の気候だから、ビニールの覆いをして育てたら何とかうまく出来た。ホームセンターで売っているような立派な苗ではないが何とかなるだろう。これから管理が大変だが収穫の夏が楽しみだ。野菜は正直でしっかり面倒を見てやるとちゃんと期待に応えて実ってくれる。だから額を流れる汗も苦にならない。安全で新鮮な野菜と自分で釣った活きのいい魚で、せっかく正常値に戻った健康体を維持していかねばと思う。これからは淳子が腕を振るってくれるので洋一の食卓は賑わうことになるだろう。
☆
母親の一周忌で大津に行く前に、淳子が是非お墓参りがしたいと言うので二人で出かけた。
花を手向けての帰り、
「あなた、今年はお母さんの十三回忌に当たるので法要をしたらどう?」
「えっ!突然何を言い出すんなら」
「七回忌はしてないでしょう」
「ああ、あの時は俺もまだ仕事が忙しくてな」
「ですから今回は是非」
「考えてみるか。親父の三十三回忌には少し早いが一緒にやる手もあるなぁ」
「ええ、そうしましょうよ」
「和尚に連絡して上げ法事にするか」
「お彼岸前の日曜日の都合を聞いてみて頂戴」
「健と裕子はどうするかなぁ」
「都合がつけば帰って来させたらいいでしょう。爺ちゃん、婆ちゃんの法事だから」
「島の身内にだけは言わないわけにいかんなぁ」
「そりゃあそうですよ。いつもお世話になっているんですから」
「解った。和尚に連絡して日取りが決まったら案内をするよ」
こうして三月の彼岸前の十九日にお寺を借りて質素に上げ法事をすることになった。
淳子からこんな話が出るとは思っていなかったので驚いた。でも嬉しかった。洋一が思うに、自分の母親を亡くして少し先祖に対する思いが変わってきたのではないかと思う。東京にいる子供たちにも連絡を入れて事情を話す。二人とも帰ってくると連絡があった。
従兄弟にあたる本家の為さんや京都の英ちゃんにも出席の案内をする。英ちゃんは京都からわざわざ帰って来てくれるという。為さんは前々から、洋一は親の法事をしないのだろうかと気にしていたようだった。近所でいくらか噂になっていたらしい。
観音寺の和尚は読経が終わり墓参りを済ませて、斎食に移った時こんな説教をしてくれた。
【最近の人は自分の存在のルーツを忘れがちである。一人一人は親があって自分が存在する。そしてその親にはまた四人の親がある。その四人の先祖には八人の親がある。そして最終的には人間の誕生まで遡ることになる。そういった繋がりの末端に自分が存在することをともすれば忘れがちで、自分ひとりが偉くなったように思っている者が多い。困ったものである。先祖あっての自分という考えをもう一度取り戻すべきだ。そして他人とか肉親とかいうが、この考え方によれば人類みな兄弟、みな親戚になる。】
大体こんな趣旨の話だった。言われてみればその通りで返す言葉もない。子供たち二人も神妙な顔をして聴いていたが、どう受け止めただろうか。
健と裕子は勤めの関係で法事を済ますと、結婚の話を切り出す間もなく寺から直行であわただしく帰って行った。英ちゃんは実家の為さんの家に一泊して翌日の昼過ぎに帰る予定だというので、洋一は為さんと英ちゃんを我が家に招いて久しぶりに三人で一杯やることになった。
「洋ちゃん、こんなことがない限りなかなか会うことがおまへんなあ」
「わざわざ帰ってきてもろうて済まん」
「英、最近お前は年に一度墓参りに帰るだけになったのう」
「兄さんそう言いなさんな。僕ももう歳でんがな」
「英ちゃんは今息子さんと一緒に住んどるんか?」
「いや、今は家内と二人だけですねん」
「一緒に住めばええのにお前は息子に甘いからのう」
「為さんはそう言うが、それぞれお家の事情があるじゃろう」
「洋ちゃん、兄貴から聞いたが、島に帰ってきてアマ藻場の再生に力を入れとるん?」
「ああ、今年で四年目になる。子供の頃英ちゃんやトシ君とよう釣りに行ったあの北の浦のアマ藻が、最近消えてしまってさっぱり釣れんようになってな」
「洋ちゃんが最初言い出したときはわしも驚いたで」
「為さんにずいぶん世話になって今年は少しアマ藻が生えてきたんで」
「そうでっか。それはよろしゅうおましたなぁ。あの頃はキスやべラがよう釣れましたもんなぁ」
「最近は漁師連中もアマ藻場の再生に本気になってくれて助かっとる」
「新聞でも時々里浜の復活とかいう記事が出ておますが、あちこちで海が死んでいきよるらしいでんなぁ」
「あの頃この島の浜辺にはアマモが足に巻きつくほど生えとって、魚が一杯いたもんなぁ」
「僕らが子供の頃は戦争の後で物が無かったが、それでもそんなに不自由とは思いまへんでした」
「そう、ほとんど自給自足で金がなくても結構生活できた」
「お袋に豆腐と油揚げを換えてもろうて来いと、大豆を入れた豆腐籠を持たされてよう使いに行きよりましたんや」
「そうじゃ、わしは小麦を持っていき、うどんや小麦粉に換えてもらったのを思い出す」
「今から考えると一見貧しい生活のようでも、ちっともそんなことは感じなかった」
「今は物が有り余っているがすべてが金、金じゃから逆に不幸に感じるのかも知れん」
「ほんまにそうでんなぁ」
「給食はなかったのでぼくたちは昼食の時は家に走って帰り、食べてまた登校して午後の授業を受けていたよ」
「洋ちゃん、あの頃は教科書への書き込みは禁止でしたんや。僕は大事と思うところに線を引いて先生にひどう叱られたことがおましたで」
「そうじゃ、汚さないように大事に使って下級生に譲るシステムだったからなぁ」
「ノートはひどい代物で再生紙の茶色の粗末なものを使っていたんだ」
「為さんたちもそうだったのか」
「みんな同じよ。今ではトイレットペーパーでもあのような粗末なものはないぞ」
「戦後の物の無い大変な時代だったのだと今になって思うが、当時はそれが当たり前で不思議とも不自由とも思わなかったで」
「ぼくの学年は二クラスだったが、同学年に疎開してきた子が三人いてな。スミレと 宏美と正太だった。スミレと正太は大阪からやってきて宏美は神戸からだった。あいつらは今どうしているかなぁ」
「洋ちゃんはスミレが好きだったんと違いまっか?」
「うん、ひょっとしたらあれが僕の初恋だったのかもしれん」
「洋一お前は二年生で恋をしたんか?」
「周りが騒ぐからその気になったんだと思う」
「ウサギ小屋で変なことをしていたと噂になってたんや」
「ウサギが見たいと言うので、家に呼んで一緒にウサギ小屋で見ているのを友達に見つけられて勝手に騒いだんじゃ」、
「都会から来た連中は半ズボンやスカートでハイカラでしたもんなぁ。それにスミレは可愛いい子でおましたで」
「三年生になったら三人ともそれぞれの出身地に帰っていき寂しうなってしもうた」
「洋一、お前は学校の真田組み競争で一等賞になったことがあったろう」
「ああ為さん覚えとるで。講堂の床に一列に座り後ろへ後ろへと編んでは伸ばしていく競争じゃった」
「あの頃は麦稈真田をどの農家でも編んで現金収入を得ていましたんや。僕も小遣い稼ぎによう編みましたで」
「それはそうと洋ちゃん、子供の頃はメンコでよく勝負をしましたのを覚えてはりますか?」
「ああ、パッチンのことか、覚えとるよ。丸型や角型のメンコでりんご箱をひっくり返して台にし、日が暮れるまでやったなぁ。英ちゃんは二枚重ねて糊で貼って勝負をしてたろう?」
「なにを言いますか。洋ちゃんはメンコに天ぷら油を塗っていたんと違いまっか?」
「負けるとメンコを取られるのでみんな色々工夫して勝負してたんじゃ」
「相手のメンコを裏返すか、台から落としたら勝ちでしたんや」
「僕は貧乏で新しいメンコが買えず、ぼろほろになったので勝負して、奪った新しいのは大事に箱の中にしまっていたんじゃ」
「ほんまに子供時代は貧しかったけど楽しゅうおましたで」
「色んな遊びを考えてよく遊んだものじゃ」
「トシ君といつも一緒に遊んでましたなぁ」
「『鐘の鳴る丘』のラジオドラマは面白かった。英ちゃんは覚えとる?」
「ああ、NHKで夕方やっていた連続放送劇でんな」
「そうじや。毎日夕方になるとラジオの下でよく聞いたもんじゃ」
「『緑の丘の赤い屋根 鐘が鳴りますキン コン カン・・・・・』というやつでんな」
「そうそう、あの歌が鳴り出すのが待ち遠しかった」
「親のない子や家のない子が大勢居て、なんだか物悲しいドラマでしたなぁ」
「少年の丘に収容された子供たちの物語だったと思うよ」
「娯楽といえばラジオしかないから、よくラジオを聴いたもんでしたなぁ」
久しぶりに再会した英ちゃんとの話は今回は為さんを交えて少年時代のことが話題になった。夜更けまで三人でチビリ、チビリやりながら話は尽きない。時代の流れとはいえ、はかなく淡い思い出であ
十四 終 章
洋一は最近しばらく見ていなかった「『島づくり海社』」のホームページを一ヶ月ぶりに覗いてみる。いつものことながら多彩なコンテンツが展開され、活動の全貌が手に取るように見て取れる。その中で今回久しぶりに見る『島へ来ませんか』コーナーを開けてみて驚いた。それは洋一がこの前、かつて勤めていたころの同僚たちに送った新年のメールと、ほぼ同じ様な内容の文章を見つけたからだ。
内容は
【都会に住む団塊の世代の皆さん、定年退職したらマンションは子供に譲って島へやってきませんか。青い海、豊かな自然、おいしい魚、きれいな空気がいっぱいです。ゆったりと心豊かなスローライフを一緒に楽しみましょう。あなたのお越しを島民こぞってお待ちしています。】
というものだった。
『島のこし』に出向いた時、正造にこの話をしたところ、
「洋一さん、ごめん、ごめん。あんたが関東地区の仲間に送ったメールをパクッたんだ」
「えっ!何だって」
「この前東京で『島リンピック』があった時、あんたがメールを送った小川に会ってなぁ」
「小川次郎?」
「ああ、僕と高校が同級なんじゃ。東京に行った時は必ずあいつのマンションに寄ることにしとる。その時あいつがメールを開いて見せてくれて、山本洋一という男を知っとるかと言われてなぁ。僕はびっくりした」
「そうか。共通の友達だったのか」
「そうなんよ。あいつが見せてくれたメールを見てこれは使える、洋一さんは許してくれるだろうと思って黙って引用させてもらったんじゃ」
「なるほど、それで納得がいったよ」
「もう取り組みが始まっているのでこのままやらせてくださいよ」
「ああ、それはええ。僕は疑問が解けたらええんじゃから」
正造のユーターン勧誘の呼びかけが功を奏して、島の活性化につながるようにと心から願う洋一であった。
☆
洋一はいつもより早く起きて神社の掃除を済ませ七時のお勤めを終え、気分良く早朝の潮風に吹かれながら愛用の自転車に乗って浜辺を走っていた。
港の近くまで行くと漁船がトン、トン、トン、トンと軽やかなエンジン音を響かせながら、次々に今朝も出漁している風景に出くわす。海は穏やかに凪いで絶好の出漁日和だ。本家の為さんが洋一の姿を見つけて、船の上から手を振っているのが見える。洋一も大きく手を振って大漁を願いながらそれに応えた。いつもと変わらぬ島の活気あふれた港の朝の風景である。
洋一は四年間妻の淳子と離れ離れに過ごしてきたが、淳子の母の死をきっかけに島へ呼び戻した。歳を重ねるに連れ何事も若い時のようにはいかない。最近は『二人で一人』と言い合いながら、足りないところを互いに補っての生活を送る日々である。
スローライフ万歳の洋一の人生はまだ始まったばかりである。
了
あとがき
『アマモ揺れる海』を出版して一年になる。お読み戴いた読者から、これからアマモはどうなるのでしょうか?妻の淳子が気がかりですというメッセージが多数寄せられ、淳子と洋一をこのままにしておくわけにもいかないと思い続編に手を染めてしまった。
団塊の世代の多くがこれからの人生を模索していると感想を寄せた人もいる。島も活性化に向けてその後さまざまな取り組みに挑戦している。書き手としては前回同様団塊の世代へのエールと島の活性化を願って書き進めてみた。
ここ十数年、農山漁村の衰退は目を覆うほど著しい。友人とリタイア旅行を続けるたびに、地方の疲弊を目の当たりにしてきた。筆者の住んでいる比較的海に近く新幹線、山陽高速にも簡単にアクセスできる瀬戸内の地域でさえも、高齢化が急速に進み耕作放棄地が年毎に増加してきている。リタイアして三年目に、見るに見かねてせめて家の周囲の荒地でも復元しようと、耕地を借りて開墾をして野菜作りに精を出してきた。家庭菜園は四十年間挑戦していたが、少し本格的にやるとなると『百姓の来年こそ』の言葉どおりでそう上手くはいかない。失敗をしてはよし来年こそはと取り組んできた。でも続けるうちに孫たちが喜んで食べてくれるので、最近は自分の生きがいともなってきた。友人の中にもユーターンして自給自足に近いスローライフを満喫している男がいる
そんな背景の中で団塊の世代へのエールを込め、一人でも二人でも笠岡の有人七島にやってきてくれたらと祈る思いで、島に次々移住してくるアイターンの人たちの姿も描いてみた。島の産業も無いものねだりでなく、ある物を生かしていこうと発想の転換をし、現実に新しい取り組みも生まれてきている。
定年退職した団塊の世代がこれからどうやって第二、第三の人生を送ろうかと逡巡している姿に報道で接し、この人たちを島の活性化につなげることは出来ないかと考えたのが前作『アマモ揺れる海』の執筆の動機である。笠岡市では島の活性化を願って平成十三年『海援隊』を行政レベルで立ち上げ、民間もそれに呼応して翌年『電脳笠岡ふるさと島づくり海社』を設立した。そしてNPO法人『島づくり海社』の活動を始めて五年目になる。当初の取り組みからいうと足掛け十四年になる。
前作の 「アマモ揺れる海」は海の中が活き活きするだけでなく島が活き活きとし、島民が活き活きと生きる姿を象徴したつもりである。前作も今回の作品も実録小説とでも言うべきジャンルで純文学とは程遠い。
全国の団塊の世代の皆さん、この作品の中の洋一の呼びかけではありませんが、勇気を持ってユーターン、アイターンをしようではありませんか。全国各地で受け入れ態勢を整えてあなたの移住をお待ちしています。