理論と実際
でも。
それは、理論だ。
感情は、そんなものじゃ
割り切れない…。
3月2日。
その予感が的中したかのように
気分は晴れなかった。
ギターを弾いても、歌を歌っても。
振り返ってみると、いつもそうして
正当化してきたような気がしてならない。
中学校を卒業する時に、父が経営していた会社が倒産した。
負債処理のために、学費がなくなったので
僕は、アルバイトをしながらなんとか
高校に行った。
中学校の頃に好きだった子と、まだ続いていたが
何分時間に余裕もなく....。
自然に、その関係は消えて行ってしまう。
その頃、音楽に以前より深くのめり込むようになった。
聞いていると、忘却できるからだ(エクスタシー、とは忘却体験の事だ)。
日常の煩わしさも、不幸な境遇も。
高校を卒業する時....
子供の頃から憧れだった国鉄職員になろうと思った。
だが、父が病気になる。
それで断念せざるを得なかった。
家を空ける訳には行かなかったからだ。
そんな状態で、自分の恋愛などは忘れていたまま年月が過ぎた。
兄は、家から離れ、結婚した。
結局、母と父を僕が守らざるを得なかった.....。
22才になった時、前記した中学校の頃、好きだった子と
偶然再会した。が....。
こんな状況で、自分が逃げ出す訳には行かなかった。
その、好きだった子は別の男と結婚した。
もう、どうでも良くなった.....。
その状況を正当化する為に、自分で思いこんでいたのだろう。
作られたイメージにしか共鳴できない、と云うのは。
無意識に、壊れてしまう事を忌避していたのだ。
自分ではどうしようもないところで、それが壊れていってしまうので...。
それから.....。
父は病死、兄は事故死した。
今度は、母を僕が支えなくてはならなくなった。
だから、やっぱり自分の恋愛、などと言う訳には行かなかった。
折悪しく、勤めていた会社が不景気になり.....。
僕が辞めなければ、定年2年前の人の首を切る事になる、と
人事部にそう言われ、僕は希望退職をする事になる。
だから、やっぱり....。
鉄道員は無理でも、バス会社なら...と、運転免許を取り
バス会社に入社した。が....。
自動車事故で死んだ兄を思い出すのか、母が具合を悪くする。
止む無く、僕はバス会社を退職する....。
だから、やっぱり....。
人生なんてこんなものだろうと思う。
もう嫌だ、と思っても、居なくなる訳にも行かない。
唯一、安堵する場所が、作品世界の中だった。
そこなら、何にでもなれる。どんなことでもできる。
没頭していった。
音楽の示すイメージ、文学的虚構。
なんでも良かった。




