ふゆ
12月の声を聞く頃になると、この山奥にあるオフィースにも冬、を
実感させるような雰囲気が漂ってくる。
広葉樹が落葉し、まつぼっくりやどんぐりが広い敷地の中に散乱する。
敷地の中には野犬や狐などは入ってこれないから、こうした木の実とかを
小動物が採集にやってきたり、初雪の頃には愛らしい足跡が
刻まれていたりするようになったりもした。
通勤しながらそんな観測をして、僕はなんとなく楽しい気分で歩いていた。
.....不思議なものだ。
そう、僕はあまり動物などに親しむと言うタイプでもなかった。
子供の頃は本ばかり読んでいたし。
兄は、動物が好きだった。子供の頃は科学者になりたいと夢想していた。
だが、志半ばにして.....
その頃からだったろうか、僕は、なんとなく動物に親しみを覚えるようになった。
科学者になりたかった兄ではなく、僕が科学研究に就く事になったのも
奇妙な事だ。
時々、僕は
自分の体を兄が使っているような気分になる事がある。
どちらかと言うと、自動車の運転が苦手だった僕に
突然、運転の勘、のような物が生まれたのもその一つ。
兄は、自動車の運転が得意で、レースでもかなりの成績を残していた。
僕は神秘主義者ではなく、どちらかというと現実的な方だ。
でも、これは偶然にしては少々不思議な事だと思う。
今生最期の日、兄は親不知が痛む、と言っていたらしい。
その日、何故か僕の親不知が突然痛みだし、僕は歯科医の友人に相談した。
だからその友人もよく憶えているのだが、そういう事は時々ある、と後日そう語った。
彼は、江戸時代には水戸藩御見医であったと言う古い家系である。
そして、そういう不思議な事例をいくつか語ってくれた。
そして、彼はこう言う。
「今、君がいるのは君の意志じゃない。継承を望む前世代の意志だ」
だから、そうしたものを大切に生きるべきだ、と。
.....まあ、言い得ている。確かに、どのように生きていっても自由だとなると
却って指針が得にくいものだ。
そして、周囲に流されて生きていくと大抵、ロクなことにはならない。
そういう友人たちが沢山居たので、特にそう思う。
僕は、そういう事を伝えたいとMLメンバーに伝えたいと思ったが
彼等は科学に携わる人間だから、人類学・生物社会学のフィールド・ワークの話などを
掻い摘んでそのまま書いた。
絶対的な価値感は、揺るぎ無く確実なもので
それは、進化の過程で既に得られているものだ。
その裏付けが、このフィールドワークにある生物のありのままの生き様だ、と主張した。




