表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Calender_Girl  作者: 深町珠
16/82

のんびりお家



彼女は、まだ、僕の方を見上げたまま


「いいえ、予定は.....




と言うので、僕は



....あ、そっか、お家でのんびりするのもいいね。僕も好きだよ、そういうの。

なんて言ったりした。








今思うと,本当にバカだったと思う。巻き戻してやり直したい。










なんとなく不自由だな、と思う。


この頃は、そんなことはまったく気にしていなかったのだから

そう思う筈も無いのだ、が。


中学生なんかの時、恋した時、そう思っていた。



想った事が言葉にできない、形に表せない。



今、考えると当然なような気もするのだ(笑)



科学的に次元、で整理してみよう。


自分のイメージ:時間・空間の概念が自由(縦・横・高さ・時間が自由)=4次元。

自分の感覚:座標の概念も無い(感覚が直接得られるだけ)=0次元。


現実の事象:時間・空間の概念が定値(縦・横・高さ・時間が固定)=3次元




次元が異なるのだから、現実が不自由に感じるのは当然である。



心の中では時間も空間も無く、自由にイメージと飛翔できる。

それと遊んでいる感覚は0次元、つまり、恋している、と言う感覚ならば

感じている間の自分の前にあるのは無限大の時空である。


0のポイント、無限の時空である。


それと比べれば,現実の、たとえば恋しい女の子が居る空間は3次元、

窮屈に違いない。


しかし、もし、その子も自分を想ってくれるなら。



その感覚は心の中、言葉にできない感覚であろう。即ち(点)、0次元である。

自分の心の中の感覚も点、0次元である。


二つの点を結ぶ線は、1次元。距離だけがある。



そして、互いの距離が縮んで行けば、ゼロになる。点。0次元だ。



その時、0次元の前に広がる空間が無限大....理論的にはこれが愛、と云うものの

感覚的表現であろう。



しかし、これを言葉で表現しようとすれば途端に3次元に堕ちてしまうし

イメージを共有できても4次元に過ぎない。



まして、勝負、などと言い出せば途端に1次元だし

方向性が互いにずれる、などとならばその瞬間に2次元に陥ってしまう。



0の点無限の空間....至上の愛とはかくも自由なものであろう。科学的には。



さて、私達はそこに到達できるのであろうか。いつの日か。








----*-----


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ