新入〝活動〟員ふたり その2
部室棟の最上階の片隅に、鳳仙佳の言っていた部屋はあった。
表札には何も書かれておらず、一見すると空き部屋のようだが、引き戸の曇りガラス越しに明かりが点いているのがわかる。
「失礼します」
中は教室の半分程度の広さで、中央にソファとテーブル、壁際と窓辺にデスクが一つずつ。壁際のデスク上にはパソコンが置いてあったが、これは学園の部活の備品としては一般的なのだろうか。そのほかに目立った調度品はない。
窓辺のデスクには鳳仙佳が座っていた。
彼女は立ち上がってこちらへ歩いてくる。ゆったりとした動きなのに、その所作は鈍さを感じさせない。
「ようこそ、よく来てくれましたね」
落ち着いた色彩の花――例えば水仙などが咲くような笑顔で、歌鳴に手を差し伸べる。
「はあ」
歌鳴はぽかんと口を開け、仙佳の手と顔を交互に見て、やがてそれが握手を求めているものだと気づいて慌てて手を握った。
「あ、ど、どうも、朝凪歌鳴です。歌が鳴る、で歌鳴です」
「カナリアを連想させる素敵な名前ですね。下の名前で呼ばせてもらってもいいですか?」
「は、はい、こんな名前でよければ喜んで」
「私は、鳳仙佳といいます。仙人の仙に佳作の佳で仙佳です」
仙佳の名乗りを聞いて、歌鳴は「え」と声を上げた。
「鳳先輩って、理事長の……?」
「はい。理事長はわたしの父です」
笑顔を絶やさずにうなずく仙佳。そうだったのか。知らなかった。そこはかとなく滲み出す上品さにも納得である。透徹が意外な事実に少しばかり驚いていると、歌鳴の首がぐるりと回り、顔だけをこちらへ向けて二歩、後ろへ下がった。
「どうして教えてくれなかったの? 鳳先輩のこと」
小声で尋ねてくる。目つきが鋭いのは、仙佳に対して何か悪感情なり苦手意識なりがあるからだろうか。
「いや、僕も理事長令嬢だとは知らなかったから。……でも、そんなに驚くこと?」
驚くというよりは警戒しているようにも見える。
「知らないの? 鳳先輩って言ったら……」
「歌鳴さん?」
「ひゃいっ!?」
仙佳に呼ばれ、歌鳴はバネ仕掛けのようにキレのある動きで振り返った。
「わたしたちの活動にご協力くださるとのことですが、具体的に何を行うのかご存知ですか?」
「い、いえ、ご存知ないです」
「そうですか……」
仙佳は水平な眉を少しだけ斜めにして透徹を見つめる。
「少し怠慢ですよ?」
「あ、すいません」
透徹は反射的に謝った。
今のは怒られた部類に入るのだろうか。
仙佳に対して歌鳴が感じているような恐怖は、透徹にはまったくなかった。それは透徹が鈍いからとか、怖いもの知らずだからではない。そもそも仙佳は周囲を威圧したりしない。存在感も、容姿も、最初から一貫して柔和ではないか。少々、得体の知れない一面はあるにしても、歌鳴がビクビクしている理由がわからない。
「それでは、歌鳴さんも交えてもう一度説明しましょう。さ、掛けてください」
二人は並んでソファに座る。仙佳は透徹の正面に腰かけた。
仙佳の説明は、透徹が覚えている限りにおいて、昨日と一字一句の狂いもなかった。
実際の活動開始は明日からということで、仙佳から作戦内容の説明を受けたらすぐお開きになるという流れだったのだが、最後、席を立つ直前に歌鳴が口を開いた。
「鳳先輩は、どうしてあたしを勧誘したんですか?」
来た、と透徹は思う。自分が聞いたときは適当にはぐらかされたが、歌鳴の質問にはまともに答えて
くれるのだろうか。
「それは……」
仙佳は口ごもり、透徹を一瞥する。
「わたしの口からお伝えするのは道理ではないと思いますので……」
意味深なしぐさと言葉に釣られて、歌鳴も透徹の方を向く。
「ちょ、やめてくださいよ、僕の判断みたいな言い方するの」
「そうですね、ごめんなさい歌鳴さん、今のは冗談です」
ぽかんとする歌鳴をよそに、仙佳は話を続ける。
「目的の順番としては〝勧誘〟よりも、あの状況からの〝救出〟の方が先です」
「あれは……」
歌鳴は眉を寄せる。
「あたしは確かに居心地が悪いと思ってましたけど、でも、助けが必要なほど困っているように見えたんですか? ううん、それよりもクラスどころか学年も違う先輩に、そんな細かい人間関係がわかるんですか?」
歌鳴の、ケンカ腰というほどではないが詰め寄るような口調に、透徹は目を細める。仙佳の返事によっては口論になる可能性も危惧されるわけで、第三者の対応が状況を左右しかねない、ここは冷静に介入のタイミングを計らなければ、と透徹は二人の出方を見守ることにする。要するにビビッて動けなかった。
「それは言い方を変えれば、クラスさえ同じならば歌鳴さんの居心地の悪さは察せられた、ということでしょう? でしたら問題はありません。些細なサインを見つけるのは得意ですから」
仙佳の静かではあるが自信に満ちた答えに、歌鳴は目をしばたかせる。横で聞いていた透徹には、それが微妙に質問の答えになっていないことがわかったが、ああもはっきりと断言されてしまうと、勢いに呑まれて何も返せなくなるのかもしれない。
「そうですか。……帰ります。失礼しました」
歌鳴はまるで納得していない顔で部屋を出ていき、透徹も彼女に続く。
「はい、さようなら」
仙佳のやわらかい声が、二人を送る。
「あーっ! なんか言いくるめられたって感じ!」
歌鳴は両指を絡めて腕を上に伸ばしながら、鬱憤を晴らすように声を出す。
「不思議な雰囲気の人よね、鳳先輩って。ちなみに小暮君はどうして勧誘されたの?」
「僕も聞いたけど、よくわからなかった。同じく煙に巻かれたよ」
そう答えると、歌鳴は「ふーん」と目を細め、
「誘われた理由もわからない部活に入ったのは、やっぱり先輩が美人だから? でも、あの人はやめておいた方がいいかも」
「もともとそういうつもりじゃないんだけど、どうして? そういえば、先輩の名前を聞いてずいぶん驚いてたみたいだけど」
「噂を聞いたのよ」
歌鳴は顔を近づけ、口元に手を当てる。
「なんか仰々しいね」
「ホントにすごいんだから。あたしだって半信半疑よ。……あのね、鳳先輩って部活を潰したことがあるらしいの。あと、生徒会の役員を辞めさせたり、教職員をクビにしたり」
「そりゃまた、眉唾なことで」
暴走族を全員病院送りにしたとか、一人で学校をシメたとかの、昭和の漫画の不良転校生の噂と同じレベルの胡散臭さである。
「でも、先輩って理事長の娘でしょ。そういうことも、ひょっとしたら、って感じがするじゃない」
「しないよ。だいたい、それ、誰から聞いたわけ?」
「えっと、クラスの誰かだったはずだけど……」
歌鳴は小走りで透徹に近寄り、うかがうように上目遣いになる。
「……もしかして、怒った?」
「別に怒っちゃいないけど、そういう噂は好きじゃない」
少し言い方が冷たかっただろうか。歌鳴は口を尖らせ、
「あたしだって好きじゃないわ。でも、潰された部活、その人のお兄さんが入ってたっていうから。まあ……、鳳先輩を実際に見たら、そんな感じはしなかったけど」
「どう見たって強権発動するタイプじゃなさそうだ」
「火のないところに煙は立たないっていうけど」
「放火かもしれない。それを煽る風はしょっちゅう吹いているみたいだし」
歌鳴を見ながらそう言ってやると、彼女は皮肉に気づいたらしく、赤点の答案を見られたみたいに目を伏せる。
「小暮君って、変わってるね」
「平凡だねと言われるよりはマシだけど。どの辺が?」
「だから、そういうところよ」
「え?」
自分の服装におかしなところがあっただろうか、と身体を見回す透徹に、
「平凡な身なりのことじゃなくて、話の言い回しとかが、ってこと」
「ああ……」
今ちょっと貶されたのは仕返しだろうか。
「それに昨日は、わけのわからない部活にわけのわからないまま入って、先輩の指示を実行したんでしょ? 行動が勢い任せっていうか行き当たりばったりっていうか、そういうところが平凡な見た目と違うなって思って」
同じところを攻撃されたのは、こちらの忍耐力を試されているのだろう、平常心平常心、と言い聞かせる。
「朝凪さんこそ、なんでそんなわけのわからない部活に入ったのさ」
「ちょっと面白そうだったから、かな。今までは読書で暇つぶしをしてたけど、この変な部活は今この時間にしかできないでしょ。だから、試しに入ってみてもいいかなと思ったの」
「そう」
歌鳴の理由は透徹のそれとよく似ていて、透徹は口元を緩ませる。
そっちだって十分に変わってるじゃないか。