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初めての〝活動〟 その2

 仙佳に連れられてやってきたのは、一年生の教室のある五階だった。

 校舎端の階段から、廊下を通り抜けて反対側の端まで歩いていく。仙佳の歩き方がとてもしなやかなので、透徹も自分の姿勢を意識して、猫背を正そうと背中に力が入った。


「数名の女子生徒がたむろしている教室がありましたね」


「C組でしたっけ」


「あの中に朝凪歌鳴あさなぎかなりさんという女子生徒がいます。彼女に声をかけて誘い出してください」


 女子に声をかける。それは透徹にとってなかなか難易度の高いミッションだった。


 物静かな子ならばまだよかったが、教室三つの距離を隔ててもなお響いてくる笑い声は〝うふふ〟とか〝おほほ〟といったしとやかさとは程遠いもので、そこに割って入っていくのは非常に気が重い。


「えーと、これは……放課後になってもだらだらと居残っている女子を追い出すという、要するに、校内の安寧秩序を守るための活動、ってやつですか?」


 だとしたら、向こうからの反発も予想される。攻撃的な女子は特に苦手なので、なんとかして断りたいところだった。だが、仙佳は小さく首を振った。


「いいえ、引っ込んでいる杭に手を差し伸べる活動、の方です」


「でも、放課後ガールズトークしてるんですよ?」


 杭だとしたらものすごく主張している類ではないのか。


「学校は閉鎖社会です。校風や校則の緩急などとは無関係に、狭く、不自由な場所です。狭さゆえに立ち位置は限られ、そのわずかな場所さえも、切り取られ、削り取られ、気づいたときには身動きできなくなっている。そういうことは多々あります。椅子取りゲームで弾かれたくないために、同じ椅子に数人で寄り添うようなことが。一緒にいるのは仲の良い証拠、などと本気で思ってはいませんよね?」


「それは……」


 C組からの笑い声が、自分に向けられているかのような錯覚。

 仙佳の言うとおりだった。それを知っているからこそ、自分は仙佳の活動に興味を持ったのかもしれない、と透徹は思う。


「それとも……」


 仙佳が小首をかしげて微笑む。


「小暮さんはナンパの経験がないから躊躇ためらっているのですか?」


「え、いやそんなことは」


「あるんですか?」


「ないですけど」


 ないけどそんなこと言わせないでほしい。そもそも、ナンパをためらうのと同列に扱われても困る。

 しかし、仙佳は透徹の苦悩を笑うように、小さくため息をついた。


「では、いくじなしの小暮さんのために、耳寄り情報をお伝えしましょう」


「いくじ……え?」


「朝凪さんは必ず呼び出しに応じます。なぜなら、彼女はあの場を離れたがっています」


「言い切りますね」


「根拠があります」


 仙佳は口元を上げる。それは今までの楚々とした笑みではなく、根に毒を持つ花のような危うさを秘めたものだった。


「朝凪さんはアルバイトをしているため、部活には入っていません。ですが、バイトが始まるまで一時間弱の間があり、それを持て余していました。教室で本を読むなどして時間を潰そうとしたのでしょうが、そこにはクラスの女子数名が常に居残っており、そのグループに取り込まれてしまった格好です」


「読書が雑談に変わっただけじゃないんですか」


 時間を潰すという点だけを見ればよい手だと思う。しかし、仙佳は首を振った。


「新しいクラスは入り方が重要です。親しいクラスメイトが増えるのは悪いことではありませんが、朝凪さんは彼女たちとは性格が合わないと感じているようです。また、バイト代が出たら奢ることが決定事項のように話されていて、手を切りたいのだけれど、教室が同じなので顔を合わせざるを得ない。クラス内での立場への影響を考えると、明確に拒否することもためらわれる、という状況ですね」


 聞いているだけで居心地が悪くなる話だった。それが事実ならば、朝凪歌鳴があの場を離れたがっているというのも本当だろう。


「ジョーカーの見えているババ抜きを、恐れる必要はないでしょう?」


 早急な決断を迫る、仙佳の微笑。





『あなたの行動は浮ついたナンパではなく、少女の危難を取り除くためのものです。胸を張って、堂々と行っちゃってください』


 そんな仙佳のエールが行動力の足しになるわけもなく。


 足音を忍ばせて一年C組の手前までやってきたものの、女子たちの笑い声が上がるたびに心拍数も跳ね上がる。残念ながら、透徹はこの状況をババ抜き程度に思えるほど図太くはないのだった。


 曇りガラスを少しだけ開けて中を覗く。四人の女子が窓側の席に固まっていた。そのうち三人は机に腰を下ろしている。唯一椅子に座っているのが、おそらく朝凪歌鳴だろう。


 歌鳴と、それ以外の女子の違いは明白だった。

 三人の髪は軽く脱色あるいは染色されており、さらにパーマや髪留めを駆使して複雑な髪型になっていた。スカートも短い。入学に向けて気合を入れたのか、以前からこうだったのかはわからないが。


 対する歌鳴も地味というわけではないが、学校指定からそう外れない格好をしているので、どうしても大人しそうに見える。


 中を確認して、透徹は改めて突入する気が萎えた。仙佳の話は理屈こそ通っているものの、事実なのかどうかは怪しいところだ。仙佳と中の四人に面識があるとは思えないし、赤の他人の事情をあそこまで詳しく知っているものだろうか。


 考えごとのさなか、また大きな笑い声。ゲラゲラ、と擬音がつきそうな、眉をひそめてしまう類のものだ。


 歌鳴も一緒になって笑っていた。

 ほかの三人に一拍遅れて、口元を引きつらせる、下手な作り笑い。

 それがきっかけだったのだろうか。

 透徹は戸を引いて教室に入った。


 急な侵入者に驚いた四人はこちらを振り向き、それが生徒だとわかると一様に安堵の表情を浮かべた。だが、透徹がよそのクラスの生徒だと気づいたようで、すぐに怪訝な視線を向けてくる。


「朝凪さん」


 透徹は四人の誰とも目を合わさずに、しかし四人全員を視界に収めながら呼びかける。反応があったのは、やはり椅子に座っていた地味めの女子だ。


「お待たせ、じゃあ行こうか」


 呼びかけるも、歌鳴は何が何やらという顔をしている。まずい。このままだとやはりナンパ野郎の扱いになってしまう。


 透徹は焦りを隠しつつ、三人組をあごで指して〝そいつらから離れたいんだろ〟というメッセージを送ると、歌鳴は得心がいったようで、後ろを気にしながらも立ち上がった。


「ううん、大丈夫、全然待ってないから」


 三人組からは、彼氏だなんだという冷やかしの声はあったが、それ以上絡んでくることはなかった。多少心配だったが、一安心である。

 透徹に続いて教室を出てきた歌鳴は、怪訝そうな目を向ける。


「どういうつもり? ナンパなの? あたしたちってほぼ初対面よね?」


 肩にかかる髪を手櫛で整えながら、矢継ぎ早に尋ねてくる。


「僕は一年A組の小暮」


「C組の朝凪よ」


 歌鳴が歩きだしたので透徹もそれに続く。


「とりあえず、ナンパじゃないから」


「じゃあ何?」


「えーと、部活の勧誘かな?」


 嘘ではない、と言い聞かせる。詳しいことは伏せておいた方がいいだろう。


「わざわざ名指しで誘ってもらったのは光栄だけど、バイトがあるから無理」


「教室に溜まってたのに?」


「あれはちょっと時間を潰してただけ」


「大丈夫、そのわずかな時間を有効活用できる簡単な活動だから」


「キャッチセールスみたい」


「言ってて僕もそう思った」


 そんなやりとりをしているうちに、一階の昇降口に着いてしまった。

 バイトがあるという歌鳴を説得できなかった。まあ仕方ないか、と大した失意もなく、靴に履きかえる彼女を眺めていると、


「何ボーっとしてるの、小暮君も来るのよ」


「え?」


「え、じゃなくて。あたしが小暮君を待ってたっていう話なんでしょ。カモフラージュしておかないと後で面倒じゃない」


「……確かに」


 その場限りでない嘘というのは手間がかかる。そのフォローにすぐ気がつく歌鳴に、透徹は素直に感心した。

 透徹も靴に履き替えて校舎を出ると、ひどい質問が飛んできた。


「ねえ、どうしてあたしが手を切りたがってるってわかったの? ストーカーなの?」


「いや、部活の先輩の指示だから」


 透徹は即座に否定した。ナンパよりも遥かにタチが悪い。法に触れている。


 歌鳴はこちらを見上げ、ふぅん、と唇を突き出す。


「いいわ、信じてあげる。ファンがつくような美人じゃないって自覚はあるから」


 透徹はコメントを差し控えることにした。認めるのは論外だし、さりげなく否定することもできそうにない。ただ、個人的な意見として、かわいい方だとは思う。教室にいたときは大人しそうに見えたが、実際に話してみると活発で、よく動く表情も仙佳のそれとは別種の魅力があった。


「それと、ありがと。一応お礼を言っておくわ」


「礼なら先輩に……」



「あたし、上からあれこれ指図する人よりも、実際に行動する人の方が大変だと思ってるから」

 透徹の考えは逆だった。組織において、上の人間は多くの責任を背負っているわけで、その大変さは給料という形で明確に示されているのだから。

 しかし、自分に向けられた感謝の言葉を否定するほど野暮ではない。


「……そりゃ、どうも」


 やがて校門に差し掛かると、歌鳴は立ち止まって振り向いた。


「小暮君はA組だったよね。今日は無理だけど、明日ならいいよ」


「本当に?」


「わずかな時間を有効活用できる簡単な活動、なんでしょ。あたしが勧誘された理由も気になるし。ちょっとだけなら。でも、まだ入るって決めたわけじゃないから」


「いやいや、十分だよ」


 その言葉だけでも仙佳への結果報告がサマになるというものだ。翌日の放課後にA組の教室まで来るという約束をして、透徹は安堵とともに歌鳴の後ろ姿を見送った。


「お疲れ様でした」


「うわ!?」


 背後から声をかけられて振り向くと、涼やかな顔の仙佳が立っていた。


「先輩、いつの間に……」


「こちらから出向けば、小暮さんがわざわざ戻る手間が省けるでしょう?」


 その気遣いはともかく、声のかけ方は明らかにこちらを驚かそうとするものだった。意外と悪戯っぽいところがある。


「その様子だと、色よい返事がいただけたようですね」


「なんでわかったんですか」


「顔を見ればわかります」


 それは嫌な指摘だった。わかりやすい男、というのは不名誉な評価だろう。


「……朝凪ですけど、今日はバイトがあるので明日の放課後なら、だそうです。まだ入ると決めたわけじゃない、とも言ってました」


「そうですか。素敵な口説き文句を考えないといけませんね」


 仙佳は頬に手を当て、そろえた人差し指と中指で唇をなぞる。


「もし断られたら、次は誰を勧誘するか考えてるんですか?」


「候補はいますが、やはり最初に声をかけた方に受けてもらえるのがベストですね」


 その言葉が透徹の疑問を後押しした。展開が急だったから考える暇がなかっただけで、最初から気になっていたことだ。


「なんで僕に声をかけたんですか?」


 候補はいる、と仙佳は言った。

 下校する生徒の中から適当に選んだわけではないということだ。だからこそわからない。透徹は、自分が突出した人間ではないと自覚している。その自分が選ばれた理由に興味があった。相手が仙佳のような美人ともなればなおさらである。


「小暮さんは、男女交際の経験はありますか?」


 仙佳はまったく関係のなさそうな、突飛な質問を投げかけてくる。


「んな、なんですかいきなり」


「では、愛の告白をした経験は?」


「ちょ、待ってください」


「あるいは、好きな人はいますか? いましたか?」


 徐々に質問の難易度が下がっているのは、透徹の反応を見て手加減されているのだろうか。だとすれば、仙佳の見切りは極めて的確だった。自分の貧弱な人生経験を暴かれていくようで、勘弁してほしいと思う。


 矢継ぎ早の質問のあと、仙佳は数秒ほど沈黙していた。透徹の答えを待つように、あるいは反応を観察するように。


「……それ、答えないといけないんですか?」


 やっと搾り出した言葉がそれだった。

 かまいませんよ、と仙佳は微笑む。


「小暮さんを困らせたかっただけですから。わたしと同じに」


「なんでまた……」


「だって、無粋じゃないですか。恋の理由を尋ねるのと同じくらい無粋です。そういうことは、時間をかけて知っていくものだと思います」


 透徹の疑問は吹き飛ばされた。これはもしかして、遠回しな告白なのだろうか。仙佳の言葉の意味がよくわからなかったが、深く訊くことはためらわれる。

 生卵を扱っているような気分だった。些細な衝撃で割れてしまうことを恐れて透徹が身動きできないうちに、その日はお開きとなった。




 煙に巻かれたらしい、ということに気づいたのは、帰り道の信号待ちでのことだ。


 告白めいた言葉を本気にされては余計に面倒になるだけだし、かといってすぐに気づかれてはその場しのぎにならない。場をかき回して本題をうやむやにするという点において、仙佳の煙幕は実に巧妙だった。彼女は悪女なのかもしれない。


 おかしな人に目を付けられたな、と透徹は信号の赤を見ながら思う。


 拘束される時間ができたことは少々面倒だが、本気で嫌なわけではない。

 自分から新しいことに飛び込むタイプじゃないという自覚もある。

 ――だから、降って湧いたこの出会いに流されてみるのも悪くない。


 そんな内心を肯定するように信号が変わる。



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