ある日のダイアログ:彼女の持論
「最も苛烈な温度は何℃だと思いますか?」
鳳仙佳の言葉は印象深いものばかりだったが、その中でも一際、記憶に残っているのがこのやり取りだった。
「最も苛烈な……?」
小暮透徹はオウム返しに尋ねつつ返事を考える。自然科学の好きな彼はこういった質問をされるとちょっとテンションが上がる傾向があった。
苛烈。
要するにまあ、キツかったり激しかったりすることだ。
高い温度といって思いつくのは、太陽の表面温度が確か6000℃くらい。逆に低温といえば絶対零度で、これはマイナス273℃くらいだったはず。
地球上に限定すれば最高気温は56℃くらい、最低気温はマイナス89℃くらい。
だが、鳳仙佳の質問が、こんな簡単に答えが出るもののはずがない。
苛烈というのはそもそも何にとって?
絶対温度による厳密な計測?
体感温度による曖昧なもの?
それが仙佳の側から提示されていないのは、つまり自分で考えなさいという意味だ。
そして、透徹は〝苛烈〟の主語を見定めることができなかった。
制限時間の提示もなかったが、これ以上は考えても無駄だろう。
心の中でのギブアップを見透かしたように、仙佳が口を開く。
私見ですが、と前置きして、
「それは36℃です」
「……体温、ですか」
「はい。とある偉人が、人の心は天使と悪魔の戦場である、と語っていました。心などというものの居場所はわかりませんが、その幻想を生み出しているのは人間の頭脳でしょう」
仙佳はこめかみの辺りを指さす。拳銃を頭に突きつけるジェスチャーのように。
「天使も悪魔も、戦争も平和も、喜劇も悲劇も、富裕も貧困も――元を辿ればすべて、人の作り出したもの。人の頭脳の産物です。それを駆動させる温度こそが、最も苛烈なものであると、わたしは思います」
「鳳先輩らしいですね」
「そうですか?」
「だって普通、体温といえばもっとポジティブな比喩に使いますよ。あなたの体温に触れると安心するとか、冷たい物事に対して〝体温を感じない〟とか」
「まあ」
仙佳は顔の前で手のひらを合わせる。
「小暮さんは女性をその体温でもって心安らかにして差し上げたことがあるんですね」
「いや経験談じゃありませんから」
「やはり思春期の妄想でしたか」
「一般論ですっ」
つい声が大きくなる。やはりってなんだよ。
「……要するに〝人間〟が苛烈だってことですよね。でも、例えば自然災害なんかはどうですか? 人間にはとても再現できない災難を、好き勝手に押し付けてきますけど」
「どうしようもない災難なら、人はそれを受け入れます。最初は悲嘆にくれていても、やがて自力で立ち上がり前進していける。少なくともそれが正しいと認識している。では、人間の小さな力によって被った災難ならばどうでしょう?」
「犯罪被害ってことですか?」
「もっと些細なことでもかまいません。自分より贔屓されているきょうだい。異性に対して猫かぶりの同級生。一足違いで売り切れた購買のパン」
それらは仙佳のいうとおり、本当に些細な事象だ。透徹も身に覚えがあるくらいに。
「自分と同レベルの存在によって与えられた不利益は、相手への悪感情を発生させる。それはとても長続きするものです。人間の敵は人間です。互いがそう意識する存在を、今のところ人間は同じ人間以外に発見できていません」
「……ああ」
自然と人間ではケンカにならない。
人間と動物もそうだろう。
人間同士だからこそ敵を意識して争いになり、それが続いて大きくなる。何も戦争のことを言っているのではない。
――人間関係というのは苛烈なもの。
それが鳳仙佳の私見なのだろう。
大げさな話だが、そんな物言いが――容姿的にも、能力的にも――よく似合う人だった。