表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

七夕

 修平がいつものように出社して社会部のテレビをつけると、満面の笑みでヒーローインタビューに答えている広瀬の顔が現れた。

 そろそろ優香から出勤したとの連絡が入るはずだ。昨日の今日、今日の昨日。どういった対応を取ればいいのか。昨日はどうも。やっぱり事故のことには触れない方がいいよな。気にしてるだろうしな。また飲みに行こうよ。今度は遊園地でも…何、デートに誘ってんだ。

 結局、彼女のことを考えているんじゃなくて、僕が彼女に好かれることを考えている。彼女のためじゃなくて自分のため。ふう、一つ大きなため息をついた時、デスクの電話が鳴った。

 軽く咳をして、受話器を上げた。

「はい、社会部です」

「いえ、違いますが。はい」

 朝っぱらから間違い電話かよ。その後、何本か取った電話に、優香からのものはなかった。


 今日も早番は高木さんかな。昨日のこと、覚えてるよなあ。優香はいつもの朝よりも緊張しながら携帯電話を開き、リダイヤルの履歴の中から、「社会部」の表示を選択して、発信を押した。他の人が出てくれたら、いいけどな。そうしたら何の問題もない。でも、彼の声が聞きたい気もする。どうしてだろう。


―はい、社会部です。

「あ、江添です。あ、おはようございます。今、出ました」

―ああ、はい、了解です。

「お願いします」

―あ、もしもし

「はい?」


 トゥルルル…。別の電話が鳴る。間が悪いことに、他に誰もいない。恨めしそうに、鳴り続ける電話に視線を送りながら、修平は「いえ、了解です」と、優香との会話を諦めた。

「はい…」

 優香も何か引っ掛かりながら、電話を切った。


 ああ、もう。割り込んできた電話の受話器を置いた修平は、椅子に体を預けて、天井を見上げた。何で、何も言わないんだよ。つくづく自分が嫌になった。

 高木さん、昨日のこと、何も言わなかったな。あんなことしゃべっちゃったの、私だし、私から一言言わなきゃいけなかったかな。優香は、昨日のことに何も触れなかった修平の気持ちが気になっていた。気を遣ってくれたのかな、それとも、私の話なんてすっかり忘れてるのかな。

「江添、ちょっといい?」

 先輩に呼ばれた。優香は気持ちを切り替えて、今日の仕事に向かった。


 その日からは、何の変哲もない、また元の日々に戻った。修平と優香の接点は、仕事上の電話だけになった。それは1日数回だったり、数日間、声を聞くことがなかったりだったが、修平は電話に出る度に、受話器から聞こえる声が優香であることを願った。優香は、修平が電話に出ることを期待しているような気がしていた。


          *


 朝刊の「あすからの天気」に目をやると、雲と傘が順番に並んでいて、そこに太陽の入る余地はなさそうだった。優香は新聞から顔を上げて、目の前に日めくりの「7」を見てから、今度は「きょうの天気」を左からたどった。雲、太陽、雲、雲、傘、傘。

「駄目っぽいな」

 窓からかすかに差し込んでくる光を浴びながら、呟いた。

「ん? 何が駄目なんだ?」

 横に座っていたキャップが聞く。

「今日、七夕ですよね。天の川、見えそうにないなと思って」

「七夕か。うちの娘が幼稚園で短冊に願いごと書いたって言ってたな。何を書いたか教えてくれないんだけどな。江添も書いたりするの?」

「書かないですよ。私、もう23ですよ」

「いや、俺から見たら娘と変わらない…なんてことはないか。でも、願いごとぐらいあるんだろ。ちょっとタバコ吸ってくるな」

 願いごと、か。忘れて、吹っ切って、幸せになりたい。

 朝刊をめくっていると、「高校野球地方大会 6日」という小さな記録だけの記事が目に入った。

 今年も暑い夏はすぐそこまで来ていた。


 修平がアパートのドアを開けると、灰色の空が広がっていた。駅までの15分の間に雨が降ってくるということはなさそうだったので、傘を持っていくのはやめようかとも思ったが、「夜には雨が降ってきます。折畳みの傘を持ってお出かけください」というお天気お姉さんの笑顔を思い出して、折畳み傘を取りに部屋に戻った。電車の時間が迫っている。やっべえ。傘を手にするとすぐに鍵を掛け、階段を降りていった。

 走った上に、途中ことごとく青信号が続いたため、ホームには電車の時間の2分前には着きそうだった。ほっとして歩き出すと、駅構内に大きな笹が飾られているのが目に入った。五色の短冊がぶら下がっている。「家族みんなが健康で過ごせますように」という文字が見える。今日は七夕か。天の川、見えそうにないな。願いごと、か。彼女ができますように。できれば江添優香さんで。

 ばっかみたい。自分の想像に突っ込みながら階段を下りようとすると、到着した電車から降りてきた乗客がいっせいに上がってくる。修平は慌てて階段の左端を駆け降りた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ