青春の墓標・・わが脱福記/ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出①
高校時代、海辺の町のキリスト教福音派の教会で求道していた。牧師は聖日礼拝の後、彼が顔色を気にする長老・役員はいない時に言った。皆で食事している時であった。
彼は高校生でも医者の息子や芸大中退のピアニストの息子には「さん」付け、それ以外には「くん」付けする人であった。
「立花さんのお父さんはどうして開業されないのですか?あの土地を使えば
良いではないですか。あそこでやれば流行る〜〜う 〜〜!」
私の父は、某公立医大外科学教室副手(無給)10余年とアルバイト生活の後、過労から病気に倒れ、アパートに泥棒に入られ、妻子を抱え、少し大きな親の家に身を寄せ親族と共に住み、救急病院外科勤務医をしていた。後に体力の限界から、内科に転じたが生涯勤務医である。当時、救急、重症(傷)患者の治療に情熱を傾け、連続30数時間勤務を週二回、深夜も休日も正月も、看護婦からの電話一本で飛び出していく生活であった。休日の火曜日は何時も泥の様に寝ていた。父は体力・性格その他の面で自分に向いていると考えて専門を選び、救急、重症(傷)患者を助ける事を天職と思っていたのであろう。家族はその父を尊敬して協力していた。
父が牧師の言う様に「あそこでやる」為には、彼が人生の選択として選んだ命を削って取り組む専門、組織の一員だからこそ出来る、設備・スタッフのいる専門、終生尊敬している教授の下で10年かかって身に着けた専門の大半を捨てなければ、つまり、内科・胃腸科・肛門科 ・皮膚科とかに転じなければ無理であった。父には裸一貫で大病院を作った徳田虎雄氏の様な事業家の才能は無い。そして、我々が身を寄せて住む家と土地の所有権者は父では無かった。 更に父には連帯保証人になった為に、親族には秘密にしていた莫大な債務があり、家庭は明るいものでは無かった。
牧師の宝の山を見る様な目の色に、父の選択や父に協力する家族の苦労を意味の無い物と言われている気がしたものである。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出②
ある夏の聖日夕方、クーラーの効いた牧師室で牧師は言った。
「立花さんの家は全館冷暖房完備で立花さんの部屋にもクーラーがあるでしょうな?」
我々が、身を寄せ親族と共に住む、終戦後祖父が建てた木造の家には、教会、牧師館が全館冷暖房完備の時代に、一台もクーラーは無かった。 また、大体の居場所はあっても、いわゆる個室は無かった。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出③
ある聖日夕方、教会から帰ろうとする私を玄関の処で呼び止め、ニヤニヤ笑いながら牧師は言った。牧師夫人もいた。
牧師:「お父さんのあとを継げば良いじゃ無いですか。」
私:「うちは開業医じゃないから・・。」
牧師:「開業医じゃ無くても、親の七光りがあるじゃないですか!親
があれだけやっていると!」
聖日の一日教会にいたのだから清清しい気持ちで帰りたかった。しかし、最後の最後に帰る時に、牧師から戴いた御言葉がこれである。胸にむらがる想いを抑えながら夜道を帰宅した。
勤務医の息子には開業医と違って、『継ぐべきあと』が無い。開業医の成功者・特に大病院経営者の息子なら、オーナー社長の息子が、最初から社長・副社長になれるのと同じ意味での「親の七光り」があるだろう。しかし、技術系サラリーマンである勤務医の家庭は違う。
また、仮に勤務医の息子が医者になれても、技術系サラリーマンの息子が技術系サラリーマン、もしくはプロ野球選手の息子がプロ野球選手になるのと同じで、政治家や芸能人の息子の様に実力以上に優遇される訳が無い。
政治家なら、先代に世話になったからと言う事で、息子や未亡人が選挙に出れば票を入れてくれるかもしれない。大物芸能人の息子なら、最初から良い役が貰えて、覚せい剤その他の問題を起こしても復帰出来るかもしれない。
しかし、野球界ではミスタープロ野球・長嶋茂雄の息子でも打てなければお払い箱になる。ヤクザの世界でも大親分の息子だから優遇されて大親分になれる訳ではなく二代続くのは珍しいそうだ。親の七光りが通用しない世界があるのだ。
人は親の手術で命を救われても、それで息子に命を預けはしない。命の問題だから当然である。
また、身を寄せて親族と共に住む家が多少大きくても、救急病院の勤務医が勤務する病院がいくら大きくとも、そして身を粉にして過労死寸前まで勤務しようと、それで収入が開業医の成功者並になりもしなければ、息子に『親の七光り』がある訳も無い。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出④
教会に行かなくなった私に牧師は手紙を書いてきた。印象的な一節がある。
「私の推測に寄れば貴方は合格さえすれば学費を出して貰えると思うので、それは素晴らしい事です。裏口からでなく表口から入りなさい。狭き門を突破して下さい。」
当時、金権私立医大の裏口入学、もしくはそれに近い巨額の寄付金が合否を左右する事が問題になっていた。
しかし、勤務医の子沢山の家には、開業医の成功者の家と違い、私立医大の裏口入学やそれに近い巨額の寄付金は勿論、私立医大に関しては、牧師の「推測」と違い、「表口」、つまり、正規の学費すら無かった。今でも私立医大は正規の学費でも6年間で4千万位(教材費は別)はする。医学部は忙しいのでバイトもあまり出来ず生活費も掛る。給料だけが収入の大抵の勤務医の息子が、私立医大を受験して合格しても、学費・教材費・生活費は無いので、入学は出来ないのだ。
勤務医の子沢山の家で父の保証債務もあった家の息子が医者に成る為には、『合格さえすれば』奨学金もあり、私立幼稚園より学費も安かったり、学費が免除されるので、牧師の子でも生活保護家庭の子でも行ける、国公立・防衛医大・自治医大しか選択肢はなかった。牧師の子とその点では、条件は同じだったのだ。
牧師が勘違い、知ったかぶりの「推測」の後、羨ましそうに「それは素晴らしい事です」などと言っている事を、偶像崇拝と言うのだと思った。
これだけ思い込み、見当違いの多い牧師の、こと説教・聖書の話だけには見当違いが無いとは、思えなかった。教会を離れて良かったと思った。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出⑤
話はまだ教会に行っていた頃に戻る。
ある聖日、ジュニア科(中高生科)の礼拝が、大人の礼拝の前にあるので、早く教会に行き、礼拝が行われる集会室の席に着席した。隣の礼拝堂では、青年社会人の数人が医学部に付いて談笑している。
青年A「知り合いが東京医科歯科大学を受けて三浪している。
しかし、何の事はない。お医者さんの子供は何千万円も寄付金を払
えば入れて貰えるんだってさ。」
(※注意:国立・東京医科歯科大学で寄付金を要求される事は有り得ない。合格すれば奨学金や学費貸与もあり、生活保護家庭の子弟でも行ける。 寄付金云々は東京医科歯科大学とは別の私立医大、例えば名前の似ている私立・東京医科大学の話であると考えられる。明らかに青年Aは勘違いしていた。)
青年B「何千万円も!」
青年A「日本は、お医者さんの子だけがお医者さんになれば良い
んでしょ!!」
( 非難がましく吐き捨てる様に。仕切り戸を明け放ったすぐ隣の集会室の私に聞
かせるつもりだったかもしれない。一口に『お医者さんの子供』と言っても、
『開業医の子供』と『勤務医の子供』がいる。更に『大病院経営者の子供』と『大病院の勤務医の子供』がいる。
恐らく彼も全然異なる両者に許された諸条件を混同していたのであろう。)
礼拝堂の井戸端会議の輪から離れた高校生担当の青年B(CS教師)が、集会室に来て私の前に座り言った。
教師:「医学部って何千万もするんだって?!」
私:「ああ私立医大はね。」
教師:「どうして高校生がそんな金を持っているんだ!!」
私:「親が出すんでしょう。」
教師:「俺も親だけど、一千万でも持っていないよ!!」
私:「・・・・・・・・・・・」
教師:「金のある奴だけが医者になれるのなんておかしい!!俺の正
義感が許さない!!」
良く偶像崇拝を批判する話をしていた彼は今、伝道活動に専念していると風の便りで聞く。彼は、その時私の背中に数千万の札束を見る様な滑りを帯びたそして睨み付ける独特の目をしていた。私は朝一番から見てはならぬ物を見てしまった気がした。
聖日朝、教会に着くや否や、『お医者さんの子供』である事は間違いなくても、私立医大に縁が無い『勤務医の息子』の私は、何とも言えない気がしたものである。 更に過労死寸前の激務のきつい・危険・汚いの3K仕事の救急病院外科勤務医の父を見ているので、そんなに羨ましい仕事かな?と思ったものである。
この付属からエスカレーターでミッション系大学に行き中退した教師の聖書のお話だけは無知無教養からの見当違い・コンプレックスからの独りよがりが無いとは思えなかった。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出⑥
その教師の十八番の一つに「献身」の話がある。
「俺は献身して日曜日教会の奉仕をしているから、うちの子は日曜日、あんまり遊園地とかに連れて行って貰った事が無いんだよ。」
献身の厳しさを言いたいのか、中高生の前で良く言われる言葉であった。
一番言いたい人間とは別の方を向いて一般論的に話す、しかし、心は一番言いたい人間に向いている。その教会には良くあったそんな厭味な感じであった。 私にすれば日曜日、お父さんと遊園地に行けない事は世間一般ではそんなに可哀想な事とされているのか?!と不思議に思うばかりであった。
ある時、私と二人の時にも言い出した。やっぱり、以前から『私に』言いたかったんだなと思った。牧師と同じで『医者の家』に付いて勘違いしていて、うちは家庭サービスも完璧で、遊園地も行き尽していると思い込んでいたのであろう。
彼は急患も患者が亡くなる事も滅多になく、毎日定時で上がれて日曜も正月も休め、趣味の時間も取れる歯科医・眼科・耳鼻科・皮膚科医・神経科・美容外科医の特に開業医と、急患は日常茶飯事で常に生死の境にいる重篤な患者を抱える、救急病院の外科や産婦人科・小児科勤務医の家庭を混同していたと思われる。私は本当の事を申し上げた。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出⑦
大体、超激務で深夜も休日も関係なく呼び出され、深夜3時の電話も日常茶飯事の救急病院の外科勤務医の家族に、日曜日の家庭サービスが出来ない話を幾らしてもインパクトは全く無い。
私:「ああうちと同じですね。」
教師:(驚いて絶句)
私:「父は、私の小さい頃から日曜日休みじゃないから。一回も日曜日一緒に遊びに行った事も、父兄参観に来た事も無いですよ。疲れていて、家では寝ているんだから。人が遊びに行く日曜日こそ事故も起こるので、父が人の命を救う為に、私達が遊べないのを、むしろ誇りに思っています。私たちは信者でなくとも父を尊敬しています。」
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出⑧
やっぱり、私にあてつけがましく一般論的に話していたのであろう。また、信者でないが医師の父を尊敬していると言うのも気に入らなかったのであろう。彼は、苦し紛れに言い出した。何の為に「遊園地云々」言っていたのか自分でも分からなくなっていた様だ。
「クリスチャンで無い人とでは意味が違う!!」
「うちの教会のナースの田辺さん、彼女なんか日曜日に教会に来る為に人に代わって貰うとか切実なものがある!平気で日曜日に働ける君のお父さんとは違う!!」
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出⑨
彼のもう一つの十八番が「聖書を読め!!」であった。彼に言われて、高校時代でも一知半解ながら新約旧約聖書を数度通読していた私は、安息日に人を癒してパリサイ人に非難され、後に十字架にまで付けられたイエスを思い出していた。
そして、その教師の考えを貫くと、キリスト教病院は間違っている訳だなと思った。また、医療従事者だけでなく、警察官・消防官・海上保安官・自衛官・入国管理官・刑務官・麻薬取締官・法務教官は信者で無い方が世の為人の為だなと思った。そして日曜日、教会で使う電気・ガス・水道関係や、通ってくる信者が利用する電車・バス・ガソリンスタンド関係の人も信者では困るな、とも思った。彼の薄っぺらさが痛感されてならなかった。
また、ローテーションを組んで、自分達の体調にも気をつけつつ人命を預かる病棟やオペ室の看護婦は外来の看護婦が休みの日曜日も、誰かがいなければならない。彼が言う様に、病棟やオペのチームの一員が勝手にスーパーのレジの様に気安く「代わって貰う」なんて出来るかな、と思った。プロ野球のチームでも「キャッチャーが野村克也さんだから、ピッチャーの俺は安心して投げられる。野村さんでないなら俺の最高のピッチングは出来ない。勝手に変えられたら困る。」と言う事はある。オペのチームも同じ事である。
調べてみれば、教師が苦し紛れに持ち出した「うちの教会のナースの田辺さん」は、水曜・日曜・土曜午後休診・入院設備無しの小さな医院に勤務していた。教師は口から出まかせを言っていた訳だ。
ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出⑩
高校生の求道時代は、批判力に乏しく、まず、求道者として上にある権威である牧師・教師に従う気持ちが強かった。後に我慢の限界に達し、離れてから手紙も書いた。が、牧師は相変わらず勘違いの多い手紙をくれた。後に、牧師の何が不快だったかより具体的にはっきりと手紙に書くと、しゅるしゅるしゅると塩をかけられたナメクジの様になり沈黙。CS教師は「聖書を読め!天の神をみよ!偶像を求めるな!」と言うばかりで、人の家庭について勘違いしたままであった。
河上先生、お元気ですか。
あの頃の求道者とその家庭についてのご自分の言動についてどう思っておられますか?皆の前での立ち入った無礼な質問、我が家の諸条件に付いての悲しい見当違いの多い、思い込みからのパラダイスを見るようなお顔での言動の数々についてどう思っておられますか?
この数年、何度かお送りした手紙は読んで下さいましたか?かつて、我が家の諸条件、例えば病気に倒れアパートに泥棒に入られた父が妻子を抱えて少し大きな親の家に身を寄せ、親族と共に住み軋轢・保証債務その他苦労もあったその家の外観を見て、所有者が父だと勘違いしての土地の使い道についての言動等には悲しい物がありました。大きなお世話でした。小学4年の終わりには別居を考えていた母と住む貸し家を探しに行った事もありました。
かつて、明らかに勘違いされていた時は教会から遠ざかった私に何度か教え諭すようなお手紙を下さった先生が、今はピラトの前のイエスの如く沈黙されているのは、要するに、ご自分の言動が私や家族に無礼で見当違いが多かった事に気づいて下さったと言う事でしょうか?
『君君たらずとも、臣臣たるべし』の心境で同盟教会に行くのにも限界がありました。
( 去り行く私に「天の神を見よ!偶像を求めるな!聖書を読め!」と紋切り型の説教をしたジュニア科教師もいました。彼自身も見当違いや口からのでまかせの多い人でした。学歴その他のコンプレックスからの厭味の多い偏った自分の聖書解釈中心の『自分の考えがキリスト教の全て』的な底の浅い『聖書のお話』をする人でした。)
手紙を読んで下さっているのでしょうか?
人は間違った時、神が許せば、人には謝らなくても良いのでしょうか?
続・ある福音派牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出
(①〜⑩で偶像崇拝の思い出は完結した。
が、おまけに、CS教師の無礼・独善の思い出を記す。)
高校時代、キリスト教福音派の教会で求道中の私は、土曜日夜に英語の塾に行っていた。その為、土曜夜の特別伝道集会やクリスマス等の祝会・映画会とかを欠席する事が多かった。特に、クリスマスシーズンには、礼拝だけでジュニア科・ 高校生科・一般更に高校生グループ「HIーBA」とあり、更にそれぞれの祝会がある。全部に出る事を聖書が求めているとは、私には思えなかった。
しかし、教師にはそれが不満だった様だ。イエス様が悲しんでいると言った話、後に流行った言葉で言えば『マインド・コントロール』をしてきた。彼はミッション系大学の付属中学高校から推薦で入試を経験せずに大学に行き2年位で中退した人だった。
当時ですら上の学校を目指すなら塾・家庭教師・予備校・進学教室等、学校以外で勉強を教わり公開模試を利用するのは珍しくなかった。また、教科書以外の参考書・問題集を使うのは当たり前の事だった。
が、CS教師は私を睨みながら言った。「うちでは塾とかは、あれは学校だけで頭に入らない頭の悪い奴が行くもんだと教えている。」・・私だけでなく、 我が家の教育方針や両親への批判と受け取った。確かに頭が悪いから苦労したのだが、学校だけでは分からない事も、塾とかで教わって出来る様になり、それで入試に受かるなら、学校だけで受かる人より頭の良し悪しで劣るとしても別に良いじゃないかと思う。頭の良し悪し、オリジナリティより、単に問題が解けて点数が取れれば良いのだから。
続・続・福音派ある牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出
また中高生が集うジュニア科での学びの時にも言い出した。
「先日、教育社ってのの広告が入っていた。塾なんか行くなと書いてあった。が、何の事は無い。その会社のトレーニングペーパーって言うのを買えって書いてある。」
そして、私の目を見ながら言った。「うちではそういうのを一切買わない。学校に行っているのにおかしいじゃないか! 頭が良ければ学校の教科書だけで出来るはずじゃないか!」
一応、上に立つ権威である教師が学びの場で、一生を左右する大事な時期の素直な生徒達の前で言う事では無い。受験を経験していないから言える牧歌的な言葉だった。若さ、可能性への僻みからの発言だったかもしれない。
続・続・続・福音派ある牧師・CS教師の偶像崇拝の思い出
また、毎年、クリスマスから年明けになると、受験生に必ず言い出す言葉があった。前述の教会の全ての行事への出席を促しつつ「もうここまで来たら、遊んでも勉強してもそんなに結果は変わらないから・・」
受験を経験していない、真剣に勉強した事が無い教師の無責任な発言であったと思う。また、一生懸命やっている若者への嫉妬もあったのだろう。試験2ケ月前に気を抜いてしまうのとそこから気合を入れ直して行くのとでは結果は大違いになるだろう。
ある時、私にも言ったので、私は言ったものである。「相撲では最後まで勝負にこだわるからこそ、うっちゃりが出来ます。柔道でも巴投げが出来ます。」相撲は好きだった彼は、私の言う事を尤もだと思ったのであろうか。しどろもどろで口をつぐんだ。
『聖書中心』主義と言っても、その人の教養・気分・コンプレックスとか諸々の諸条件に左右され、かなり恣意的な『自分の聖書解釈』中心主義になりがちな物ではなかろうか、と思い出したきっかけの一つが、浅薄な彼との出会いであった。
(おわり)