対峙ない胎児
最近、とてもお腹が空くようになった。仕事中や寝ているとき、「⋯⋯チリチリ」というお腹の音で、私は目が冴え始める。
お腹が空いたときには、必ず豚肉と白米を食べるようにしている。白米と豚肉を一緒に食べると、効率的にエネルギーが吸収されると聞いたことがある。
⋯⋯正直、あまり効果を感じていない。
お腹の音が鳴り始めて、すぐに作り置きの物を口に入れたとしても、音が収まらないどころか違う症状がでることもある。
脇腹の背中側っていうのかな?
そこがブルブル振動し始める時がある。
――いや、マナーモードじゃん!!(笑)
ってセルフツッコミをしたくなるくらい振動するから、一周回って面白く感じる。
それに、これはここだけの秘密なんだけど⋯⋯振動が起きると、――気持ちがいい。
◇
私は昔、社会人バスケの練習中に転倒したことがある。普通に転倒しただけなら良かったんだけど⋯⋯バランスを崩したときに、自分がドリブルしていたボールが転がってきて、それを避けるために身体を捻ったら、ボールが自分の脇腹にめり込む形になって、むしろ酷い転倒をしてしまった。
ボールがクッションになったから、直接床に叩きつけられることはなかったけれど、バスケで使うボールは硬いから、それが急に脇腹にめり込んできて、その場で吐くほどに苦しかった。
――こうして振り返ってみると、このとき既に、私の背中には痼があったのだろうか?――
転倒して病院へ行ったとき、医師から「このしこりは元々あった物?」と聞かれた。
「脇腹の背中側」とでも言うのだろうか。そこを触ってみると、確かにしこりのような手触りがある。
「んー、お風呂で身体洗うときは無かったと思うので、転倒のせいですかねー?」と私は答えた。
医師は「そうですか、――もし痛みが出たり、気になる症状が出たら、整形外科の方で診てもらってください。スポーツをされるという話ですから、スポーツ外来のある整形外科をオススメします。」と言い、パソコンをいじり始めた。
◇
その日から最近に至るまで、とくに痼に異変を感じることは無かった。
けれど、「⋯⋯チリチリ」という音が鳴り始めて、振動が当たり前になってくると、その痼に痒みがでるようになった。
表面が痒いわけじゃない。
――痼の中が痒い。
痒みが中にあるから掻けなくて、イライラする。
だから、痼がある脇腹辺りが振動し始めると、結果的に、その振動が痼の中身を掻いてくれていることに気付いたときには歓喜した。
最近は、痼の中身を搔くために、わざと「⋯⋯チリチリ」と鳴る空腹を放置するようになった。そうすることで、頻繁に痼の中身を掻けるようになって気分のいい日も増えた。
けれど、頻繁にそうした行動を繰り返していたからなのか、「⋯⋯チリチリ」の後の振動に「⋯⋯グググ――チャ⋯」といった音が混じるようになった。
◇
ある日。私はいつものように「⋯チリチリ」を放置して、痼の中を掻いていた。するとまた、背中側から「⋯⋯グググ――カチ⋯」という音が鳴った。
今回は、はっきりと聞こえるほどに大きな音だった。
⋯⋯そう言えばこの前日だったと思う。痼の周りが酷く痛み、お風呂の鏡で見てみると、痼とその周辺が茄子色になっていた。
痼の中身を搔く頻度を増やすために、ハンディタイプのマッサージ機も使っていたから、そのせいで痛みと変色が出ているのだと思った。
でも、そうではなかった。
大きな音を聞いた日の夜、痼に激しい痛みを感じた。何か液体が垂れている感覚もある。
とっさに背中にある痼に手を伸ばすと、ツルッとした硬い物が指先に触れ、反射的に手を引っ込めてしまった。
手には何かが付いている。
恐る恐る、手のひらを顔の前に持ってくる。
指先には、葡萄の皮のような物と血、そして細く長い糸のような物が付いていた。
痼が激しく痛む。
指先の糸をつまんでひっぱると、血で張り付いているからなのか、指先から糸が通り抜けていくような感覚がある。よく見ても、それが何なのか分からない。
私は救急車を呼ぶことにした。理屈は分からないがとにかく痛みがある。激しい。それに、太ももを伝って、踵にまで液体が垂れてきている感覚がある。
背中から「⋯⋯カチ⋯カチカチ」という音も聞こえる。頭の中に「⋯⋯チリチリ」という音も響き始めた。
――私はそのまま、気を失ったのだと思う。
かすかに救急隊員の呼びかけを聞いた気がする。担架の音なのか、背中から鳴る音なのか「⋯⋯カチャクチャ」という音が鳴っている。
◇
そして私は目が覚めた。目が覚めると病院にいた。背中に鈍い痛みがあり、鼻の中には血の匂いが充満している。息がし辛い。
しばらくカーテンのシミを眺めていると、不意に「痛むところや困っていることはありますか?」と言う声が聞こえた。
近くに看護師さんがいることに気が付かなかった。
私は看護師さんに「これはどういうことになったのですか?」と聞いた。
すると看護師さんは、「昨日の明け方、意識がない状態で搬送されてきて、背中に傷があったようなのでそれの処置を行ったみたいです。」と教えてくれた。
私は空腹を感じた。
看護師さんに「いま何時ですか?ご飯とかってどうなりますか?」と聞いてみた。
看護師さんは「あ、すぐに用意しますから、もう少し待っててくださいね。」と笑顔で答えてくれた。
だから、その笑顔に唾を吐きかけたいと思った。
◇
病院はすぐに退院する事ができた。傷の治りが早かったのと陰気な雰囲気も相まって、私が自主的に早期退院を希望したからだ。
――そう言えば入院中に気がついたのだが、背中の痼がなくなっていた。痼があった部分は、周りよりヘコんでしまっているが、それを差し引いたとしても、痒みが無くなったのはやはり嬉しい。
久しぶりに家へ帰ると、全てがそのままだった。ほんの少し家を空けただけなのに、家中が下水のような臭いに包まれていることには驚いた。
――なにより、入院中に「家の鍵、誰が閉めたんだろう」という疑問が解消されたのは良かった。
鍵はずっと開いたままだった。
私が倒れていた場所に視線を向けると、漫画がひん曲がって、ひっくり返っている。救急隊員が踏んだのだろうか。
漫画に手を伸ばすと、「⋯⋯カラッ」という音がした。
何か落ちたらしい。
音が途絶えた先に目を向けると、黄色い塊が落ちていた。
拾ってみると硬い。
何年も放置されていたごはん粒のような硬さがある。
――ん?なんか人の歯みたいだな。
私はその歯みたいなものをゴミ袋に投げ入れた。
ゴミ袋の底に当たったそれは、「⋯カチ」と音を鳴らしたあと、静かになった。




