1-5 これで通常
三年程前の話になる。この国を含めほとんどの国は、一つの事件と一人の話題を連日のように続けていた。
性別不明、国籍不明、年齢不明、正体不明。そんな人物である。どれだけ調べてもどんな人物像も浮かばない。どれだけの調査でも手がかりの欠片すら掴めない。そのような事件であった。
殺人。殺人事件である。
ただし、規模が尋常ではなかった。
世界的シェアの大手製薬会社とその子会社、親族会社、合計14件。その従業員6853人全てが死傷したのだ。たった三日で。特に死者は3516人にも上った。
その事件は即座に世界に伝播し、目撃者の証言からその犯人はこう呼ばれることになる。
白き眼の悪魔と。
魔方陣の中心から渦を巻くように風と、どす黒い光が溢れ出す。
「何で怪我してるんだよ」
「ちょっとばかり他意的な自殺を止めるためにな」
意味がわからないが罠でも仕掛けてあったのだろう。
「悪魔ねえ」
魔方陣からつき出された一本の手。それを見てさすがの金も苦笑いする。腕、肘までですでに金の身長を越えていた。
そこから想像できるに相当する巨体が魔方陣から這い出る。
「でっけえな、おい!」
黎也が絶叫する。
身体は人間と同じ形をしているその悪魔は、しかし身長設定がおかしかった。
「六メートルちょいってところだな」
一般的な成人の三倍強。目の前の悪魔のサイズである。
「我、汝が真名を問う!」
馬雲が叫ぶ。
「あ、そんな儀式もあったな」
この問いに悪魔が答えることで契約が完了する。悪魔が答えない場合、契約は成されず、悪魔のみが好き勝手に暴れまわることになるのだが、
「バイル・ゼ・ブル」
悪魔はその問いにあっさりと契約を承諾する。
「って、ちょっとまて!暴食の悪魔だと!?蝿の王じゃねえか!」
黎也、再び絶叫。ベルゼバブと言えば人の七大罪を司る悪魔の一であり、暴食を司る。ある国で、かつては雨を降らし、豊作を司る神、バアル・ゼブルとして祀られていたが、それが別の神がいる国へ伝えられた際、バアルゼブブ(蝿の王)と蔑まれ、いつしか悪魔としての定着が成されたのである。
「ま、そんな注釈とかどうでもいいんだが、でけえな」
金が見上げる。身長が低めの金と対比すると、さらに大きくなった印象である。
「この二人が最初の犠だ、ベルゼバブよ!堪能するがいい!」
「そして最後の晩餐だ。それすら食えないがな」
そう言った金はベルゼバブの腰の位置ほどまで飛び上がっていた。
「強風!」
簡潔に言えばただのパンチ。ただし、全体重を込めたものである。
速さ×重さ=衝撃力
これはいわゆる科学の中の必然である。
ドムッと鈍い音がし、あろうことかベルゼバブの巨体がよろめく。が、そこは体格差。よろめきを整えると、重力にしたがって落下する金を蹴りつけた。
そもそもの体重が重い方ではない金は、一発で端まで飛ばされる。
が、そこの鉄柵に体勢を正して着地すると、
「旋風!」
鉄柵をスターターとして地面と平行な跳躍。その勢いのまま、ベルゼバブの膝頭を蹴る。
ベキッと、足が間接とは逆に曲がる。が、
「っと。治るのはやっ!」
普通にその足で攻撃を返してきた。
「なるほど、活きの良い前菜だ。が、大人しくする方が楽だぞ」
一応は共通言語での言葉なのだが、どことなく不協和音のような耳障りな響きのある声。ベルゼバブのものだった。
「そうはいかないんだよな。こっちにも事情とかあるし」
足は普通にかわし、金も飄々と返す。
「そうもいかん。こちらは契約を受けた。その対価はもらわねばな。ふむ、本気を出すか」
今までと比較にならないほどの突きが、金に降り下ろされた。
激しい衝突音と共に屋上が陥没する。
「っぶねー」
その降り下ろされた腕の少し手前、金がベルゼバブの腕を押さえるようにして立っていた。
「これを避けるか。益々もって活きが良い」
「そいつぁーどーも!」
金がその腕を駆け上がる。その眼は先ほどまでと違い、完全に見開かれていた。
「猪口才な!」
ベルゼバブがその腕を大きく振る。
「悪魔の癖に、言葉をよく知ってるじゃねえか」
振り落とされ、地面に着地した金は地面スレスレを疾駆する。
そこに真正面からベルゼバブの蹴りが襲いかかる。
金は明らかに無理な方向に体を捻り、そのままあろうことか腕を蹴りあげる。
「ちょっと付き合ってもらうぜ!」
更にそのままベルゼバブの足を払い、
「涼風!」
回転するそのままの威力で平手を打った。
当然足を払われているベルゼバブに踏み止まれるわけもなく、六メートルを越える巨体は突き飛ばされ、フェンスに激突する。
「豪風!」
さらに金が追い討ちをかける。両手を使い、同じ場所への一刹那差での二連撃。
フェンスが壊れ、それを支えとしていたベルゼバブも落下する。
「旋風!」
落下するベルゼバブに金が上から蹴りを加える。正確には前方宙返りを加えた縦回転での踵落とし。
「って、アホか!」
ツッコミは黎也。この学舎は五階建てであり、屋上はつまり六階位置に相当する。金はそこから飛び降りたのだ。
下で凄まじい衝突音がする。
「アイツだけはホントに」
黎也が額を押さえる。普通なら死んでいておかしくない、と言うか、なぜ生きていると言いたくなる。
普通に五体満足でピンピンしている金は、こちらは超再生で復活したベルゼバブとグラウンドでまだ戦闘を続けていた。
「なんだあれ!?」
「キャーッ!」
「ば、化物だ」
下から騒ぎが聞こえる。
「ちっ、目立ちすぎだぜ」
さすがに屋上から飛び降りて無事で済む自信のない黎也は、踵を返し階段へ向かう。
「ここで待っていてもらおう」
そこに符を構えた馬雲が立ち塞がる。
「ご遠慮!」
黎也は右手を振り上げ、
「第十一の紅蓮よ!」
今まで使っていた物の比ではない火炎が巻き起こる。
「なに!?」
とっさに防御に切り替える馬雲だったが、
「お先!」
その横をすり抜け黎也は階段を駆け降りていった。
「あらあら、これは凄いわね」
「そうですね。本格的に召喚された悪魔なんか始めてみましたけど、あんなにおっきいものなんですね」
「んー、タロスで召喚された美麗魔は人間大だったって記録があるんだけど」
「個体によって違うんでしょうか?アレは何の悪魔でしょう?」
「蝿の王だとさ」
のほほんと会話していたハクリと夜月に黎也が割って入った。
「あれ?レイヤはあっちに参加しないの?」
グラウンドを指差してハクリが首を傾げる。
「いや、するけどな。いくらなんでも屋上からグラウンドまでショートカットできるのは金くらいだろ」
確かに、と頷く二人。
「ことのついでに様子を見に来たんだが、ま、大丈夫だな。他はパニクってるが、もはや収集つける気にもならん」
六メートルを超える巨人がグラウンドで暴れていれば、それはパニックにもなるだろうが。
「んじゃ、行ってくるから。大人しくしてろよ」
そう言って黎也は再び保健室を後にする。
「黎也も好きよねえ」
「基本的に兄貴肌だからねー。ほっとけないんだろうね」
グラウンドではバトルが続いている。と言うか途切れていない。ベルゼバブが召喚されてからここまで、二人のバトルには途切れがない。
降り下ろされる巨大な拳。金はそれをバックステップでかわすと回転してその腕を蹴りつける。
とっさに引き上げられる腕と、それにあわせて繰り出された蹴りを、今度は避けきれずに脚で捌く。
しかし、質量が違いすぎる。そもそもが軽量な金はその威力だけで吹っ飛んだ。
「っつー。いや、体格差ってのは割りと致命的だよな」
目の前の巨人を見て金は苦笑するしかない。
「疾風!」
金の身体が一瞬消える。次の瞬間には金の拳は、ベルゼバブの腹部に突き刺さっていた。
「ぐっ、人間、貴様はなんなんだ!?」
「通りすがりのかめ・・・、ん?今よくわからない電波を受信しちまったような?」
まぁいいか、と、金は再び体勢を整える。
が、そこで動きが止まった。ベルゼバブの体温が急激に上昇したのだ。しかも周囲に陽炎ができるほどのモノである。
「そうか、豊作を司ってたんだっけ。雨と日照が使えるわけだ」
「丸焼きだな」
「焼かれてたまるかよ」
しかし、いくら金と言えど、高温のモノにさわって問題ないと言う訳には行かない。
「くそ、めんどくさくても一旦教室に帰るんだったな」
捌くことすら出来なくなった攻撃をひたすら避けながら金はそうぼやく。
「金くーん」
その時中等部四年四組から誰かが顔を出した。誰かと言って、実際のところそれは言うまでもなく銃なのだが。
「忘れ物だよ」
そう言って、金が机に立て掛けていた棒状の何かを窓から投げた。
「おいおい、乱暴に扱うなよ。でも、」
ベルゼバブの攻撃を掻い潜りながら、金はそちらへ向かう。
「助かったぜ」
その、袋に包まれたものを空中で受けとると、一気に中身を引き出す。そしてそれでベルゼバブの腕を受け止めた。
「なに?」
中身は二振りの刀。一方は刀身から柄までが光の様に白く、もう一方は闇の様に黒い、そんな刀。
「行くぜ、陰、陽」
鬼刃・陰、鬼刃・陽。名前の示す通り、姉妹刀である。そして、
「はい、ご主人様」
「いきます、金様」
言葉を発する妖刀でもあった。
「また、随分と大きな方と戦ってらっしゃいますね、ご主人様」
「金様もホント、飽きませんね。私は楽しくていいんですけど」
「オレは楽しくねーんだよ。ほれ、陰、アズュールの剣だ」
アズュールとは火避けのまじないである。火事などの火に関する事故を回避できると言う。
「はいはーい」
キン、と一瞬、鬼刃・陰が光に包まれ、次にそこに現れたのはすでに別の剣だった。
妖刀鬼刃。鬼シリーズと呼ばれる六振りの内の二振りである。その妖刀としての特性は、刃を交えた武器の外見と特性をコピーすると言うものである。
コピーすると言っても完全なコピーではなく、言うならば金に合わせたコピーである。例えば、所有者が限定されるような特性を備えた刀をコピーした場合、その所有者が金に書き換えられる。
「火避けの剣か。姑息なモノを・・・!」
ベルゼバブの高温はこの場合もう役に立たなくなる。
「じゃ、お互いに武装も整ったところで、第二ラウンド」
ファイト。
「よぉ、何であんた、悪魔とか召喚しようなんてアホみたいなこと考えたんだ?」
グラウドに出てみたところで、やることがなかった黎也は壁にもたれながら、同じくグラウドに出てきた馬雲に問いかける。
「知れたこと、私は彼の悪魔に引かれたのだ」
「彼のってベルゼバブ(あれ)?」
馬雲は首を横に振る。
「否、あんな低劣なモノではない。もっと高貴で、かつ残忍な悪魔だ」
馬雲の目には果たして何が映っているのか、その目は虚ろだった。
「ん?高貴で残忍ってメフィストフェレトス、て訳でもなさそうだな魔男爵か?」
「ふははは!いやいや、そのようなものではない!彼はこの世が産み出した、この世界だけの悪魔!」
「あ、もしかして」
「白き眼の悪魔!彼こそ至上の悪魔だ!」
「うわぁ・・・」
ちなみに、ホワイトとディアブロでは言語が違うのだが、これは単純にこの名前が証言者の言葉を元に付けられたものであり、その中でもインパクトのある言葉を繋ぎ合わせたからだ。ただ、どちらも統一言語ではない旧言語なので、誰も気にはしないのだが。言語学者以外。
「似せたい悪魔の一人か、あんた。そういうのは違うとこでやってくれ」
そういう会話の間も、二人の目の前では猛烈なバトルが続いている。グラウドが陥没し放題であり、しばらく陸上部は休部になることだろう。
「つか、あんな悪魔に憧れる部分てあるか?」
「憧れ?そんなものは当たり前だ。やつの生き方、孤高であり、かつ回りを排除し、自分が一人であり続けたあの生き方が、憧れの対象でなくてなんだと言うのだ!」
その言葉を聞いた黎也はため息をつく。
「なるほど、あんたも勘違いしてるタイプか。いや、あの行動だとそうとるのが自然なのか?」
「なに?」
疑問を投げる馬雲に黎也はそのまま話を続ける。
「ああ、似せたい悪魔の中でも特に出来がよかった、安易な狂人、偽りの悪魔も同じような台詞を吐いてたがね。お前ら、そもそも根本的に間違ってんだ」
そこで黎也は馬雲を睨み付ける。
「白き眼の悪魔は、孤独になりたかったから大量殺戮した訳じゃないんだよ!」
「なん・・・だと?」
「ったく、どいつもこいつも、勝手都合のいい解釈を他人の行動に嵌めるなよな」
心底下らなさそうに黎也は吐き捨てる。
「確かにあいつの行動はただの大量虐殺で、それ以外の何にも見えねえし、それ以外の意図なんて考えてもわからねえだろうがな」
ふと、黎也は金とベルゼバブの戦いに目をやる。相変わらず規模が滅茶苦茶のバトルを行っており、残像などというコミックの中にしか無いようなモノまで生じていた。
「だが、アイツにはアイツでちゃんと行動に意図があったんだよ。間違えても、趣味や快楽であんなことした訳じゃねえ。誰だって、探し物を邪魔されたらキレるだろ?」
キレた結果が3500人強の大虐殺と言うのはやり過ぎにも程があるだろうが。
「だまれ!」
符から生じた火球が飛ぶ。
「第六の盾よ!」
それを黎也は冷静に防ぐ。
「黙れ、黙れ、ふざけるな!」
馬雲は腕を大きく広げ激昂していた。
「探し物だと?邪魔をしただと?そんなことが何故わかる!それこそ貴様の勝手な推測だろう!」
さらに馬雲は連続して符を投げる。
「貴様などにはわかるまい!我々の孤独が!独りでいるしかない、独りでしか生きられない事が!」
その火球を全て防ぎ、黎也は笑う。そして、
「分かるわけねえだろ!他人の事なんて分かるか気持ち悪い!他人に自分の事をわかってもらおうなんざ、ムシが良すぎんだよ!」
怒鳴り返した。
それが聞こえたのか、ベルゼバブと戦っている金が大爆笑していた。
「くははははは、そりゃそうだ。当たり前だよな。別に他人の事なんて分からない、分かりたくもない、そんな面倒臭いことしたくもないし、そもそも出来ない。当たり前だ。自分は他人になることなんて、絶対に出来ないんだから」
ベルゼバブの足を思い切り払い。浮いた身体を突き飛ばす。
「真月流拳術・涼風!」
一度距離をとると、
「いいぜ、ベルゼバブ。オレもそろそろ真面目にやろう」
そう言い、腕に付いていた金属製のブレスレットを外す。
そのブレスレットは、地面に落ちると、ズンッと沈み込んだ。
「ああ、一応、アダマンタイン製だから、これ」
そして同じように靴に着いたストッパーを外すと靴底に仕込まれていた金属板が外れ、同じように音を立てて沈み込んだ。
アダマンタイン。魔鉱金属と言う特殊な金属の一種であり、鉱物でありながら魔的特性を持つ。魔鉱金属には他にもミスリルやオリハルコン、ヒヒイロカネ等があるが、アダマンタインの特性の一つは強度である。
その強度はダイヤモンド等を遥かに越す。
そしてもう一つ、それは重量。今金が着けていたブレスレット一つ程度の大きさで、おおよそ50キロ。両手両足で200キロ。その枷を金は外したのだ。
「行くぜ。ベルゼバブ!」
金が一瞬、目でとらえられなくなる。
「真月流剣術、青龍・地土蜘蛛!」
沈んだ状態でベルゼバブの懐まで飛び込んだ金は、今度は上に延び上がるように刀を振るう。そして、延びきった直後、今度は一気に降り下ろす。
ベルゼバブの両腕が撥ね飛ばされた。
そして金は着地すると同時に、
「白竜・竜巻!」
足を斬り飛ばした。
そして、
「紅竜・炎火産神!」
轟音。斬撃と言うにはあまりにも破壊的なその攻撃は、それだけでベルゼバブを肩口から両断した。
「終了っとぉ!?」
全てが終わったと刀を納めようとした金に、予想外に攻撃がされた。とっさに側転するように回避する。
「うへ、さすが悪魔。真っ二つにしたのに生きてるとか」
見ればベルゼバブの手足は完全に再生し、二つに分けられた切り口も、筋繊維のようなものが伸びて絡み合い、ほとんど修復されていた。
「不死身ってわけもないだろうが、さすが別世界の住人、殺そうとしたくらいじゃ死なないのか」
ギリッと刀の柄を握り込み、再び巨体に飛び掛かっていった。
「玄峰せんせーよ」
そんな金の様子を見ながら、黎也は幾分先程より落ち着いた様子で言う。
「悪魔、白き眼の悪魔を、その本質を、俺が知らないって、そう言ったよな」
「?」
馬雲が訝しげに黎也を睨み付ける。
「まぁでもさ、実際、あんたの意見も10分の1位は正しかったりするんだよ」
馬雲の意見。孤独主義。
「別にアイツは孤独主義って訳でもないが、だからといって人恋しい訳でもない。アイツはさ、探し物をしてたって言ったろ?実際、アイツ自信も、何を探しているかはわかってなかったらしいんだが」
まるで、黎也はその相手と既知である様に語る。
「ただ、アイツの殺傷欲ってのは間違いない事実なんだよな。本質っつーか性質だ」
「貴様、先程から何を言っているのだ?まるで貴様と彼の悪魔が既知の様に語っているが」
馬雲が低い声で訪ねる。
「既知だよ。知り合いだ。っつーか、気がつかないのか?おかしいだろ?今俺達が対面している状況に、おかしな画があるだろ」
おかしなところと言うなら、悪魔がゴロゴロ出てきているのが既におかしいのだが。
「なぁ、玄峰。上位悪魔なんて埒外の存在を相手に、単身二刀で立ち向かう人間がいる図は、明らかに外れてないか?」
そう、まさに今、この目の前で起きているこの状況。この状況が既におかしいのだ。例え近代兵器を持っていたところで、悪魔を相手に、対等以上に戦う人間など、皆無に近いだろう。
「気がついたか?アレが本物だよ」
黎也が薄く笑う。
「三元の要穴の一人、死の消滅、白き眼の悪魔」
「土野金だよ」
見開かれた金の左の瞳は、光のすべてを反射する、白だった。




