1-3 平常と非常、通常と異常
魔術は体内に流れる魔力を体外に放出するものだが、魔術師の数がそれほど多くないことからもわかるようにそれは簡単なことではない。
魔術は簡単に分ければ四つに分けられるが、もっと単純に分ければ二つになる。大雑把に、射出する場合と身に纏う場合だ。
黎也や夜月の使っていたのは魔力を射出する形。汎用性が有るが術式と使用魔力量が大きい。体から離したものの形状を保つためにも魔力を使わなければならないからだ。もう一方の身に纏う方は、体そのものから魔力を補えるため術式や使用魔力がかなり少なくなる。たとえば、黒魔術や青魔術であれば盾や鎧のような防御型の魔術は強固なものを瞬時に作り出すことが可能なのである。
「あっぶねー」
飲み込まれた瓦礫の中、右腕を掲げて黎也は立っていた。瓦礫は黎也の周囲を避けるように落ちていた。
「無詠唱。咄嗟に盾をはったのか」
第六の盾。黎也の魔術は威力順に番号が振られているが、六から十には防御用の魔術が当てられている。
「つっても完全に無事でもなかったか」
掲げられている側とは反対の腕、左腕に裂傷ができていた。
「っちゃぁ・・・。これで6か」
「お前ほど身体能力高いわけでもないんでな。スマン」
「いや、黒部は十分に身体能力高いと思うわよ。世界大会でどんな競技でも軒並み記録を更新できるレベルに」
とりあえず手当てが必要である。白魔術で治療は可能だが小さな怪我ではむしろ魔術は使わない方がエネルギーの消費率が低い。
更に代謝の問題もある。白魔術の治療は細胞の分裂を活発化させ時間を先取りする。簡単に言えば怪我の自然治癒をはや回しで行うのだ。だが、人間の細胞分裂と言うのは回数が決まっている。人が一生の内に増える細胞の個数は決められているのだ。
故に白魔術での治療を多用することは事実上、残りの寿命を使って傷を治していることになる。だからこそ、致命的な怪我や今後に関わる怪我以外ではあまり魔術師達は魔術での治療を行わない。
「・・・、で、何でいるんだ?ハク」
「怪我したからに決まってるでしょー?」
黎也が人差し指で額を押さえる。頭痛がするわけでもないだろうが、そうでもしないとやっていられないのだろう。
「そうか、7はお前だったのか」
ハクリは莫大な魔力を持っている。狙われていてもおかしくないと先にも予測していたが、黎也のことで少しばかりおろそかになっていたらしい。
「あ、凄いこと気づいた。この学舎って本物が二人もいるのね」
「今さらだな夜月」
本物。魔術師が言う本物とはその色に置いて頂点に位置する者の冠する称号である。四色ある魔術に各々本物と呼ばれる魔術師が一人いる。合計で四人、まとめて四色の本物とも呼ばれる。この本物は選出されるものであり、大体の場合が前本物によって指名される。ゆえに本物の名を冠してはいても本当にその人物がその時代において最高の魔術師であるとは限らないのではあるが、それでも平均値よりは圧倒的に高い実力を有していることは間違いない。
ハクリ・ヴァイス、そして黒部黎也はその本物の名を継いでいる。黎也は歴代で最年少である。
「っていうか、呑気なこと言ってる場合じゃねえだろ黒坂。次はお前じゃねえか」
「ん?あ、言われてみればそうかも。でもまぁ死にはしないみたいだし、適当に逆らってみるわ」
魔力量と魔力の質は夜月も四色の本物と比べて遜色ない。かつては黎也と最年少候補の座を争っていた、四人いた黒の本物の後継候補の一人である。
「しかし、8か。夜月とオレを除いても後三人いるんだよな」
三人。十万人を越える中から無作為に探すにはあまりにも少ない数である。
「金の教室で魔導学実技専行してるのは?」
「えっと、三人ね。桜通夜道くんと竜胆白華さんと折紙赤色くん」
これに答えたのはハクリだ。金のクラスの担当教員であり魔導学の教師でもある。金の所属するクラスは少し特殊であり、問題があったり、魔術の名家だったり、妖の直系だったりと、何かしら特別な生徒が集められたクラスなのだ。
「折紙家の三男坊がいるじゃねえか。そいつが怪しいだろ」
折紙家は摩羯での魔術師の名門である。世界でも十指には入るであろう。特定の色の魔術師だけでなく、四色すべての魔術師が生まれる事で有名だ。
「あとは怪しいのはぁ、高一の朱鷺鳥林檎さんと林葵くん、高二の雪代麻沙羅さん、高三の緋織心さんかな?」
「候補は5人か」
そのとき、にわかに廊下が騒がしくなる。
「黎也、夜月!」
「ああ!」
「ええ!」
「ハク、またあとでだ」
そう言い置くと三人は飛び出す。
「これ、は・・・」
場違いながら、その後継を見た金は苦笑するしかなかった。
逃げ回る学生と襲いかかる下級悪魔。
「魔術師の血を集めて何をするんだか、ある程度予測がついちまったな」
「金、答え合わせは後だ。やるぞ」
「そうだな。久々に軽く本気出しとくか」
そう言うと、
「真月流・強風!」
近くのデュラハンに金の拳が炸裂した。鎧は何の抵抗もなく大穴を穿たれ、ついでに頭はどこかへ消し飛んだ。さらに、
「疾風!」
一瞬、金の右腕が消えた。そして、一匹のインプの頭も消失した。
「烈風!」
首、肩、肘、膝があらぬ方向に曲がったグレムリンが吹っ飛んでいく。
「旋風!」
跳び後ろ半回転蹴り。二体のガーゴイルの石の頭が砕け散った。
「雑魚相手に容赦ないなぁ」
といいつつ、黎也も腕をつきだし、
「第一の炎よ!」
黎也の手から炎の矢が打ち出された。
「氷の世界よ!」
夜月の言葉が物理的に場を凍らせる。
魔術界最上位の二人と世界最強が暴れる。一応は事態を収集するためにやっているのだろうが、もはや滅茶苦茶である。
下級とは言え悪魔が、数十体の悪魔が、ものの数分でほぼ全滅。馬鹿げた現状だ。
「片付いたか?」
ふう、とため息を付き、黎也がプラプラと手をふる。「キャァーッ!」
「なっ」
甲高い女性の悲鳴のような音、黎也と夜月は思わず耳をふさぎ、金ですら顔をしかめた。そして、さっきの戦闘で奇跡的に無事だった廊下の姿見が唐突に砕け、飛び散った。
「あ」
慣れている金と黎也はその破片をかわしたが、夜月はかわしきることができず、太股の辺りを欠片が切り裂いた。割れた鏡には誇らしげに書かれた赤い口紅の様な「Q」の文字。
「女騒霊。やられたぜ」
クイックシルバーは騒霊の一種だ。女性のヒステリーの霊化ともされ、生き霊である場合もある。または無意識のサイコキネシスである場合もあるようだ。
さすがに足を傷つけられた夜月をこれ以上つれ回すわけにもいかないので保健室で待機させる。
「やっぱり何人か増えてたな」
下級悪魔が大量に出現したため、数字に関係のない生徒も数名、ケガをしたようである。
「あ、先生、こちらもお願いします」
また一人運ばれてきたようだ。
「あら緋織心さん」
手の甲に9のある女生徒だった。
「9人目と。っていうか雅?」
「あら?金君?」
その女生徒に付き添っていたもう一人の女生徒に金は呼び掛けた。黒髪で背中まで届く長髪、身長は女性としての平均ほどで、金とほぼ同じ。からだのラインは美術品の様にハッキリと起伏に富んでおり、顔の造形にも全く隙がない。言うならば、絶世の美女だった。
夢水雅。人形妖の純血族の一つ、夢魔族の一人で、金の顔馴染みである。
「なるほど。変な騒動が起こっていると思ったら、金君が来ていたんですね。納得です」
土野金。自他共に認める世界最強だが、同時に、前代未聞の事件引寄体質である。
「間違えてはいないがなにげに失礼だな」
失礼ではあるが間違えてはいないのが問題なのであろう。
「まぁ納得です。水島君も各所で頑張ってくれているようですし。樋口君の噂もちらほら聞きますしね。しかし、黒坂さんが戦線離脱ですか。戦力が低減しますね」
実際、金達がいたところだけに敵がくることなどあり得るわけがないので、他の場所では他の人物が防衛戦をしていたはずなのだ。
「兄さんと紅が防衛戦に参加してたのか。道理で楽だと思ったぜ」
「いっておきますけど金君?あんまりポンポン物を壊すの禁止ですからね。っていうか舎内であばれるの禁止」
それは最早遅いと言えるだろう。すでに最低二ヶ所、壁がなくなった吹き抜けの廊下が出来上がっている。
「それで、風紀委員として聞くのですが、この状況は何かわかりますか?」
「それだな。一応オレの中では答えは出たんだが、黎也、答え合わせしようぜ」
ゲームか何かのように気軽な調子の金。
「正解しか出せないお前と答え合わせとかしてもしょうがない気もするが、まぁ新規の夢水先輩もいることだし調子を合わせてみようか」
そして黎也は指を一本 たてる。
「キーワードの一つ目はこの状況です。空間隔離、範囲断絶、領域閉鎖。言い方は何でも良いんですけど、この規模での範囲を切り取るとするとかなりの魔力と精密な術式が必要になりますから、まずいたずらではありません。いたずらでないなら、何らかの意味、意図があるはずなんです」
そこで今度は金が二本、指を立てる。
「二つ目のキーワードは怪我だ」
「怪我、ですか?」
そこで雅がかるく相づちを入れる。
「そう。それに一つ目にあったこの空間隔離の魔力元にも関係する。ところで雅、人体で最も魔力が高いものは何かわかるか?」
やはりクイズのように。
「えっと、手、とかですか?」
雅も律儀に答える。ちなみにではあるが、金は人を大抵呼び捨てする。これには金本人の事情が含まれてくるのだが、ともかく歳が上だろうが地位が上だろうが基本的には名前を呼び捨てする。例外は三人だけである。
「一割正解。確かに魔術は手から出すことがほとんどだからな。正解を部位で言うなら心臓だ。そして正解そのものは血、血液なんだ」
「血」
呟くように復唱する雅。
「血っていろんな術法にも用いられるだろ?これにはつまりそんな意味があるんだよ。そして血、流血、つまり怪我だ。怪我をさせ血が流れる。それを媒体として空間を隔離している魔術を維持しているんだ」
そして今度は二人同時に指を三本伸ばし、
「「悪魔」」
と、完全に声を重ねて言った。
「三つ目のキーワードは悪魔だ。さっきからチョロチョロとうっとうしく出てきやがる下級の悪魔どもだが、これが最大のヒントだよな」
「ああ、ヒントと言うか答えみたいなもんだ。召喚術何て言ったところでいまだに世界間移動は魔法の領域なんですよ。そんで、悪魔ってのはもちろん異界、まぁ魔界の生物です。この世界はかなり魔界に近くて確かにちょっとした拍子に魔界と繋がっちまいますが、だからと言って簡単に悪魔を呼べるって訳じゃないんです」
「こちらから繋ぐことは不可能に近い、ならどうするか?簡単だ、向こうから来てもらえばいいんだ。悪魔は人知を越えた存在だ。繋がってる世界でなくとも軽くズレを作ってやれば奴らは嬉々としてそこを乗り越えてくる」
「血って撒き餌もあるしな。さぁ、ここまでヒントが出ました。なら答えなんてもう簡単に出ますね、アンサーは?」
「・・・わかりたくありませんね。それは」
ニヤリと金が嫌な笑い方をする。
「きひひ、正解だぜ雅。わかりたくねえ、まともな奴ならな。こいつが13の生け贄を使いやろうとしていること。簡単だろ?気が狂ってるとしか思えねえさ、こともあろうに上級の、知性のある悪魔を呼ぼうだなんてな」
あっけなく答えを提出する金。美術品のように整った雅の顔が悲哀に霞む。
「オレじゃあるまいしな」
「・・・そういえば歴史でならいましたね。520年前のタロスの事件。一人の狂った術師が上級の悪魔を呼び出し、市を一つ滅ぼしてしまった、とか」
「ああ、実際に上級の悪魔を呼び出せた例なんざそれくらいだ。だけど、今回は条件が悪い」
そう、最悪の条件と言っていい。
「条件とは?」
「悪魔を呼び出すために、実は大した魔力は必要ない。魔力量だけで言うなら一般的な、平均的な量があれば問題ない」
「だけど、問題は悪魔が望むもの、つまり上質の餌です。悪魔にとっての上質な餌って奴はつまり魔力の濃度が濃い奴なんですよ。魔力の質が高い奴と言ってもいいかもしれませんね。奴らは魔力の量より質を好む」
だが、と金が先を受けとる。
「条件が最悪なのは、この学舎には魔力が高品質かつ大量の奴が分かりやすく二人はいるってことなんだよ」
雅はハッと気づいたように手のひらで口許を押さえる。
「黒部君とヴァイス先生、ですね。四色の本物の内の二人です、それくらいのキャパティシがない方がおかしい」
「イグザクトリィ(そのとおり)」
何時代の言語だそれはとツッコミを入れそうになった黎也はしかしそれを飲み込み、話を続ける。ちなみに古代アリエス語である。統一言語になった現在、古典の中にしか見られない言葉だ。
「俺とハク以外にも候補筆頭だった黒坂とか名門の折紙とかいますしね。そうでなくてもこの学舎は国内最大の魔導学教育を行ってる教育機関です。そりゃ才能のあるやつらが国内からわんさかきますって」
それが今回の最悪の原因。この閉鎖された空間の中、魔力の濃度、質の高い者がおよそ百人。その中から更に選りすぐったであろう13人。それを餌にすればどんな悪魔でも呼べてしまうだろう。一人づつでも中級くらいの悪魔なら呼べてしまうほどのラインナップなのだ。
「「まぁ、もっとも」」
そこで二人の言葉が重なる。
「「このオレ(俺)を前にして
「悪魔」
「最悪」
なんてのは、」」
二人の笑みが、最悪の悪魔のように、歪む。
「「片腹痛いがな。」」
その言葉に雅とハクリは苦笑するしかない。
「しかし、長話しちまったが、あとオレを含めて三人だろ?」
「ええ、13と言う数字に信用が置けて、かつ、この話の間に増えていなければ、ですが」
犠牲者と言えばかなりぞっとしない表現になってしまうが。
「恐らくだが、ウチのクラスにいる折紙赤色は確実に入ってる。あのクラスの中でもかなりの高品質な魔力の持ち主だったしな」
「お前のクラスか今から行って間に合うか?」
「まず無理だな、残念だが諦めよう」
無責任な上に非人道の極みだった。これまでの経験から死ぬことは無いだろうということなのだが、さすがは金と言わざるを得ない。
「そうもいかねえだろ。とりあえず行くぜ、お前のクラスに」
「ま、そうだよな。了解だ」
廊下を走らないという常識はこの場合意味をなさない。走っている存在そのものが非常識なのだから。人にかろうじて認知される速度で金と黎也が走る。ついでに廊下に群れている下級悪魔を蹴散らしていく。文字通り蹴散らす。
すれ違い様に膝やら拳やらを叩き込んでいくのだ。走る速度に累乗され、とんでもない威力での攻撃がなされる。
そしてそのまま扉を蹴り開ける。そもそも押し戸ではなく引き戸であったため、蹴るという行為で教室の扉は外れて反対側の窓ガラスを割って飛び出していった。
そしてその扉の向こう側の惨状に二人はため息をつく。ため息ばかりだ。
「銃の事を軽く忘れてたのは失敗だったな」
教室内には強い硝煙の臭いと倒され消滅していく悪魔、ドン引きしているクラスメイト、そして両手に拳銃を携えた銃がいた。
「お、金くん、遅かったね。こっちは片付いたよ」
恐ろしいまでに気の抜けたセリフ。
「どうなんだろうな?これ」
「やっぱり、忘れてたのは普通に不味かっただろ」
水島銃。その名前が示すそのまま、拳銃使いの少女である。百発千中の実力を誇る、世界屈指の銃使いの一人である。
「しかし、さすがは退魔銃、妖斃の三式だな。悪魔だろうが関係ないんだ」
「いや、まぁあいつの連射を受ければ、ダイヤモンドだって粉々になると思うが」
ふと、そこで金は辺りを見回す。
「えーっと?折紙赤色は何処だ?そもそもそいつにようがあったんだが」
「あー、折紙君?さっき怪我して、今あっち」
銃が妖斃で指したその先には一人の男子生徒が壁にもたれていた。腕には包帯が巻いてある。
「折紙赤色か?ちょっと質問なんだが」
黎也が赤色に声をかける。
「なんだい君は?僕に質問?ふん、そんな権限が君にあるのかい?」
矢鱈と偉そうな態度だった。
「なんか、お前以上にムカつくんだが、こいつ」
振り返り金に言う。
「失礼な、オレと比べるな。どうせボンボンなんだろ?多目に見てやれよ」
本人を目の前にして遠慮もなにもない会話。失礼なのはどちらかと言う話だ。
「君たち、僕が何者か知っているのか?折紙だぞ?折紙赤色だ。僕は・・・」
「折紙紫と折紙緋の三男だろ?色は赤。得意なのは四足動物型の召喚。赤の典型だな。ただしオレはお前がいまだに赤以外の魔術を使ったことを見たことがないんだが」
「金・・・。まぁいいや。名乗りを此方からあげるのは礼儀だったかな。俺は黎也、黒部黎也だ。一応黒の本物なんぞをやってるが、まぁ魔術師の家系としては平凡な方だよな」
ガタッ、椅子に片腕をかけてもたれていた赤色が大きく仰け反る。
「くくくくく黒部先輩!?」
「ああ、そっか先輩なんだっけ?金と同年代だって認識しかなかったから忘れてたぜ」
「なんでこの学舎で一番有名な魔術師が僕のとこなんかに!?」
取り乱しすぎである。だが、本物という肩書きの権威はそれほどのモノなのだ。世界の魔術師からすれば一国の首相クラスの意味を持つ。
「悪いな、ちょいと聞きたいことがあるんだ。折紙君、この痣あるかい?」
そう言って黎也は赤色に手の甲を見せる。
「あ、あ、あ、あ、は、はいっ、あります!」
「ん、サンキュ。ってことはまずいぜ金」
「ああ。やれやれ、厄介なことだ」
泣いても笑っても、あと二人。




