第七章 元宮廷錬金術師、未来について考えてみる
エメラルドの村、唯一の酒場、カンザス。
そこは正直、酒場と言うよりは酒類も出す食事処、というかんじだ。客層は腰の曲がった老人から、母親に抱えられた幼い子供まで幅広い。真っ昼間から酒を飲んでいる男性たちもいるが、その多くは村の憩いの場として使用しているようである。小さな子供たちが酒場の中を駆け回っても、いくつか窘める言葉がとびはするが、基本放置だ。
恰幅のよい女店主おすすめのメニューは豆と村で取れた野菜をふんだんに使った野菜の煮込みと豆とベーコンのスープである。狩猟の季節になれば肉料理も並ぶらしいが、今はともかく地元の野菜推しだ。そこに商人から購入したという魚やよその食材が並ぶこともあるらしい。私は来るようになって日が浅いので、まだそういうものは見たことがない。そう思っているのだが、この村の珍しいに当てはまっているかは謎だ。もしかすると、王都では珍しくもないモノが、ここでは珍しかったりするのかもしれない。
最初は雑多な音が溢れるこの酒場に入るのも恐ろしかったが、最近では慣れたのか、普通に一人でも入店できるようになってきた。
「いらっしゃい、トレニアちゃん」
そんな私を女主人が温かく迎え入れてくれた。顔をくしゃくしゃにして笑い、その手にはエールのジョッキの取っ手がいくつも握られている。そう、一つでも重そうなのに、大量にである。私がすればきっと全てのジョッキを落とし、割ってしまうだろう。どうやっているのか、未だに全く分からない。女主人は魔法でも使えるのではないか、と私は思っている。
「今日もオズくんと待ち合わせ?」
それに頭を下げて答える。この前は声を出そうとして、自分でも引いてしまうほど、舌をかんでしまったからだ。私の顎が強靱だったら、舌に風穴が空いていただろう。脆弱な顎でよかった。
「じゃあ、奥の方のテーブルに座りな」
その言葉に一度軽く頷き、お辞儀をする。女主人はそんな私にも、もう慣れたようだ。もしかすると、重度の人見知りに思われているのかもしれない。
私は被っていたフードを引っ張り、更に顔を隠す。
エールを呷っている屈強な男たちから大きな笑い声が響いた。
「にしても、今年は害獣の被害が多い。秋の害獣狩り大会はよぉ、やっぱり、去年みたいに盛大に隣村のやつも招いてだなぁ」
「馬鹿おめぇ、最近はどこも森に入ることに厳しんだ。そんな馬鹿騒ぎバレたら重税されんぞ」
「そんなか」
「そんなだ。狩猟も今までは兎位なら、お目こぼしがあったが、今年は分からんぞ」
「そうみたいやで。どっかの村では、かなり厳しい罰があったらしいと噂になっとる」
「森に入りすぎると魔獣を刺激するっていってよぉ、最近急に言い始めたよな」
「騎士の志願者がすくなくて、警備の費用があがったせいだって、商人がいってたで」
「確かに、門番も少なくなったよなぁ」
「魔獣が多いところじゃあ、村で金を出し合って傭兵も雇ってるってよ」
「はぁ、何をするにも金、金金」
大きな声は屋内によく響く。まるで耳元で言われているみたいだ。フードを掴む手に力を込め、足早に彼らの背後を通り過ぎる。そして、奥の席、ちょうど階段の陰になっている席に辿り着くと、ようやく息を吐くことができた。
この席は人嫌いというか、人が苦手な私のために女主人が用意してくれた席・・・・・・なのだと思う。
最初はあの喧噪の中の席に座り、そのまま天に召されそうになった。すると、次回からはこの席を勧められるようになったのだ。こんなにも人目から隠れるような位置の席は、流石に私に都合がよすぎる。きっと、わざわざ用意してくれたのだろう。もしかすると、オズが頼んでくれたのかもしれなかった。
「最近は本当に駄目だぁ。どの薬もどんどん高くなってきやがってよぉ」
「あぁ、錬金術師も足りないとかいってただ。それで、薬の数自体が減ってんだと」
「こうも値段が釣り上がっちゃ、おちおち、怪我もできやしねぇわ」
「おぉよ。この間なんざ・・・・・・」
「あぁ、そりゃあ、おめぇ、宮廷錬金術師の数も減ったせいだって・・・・・・」
ここでも、まだ会話が聞こえてくる。途切れ途切れだが、錬金術師の話題のようだ。思わず肩が跳ね、心臓が早鐘を打った。思わずローブの上から、心臓の辺りの布を握りしめる。
錬金術師が足りない。
足りないなら、私がなんとかするべき、なのだろうか。
なんとかしなくてはいけない、のだろうか。
もしかして、私のせいなのだろうか──いや、そんなはずはない。使えない私が一人抜けただけで、そんな事態になるはずがない。
心臓が大きく鳴り続け、耳元にも響くようだ。
「トレニアさん、お待たせしました」
突然声をかけられ、物理的に飛び上がりそうになる。私の身体がもっと軽やかに動ければ、階段に強かに頭をぶつけていたことだろう。
「わ、驚かせてすみません!」
いつの間にか、私の隣にはオズが居て、こちらを覗き込んでいたようだ。全く気が付かなかった。気配がないのか、私が考えに沈みすぎていたのか。
「気分悪いですか? 食事だけ買って、ドロシーの屋敷で食べます?」
その顔には心配の色が浮かんでいる。私は、またオズに心配をかけてしまったようだ。村に来てから、というか出会ってから、オズにはこんな表情をさせてばかりで申し訳なくなる。
「・・・・・・いえ、本当に大丈夫です」
軽く首を振り、私は席に着いた。まだ心臓は暴れていたが、それでも少しずつ落ち着きを取り戻していく。オズの顔を見たおかげだ。
「本当ですか? 体調が悪くなったら、すぐに言ってくださいね」
「はい」
尚も心配そうな顔を続けるオズも、私の目の前の席へと腰掛けた。
「あの・・・・・・オズさん」
「はい」
オズの顔を見て何度か息継ぎをし、ようやく心を決めて話しを始める。
「錬金術師、足りないって・・・・・・あの私、何か、この村のために」
「しなくていいです」
私の言葉に被せるように、オズがハッキリと言い切った。
「しなくていいです、そんなことは」
そして、もう一度ハッキリと言い切られてしまった。取り付く島もない言い方である。
「トレニアさん。錬金術を使わなくていい。むしろ、あなたの錬金術は優秀すぎて、使えば居場所がバレてしまうでしょう。ここでは・・・・・・いえ、まだ、使うべきではないです」
オズは真剣な顔でそう言い、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
よくわからない。特に「私の錬金術が優秀」なんてところがよくわからないが、きっとオズは正しい。正しいことを言っている。
「でも・・・・・・」
なのに、反論するような言葉が私の口から零れ落ちてしまう。オズはこんなにも私を気にかけてくれるのに、心配してくれているのに、それでも、反論してしまう。
「それじゃあ、私が唯一の取り柄の・・・・・・錬金術もできないなら・・・・・・本当に使えない、オズだんに迷惑しかかけることのできない、そんな人間に・・・・・・」
「トレニアさん」
決して大きな声ではない。
オズの声は大きな声ではないはずなのに、私の耳にはよく響いた。
「あなたはね、別に誰かの役に立つ必要なんてないんです」
「え」
そのオズの真剣な言葉に、間の抜けた声を落としてしまう。
誰かの役に立つ必要がない。
誰かの役に立つ必要がない?
でも、だって、皆、私を「使える」「使えない」で判断してきて、そして「使えない」と駄目で、嫌味を言われて、失望されて、居場所がなくなって・・・・・・それで・・・・・・何だっけ?
「トレニアさんも、僕も・・・・・・いえ誰だって、誰かの役に立つ必要なんてない」
オズの手が真正面から伸ばされ、テーブルの上で所在なさげにしていた私の手を握りしめる。
「いや、誰かの役に立たなくても、それでいいんです。誰かの役に立たなくてはいけない、なんて自分を苦しめるのはもう辞めましょう」
誰かの役に立つ必要がない。
誰かの役に立つ必要がない?
役に立たなくても、それでいい?
頭が混乱する。言われている言葉は分かるのに、言われている内容が解らない。久々の感覚だった。
「トレニアさん、僕も、僕の仲間たちも、ただあなたが生きて、穏やかに過ごしているだけで──いい。
あなたが世界を救ったり、誰かの命を救ったりしなくてもいいから、ただ生きて欲しいんです」
オズの声は、ただただ穏やかに凪いでいた。
私は何も理解できない。
理解ができないのに、なぜか涙が溢れていた。
そして、それはなかなか止まらなかった。
オズが懸命に慰めても、注文を取りに来た女主人が驚きのあまりにウシガエルのような悲鳴を上げても、全く止まらない。
最終的に、なぜか「オズがトレニアに結婚を申し込んで、驚いて泣かせた」という事に纏まった。オズは焦って何度も否定したが、女主人はまだ騒ぎ、囃し立て続けている。おそらく、そういうことにしておいた方が楽しいから、なんて理由なのだろう。それか、私が泣いている理由をこれ以上は深堀しないために、少しふざけたのかもしれない。しかし、しばらくはこのネタでイジられそうだ。
「落ち着いたら、僕の仲間たちを紹介させてください」
ようやく涙が落ち着いた私に、オズがハンカチを渡してくれた。それをありがたく受け取り、眦にそっと当てる。
「仲間たち・・・・・・」
私の脳裏には王都を出る前に散り散りになった人たちが浮かんだ。
「彼らもトレニアさんに会いたがっているんです。彼らにとっても、あなたは命の恩人ですから」
「命の・・・・・・」
やはり、彼らも騎士団の仲間たちなのだろう。騎士たちから酷い暴行を受けていたという人たち。その人たちの顔や名前も今はよく知らないけれど、その人たちは私の錬金術で命を救うことができた人たちなのだ。
王宮の薄暗い研究室で閉じこもり、ただただ永遠に錬金術をしていたあの日の自分を思い出す。
今思えば、私はきっとあの時、辛かったのだろう。きっと、しんどかったし、誰かに助けて欲しかったのだ。
でも、私には自分が助けを求めていることも分からなかった。だから、きっと他の人たちも私が助けを求めていたなんて、知りもしないだろう。だが、そんな私を心配してくれる人たちは、ちゃんといたのだ。
あの日々に戻りたいなんて絶対に思わない。
けれど、よかった。
「助けられて、本当によかった」
また涙が零れそうになり、慌ててハンカチで両瞳を覆う。
「生きていてくれて、本当によかった」
そうだ。
遠い昔、私を育ててくれた祖母が言っていた。
『トレニア、あたしのかわいこちゃん。心配しないでいい。あたしはあんたがただ生きているだけでいいんだ。まぁ、あんたが幸せだったら、もっといいけどね』
そうだ、私はかつて、そう願われたのだ。
いや、誰かに願われたなんて、人任せに言うべきではない。
たとえ、誰に願われなくても、私は私のために私を幸せにするべきだった。
だというのに、私はずいぶんと長くそれを怠ってしまっていたのだ。
だから、これから私はきちんと私の幸せを願おう。
私は私を幸せにしてあげよう。
私のために、そして、私のことを大切にしてくれた人たちのためにも。
きっと、きっと、そうしよう。
「・・・・・・会って欲しい仲間たちなんですけど、全然、怖い奴らじゃないんです」
いつの間にか隣に来ていたらしいオズが、優しく私の背中をさする。ゆっくりと耳元で囁かれる言葉は穏やかで優しい。
「まずは仲間たちにカカシと呼ばれている男です。
彼は自分の故郷で剣の修行にカカシを使っていたんです。ある日、それはもうズタボロにしたカカシをついに畑の主に発見されてしまいまして、しばらくの間、ボロボロのカカシの代わりに畑に立ち、害獣を追い払わされていたそうです。それで地元では皆、彼のことを「カカシ」と呼ぶんだって、騎士団に依頼にきた方にバラされましてね。それで、彼はそれからずっと仲間たちにカカシと呼ばれているんです。
彼は酷い足の怪我を負いまして、あなたの薬がなければ、きっと足を落とさなければならなかったでしょう。それで、薬の制作者があなたと分かってからは、酷くあなたに心酔していまして・・・・・・この作戦も、最後まで彼の故郷と僕の故郷、どちらにあなたを連れて行くかで、盛大にもめていたんですよ。
ソイツがあなたに早く会わせろ会わせろと、何度も手紙を送ってくるんです。あなたのことが本当に心配なんでしょうね」
ハンカチを取り、オズの方に顔を向ける。
彼は優しい瞳をいつもよりも、ずっと柔らかくしていた。
きっと彼にとって大事な仲間たちなのだろう。
「・・・・・・いいですね。私も会ってみたいです」
少し声が掠れたが、それでも、私はそう言うことができた。
「それを聞いたら、カカシは喜びすぎて、村にあるカカシをありったけ壊しても、まだ打ち込みの修行を続けてしまうでしょうね」
オズが大げさにそんなことを言うので、私は少し笑ってしまった。
「いえ、アイツはやりかねませんよ、本当に」
オズが神妙な顔でそう続けた。
「オズさん」
「はい?」
オズの瞳に私が映る。
そこには泣きすぎて、目を腫らし、少し情けない顔をしている私が映っていた。
「私、仲のいい人にはトトって呼ばれているんです。オズさんもぜひ、そう呼んでください」
私はそう言いながら、自分にできる精一杯の笑顔を作る。
オズの口が開きかけた時、激しい扉の開閉音がした。
「師匠来てませんですか?」
そして、間を置かず、カンザスに少女の甲高い声が響いた。ずいぶんと聞き覚えのある、というか馴染みのできてしまった声である。
グリンダだ。
彼女が錬金術の本の解読に手間取っていたので、解説したら妙に懐かれ、師匠なんて呼ばれるようになってしまっていた。
「あら、グリンダ。どうしたんだい?」
それに答える女主人の声。私とオズは息を殺して、聞き耳を立てる。
「見てくださいよ、これ!」
「ん?」
グリンダの声は興奮を隠しきれない。ここからその様子は見えないが、もしかすると、跳ねるように女主人の下へやってきていたのだろうか。
「宮廷錬金術師、百名募集ですって!」
私は黙ってオズの方を見る。
オズも黙って私の方を見ていた。
百名。
予算がない、予算がないと言っていた、あの宮廷錬金術師筆頭が百名募集。
・・・・・・いや、百名?
「多すぎる・・・・・・」
「あなたの穴埋めなんだから、それでも足りないくらいですよ」
思わず呟くと、オズが間髪入れずにそう返してきた。
いや、そんなわけはない。ないのだが、百名とは本当に恐れ入った。予算が増えたにしても、一気に百名増やすとは、本当に思いきったものだ。
「師匠って絶対に有能な錬金術師だと思うので、一緒に宮廷錬金術師にならないか誘ってみようと思って!」
・・・・・・実は一応、元宮廷錬金術師である。そして、宮廷錬金術師になるのは二度とごめんだ。
私は遠い目をしながら、明後日の方向をみた。
「・・・・・・僕の方から断っておきますね」
オズが小さく呟いたので、それに頷く。悪い子ではない。悪い子ではない。ただ、あの声の大きさと距離の近さが今の私の心臓には悪いだけで。
「・・・・・・帰りにコンポート、買っていきませんか、トト?」
思わず目を見開いてオズを見る。
オズはただ優しく微笑んでいた。
まだ、少し生きるのは怖いけれど、きっといつか怯えずに生きることができる日が来る。私はオズと一緒なら、きっと大丈夫だと、そう思えた。




