第五章 元宮廷錬金術師、外に出る
私が連れてこられたのはオズの故郷、エメラルドの村という場所らしい。王都からは酷く離れていて、乗り合い馬車ならば一週間ほどはかかるということだ。
一週間。
乗り合い馬車に乗っている記憶は所々あったが、ほぼほぼ失神していた。ということは、私は一週間近く失神し続けていたことになる。
一週間。
一週間あれば、どれだけの錬金術を行い、薬を調合できただろう。どれだけの薬草を植えられただろう。どれだけの研究ができただろう。それを丸々ドブに捨ててしまったとは、正しく心臓が凍てつくような心地だ。本当に私は無能の極みである。
そのどうしようもない事実に私の心は更に落ち込んだが、ともかくこれから失った信用というモノを取り戻していかなくてはいけない。私はなかなか言うことを聞かない身体を引き摺り、今日、ようやく玄関口まで自分の身体を運ぶことができた。
本当にようやくである。
自分でも驚くほどに、全く身体が言うことを聞かなかったのだ。
何とか階段の目前まで歩くことができた日もあれば、ベットから起きあがることすらできない日もあった。
それが、今日、ようやく玄関の前まで辿り着くことができたのである。
人にとってみれば、どうということのない事なのだろう。そして、意識せずに当然のようにしていることだ。しかし、それでも、少なくとも私にとって、これは大きな一歩である。
だが、駄目だ。
ドアノブを握りしめたその次ができない。
握ったその手はなぜか酷く震えていたし、ここから出ると思うと吐き気までしてきた。どうして、こんな事すらできないのだろう。自分で自分が分からない。少し前までは、もっと、もっと自分にだってできることがあったはずなのに。少し前は、こんなにまで役立たずではなかったはずなのに。
「どうして・・・・・・」
もはや、私は縋るようにドアノブを握っていた。両足の力が入らない。自分の足で立ち続けることも難しくなってきた。もはや、体重の大半をドアノブに預けている。
どうして、どうして、どうして、私はこんなにも──
「使えない・・・・・・」
動かしていないのに、ドアノブが回され、私の身体がそれに引き摺られる。
「え」
自分の意志とは関係なく、私の身体が外へと放り出された。
光。
光があふれている。
久しぶりに直接浴びる日差しが瞳と肌を焼く。壁越しではない小鳥の声、髪を舞い踊らせる風。それはまるで現実感のない、私には遠いところにあるはずの長閑な世界だった。それこそ、絵画の中に閉じこめられたかのような違和感すら感じる程に、私には似合わないものである。
「わ!」
外にいたのはオズだ。少女のような顔をした少年は、目を大きく見開くと、よけいに少女めいていた。今にも瞳が零れ落ちそうに見える。
「ごめんなさい! まさか、トレニアさんもドアを開けようとしていたとは!」
どうやら、オズが外から扉を開けたようだ。その扉を開ける勢いで、ドアノブを握っていた私も外に引き摺りだされたのか。一瞬のことで、全く理解ができなかった。それこそ、魔法か何かで急に外に放り出されたのかと思ったほどだ。
やはり、彼は見た目に似合わず筋力があるらしい。
「いえ・・・・・・私こそ、すみません・・・・・・」
「今日は調子が良さそうなんですか?」
「えっと・・・・・・少しは・・・・・・」
まだ心臓は走っていたが、衝撃からか吐き気は落ち着いてきた。
「良かった。このドロシーの屋敷には温室があるんです。今日はそちらでご飯を食べてみませんか?」
オズは相も変わらず優しく微笑みながら、そんな提案をしてくれた。
「温室、ですか・・・・・・」
どうやら、この屋敷には温室もあるらしい。少し屋敷を見て、二人で過ごすには広すぎるとは気付いたが、まさか温室まであるとは思わなかった。
まるで、貴族の屋敷のようだ。いや、それにしてはこじんまりとしすぎているか。家具や小物の趣味は良さそうだが、大して高価なものでもなさそうであったし、なんなら、お手製だと分かる作りの甘いモノもある。
「以前、この屋敷に住んでいたのは、錬金術師の方だったんです」
「あぁ・・・・・・」
錬金術師。
そうか、それで、温室まであるのか。
きっと、錬金術に使用するための薬草を育てていたのだろう。
私はオズの背後を見る。
温室以外にも小さな畑があるし、その後ろは森だ。わざわざ材料を集めやすい場所を探して建てたのが、この屋敷だったに違いない。
「なるほど・・・・・・」
もしかすると、地下に調合室や錬金術の材料保管庫があるのかもしれない。探してみようかな。
「今日はグリンダの桃と、あとチキンスープを持ってきたんです」
オズが持っている籠を持ち上げる。きっと、中には屋外で食べられるように工夫された食事を入れているのだろう。
「日向ぼっこをしながら食べましょう」
数秒、逡巡する。
だが、オズはきっとこの為に準備してくれた。私のために、頑張ってくれた。その気持ちを無駄にすることはできない。
「・・・・・・はい」
私は頷いて、彼の方へ、つまり外へ一歩踏み出す。
久々の屋外。
心臓の音は乱れていたが、それでも、一歩、私は外へと踏み出した。
日差しが肌を嬲り、このまま溶けてしまいそうだ。
温室の中は思ったよりも荒れていなかった。屋敷を手入れしている人間がいるのだろうとは思ったが、その人間はどうやら、植物の知識もあるらしい。水分が多くないといけない植物も、少なくないといけない植物もしっかりと育っていて、根腐れしている様子もない。もしかすると、世話をしているのは、錬金術の知識がある人間なのだろうか。
少し歩くと、真っ白いテーブルと椅子が設置されており、オズはそこで食事をしようとしているようだ。
オズの手が椅子の上を軽く払い、少し後方へ動かして、私を見つめてきた。
少し遅れて、私に座るように促していたのだと気が付く。
「す、すみません」
早足で駆け寄り、慌ててその椅子に座る。
「謝らないで、僕は好きでやっているんですから」
オズは再び優しく微笑んだ。その顔は少し悲しみを含んでいるように見える。
オズが籠をテーブルに置き、いくつかの桃と布に囲まれた壷を取り出した。チキンスープは壷に入れてきたのだろうか。
深めの木皿が二つ、スプーンが二つ、そして平皿が一つ。
「あ」
全て取り出したところでオズが間の抜けた声を上げる。
「?」
私は彼の顔を下から見上げた。
「ナイフを持ってくるのを忘れていました! ドロシーの屋敷から持ってくるので、少し待っていてくださいね」
オズはそれだけ言い残すと、跳ねるようにして飛び出していった。
それを少し呆けながら見送る。
ナイフ。
そうか、桃を切るのに使うものか。
確かに入っていないようだ。
でも、あんなに急いで行かなくてもいいのに。私が怒ると思ったのだろうか。
オズの背中を追っていた視線を逸らし、森へと視線を向ける。鬱蒼と茂っており、慣れるまでは案内がなければ迷ってしまいそうだ。だが、きっと錬金術に使える材料が良く集まるだろう。
次に畑の方へと目を向ける。遠目で見ただけだが、そちらは温室とは違って、主に食べ物を作るのに使っているようだ。錬金術とはあまり関係ないモノや、害獣除けになるような植物が植えられているのが見える。
後で、いや、きちんと動けるようになったら、植物のリストを作ってみるのがいいかもしれない。
「あーっ!!」
少女の甲高い声が私の脳味噌を揺らす。耳が、頭がグラグラと揺らされて、吐き気がしてきた。
私の身体が驚愕で固まったが、背後から明らかにこちらに近付いてくる気配がする。
「全然、見たことがない方がここにいるって事は、新しい住人の方なのですよね!?」
それだけでも心臓が破裂しそうなのに、どうやら、私に話しかけているらしい。混乱し過ぎて、頭が痛くなってきた。
「あたし、ここの植物のお世話をオズに任されてるのです! あ、任されているというか、ドロシーさんがいた頃からそのお手伝いをさせて貰ってて・・・・・・あ、お手伝いをしていたのは、あたしが錬金術をしているからなのです!」
ついに私のすぐ背後に少女がやってきたらしい。思わず、上半身を丸め、一歩前方に進む。しかし、少女は更に距離を詰めてきたようで、やはりすぐ背後から声があがった。
「それでなんですけど、村の皆が言うには、ドロシーの屋敷に住んでいるのは、王都で働いていた錬金術師なんじゃないだろうかって言ってたのです! それってお姉さんのことですよね? お姉さんは錬金術師なんですか? 本当に王都から来たんですか? 王都ではどういう錬金術を使っていたんですか? あたしも将来錬金術師になりたいのです。なので、お姉さんのお手伝いをさせてください! あたし、きっと立派な錬金術師になって見せるのです!」
心臓が勢いよく肋骨を叩きすぎて、そのまま外に飛び出していきそうだ。正直、勢いが凄すぎて何を言っているのか分からない。
分からないというか、言葉の洪水が私の右耳から左耳へと抜けていき、そのまま温室の地面に落ちていった。内容が全く頭に入ってこない。
かろうじて、錬金術について言っていることだけは分かった。
「えっと・・・・・・」
私は全身から嫌な汗が噴き出しているのが分かった。両手を胸の前で握りしめ、視線をあちらこちらに彷徨わせる。
何と言えばいいのか分からない。それでも、ようやく首だけ、背後に回すことができた。
フワフワした金髪に緑の瞳をした少女だ。黒くて豪奢、いやいっそ禍々しい装飾を施されたドレスをまとっている。田舎の錬金術師は「他とは違う不思議な格好をする」と聞いたことがあるが、ソレだろうか。
年齢はオズと同じくらい、いや、きっとオズよりも年下だろう。オズは幼い顔をしているが、中身は年上の落ち着きがある。最近はもしかすると、あれで年上なのかもしれないと思っているくらいだ。
「あたし聞いたことがあるんですけど、王都では錬金術を使うのに免許がいるんですよね? それには、学園に行って勉強をしなくちゃいけないってきいたのです。だから、あたしはこの村で錬金術を勉強しながら学園に行くお金を貯めて、そのお金で学園に行こうと思っているのです! この間も外からやってきた商人の方にあたしが作ったお薬を売ったんですけど、結構評判が良くてですね・・・・・・」
「あの・・・・・・」
少女の口は次々と言葉を生み出していく。いつ息継ぎをしているのか、分からないほどには止めどない。
そして、少女の甲高い声が私の脳をギリギリと締め上げていく。
何を言っているか分からないというのを通り越して、何語を話しているのか分からなくなってきた。先ほどまでは私が知っている言語を確かに話していたはずなのに、今はもうさっぱりと分からない。
汗腺が馬鹿になってしまったかのように、滝のような汗が流れていく。
少女はまだ何かを喋っているようだ。だが、その声はもはや膜の向こうで喋っているかのように曖昧である。
「グリンダ!」
第三者の声が少女の後ろから聞こえ、私は自分が倒れそうになっていたことに気が付いた。無意識にテーブルに手を置き、体重を預けていたらしい。
ポタリとテーブルに水滴が落ちる。
テーブルを見ると、他にもいくつかの小さな水溜まりを作っていた。
どうやら、私の汗であるらしい。しかし、それを拭うこともできず、私は椅子へと座り込んだ。握っていた両手が、自分でも驚くほどに震えている。平衡感覚がおかしい。視界が揺れている。
「トレニアさんには話しかけないでくれって言ったでしょう!」
「でも、この方がトレニアさんかどうかも分からないのです」
「分かるでしょう! こんな小さい村で見覚えがない人間なんですから! トレニアさんは体調が悪いんですから、放って置いてください!」
「あたしは錬金術師なのです! 錬金術という天から頂いた才能があるのですから、この方の体調が悪いのでしたら、錬金術師のあたしこそが何とかしなくてはならないのです! なんとかできなければ、錬金術師の風上にも置けなないのです!」
錬金術師。
錬金術師が何とかしなくてはいけない。
錬金術師が、何とかしなくてはいけない。
なのに、なにもできない。
役立たず。
『錬金術師のくせに、なんでこんな事もできないのよ!!』
いつか誰かに言われた言葉が脳内に再生され、それに続いて聞き取れないほどに多くの罵声が響きわたる。
私は自分の身体が椅子から転げ落ちたのを感じた。
そして、その後は分からない。
ただひたすらの暗闇を感じただけだ。




