第三章 元社畜宮廷錬金術師、モノを食べる
身体が動かない。
全く身体が動かない。
病気や怪我があるわけではない。
あるわけではないのだ。
なのに、身体が全く動かない。
いや、指一本動かすのが億劫だ。
しんどい、疲れる、怠い。
まさか、自分という人間がこんなにも怠け者だったとは思わなかった。
失望だ、絶望だ、最悪だ。
頭を掻き毟る。吐きそうだ。だが、えずいてもえずいても何も出てこない。胃の中には吐けるモノがないらしい。
そう言えば、ここはどこなのだろうか。意識は曖昧だったが、馬車に乗っていた気がする。もしかすると、王都ではないのだろうか。遠いところにいるのだろうか、それともまだ王都の近くにいるのだろうか。正直、どれだけ馬車に乗っていたのかすらも、全く覚えていない。
そもそも、どうして私はここにいるのだろうか。
何か錬金術で作ってもらいたいモノがあるのだろうか。
・・・・・・だが、宮廷錬金術師を首になってしまうような、こんな私みたいな人間にできることなんてあるのだろうか。
頭が痛い。いつも通りの睡眠不足の・・・・・・いや、さっきまで寝ていたのだからきっと違う。逆に寝過ぎて頭が痛いのかもしれない。それか、体調不良、だろうか。また自己管理について叱られてしまう。
「いや、もう、叱られることもないのか」
そういってその考えを打ち消そうとするが、怒鳴り声の幻聴が聞こえる気がした。思わず耳を手で覆うが、当然のように幻聴は消えない。当たり前だ、だって幻聴なのだから。耳を覆っても意味など無い。鼓膜を揺らしているものではなく、脳が生み出しているモノなのだ。
それでも、耳を覆うことを止められない。
ただただ身体が重くて、怠い。
いつもよりもずっと。
「トレニアさん」
肩が跳ねる。今のは私の脳から出てきた音ではなかった気がした。
いつの間にか、私は手で耳を覆い、布団に突っ伏していたらしい。両手を耳から退けて、顔を上げる。
そこにいたのはトレーを持った少女。いや、少年だった。そういえば、失神する前や馬車の中でも、この少年を何度も見た気がする。どうやら、あれは夢でも幻覚でもなかったらしい。
「えっと・・・・・・あなたは・・・・・・」
彼の名前を尋ねようとして、言葉に詰まる。
もしかすると、もう名前を聞いているのかもしれない。そうでなくても最近は人の顔を覚えられなかったり、簡単なはずの書類をミスしたりしているのだ。この間なんて錬金術、というスペルを思い出すのに大分時間をかけてしまった。
「オズです」
少年が優しく答えてくれた。
彼の顔は穏やかなままで、私の使えなさや記憶力のなさに失望したりしている様子ではない。少しだけ、安心した。
だが、言わなくてはいけないことはまだある。
「あの、オズさん・・・・・・私、頭がぼんやりしてて・・・・・・その、ここが・・・・・・どこだか・・・・・・」
宮廷錬金術師は首になった。
首になったのだから、私はそこら辺の路地裏や王都の外に放り出されていても、おかしくないと思うのだが、それがどうしてかこんな風にベットに寝かせてもらい看病までされている。きっと、私が酷い迷惑をかけたか、この人──オズが私に何かをして欲しくて、仕方なく私なんかの面倒を見ているのだと思う。だが、それが全く思い出せない。自分が何をすればいいのか、どうすれば役に立てるのかさっぱりなのだ。
「あ、あの・・・・・・も、もう私に命じていたのなら、すみません。でも、本当に、本当に覚えていなくて、私・・・・・・何をすればいいんでしょうか?」
早速、自分の無能さをこの少年に、見せるのは忍びなかったが、仕方がない。なにせ、本当に記憶にないのだ。まさか、何も分からないまま仕事をするわけにもいかない。
「何もしなくてもいいですよ」
オズの言葉に、心臓がそのまま地面に落ちたような心地になった。
何もしなくてもいい。
「それは・・・・・・私が、使えないから・・・・・・」
その言葉はつまり、私には何も期待していない、ということだろうか。
私なんかじゃ何の役にも立たないという。
「え、いやいや、違います! 疲れているのだから、休んでくださいという意味です! それに今は真夜中で・・・・・・」
「大丈夫です! 錬金術で明かりを作れるので、夜も朝も関係なく動けますので!」
「いや、夜は普通に寝てください」
「で、ですが・・・・・・」
「本当に寝てくださ・・・・・・あ、いや、せっかく目が覚めたんですから、食事にしましょう」
オズがベット横のチェストに持っていたトレーを置いた。
「野菜をじっくり煮込んだスープがあるんです。温めて持ってきます」
オズが持ってきたガラスのコップに手早く水を注いでいく。
「けれど、まずは水を飲んでください。あなた、王都を出てから湿らせた布で口を拭くくらいで、ちゃんとした水分を取れてないんですから」
そういいながら、差し出されたコップを受け取る。だが、どうも手に力が入らずに落としそうになった。オズはそれも予想していたのか、すぐにコップの下に手を添え、なんとか惨事は回避することができた。
「慌てないで、ゆっくりでいいので」
「・・・・・・ありがとう、ございます」
恥ずかしい。
多分、年下に見える少年にここまで世話を焼かせるなんて。
私はもっともっと、しっかりしなくてはいけないのに。
支えられながら、なんとか水を飲み干すと、二杯目が注がれた。ソレをまた傾けて、そのまま半分ほど飲み干す。自覚はなかったが、酷く喉が渇いていたらしい。
「あー、スープなんですけど、ちょっと煮込みすぎちゃって。どろどろだから、あんまり素材の味とかは、分からなくなっちゃってるんですけど・・・・・・苦手なモノとかあったりしますか? 野菜が駄目だったら粥とか作りますけど」
オズが少し照れながら頬を掻いた。料理を煮込みすぎたのが恥ずかしいのだろうか。
「苦手なモノはとくにはないです」
「そうですか、よかった!」
オズの表情が明るくなる。本当にありがたいが、本当に申し訳がない。まさか、彼の料理を分けて貰えるなんて思わなかった。
「でも、私なんかのために、わざわざそんなことをしていただかなくても大丈夫ですよ」
そう、私にはここまでしてもらう理由がないのだ。まだ何の役にも立っていないどころか、迷惑しかかけていない。
「いつも、錬金術の合間に作った栄養ドリンクでお腹は満たせていますし、全然大丈夫ですから」
食事なんて栄養ドリンクで十分だ。これなら、誰かの手を煩わせることなく、一人で何とかできる。彼の料理をわざわざ分けて貰ったりもしなくていい。
「錬金術の材料を少しだけ多めに貰えれば、自分で適当に作りますので」
そういって、自分でできる精一杯の笑顔を作る。
だが、顔面の筋肉は凝り固まっていて、どうもぎこちなくなってしまった。こういうところが、筆頭曰くの可愛げのなさなのだろう。最近は特に錬金術ばかりで誰かと喋ることもなかったし、喋るときだって罵倒されたのを謝ることくらいだったので、笑顔なんて本当に久しぶりに作った。
「トレニアさん」
オズが真剣な顔を作る。
「はい」
「食事をとりましょう」
「はい?」
「いえ、食事をとらなくてはいけません」
オズの両手が私の肩に置かれる。驚きすぎて再びコップを落としそうになった。それを何とか持ちこたえ、首を傾ける。
「・・・・・・はい?」
この人は一体何を言っているのだろうか。
栄養ドリンクで食事をするから、私は大丈夫ということを説明したと思ったのだけど。
「僕、一杯作ります、何でも作ります! 何が好きですか?」
オズの瞳が真っ直ぐに私の瞳に突き刺さる。
好き。
好き?
好きなもの。
好きなモノって何だろう?
率先して取りたいモノ、を言えばいいのだろうか。
「・・・・・・飲んだ後に吐かないもの?」
「吐くんですか!?」
オズの手に力が込められる。少し痛いくらいだ。
「・・・・・・吐き、ますね」
その勢いに押され、少し仰け反りながらも何とか答える。
「というか、それ、食べ物味の好き嫌いでも無いじゃないですか!」
「えっと・・・・・・本当に申し訳ない、です」
「謝らないでください! 栄養ドリンクを飲む前は、何が好きだったんですか?」
「・・・・・・栄養ドリンクを飲む前・・・・・・?」
栄養ドリンクを飲む前、食事?
食事、食事、食事?
「えっと・・・・・・何を食べてたっけ?」
本当に思い出せない。更に首を傾ける。確かに、生まれてからずっと食事を栄養ドリンクで済ませていたわけではなかった、はずだ。
「あ、甘いものとか辛いものとか、そういう、何かふわっとしたものでもいいです! 何か、何か思い出せませんか!?」
「アマイ・・・・・・カライ・・・・・・?」
「味という概念すら、もう忘れているじゃないですか!!」
「本当に・・・・・・申し訳ないと・・・・・・」
「いや、本当に謝らないでください! トレニアさんのせいじゃないんで!!」
「いえ、全て私のせいです・・・・・・」
「いや、絶対違いますからね!!」
なんだかオズくんを怒らせてしまったらしく、私の気分は沈んだ。こんなに優しい少年ですら怒らせてしまうなんて、私の鬱陶しさはもはや天賦の才の域にまで達してしまったらしい。
なんだか、身体が更に重くなってきた気もする。
「とにかく、スープを温めてきます。何か食べたいモノを考える、というのをトレニアさんの課題にしますから、しっかりと考えておいてください」
「課題・・・・・・」
それだけ言うと、オズはさっさと行ってしまった。
どうしよう、怒らせたままだ。
許して貰えるまでしっかりと謝らなくては。
だが、課題。課題か。
「・・・・・・食べたいモノ?」
栄養補給さえできれば何でもいいはずだ。栄養補給ができて、作業の片手間に摂取できて、人の手を煩わせないモノ。
「・・・・・・やっぱり、栄養ドリンク・・・・・・なのでは?」
だが、そういうとオズは余計に怒ってしまいそうだ。
宮廷錬金術師になる前、私は一体何を食べていたのだろうか。
小さい頃、私は何が好きだっただろうか。
全く、思い出せない。
というよりも、使えない脳味噌が今日はより一層働かない気がする。
モノを考えることができない。
考えようとしても、筆頭や他の宮廷錬金術師から言われた罵倒や嫌がらせばかりが頭に浮かんで、振り払うことができないのだ。
でも、そうだ。宮廷錬金術師になってすぐは、自分へのご褒美だなんだと何か食べていた気がする。買っていたのか、作っていたのか、はたまた貰っていたのかは思い出せないが。
「トレニアさん!」
扉が大きな音を立てて開かれる。ビックリしすぎて、少し手の中のコップが跳ねた。
「さぁ、スープです! まずはこれを飲んで、しっかりと食事というモノを思い出していきましょう!」
そういって差し出されたのは真っ赤なスープだった。
木の皿の中に満たされた赤いスープ。
鼻を鳴らすとなんだか知っている匂いがした。
「トマトのスープです」
そういいながら、彼の手が私のコップを取り上げ、トレーの上に戻す。そして、私の手に木の皿と同じく木でできたスプーンを握らせてきた。
「あ、ごめんなさい」
「謝らないで」
「あ、と」
オズと皿を見比べる。オズの視線は真っ直ぐに私を見ていた。その瞳は真剣そのものである。
・・・・・・まずは一口飲んで味の感想を言うべきかもしれない。
そう思った私はスプーンを握り直し、真っ赤な液体をそれで掬い上げる。そして、オズを見るが、やはり彼の表情は微動だにしていなかった。これが正解でいいのだろうか?
いや、止めに入らないということは、きっと飲んだ方がいいのだろう。きっと、オズは筆頭のように、後から私の悪かったところを上げ連ねるタイプではない、はずだ。そう思い、ゆっくりとスプーンを口に差し入れる。
そして、そこで固まった。
栄養ドリンクならば、ここで吸い上げればすむ。だが、スープはこのまま飲んでいいのだっけ? 野菜スープといっていたから、咀嚼した方がいいのか? 駄目だ。栄養ドリンクではない食事が久々過ぎて、何も分からない。
ちらりとオズを見るが、やはり無表情のまま私を見ている。少し怖い。
まさか、彼に「食事って、どうするんでしたっけ?」なんて聞くわけにはいかない。これ以上、彼になんて馬鹿で使えない人間なんだと思われたくはない。
覚悟を決める。
とりあえず、栄養ドリンクにするように、少しだけ吸ってみることにした。
熱い。舌がビリビリする。
これで正解なのだろうか。
とりあえず、栄養はとれている気がする。だが、やはり効率的には栄養ドリンクの方がいいのではないだろうか。
恐る恐る、二回目の吸引を行う。
途端にスプーンから液体ではない何かが飛び出し、喉に被さる。
跳ねそうになる肩を何とか抑えて、それを最後まで飲み込んだ。
何かが喉を詰まりながら、通過していくのが分かった。
喉を通過し、無事に胸の辺りまで落ちていったらしい。
・・・・・・食事ってこういうモノだっけ?
いや、栄養がとれたのならきっと正解だ。
そう思った瞬間、胸の下で何かが暴れ出した。
「と、トレニアさん?」
何とか表情を歪めることだけは耐えたが、脂汗が吹きだしてくるのは止められなかった。オズも私の様子がおかしいことに気が付いてしまったらしい。
「そ、そんなに、不味かったですか?」
私は勢いよく首を振る。
だが、口を開くことができない。
開いたら多分、吐く。
まさか、せっかく作って貰った料理を吐くわけにはいかない。
というか、本当に不味かったわけではない。正直、味は良く分からなかった。だから、本当に不味かったわけではないのだが、私の身体がこのスープを拒絶している。違う、一口目のスープは大丈夫だった。二口目のスープが駄目だった。いや、固形だ。スープの中に入っていた固形の何かに私の身体が拒絶反応を示したのだ。
拒絶反応。
何が駄目だったのか、脳を回す・・・・・・今までこんな事はなかった。栄養ドリンクを飲む前だって、そうだったはずである。ならば、なぜ今こういう風に吐きそうになっているのだろう。
もしかして、久々の固形物だから、胃が驚いてしまったのだろうか。
つまり、私のせいだ。私が栄養ドリンクばかり飲んでいるから、固形が駄目になったのか。そしてオズが作った料理が、私のせいで駄目になりかけている。せっかく作った料理なのに、せっかく分けて貰ったのに。
駄目だ。
飲み込め。
吐くな。
迷惑になる。
全部飲め、飲んで、飲んでくれ。
「う”っ・・・・・・」




