第二章 元社畜宮廷錬金術師、また失神する
「・・・・・・地獄?」
もう自分は死んだものと思っていたので、思わずそんな言葉が口から出てしまったが、それにしては穏やかな空気が漂っている。
そして、どこも痛くないはずなのに、指の一本を動かすことも億劫である。そして、身体が動かない、ということは、まだ身体があるということだ。
生きている。ならば、また仕事をしなくてはいけない。
朝も昼も夜も関係ない。ベットで寝るなんてもってのほかだ・・・・・・というのに、なぜ私はベットに横たわり、動かずにいるのだろう。だが、駄目だ。本当に指を動かすのも怠い。動かなくてはいけない、やらなくてはいけないとは思っているのに。
全く動かない身体に我ながら苛立つが、この部屋は長閑な日差しが差し込むだけで、私を責めるモノも罵倒するモノもないようだ。逆に落ち着かない空間である。
まるで、画家が描いた希望に満ちあふれた一日の始まりのような風景だ。
最近は窓のない部屋に籠もりっきりなので、こんなことを思うのだろうか。
苦労して、なんとか上半身を起こす。急に動いたせいなのか、視界がすり鉢で混ぜ合わされたかのように、グチャグチャになる。気持ちが悪い。手を口にあて、こみ上げてくる何かをなんとか喉で食い止めた。
何度も空気を肺に取り込んで落ち着こうとするが、心臓の音は逸るばかりだ。
心臓の音が止まっていないということは、やはりまだ生きているらしい。だが、正直、今にも心臓が爆発して死にそうだ。だが、生きている。いくら死にそうでも、まだ生きているならば、仕事をしなくてはいけない。
仕事を、錬成を、錬金術を、ピンクを。
苦しくなり、喉をかきむしる。
呼吸がうまくできない。
視界の端から黒く染まっていく。
『本当に使えない女だ』
駄目だ、駄目だ、駄目だ。
失神するな、寝るな、働け、動け。
私は使えないから、平民の出だから、若いから、女だから、もっと苦労して、苦しんで、がんばらなくてはいけない。
そうしなければ、誰も私を認めてくれない。
私は、もっともっともっと──
「トレニアさん!!」
名前を呼ばれる。
誰かが私の肩を掴んでいた。
「・・・・・・あ」
気が付けば、眼前に誰かがいた。
少女、いや、少年だ。
クルリと巻いた赤毛に緑の瞳の少年。
一見すると少女のように見えるが、肩に置かれた手は思いの外分厚い。鍛えているのかもしれない。騎士や騎士見習いなのだろうか。
「落ち着いてください、トレニアさん。息を吸って、吐いて、吸って」
緑の瞳が私を覗き込む。
彼は私と同じか少し年下に見えたが、その瞳だけは酷く落ち着き、穏やかに凪いでいた。まるで経験豊かな老齢の人間の瞳を覗いているかのようだ。
「大丈夫、大丈夫です。大丈夫ですからね」
一定のリズムで何度も背中を優しくさすられ、少しずつ少しずつ、呼吸が深くなっていく。
肺に、脳に、酸素が回る。
喉が誰かに絞めあげられているかのような、苦しみが徐々に取り除かれていく。
酸素を吸って、吐いて、そしてまた吸い上げる。
「無理をしないで。体調が悪いなら、まだ休んでいてください」
その言葉に思わず、また吐きそうになる。
「でも、私は使えないから・・・・・・誰よりも頑張らなくちゃ・・・・・・」
そう、そうなのだ。
皆がそう言うのだから、間違いない。
私は使えない。
だから、もっともっと頑張らなくてはいけないのだ。
私には、誰かに優しくして貰う価値なんて無い。
「頑張らなくていい。頑張らなくていいんです。だって、もうトレニアさんは宮廷錬金術師を首になったじゃないですか」
くび。
クビ。
首。
首?
何を? 何が?
あぁ、そうだ。私は使えなさすぎてついに宮廷錬金術師を首になったのだった。
恥ずかしいことだ。
私が使えないから、迷惑をかけるから、駄目なやつだから、価値がないから。
でも、なぜだろう。
私が駄目なやつ過ぎるからだろうか──私は、今、酷く安心を覚えていた。
「だから、安心してゆっくりと休んでほし・・・・・・トレニアさん?」
少年の声が鼓膜を揺らす。
「・・・・・・え? もしかして、座ったまま、失神してる?」
何も考えられない。
ただ・・・・・・あぁ、もう、ベットで寝てもいいし、トイレに行った時間を記録されないし、シャワーを浴びても怒られないんだな、とだけ思った。
「お前は本当に使えないな」
──でも、一日に上級回復薬百個なんて無理です。その数は王都にいる上級錬金術師たちを総動員して一ヶ月でできるかどうかじゃないですか。
「それをどうにかするのが、お前だろうが」
──無理なモノは無理です。そんな無茶をさせたら死人が出てしまいます。
「死んだなら、ソレすらできない無能だったということだろうが」
「トレニアさん、もうこれ以上は無理です」
──本当にごめんなさい。
「あなたは部下を殺す気なんですか!」
──本当にごめんなさい。
「平民だから、いくら死んでも代わりはいるってことですか」
──本当にごめんなさい。
「尊敬していたのに」
「少し才能があるからって」
「貴族の宮廷錬金術師はあんなにサボっているのに、私たちばかり」
「何で助けてくれないんですか」
「学園で主席だったからって、貴族にでもなったつもりなのかよ」
「所詮平民の」
「がっかりしました」
「どうせ、学園の成績だって金で」
「無能」
「使えない」
「もう、あなたには付いていけません」
「退職します」
「もう、トレニアさんが一人で全部やればいいじゃないですか。有能なんでしょ」
「ごめんなさ・・・・・・」
自分の声で目が覚める。
目が、覚めてしまった。
ならば、そう、仕事だ。
私は仕事をしなければならない。
人よりもずっとたくさんしなくてはいけない。
だって私は無能で・・・・・・。
「いや、無能すぎて、首になったんだった・・・・・・」
ようやく脳が回り始めた。カーテンが閉まっていて分からないが、ずいぶんと暗い。今は夜なのだろうか。
別にお腹は空かないのだが、そろそろ栄養補給をしなければ、また倒れて薬品の生産が止まってしまう。そうなると他の宮廷錬金術師にも迷惑がかかって、また筆頭宮廷錬金術師から長い長い嫌みを言われることになる。
「・・・・・・ことももうないのか」
首になった。
つまり、私はもう宮廷錬金術師ではない。
だから、寝る間を惜しんで錬金術を使う必要ももうないのだ。
ノルマはなく、作業中に私の手を止めさせてまで怒鳴る筆頭もいない。
なんだか、おかしな気分だった。
錬金術を使わなくていい。
「だけど、なら、何をしたらいいんだろう?」
錬金術をしない私にはそれこそ価値がないというのに。




