勇者を待つ街
その街は、待っていた。
誰を、とは書いていない。
ただ、待っている、という空気だけがあった。
門は開いたまま。掃除された道。飾られた旗。
祭りの準備のようで、でも音楽はなかった。
「……来るの?」
僕が聞くと、刀は少し間を置いた。
「来ない」
断言だった。
広場では、人々が集まっていた。老人も、子どもも、兵士も。中央に簡素な演壇があり、そこに一人の少女が立っていた。
「もうすぐ、勇者様が戻ってきます!」
声は震えていなかった。
信じている声だった。
拍手が起きる。
疑う人はいない。
「何年待ってるんだろう」
「待つのに、年数は関係ない」
刀の声は、低かった。
僕たちは宿を取った。女主人は、やけに上機嫌だった。
「今日は特別な日なのよ」
「勇者が?」
「ええ。世界を救った方だもの」
過去形だった。
それでも、未来を指していた。
夜になると、街に灯りがともった。人々は広場に集まり、空を見上げる。
「空から来るんだって!」
「剣が光るらしいぞ!」
噂は増殖する。
誰も止めない。
「……言わなくていいの?」
僕は小さく言った。
「何を」
「来ないって」
刀は、すぐには答えなかった。
「言っても、信じない」
「それでも」
「それでも、だ」
広場の少女が、僕たちに気づいた。
「旅人さん!」
屈託のない笑顔だった。
「勇者様を見に来たんですか?」
僕は、喉が詰まった。
「……違う」
そう答えると、少女は少し驚いた顔をして、それから笑った。
「じゃあ、間に合わなかったんですね」
責める声じゃなかった。
「また次がありますよ。勇者様は、きっと何度でも来てくれますから」
刀が、かすかに鳴った。
夜が更けても、勇者は来なかった。
空は静かで、何も起きない。
人々は帰らなかった。
待つこと自体が、目的だったから。
「……帰ろう」
僕が言うと、刀は何も言わなかった。
街を出る直前、少女が走ってきた。
「旅人さん!」
息を切らしている。
「もし、勇者様に会ったら……」
言葉に詰まって、でも続けた。
「ちゃんと、ありがとうって言ってください」
僕は、うなずいた。
約束はしなかった。
街を離れてから、長い沈黙が続いた。
「なあ」
刀が、ようやく言った。
「俺は、待たれる資格があったのか」
答えは、簡単じゃなかった。
僕は、歩きながら言った。
「分からない。でも」
「……でも」
「今、あんたはここにいる」
刀は、それ以上聞かなかった。
夜風が冷たかった。
待つ街の灯りは、まだ遠くで揺れている。
勇者が来なくても。
世界が終わると分かっていても。
人は、待てる。
それが、希望かどうかは分からないまま。




