祈りを持たない村
その村には、祈る場所がなかった。
神殿も、祠も、墓標さえない。家々は整っているのに、空だけが広くて、落ち着かなかった。人の声はある。笑い声もある。それでも、どこか薄い。
「変だな」
僕が言うと、刀がすぐに返した。
「祈りを捨てた村だ」
「捨てた?」
「信じなくなったんじゃない。信じるのをやめた」
似ているようで、まったく違う。
畑仕事をしていた老人が、こちらを見て軽く手を振った。警戒はない。歓迎でもない。ただ、旅人を見る目だった。
「泊まれますか」
「ああ。空いてる家はある」
理由も条件も聞かれなかった。
村は、驚くほど普通だった。子どもは走り、パンは焼かれ、夜には灯りがともる。ただ、誰も空を見上げない。誰も何かに願わない。
「……昔は、違ったんだろうね」
「祈った結果だ」
刀の声は淡々としていた。
夜、村長の家で話を聞いた。
村長は若かった。白髪もなく、疲れた目だけがあった。
「この村は、昔、勇者に救われた」
その言葉に、僕は何も反応しなかった。
刀も、沈黙した。
「魔物は消え、作物は実り、人は感謝した。神にも、勇者にも」
村長は、机の上の杯を指で回した。
「だが、十年後、疫病が来た」
「……」
「祈った。救いを求めた。だが、何も起きなかった」
声は、責めていなかった。事実を並べているだけだった。
「それで?」
「祈るのをやめた。誰も悪くないと決めた」
それは、逃げでも諦めでもない。
生き方の選択だった。
「楽になったよ」
村長はそう言った。
「誰かのせいにしなくていい。期待しなくていい。だから、裏切られもしない」
僕は、その言葉が少しだけ羨ましかった。
外に出ると、星が出ていた。
それでも、村の誰も見ていない。
「どう思う?」
僕が聞くと、刀は少し考えた。
「間違ってはいない」
「正しくもない?」
「正しさは、救いにならないことが多い」
風が吹いた。
祈らない村に、風は平等だった。
「……僕はさ」
言いかけて、やめた。
「何だ」
「いや、いい」
言葉にすると、祈りになりそうだったから。
翌朝、村を出る時、子どもが一人、ついてきた。
「どこ行くの?」
「次の街」
「なんで?」
僕は少し考えた。
「見たいから」
「何を?」
「終わる前の世界」
子どもは意味が分からない顔をして、でも笑った。
「変なの」
「よく言われる」
振り返ると、村は静かだった。
祈りはないが、生活は続いている。
「なあ」
刀が、低く言った。
「もし、また祈れる日が来たら」
「うん」
「それは、悪くない」
僕は答えなかった。
祈らなくても歩けることを、もう知っていたから。
それでも。
空は、相変わらず綺麗だった。




