祈る街
街に入る前から、音があった。
鐘だ。規則的で、強すぎない。急かす音じゃない。
「祈りの街だな」
腰の刀が言った。
「分かるの?」
「鐘の鳴らし方が、願いじゃなくて確認だ」
「確認?」
「まだ大丈夫か、っていう」
なるほど、と僕は思った。
この街は、終わりを完全には知らない。でも、気づいていないわけでもない。
門は開いていた。
誰も止めない。旅人は珍しくないのだろう。
建物は白い石で揃えられていて、背は低い。
空が広く見えるように作られている。理由は分からないが、たぶん意図的だ。
広場の中央に、大きな祈祷堂があった。
荘厳、というほどじゃない。でも、丁寧に手入れされている。
人々は静かだった。
笑っている人もいるし、子供も走っている。でも、どこかで一線を引いている感じがある。
「怖がってる?」
「違う」
勇者は即答した。
「覚悟している」
「何に?」
「分からないものに、だ」
祈祷堂の前で、足を止める。
中に入る人と、通り過ぎる人が半々だった。
僕は入らなかった。
理由はない。今は、外でいいと思った。
年を取った神官が、僕に気づいて声をかけてきた。
「旅の方ですね」
「うん」
「祈っていかれますか」
「何を?」
神官は少しだけ笑った。
「皆さん、違うものを祈ります」
「それでも、同じ場所で?」
「ええ。同じ場所で」
それ以上は、聞かなかった。
街を歩く。
家々の壁には、小さな印が刻まれている。文字じゃない。模様でもない。
誰かが、何かを残した痕跡。
「これ、何?」
「祈りだな」
「読めないけど」
「読めない方がいい」
それは、分かる気がした。
市場は小さかった。
物は少ない。でも、足りない様子もない。
パンを買う。
柔らかくて、甘い。祝祭用じゃない。日常の味だ。
「この街、逃げる準備してないね」
「逃げ場がないと、分かってる」
「終わりの?」
「世界の、だ」
僕はパンを齧った。
甘さが、少しだけ強い。
「それでも祈るんだ」
「祈ることで、折り合いをつけている」
「何と?」
「自分たちが、ここにいることと」
夕方になると、鐘がまた鳴った。
今度は、朝より少し低い音。
人々が、自然に祈祷堂に集まる。
無理はしていない。生活の延長だ。
僕は端の方で、座って見ていた。
神官の声は穏やかだった。
救いを約束しない言葉。
終わりを否定しない言葉。
ただ、今日を肯定している。
「……こういうのは、嫌いじゃない」
勇者が、ぽつりと言った。
「意外」
「逃げていない」
「信じてるけど?」
「信じることで、立っている」
祈りが終わると、人々はすぐに散っていった。
泣く人はいない。興奮もない。
夜が来る。
宿は、祈祷堂の近くだった。
窓から、鐘が見える。
「ここでは、何も言わない方がいいな」
僕が言うと、勇者は頷いた。
「言わなくても、生きられる場所だ」
布団に入る。
静かだ。外の音が、ちゃんと遠い。
「……お前は、この街をどう思う」
「嫌いじゃない」
「理由は」
「みんな、自分なりに受け入れてる」
「終わりを?」
「分からないままの部分も含めて」
勇者は少し黙った。
「それは、強いな」
「強いかな」
「少なくとも、壊れにくい」
翌朝、街は昨日と同じだった。
鐘が鳴り、人が動く。
誰も、未来の話をしない。
でも、今日の話はちゃんとしている。
街を出る前、祈祷堂を振り返る。
何も起きなかった。
それが、ここでは一番の出来事なのかもしれない。
僕は歩き出す。
祈らなかったことを、後悔はしていない。
祈っている人たちを、否定もしない。
ただ、覚えている。
終わりを知らなくても、人は折り合いをつけて生きていける。




