旅は静かに続いていく
朝は、静かに始まった。
空は薄く白くて、雲は高い。
風は冷たすぎず、草の上にはまだ露が残っている。
……世界は、今日も普通だ。
「平和だね」
僕はそう言って、歩き出した。
皮肉のつもりだったけど、半分くらいは本音だった。
「そうだな」
腰に下げた剣が、短く答える。
それだけで、少し安心する。
返事があるだけで、「一人じゃない」って分かるから。
世界が終わるって知ってるのに、
こんな朝を迎えてしまうのは、ずるいと思う。
でも、朝は来る。
来てしまった以上、起きて、歩くしかない。
だから僕は旅を続けている。
勇者になる気も、
世界を救う気も、
正直、あまりない。
ただ――
見ておきたいだけだ。
終わる前の、この世界を。
昼前、小さな町に着いた。
低い石の壁に囲まれた、どこにでもありそうな町だ。
門番はいなくて、人の出入りも自由だった。
市場には人が集まっていて、
果物の甘い匂いと、焼きたてのパンの香りが混ざっている。
子どもが走り回って、
大人が声を張り上げて、
みんな、ちゃんと生きている。
「……すごいよね」
「何がだ」
「世界が終わるって知らないところ」
「知らなくても、生きる」
淡々とした声だった。
露店でパンを買うと、店主がやたらと愛想よく話しかけてきた。
「旅の人かい? 今日はいい日だよ」
「そうですね」
「この町はな、昔はひどかったんだ」
パンを包みながら、店主は続ける。
「魔物が出て、畑も荒らされてさ。
でも――」
そこで、少しだけ誇らしそうに笑った。
「救われたんだ。勇者様のおかげでな」
「……勇者」
名前は出てこない。
どんな人だったのかも、どんな戦いだったのかも。
ただ「救われた」という言葉だけが、
当たり前みたいに置かれている。
「話は、整えられている」
「整えられてる?」
「伝わりやすく、だ」
僕は小さく息を吐いた。
「そっか。
じゃあ、優しい話だね」
そう言ったけど、
それが本当に「優しさ」なのかは分からなかった。
町外れの丘で休んでいると、
風に乗って、誰かの声が聞こえてきた。
「救世会の人たちが来るらしいぞ」
「また? 助かるな」
「本当に、よくやってくれる」
不安はなかった。
疑いもなかった。
信じている声だった。
「……世界を救うって、忙しいね」
ちょっとだけ皮肉を込めて言うと、
「忙しくするのは、人だ」
剣は、事実だけを返した。
それ以上は、何も言わない。
でも、その一言で十分だった。
否定も、同意も、いらない。
夕方、町を出る。
背後で、家々の灯りが一つ、また一つと点いていく。
今日を終わらせるための、あたたかい光だ。
「ねえ」
歩きながら、僕は呟いた。
「世界が終わるって知ってたらさ、
普通、もっとちゃんと生きようとすると思わない?」
「人は、ちゃんと生きている」
即答だった。
「……本当に?」
「今日を、だ」
それだけ言って、剣は黙る。
僕は振り返らず、歩き続けた。
皮肉屋で、
分かったふりをして、
期待しない顔をしているけど。
本当は、こういう景色が好きだ。
町があって、
灯りがあって、
誰かが今日を終わらせている。
世界は、まだ続いている。
旅も、まだ終わらない。
剣は黙ったまま、僕の隣にある。
それでいいと、
僕は思った。




